第5話 アイテム
一歳も過ぎた頃、家の中を自力で移動できるようになったボクが真っ先にやったこと。
それは我が家にあった魔法関連の書籍を調べることであった。
それまでナニをしていたかといえば、子供向けの絵本で文字のお勉強。
幸いにして生まれた直後から言葉は理解できていたので、あとは脳内の言語と紙に記された文字を一致させる作業を、読み聞かせをおねだりすることで着実に進めていった。
貧乏貴族であったボクの家にも、それなりの数の蔵書が存在していた。
その殆どは代々の当主が役目に係わる内容の本を収蔵したものであったが、中には何冊か魔法関連の書物も混じっていた。
ただ本が貴重なこともあって、書庫の中を幼児が勝手に徘徊することなど許されるはずも無く、書物の探求には随分と苦労をさせられたものだ。
何故本が貴重なのかと言えば、先ずこの国では植物の繊維を使った安価な紙が存在しない。「紙」といえば、家畜の革から作った「羊皮紙」のことなのだ。
したがって紙自体が貴重品なうえに、印刷技術も当然のごとく存在しないから、本に文字を記すためには手書きに頼らざるを得ない。
ここで言う本とは、いわゆる「原本」ではなく「写本」あるいはそのまた写しのことだ。
「写本」が在るからには、その「原本」も確実に存在するのだが、「写本」が作られるような貴重な「原本」は、その殆どが王宮や神殿に厳重に保管されている。
さらに市場で購入可能な本はその「写本」ですらなく、そのまた写し、孫写し、ひ孫写し、さらにその写し……というのが一般的なのだ。
ボクもこれまでお目にかかったことは無いが、「原本」から直接書き写された「写本」は、王族や神官以外が入手可能な本の中でも特別な価値を持つとされている。
ボクは三歳の誕生日を迎えるまで実家の魔法書を嘗めるように熟読し、三歳にして早々に人生に絶望したあとも、結局諦めきれずに王都の図書館に通い詰め、魔法関連の書物を手当たり次第に読破してきた。
しかし幾ら本を読んでも、魔法資質の無い人間が魔法を使うための裏技や抜け道などはその何処にも記されていなかった。
夢の中ですら渇望した旨い話だからといって、簡単に乗るわけにはいかないのだ。
ここで下手に期待したあと、万が一足を掬われれば、自分を保つことすら難しいかも知れない。
だからとりあえずの異議申し立てぐらいはしてみるボクなのであった。
「けど、そんな話しは聞いたことも……」
「信じられませんか?」
「さすがに今すぐには……無理かも……です」
そりゃあボクとしてもソピアさんの話を信じたかった。
だけど、あれほど調べても何も出てこなかったんだよ?
「それはそうかも知れませんね。ではちょっと使ってみます?」
「は?」
一瞬、ボクはソピアさんの言ったことが理解できなかった。
たぶん人生最大の間抜け面を晒していたコトは間違いない。
「だから魔法を」
何事も無かったようにソピアさんが言った。
しかし振り返ってみても、この人(っていうかリッチさんですが)まったくブレないよな。
骨だけに、芯がある、ってなワケでもないか。
とはいえ、この時のボクに冷静な思考などあるはずもなく、さらに焦りは募るばかりだったのだが……。
「まっまっままま魔法を……? いま、ココで??」
ボクは自分でも知らないうちに、腰を浮かして絶叫してました。
顧みれば顔を覆って悶絶したうえにゴロゴロ転がってしまう類いのアレですよ。
ボクの驚きようにソピアさんもちょっと引いてるようだった。
「アルツァさん、少し落ちついてください。
……何もそんなに驚かれなくても。
たいしたコトじゃありませんから、ほらこれを」
そんなに軽く言わないで欲しい。
ボクにとっては11年ぶりの人生の一大事なんだし。
ソピアさんがローブの内側から取り出した物は小さな指輪だった。
「これが何だかご存じですか?」
知ってはいるがこれは……。
「は、はい、本で見ましたから一応」
「ほう、それは」
ソピアさんが感心したように声を上げた。
「アルツァさんは勉強家なのですね。
ではこの魔道具の目的も?」
もちろん知っている。
しかし、この指輪は魔法の発動を助けるどころか、魔力のブースターですらない。
その名前どおり、魔法を使う方向とは全く逆の効能を持つ道具の筈なのだ。
「ええ、魔封じの指輪ですよね。
何か他の魔道具を使うのに、この指輪を嵌めることが必要なんですか?」
当然のことながらボクはそう尋ねていた。
魔封じの指輪、それはフューネラルギルドの領域で探索を行う冒険者にとって必須のアイテムだ。
指輪はフューネラルギルドから直接、それぞれの冒険者に貸与され、グレイブヤードに立ち入る際には装備が義務づけられている。
冒険者がギルドの管理区域から出る場合には返還を求められるため、他の場所でこの指輪を目にすることはなかった。
ボクも指輪の実物を目にするのは初めてだったが、図書館で閲覧可能な魔法関係の書物を手当たり次第に漁っていたおかげで、指輪のことを知っていたわけだ。
肝腎の指輪の効能だが、これを装備することにより、グレイブヤードに滞留する膨大な魔素が人間に流れ込むのを防ぐとされている。
つまりは魔法の発動に必要な魔素の流れを遮断するためのアイテムというわけであり、魔法の使用という目的からすれば全く逆の効果を持つことになるのだ。
ではもし魔封じの指輪を付けずにグレイブヤードに入ればどうなるか、そんなコトを試す輩はいないのだが、結末だけは指輪が実用化される前の過去の文献にハッキリと記載されている。
30分以内ならまず大丈夫、1時間ぐらいで酷い魔法酔いが始まり、2時間を超えると魔素中毒で死亡するか、意志をなくして魔物に変異してしまうそうだ。
それ故、指輪がなかった頃のグレイブヤード内での人間による作業や探索は、1時間以内に厳しく制限されていたと聞く。
そんな魔封じの指輪をなんに使うのか?
ボクにとってそれは、まったくの謎であった。