Chap.6 性悪
僕らはごみ溜めの上に立っている。空に雲一つなく、太陽が灼々と照り付ける下、生暖かい風が吹くと、暑さに耐えかねて、僕らは熱量の源に背を向ける。自然、視界に彼方の地平線を捉えることになり、なだらかなその丘の周囲に、がらくたの裾野が広がっていることがわかる。
がらくたは地の底から続いているかのように高く、深く積もっていて、いつからその丘が積み重なり始めたのか、誰もはっきりしたことを言うことはできない。予測することさえ難しい。なぜなら、辺りを掘り返して出てくるものに見覚えがある者が、必ず一人はあるからだ。
深く、より古くへと進んでも、新しく発掘されるすべてが、誰かが見知っているもので、ただ古いものであり、今より以前のものであるということしかわからないのでは、過ぎ去った時間に対する推測は意味をなさない。時系列的な処理がなければ、等しくがらくたであるという一様な認識のみがあって、変化を齎さない。そして、掘り返すまでもなく、どこかで見かけたような物のかけらがそこら中に転がっていて、誰もが辺りを見渡すたびに、懐かしい何かを思い返すことになる。
そこには、過去だけがある。多くの人たちが積み上げてきた、そして僕らがこれから積み上げていく、奇妙な残骸の集積地。人類の歴史すべてであって、僕らの現在に、そして未来にもずっと足元にあるもの。視界の限りにがらくたが広がっているから、見えるものすべてががらくただから、それは今いる場所と何も変わりがないから、どこかへ歩き出そうなんてことを考える者なんてありはしない。足元には、圧倒的な、過去。
自分が現在に立ちながら、茫漠とした過去をただ眺め続けるという行為はひどく退屈だから、新しい何かを生み出そうとするものが現れる。彼らは、足元に転がる奇妙な残骸を組み合わせて、奇妙なオブジェを創り上げようとする。そうして、その大きさを、威容を誇ろうとする。同じく何かを創りだそうとした者がかつてあったということに思いを馳せることもなく、より大きく、より高く、過去の残骸の上に、現在の自分を積み上げようとする。
けれど、がらくたを組み合わせてみたって、それはやはりがらくたでしかなくて、その大きさを増してみたって、小さながらくたを組み合わせた中くらいのがらくたの組み合わせの大きながらくたでしかない。大きながらくたは小さながらくたのフラクタルであって、だからこそ大きながらくたも遠目からだと一つの小さながらくたである。
それがわかっていたって、誰もが、何かを創らずにはいられない。自分の創りあげたオブジェを自慢する者も、それを真似て自分も似たような容を創ろうとする者もいる。脇目もふらずにただ独特な、それでいて他と似通った何かを創ろうとする者もいる。周囲を見て、自分もがらくたを手に取り、けれどやっぱり怖気づいて元の場所に戻してしまう者もいる。
僕もまた、足元から何かを拾い上げた。それが小さなガラスのかけらだと気が付いて、おそるおそる掌に載せる。指先でつまんで振り返り、太陽に翳すと、虹色に反射した光と、それを齎したフラグメントが一つの存在となって、僕の心を揺さぶる。
これほどうつくしいものを見たことなどなかったはずだと、自分の記憶が告げているのに、知っている、と思った。僕は、この淑やかなきらめきを、知っている。
見た覚えがないものを見知っているという新鮮な驚きが、うつくしいかけらを持つ手に力を込めさせた。とたん、鋭い痛みとともに、一度は掌中に収めたそれを取り落してしまう。
うつくしいものは、輝きの残滓を放ちながら、伸ばした掌を、指先をすり抜けていく。そして、そこらのがらくたに紛れ込んで、どこかへと姿を消してしまった。
あわてて、足元を漁る。照らしつける太陽に汗が吹き出てくるのも構わずに、長いながい時間をかけて、がらくたを一つひとつ選り分け、脇へ重ねていく。かつて目にした輝きを希求して、徒労に終わるかもしれない行為を繰り返す。深く、深く、潜っていく。
これほどの深さに、さっき落としたばかりの欠片が入り込んでいるはずがないと考えてなお、手を動かし続ける。例え見つけたとしても、一度記憶に刻まれたものを手に入れたところで、最初に感じた驚きは得られない。輝きは鮮烈な印象を伴わない。そんなことは分かっている。
