エルネスト
勇者になるのは私だったのに――――
エルネストは思い出していた。キールと出会った時のことを……
◇◇◇◇◇
教皇モードレッドは15歳になったエルネストを呼び出した。
当時、教会は魔族の侵略及び勇者の降臨を予言しており、各国は大量の兵士を駐在させ、
先日魔族と初めて交戦したところだった。
どうにか撃退したものの終始劣勢だったという。
「我らはそなたを勇者として魔族討伐の指揮権を与える。ついては、土の五大精霊 ゼノと契約せよ」
「わかりました」
エルネストは教皇の庶子であった。幼い頃から魔族を奴隷にしてきた教会の裏の顔を知っていたのだ。
教皇の隣に精霊が一人顕現した。
「側に参れ。我が名はゼルビアノ、貴様と契約してやろう」
しわがれた声でその精霊は言う。エルネストはゼルビアノの前で膝をついた。
精霊の魔力がエルネストを包んでいく。
―――私のことはゼノと呼べ
まもなくして、精霊が意識に語りかけてくる。これで契約が完了したのだ。
「モードレッド様、契約完了しました。私は魔大陸に赴けばよろしいのでしょうか?」
そうエルネストが尋ねた時だった。
突如、扉が開け放たれたかと思うと一人の若い聖職者が入ってきた。
「教皇様!ついにっ…ついに勇者が現れました!!」
裏の顔を知らない聖職者は興奮に頬を赤らめて口早に告げる。
「…その者は如何した」
動揺したエルネストに対して、教皇は一切表情を動かさなかった。
「今、教会にお連れ致しましたところです」
「こちらに通しなさい」
教皇はあっさりと勇者と呼ばれる人物との面会を所望した。
それを聞いて若い聖職者は慌ただしく出ていく。
まもなくして、高位聖職者たちに囲まれた少女がやってきた。
「貴方が教皇?」
エルネストよりいくつか年上らしい少女は顔立ちは美しいが、白い髪に紅い瞳という奇妙な色を宿していた。
そのうえ、教皇に対して気安く話しかける。
「勇者どの!この御方はホルノ教の頂点におわしまする教皇様でございます。教皇様が許可せず話してはならないとあれほど申し上げましたでしょうっ」
周りの聖職者たちが咎めるも、少女は聞かなかった。
「だから、私は勇者じゃないんだって!貴方が教皇ならこの鬱陶しいものをどうにかしてよ」
少女は聖職者たちを振り払う。普通なら格式高い教会の中枢に連れてこられ、委縮してもいいはずだが、少女は全く怯まない。
「…何故、このような方を連れてきたのです?」
エルネストは少女の態度に少し苛つきながら高位聖職者たちに尋ねた。
「ホルノ教会支部のある港町ミクラにて魔族が現れましたところ、彼女が退治して下さったのです!」
魔大陸と人間の大陸の間にある中間海。それに接する港町 ミクラは、守りの薄いところだったので、手がまわらなかったのだろうと、エルネストは推測する。
「魔族って頻繁に襲ってくるものなの?」
「ええ、そうですが……そんなことも知らないとは随分な僻地からいらっしゃったのですね」
「そうだったんだ……」
エルネストの嫌みを聞こえなかったかのように受け流した少女はうんうんと一人納得している。
「人間は魔族と戦えないの?」
そして、少女は何とも非常識な質問をした。そのため束の間沈黙が訪れる。
「……あれ?精霊と契約したりしないの?」
「精霊と契約せし魔術師は国の宝であり、国を守る兵士ではない。―――勇者よ、名はなんと言う」
教皇が口を開いた。
「私はキールだよ。貴方は?」
畏れ多くも教皇に声をかけられたというのに軽い調子で応える少女 キールにエルネストは堪えられなかった。
「教皇様をなんと心得るのです!この御方にはしたない言葉を使うとはっ!あなたはそれでも人間なのですか!」
キールは声を荒げたエルネストにきょとんと首を傾げる。
「教皇ってただの人間でしょ?それに私は別に女神を信仰している訳でもないよ?」
「なっ!」
返ってきた言葉は正論だったが、ホルノ教を信仰していないというその存在がエルネストには理解出来なかった。
そして何よりも尊い教皇をただの人間呼ばわりするキールに憤りを通り越えて目眩すら覚えた。
「………あなたのような者が勇者などあり得ません!!」
エルネストは叫んだが、キールはそもそも私は勇者じゃないんだけど?と、気にしていなかった。
◇◇◇◇◇
その後、高位聖職者たちに宥めすかされキールは勇者に仕立てあげられた。
本人は勇者じゃないと頑なだったが、魔王を倒すという点には同意を得られ、彼女は魔大陸に赴くことになる。
その際に教皇に命じられて有能な若手騎士であったバルクやメイドのリルカ、そして聖職者のエルネストが共についていった。
―――とうとう粗方の魔族を討伐し、最後の遠征になった時、エルネストは教皇に呼び出されていた。
「魔王を倒した後、キールを殺しなさい」
「………………は?」
