第2話 夏空
地平線の彼方にこんもりと盛りあがる積乱雲の下へと白い道が延びていた。
樹海の中を縫うように走る道は、大きな石や木の根が丁寧に取り除かれ、白っぽい砂利が敷き詰められている。
その砂利を押しのけるように続く二本の轍の幅は1.5メートルよりもすこし狭いぐらいだから、この道は日常的に馬車の通っている馬車道なのだろう。
馬車ではなく主に人間の引く荷車が通るための道もあるのだが、その場合には道に付く轍は1メートルより何センチか広いぐらいの幅になるはずだ。
道の左右には広々とした緑地帯が続いていた。
よほどの荒れ地でもない限り、人の足や馬車の車輪で踏み固められた道のすぐ近くまで樹木が生い茂っているものなのだが、この道では500メートル程の幅で道に沿うように延々と草原が拡がっているのだ。
こういった草原を維持するためには毎年春先に野焼きを行って木の芽を焼く必要があるから、砂利を敷くどころではない手間とコストが掛かっているはずだ。
この手の安全地帯を設けてある道には、往来する馬車などにとって森に隠れた盗賊やモンスターなどの不意打ちを受ける危険が少なくなるというメリットがある。
まあここで盗賊をやるのは自殺行為以前の問題だし、この道に限っては魔物やモンスターに対しても別の目的があるのだが。
だが馬車にとって安全な道でも、徒歩で行く者とっては緑地帯のおかげで道沿いには立木の一本もないし、いまのような暑い時期に通るにはかなり辛いものがあるのだ。
その矢鱈と金が掛かっているわりに人には優しくない焦げそうな砂利道に小さな影を落としながら、ボクことアルツァ・ハルトマンは深く刻まれた馬車の轍と馬糞を避けて道の端を早足で行いていた。
服装はというと、白っぽいシャツとズボンに、頭には日除け代わりに茶色の麦わら帽子を被っている。
腰に巻いた革のベルトからさげた剣は粗末な誂えだし、背負っているのも魔法の物入れなどではなく唯の大きな背嚢だ。
実家としても、十四歳になって嫁ぎ先もなく就職するしかない女に金は掛けられないということなのだろう。
嫁ぎ先が決まらなかった最大の要因とも言えるボクの身長はすでに190センチを超え、少なくとも縦方向に関しては我ながら育ちすぎの感がある。
容姿はというと……まあフツウ、ていうかソバカスもあるし、髪は金髪でも黒髪でもない赤毛だし……美人というカテゴリーには入らないかなぁと。
む、胸は……残念ながらペッタンコ……であります。
まあ、あくまでいまのところってコトで、将来に期待?
今朝はちょっとした用事のため、日の出とともに開かれた城門を抜けて、小休止を挟んでここまで6時間近くを歩いて来ている。
足の速い軍隊でも6リーグ半ぐらいしか進めない時間だけれど、馬車なみの速度で歩けるボクの場合、既に8リーグも距離を稼いでいるのだ。
ちなみに1リーグってのは1時間で歩く大まかな距離で、だいたい4.5kmぐらい。歩測の更に大ざっぱなものだと考えて貰っても良いだろう。
こういった単位は軍隊の行動を目安に決めた方が、軍事行動に際しては色々と便利な面もあるはずなのだが、フツウの旅人の足を基準にしたものを平気で用いている辺り、この国も結構平和なのだ。
「それにして暑ッついなあ……」
ボクは麦わらで編んだつばの広い帽子の陰で目を細めながら、首に掛けた手ぬぐいで額の汗を拭いた。
中天で眩しく輝く太陽の所為か、青空もなんとなく白っぽく霞んでいるような気がする。
目的地まではまだ4リーグもあるから、そろそろどこかで休んで昼食と行きたいところなのだが、この炎天下に木陰すらない場所では弁当を広げる気にもならない。
少しでも荷物を減らそうと折りたたみ式の日除けを持ってこなかったことが今更ながら悔やまれる。
そもそも城門から12リーグという目的地までの距離は、日の長い今の季節でも1日で行こうと思うなら馬車を使うのが普通であり、もし徒歩でとなると普通の足では夜明けから日没までの時間を歩き通す必要がある。
道沿いに宿屋や安全の確保された野営地などもないため、本来はボクのような女子供が歩きで行くのは難しい場所だし、ボクだって就職という「ちょっとした用事」が無ければ行きたくはない場所なのだ。
もう面倒くさいので少しお行儀は悪いのだが、歩きながら食事にする。
肩から斜め掛けした革袋の水筒から水を飲み、肩越しに背嚢の中に手を突っ込んで取りだしたパンを囓る。
これでも下級とはいえ一応は貴族の娘だし、いくら嫁に行きそびれたとは言っても、こんな姿を母様に見られたら、小一時間どころかまる一日お説教をされた上に、一週間ぐらいは外出禁止にされてしまうかも知れない。
しかし見渡す限りボク以外の人影もなく、当然のことながら家族の目があるわけも無いので全く問題なしだ。
パンを平らげたあと、塩気の強い干肉を囓りながら水を飲む。
この暑さだから熱中症を予防するためにも塩分の補給は重要だ。
ところがだ、大量に汗をかいたときに水だけでなく塩分も身体にとって必須であることは、こちらの世界において常識ではないらしく、いまの時期、屋外での仕事中にいきなり意識を失ってそのまま死んでしまう人も少なくないようだ。
それから歩くこと3時間、やっとボクの目の前に目的地が現れる。
それは正面に高さ5メートル程の門を備えた、巨大な楼門であった。
楼門の左右には低いところでも20m以上の高さを持つ壁が、延々20リーグもの長さにわたって続き、「こちら側」と「あちら側」を隔てているのだ。
壁の中央部、12リーグを歩いてきた道の終点に立つ楼門状の建物が、ボクの就職先であるフューネラルギルドだ。
まだこの時間、ギルドは営業されているはずなのだが、門は固く閉ざされて来訪者を拒んでいる。
まったく不親切なことだ。
「こんにちはー! どなたかいらっしゃいませんか-!」
閉まったままの門扉の立って大声を張り上げてみたが、門の中から応答はなかった。
巨大な扉には、これまた直径50cmはありそうなノッカーらしき特大の鉄環がぶら下がっている。
これで扉をノックすれば良いのだろうか?
触ってみると輪っかがユラユラと揺れるから、使えそうには見える。
ボクは重量級のノッカーらしき鉄環をよっこらしょ、と両手で持ち上げ、乗用車を縦にしたようなサイズの門扉に、思い切って叩き付けてみた。
ゴスン!
ノッカーの音とは思えない、重量感のある鈍い音が響く。
扉がへこんだ様子もないし大丈夫なようだ。
「こんにちはー!!」
もう一度、声も掛けてみるがまったく反応なし……。
ちょっとイラッとするな。
ゴスン! ゴスン!
ボクは更に二度にわたって鉄環を扉に叩き付け、応答を待つことにする。
もうホント誰か出てきてくださいよマジで。