それでも、そうやって、たくさんのがらくたの奥深くに、煌くがらくたを、感動の名残を探し出そうとすることが、たぶん、小説を読むということなんだろう。
そして同時に、血が滴る掌の鈍い痛みを感じながら、選り分けたがらくたの山を積み上げていくことこそが、物語を書くということなんだと、僕は思っている。
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ひとしきり僕と睨み合いを続けたあと、石川は放送準備室から出て行った。
石川の視線にはたくさんの言葉が込められていたように思われて、僕が何も言わないうちに立ち上がり、扉のほうへ歩き始めた彼を思いとどまらせようと腰を浮かせかけたのだけれど、同時に、自分が彼を思い留まらせることのできる言葉を何一つ持っていないということに気が付いた。
彼の怒りは、そして行動は、正当なものではないけれど、今、僕にそれを正すことができるとは思えない。少なくとも、僕の語る言葉が、彼に届くとは思えない。それは、崖っぷちまでのチキンレースに似ている。たとえ僕が、周りの誰もが、まだいける、まだアクセルを踏み込める、と思っていたとしても、言葉でそう促したとしても、ドライバー本人が本当にあきらめてしまったなら、誰も翻意をさせることはできない。なぜなら、命を賭けているのはほかの誰でもなく、本人だからだ。失ってしまっては、後になって悔いることなんて、文字通りできない。先がないのだから、後もない。
書きたいものを書くことを石川が無理だと判断したのなら、それは観客たる僕らからはどうしようもない。その時点で、出来上がったものに対して、ああすればよかった、こうしたらよかったと悔いることが出来た未来は、存在しないものになってしまう。それに、石川の書いていたものに対して、その内容に云々言うことも意味をなさない。終わりのないものは、評価を確定する対象にはならない。
何より、あきらめてしまった人間に創造を継続させたところで、人の心を動かす何物だって出来上がりはしない。それこそ、奇跡でも起こらない限り。
静かに、居住いを正す。きちんと、正面の敵を、視界に捉える。
石川は逃げた。自分の望みを、あきらめてしまった。
理想を実現できるか、できないか。それだけを考えて、自分の立場から逃げ出してしまった。
けれど、少なくとも、目を開けている間、夢を見ていない間は、僕が石川と同じように振る舞うことは、時間が許してくれない。自らが望んだことではないにしろ、行動の優先順位は書き換えられてしまっていて、僕はそれに従うしかない。
原稿に赤を入れて、修正する。修正されたものを放送部に引き渡し、放送部の面々は読み合わせをして、各々原稿を読み込む。放送部は変更したい部分を拾い出して、文芸部にフィードバックする。フィードバックされたものを僕らが原稿に盛り込む。
文化祭の直前で発生するだろう、そういう諸々の時間を差っ引くと、残された時間は、多く見積もっても2週間と少し。今の予定では、朗読を行う時間は二時間前後なので、要求されているのは、せいぜいが三万字程度の物語だ。皆でアイデアを出し合うことが出来る前提だから、普段ならそれほど深刻な文量ではないのだけれど、各人が部誌の原稿を抱えている現状に、石川が書いていたはずの原稿が無駄になってしまったという状況が重なってしまった今、それほど余裕があるわけじゃなかった。何しろ、どんな筋立てにするか、あるいはしたいのかすら、誰も考えてはいない。これまでは考える時間がなかったし、必要もなかったからだ。
だから僕は、それ以外の状況を、少しでも前へ進めておかないといけない。
「榎本さん」正面でふてぶてしい笑みを見せる彼女を見つめた。「これで、満足ですか」
すると、彼女は眉をひそめて、
「なにも、あなたたちを仲違いさせたかったわけじゃないのは、わかってくれるでしょう」彼女はそう言い終え、それでも僕が返事をしなかったことで気が咎めたのか、表情に苦い色を滲ませた。「私は、私たちの主張のほうが有利な理由を提示しただけのつもりだったのだけど、石川君が思ったよりも過剰に反応してしまったのよ」
