アマギと潜入
夜中を過ぎた頃、私は光の差さない地下通路をジェラールに教えられた順路に従って歩いていく。
かび臭い地下通路は大分古い時代に造られたもののようで、幅も大人二人が並んで歩けるかどうかというところ。
王都の北にある王城に対立するように建てられた教会は、古代の英雄であり慈愛の女神 アウローラを祀っておりアウローラの教えに従ったホルテ教を興している、最も信者が多い宗教だ。
最初、教会は国の横暴を諌めることができる唯一の機関であった。それが徐々に国政に携わるようになり、決定的になったのが前国王の時代で、教会が完全に国王を傀儡にした。現教皇が魔族襲来と勇者降臨の予言を公表し、実現させたため、国民の信頼を根こそぎ奪っていったのだ。
これによりミラコスタ国は魔族の侵攻に対して、いち早く応戦することができ、犠牲者を最小限にとどめることができた。
国民はそれ以来盲信的に教皇を崇め、国政は教会によって行われるようになったのだ。魔族襲来の原因が教皇にあるとも知らずに―――
しばらく歩くと、朽ちかけた扉を見つけた。やはり、魔族を運びこむのに使用していたらしく扉は開け放たれている。
私は闇に紛れるようにしてフードを深く被り、壁づたいに近づいていく。扉の中に人の気配はない。私は警戒しながら、教会に足を踏み入れる。
ゴシック建築に似た造りで美しくかつ荘厳な教会は、世界遺産になってもおかしくないほどだ。しかし、そこに住まう聖職者共は聖職者と名乗るのもおこがましく穢らわしいヤツらばかりだというのが、残念すぎる。
少し行くと、階段を見つけた。音をたてないように登り、周囲を伺う。時折巡回している聖職者共を影に隠れてやり過ごし、自分の居場所を見失わないよう気をつけながら進む。
すると、見覚えのある中庭に行き着いた。そこからはどうにか17年前の記憶をひっぱり出してきて、礼拝堂へたどり着く。
この奥が本堂だ。私は迷わず奥に進んで行った。
奥では記憶通り、台座の上に結晶が安置されていた。この結晶が結界の核である。結晶の表面に魔方陣が流れるように浮き沈みを繰り返している。
私はそれに手を触れた。結晶内に詰め込まれた術式を外に取りだし、ひとつひとつ順番に無効化していく。
キールが一月かけて作ったものだが、私は構造を知っているだけにいとも容易く解除できてしまう。
術式のほとんどが排除されたところだった。私は術式に集中していたがために、反応が遅れた。
―――我が君!
シヴァが呼び掛けたと同時に、私の体は吹き飛ばされた。衝撃を受けた右腕から嫌な音がした。
壁に叩きつけられ、私は痛みを逃すようにうずくまる。咄嗟に結界を張って衝撃を和らげたが、右腕が変な方向に曲がっている。完全に折れていた。
ぐぅ…っと痛みを堪えて、どうにか治癒の術式を展開する。しかし、痛み止め程度の効果しかなかった。何が起こったのだと、私は顔だけ上げて視線を走らせる。
私が入ってきた入り口を見るとそこには―――元凶が佇んでいた。
その瞬間、私は痛みを忘れた。
何故シヴァは影で最初の不意討ちを防がなかったのだとか、何故術式の効き目が弱いのだとか、すべての思考が停止した。
「―――モードレッドっっっ!」
ありったけの憎悪と殺意を込めた声が私から発された。
◇◇◇◇◇
―――今から思えば、私は完全に冷静さを失っていた。
◇◇◇◇◇
私は治癒を放り出し、即座に術式を作り上げて炎玉を放つ。
しかし、それは現教皇モードレッドに届くことなく消滅した。
「――何者であるか」
侵入者たる私に教皇はもっともな問いかけをした。
私は右腕をおさえながら立ち上がり、教皇を睨み付けた。
「私は東雲だ。腐った教皇共々汚泥以下の教会をぶっ潰しにきた」
白い貫頭衣に白髪混じりの茶髪、濁った灰色の双眸。17年前と変わらず30代の容貌を保った教皇はシノノメという名を覚えていたようだ。
「ああ、廃棄処分され損なった異世界の者か」
『廃棄処分』と何の感情も滲ませず、教皇は言った。
「愚かな者だ。我が女神アウローラの名の下、その命を捧げる名誉をくれてやったというのに……」
教会が祀るのは慈愛の女神 アウローラ。古代の大規模な戦争を終息へ導いたとされる英雄である。
今や人間の大陸に住むほとんどの人々がこの女神アウローラを奉っている。
「ふざけるな。異世界から来た私にとって女神に命を捧げる名誉など必要ないだろうが」
「我が言葉は女神の言葉。我は女神の代弁者である。貴様は女神の目に叶わなかった」
「非協力的な私が邪魔だっただけだろう。それに、腐りきったアンタに女神を語る資格があると思うのか」
「我は女神に選ばれた教皇であるぞ」
「家柄を利用し、他候補者を蹴落とし、邪魔者を排除し……そうして勝ち取ったその地位に何の意味もない。血塗られた教皇など今すぐ引き摺り落としてやる」
「女神の祝福を知らぬ異教徒に何もできはしない」
私が袖口からナイフを取りだし構える傍ら、教皇は淡々と答える。
「異世界から来た私に信仰心を求めるな!そもそも異世界から勇者を召喚するな!」
私はナイフを放った。教皇は体をひねってそれを避ける。その一瞬で距離を詰め、私は影倉庫から新しくナイフを取り出す。
しかし、ナイフは出てこなかった。
―――シヴァ!?