それを言われたのはエルネストがキールの強さと素直さに心を許し始めた矢先のことだった。何を言われたのか咄嗟に理解することができず、間抜けな声を発してしまう。
「何を戸惑う。エルネスト、今のキールが手に入れた名声は本来おまえのものだったのだぞ?」
顕現したゼノがしわがれた声で言った。
「キールには不相応な名声だ。むしろ、一時でもその名声を手に入れられたのだから感謝してもらいたいくらいだ」
「…しかし、」
エルネストは初めて教皇を疑った。キールが教会よりも人々の支持を受けていることは知っていたのだ。
「知っているか、キールは人間がどうなろうと構わないのだぞ。ヤツは人間ではない。おかしいと思わぬか?容易く術式を扱い、その魔力は魔族を凌いでいるのだぞ?」
教会とキールの間で揺れるエルネスト。そこにゼノがいい募る。
「…キールが、人間ではないと?」
「そうだ。ヤツは魔族と人間の間に生まれた禁忌の子。人間、魔族、精霊、そのすべてを見下す傲慢な妖精であるぞ」
「……まさか、………人間と魔族の間に子ができるなど聞いたことがありませんよ」
エルネストはゼノの言葉が信じられなかった。しかし、キールの超人じみた力については納得できるところがある。
◇◇◇◇◇
―――妖精
人間と魔族の間に生まれた禁忌の子。
昔も今もエルネストはあまりにも無知だった。
これが古来から続く妖精同士の争いであったことなど勿論知るよしもなかった。
こうしてキールに疑いを持ったエルネストはついに魔王城にて確信する。
そこで見たキールは人間のように精霊を従え、魔族のように魔獣に化ける………まさに妖精であったのだ。
特別な術式を仕込んだ剣でキールが魔王の心臓を貫く。血はでなかった。ただ瞳から精気が抜けていく。
「あの剣を奪え、あれでキールを殺すのだ」
顕現していたゼノが囁いた。人ならざるキールの本性を目の当たりにしたエルネストにはキールがもう仲間だとは思えなかった。キールは排除しなければならない危険な猛獣にしか見えなかった。
キールが剣を引き抜きしまったのを見計らって、エルネストはついさっき駆けつけたかのように振る舞った。
「キール!無事ですか!」
「……エルネスト、魔王は倒したよ。急いで教会に戻らないといけなくなった。けど、ちょっと疲れちゃった」
そう言ってキールは座り込む。
「シヴァ、魔王の死体を魔族たちのところへ持ってって。頭がいなくなったら、魔族たちも戦わなくていいでしょ?そして、下で戦ってるバルクたちを迎えにいって。私はエルネストと待ってるよ」
都合のいいことにキールは自ら最強の守り手を遠ざける。シヴァは少し躊躇う素振りを見せたが、一礼して影に沈んでいった。同時に魔王の体も沈んでいく。
エルネストはこの機を逃さなかった。
「すみません、キール。剣を貸してくれますか?私の剣は折れてしまったので…」
「そうなの?――いいよ。ヘトヘトの私が持ってるより貴方が持ってる方がいいものね」
キールは疑うことなくエルネストに剣を差し出した。
「ありがとうございます。………それにしても、激しい戦いだったのですね」
エルネストはあたりを見回して、戦いの傷跡を確めるようにして歩き回る。
「そうだね。ここまで追い詰められるとは思っていなかったよ」
キールはエルネストの行動を気にした風もなく、応えた。
エルネストはゆっくりとキールの背後に回り、傍らのゼノに目配せする。
「あなたが追い詰められるなんて……敵ながら流石は魔王といったところですね」
エルネストは静かに剣を抜いた。ゼノがその刃に触れると、先ほどキールが魔王に止めを刺した術式が浮かび上がる。
「………そうだね。――それよりバルクたちは大丈夫かな?ねえ、エルネ」
キールの声が途切れた。キールは胸から生える剣を見下ろす。そして、弾かれたように立ち上がり無理やり剣を抜かせる。
「エルネスト……?」
キールは胸元を抑え、信じられないといったようにエルネストを見た。
「ええ、私があなたを刺しました」
エルネストはキールの瞳から生気がなくなっていくのをみとる。
キールはすぐにエルネストから視線を外した。そして、小さく呟きながらある術式を発動させる。
「……シヴァ……」
聞き取れたのは、それだけだった。キールの肉体は傷口から結晶化していき、あっという間にすべてが結晶に覆われた。
「――ようやく死んだか」
ゼノが結晶に触れる。そして、思い切り蹴飛ばした。
しかし、結晶化したキールは少しも砕けない。
「エルネスト、あとはうまくやれ。シヴァは契約者を失ったためにここへやってこれはしない。私はこれを持って先に戻っている」
ゼノは結晶を担ぐとすぐに姿を消した。
それからエルネストは後からやってきたバルクたちにキールは魔王と相討ちになり、死んだと告げたのだった。
こうして、人間と魔族の戦争は勇者という犠牲を払うことで終結したかのように見えた。当然、それが最初から最後まで教会の思惑通りであったことは誰も気づかなかった。