「それは、執筆者が存外にナイーブで当てが外れてしまったってことですか」
僕が訊くと、彼女は言葉に窮した。
「それは……」けれど、すぐに首を振って、頭を下げる。「いいえ、ごめんなさい。私の落ち度です。もう少し、彼の心情にも気を配るべきでした」
でも、それも仕方がないことだとは思う。石川は見た目から剛直な人柄をイメージされやすいし、身体も大きいから、相手はどうしても警戒し、威嚇しておかなければいけないと考えてしまう。それに、ある程度強気で出ないと、相手の部が決めたことに従うだけ、ということになりかねない。だからついつい、やりすぎてしまった、と。
そういう理屈はわかるのだけれど、僕に謝られても困ってしまうし、そもそも彼女の謝罪が心中の何を癒すというわけでもない。
けれど、僕は鷹揚に頷いて見せた。相手よりも心理的に優位に立つことで、少しでも交渉を有利にしておきたかった。あるいは、少しでも有利になったのだと思っていたかった。そうして、石川に対する後ろめたさから、逃れたかった。
なぜなら僕は、確かに有利なカードを手に入れたからだ。
「そのことは、もういいんです。けれど、これまで彼が朗読会に向けて書き溜めてきたのは、ミステリーなんです。それがすべておしゃかになってしまうんですから、僕らのほうでも時間的余裕がなくなってしまう。執筆に割く時間を、少し、増やしてもらえますか」
石川に対する責任を、放棄して。
僕は、確かに卑怯だった。
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下校時刻も差し迫ってきて、取りあえず今日の所はこれまでということで、話し合いはお開きになった。僕は荷物を取りに一度部室に戻ったけれど、がらんとした国語準備室は灯りも落とされて、人影はなかった。
部員たちが今、どこで何をしているのか、僕にはわからない。事前に通知された日付に部室に集合する時以外には、自分の居場所を明確にしておく必要は、文芸部にはない。
集団というよりは群体とでもいうような性質を、僕らは持っている。一応は部として大きな枠組みが形作られているのだけれど、各個人の行動に対してほとんど制約がない。
やりたいことだけをやっていたって別にかまいやしないし、部室に姿を現さなくたって、最終的に原稿が遅れずに提出されるのなら、何も問題はない。
二宮なんかは協調性のなさに文句を言うかもしれないけれど、誰もそれに同調しやしないだろうし、二宮自身もそんなことに期待はしないだろう。表面上のことはともかく、僕らは案外、根っこのところでは似通っている。
扉を閉めて――貴重品が置かれていない、という理由で、国語準備室には鍵がかけられていない――僕は歩き出した。階段を降り、誰も居ない一階の廊下を昇降口の方へ、一人歩く。
窓の外、グラウンドの照明はもう落とされていて、紫紺からだんだんと色合いを深めていく空の下、校門へと続く街灯の列が時間の経過とともにその存在感を増していた。
暗く沈んだグラウンドの向こうで、車のヘッドライトが瞬いた。その光を追うように足を早めたけれど、やがて光は、赤いテールランプの名残を残して、再び闇の中に消えていく。
足音が響くたびに、時間が経過しているように思えて、僕は立ち止った。何かを追い求めることは、その分だけ別の何かを消費している行為なのかもしれない。今、理想を追い求めた分だけ、貴重な時間が浪費されているのに違いない。そう考えて、自分を納得させようとしたのだけれど。
足音は、止まらなかった。ばたばたと勢いよく、大きく響く。それが自分の足元から響いているわけじゃないことに気が付いて、振り返る。
走ってきた誰かと、目が合った。その誰かは、そこで立ち止った。荒い息を、胸元に手を当てて整えながら、眉をしかめて僕を見た。それから、気まずそうに視線を逸らした。
そこにいたのは、榎本さんの隣で、演目をファンタジーにすることを強硬に主張していた、放送部員の女子生徒だった。
つまり、僕は彼女の名前を知らなかった。