私はシヴァに呼び掛けた。だが、返事は返ってこない。意識の同調が完全に切れていた。
どうなっているのか。
私の動きが止まったところを教皇は待っていたかのように、私の胸ぐらを掴み上げた。首が締まり、足が宙に浮く。
「……っ、何をした……!」
左手でどうにか外そうともがくが、教皇の手を引っ掻くだけに終わる。
最初の不意討ちをシヴァが防がなかったり、術式の効き目が弱かったのは、教皇が何か仕掛けていたのだろう。初めに気づくべきだった。
「この女神の祝福を賜りし我がその奇跡を行使しただけのこと。これより愚かな異教徒に裁きを下す」
教皇がもう片方の腕を掲げた。すると、その腕が形を変えた。
肩から先が膨れあがり、伸びていく。誰かの肉体をとってつけたかのようなグロテスクな腕には、顔らしきものが犇めき、赤黒い鋭利な爪が私に狙いを定める。先ほど私を吹き飛ばしたのはこの腕だったのだろう。
―――醜悪なその腕が私に振り下ろされた。
私は左側の上半身を襲う焼けつくような激痛に声にならない悲鳴を上げた。
左手でとっさに術式を発動させ、私をつかむ教皇の手首を切断すると、脚力に魔力を集中させて教皇を蹴り、その反動で距離をとったのだが、間に合わなかったのだ。
反射的に防ごうとした左腕は、血に染まっていて感覚がない。そのうえ左目を潰された。
両腕が使い物にならなくなった私は残った両足に力を入れて立ち上がり、右目で教皇を睨み付けた。その視線の先で切断したはずの教皇の手が再生していく。何がどうなっているのか仕組みはわからないが、全くもって人間業ではない。
それに、ここには魔力を弱めて精霊とのつながりを断ち切る何かがあるのだろう。
私の矜持に反するが、今はどうにかして逃げねばならない。幸いにも結界はほぼ解除したので、消失するのも時間の問題だ。
私は相討ち覚悟で教皇を倒すのでは駄目なのだ。蒼馬とカレンを元の世界に返さないといけない。それにキールがやり残したことも、シヴァとのこともある。
「異教徒の分際でしぶといことだ。苦しまずに送ってやれたというのに」
教皇が再びグロテスクな腕を掲げる。私はすぐそばに落ちている切断した教皇の手を見つけた。何か策はないのか―――
その瞬間、唐突もなく入口の扉が開いた。
「教皇様、このようなところで何を………、侵入者のようですね」
入ってきたのは、エルネストだった。教皇の注意が私から逸れる。その機を逃さず、私は落ちている教皇の手に術式を仕込み、それを蹴りあげた。
手は教皇の頭上で膨張し、弾ける。
中からは霧状になった血が吹き出しあたりを覆った。それを煙幕代わりにして私は外へ走る。
エルネストの横を通りすぎ、礼拝堂に転がりこむと、
「異教徒たるシノノメを殺しなさい」
私の背後で教会内でその異様な姿を見せるわけにはいかないらしい教皇がエルネストに命じた。
私はひたすら走った。しかしぽたぽたと血を流しているため、追跡は容易にできるだろう。
だから、このまま地下通路に戻る訳にはいかない。もし地下通路を使えば、私にこの通路を教えたジェラールが疑われる。
脱出経路を探し、私の体力が尽きてきた頃、ある部屋にたどり着いた。
私の前でひとりでに扉が開き、まるでそれは私を誘っているようである。
私は罠かと思い、通りすぎようとした。しかし、足が動かない。
部屋の奥から何かが私を手招きしているように感じられ、私は意を決した。
私が部屋に足を踏み入れると、扉が閉まった。両手が使えない今、もう後戻りはできない。
部屋は物置のようで様々なものが乱雑に置かれている。
私は妙に気になる奥の方へ進む。部屋は意外と狭く、すぐに壁に突き当たった。
だが、この奥がまだあるような気がして、私は棚やら机やら壁に隣接しているものを体で押して動かす。
息を荒げ重い本棚を蹴飛ばすようにして退かすと、隠し扉が姿を露にした。
古びた扉は鍵も壊れており、私は体当たりして扉をあける。
扉ごと倒れこみ痛みに呻いてから、私は視線を上げた。
―――そして、私は言葉を失ってしまう。
そこにはキールがいた。
エルネストに背後から胸を貫かれたキールは、死ぬ前に自らの肉体を結晶化させていた。
自身の肉体を利用されないようにするため、そして、もう半分の魂を預けていたシヴァがキールを甦らせる可能性に賭けていたのだ。
しかし、それは失敗したらしい。キールは転生して、天城 ゆきになってしまった。そして、キールの結晶化した死体は教会に保存されてしまっていた。
それが、今ここにある。
私は膝をつき、結晶化したキールの額に自分の額を重ね合わせた。
ある術式を発動させながら――――




