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文化祭黙示録  作者: 黄印一郎
非日常的日常 編
18/19

Chap.5

 僕らは、互いに言葉を発しようとしないまま、睨み合っていた。もちろん、ここに各々が集っているのはただ睨み合うためではなくて、話し合いをするためなのだけれど、そんな理屈は僕らが衝動を鞘に収める手助けをしてくれるわけじゃない。

 僕も石川も、恐れを前にして動けない。追い詰められた獣が、牙を剥いて威嚇するように、互いに笑みを深くする。

 笑みは、ぎこちなく、空気は、言葉を伝えることを拒んだかのように、硬かった。

 永遠に続くかのように思われたその沈黙は、誰かが手を打つ響きで、破られた。柏手のように、主張の強い、音だった。

 その音は、静まりかえっていた放送準備室の中に大きく広がって、それでようやく、僕らも我に返った。それからその音は、響きの余韻を残すことなく、すぐに消えた。

 膠着状態にある僕らの間に割り込んだのは、放送室に入る時以来口を開かなかった男子生徒だった。

「前回の、なんて言っても、これでまだ三回目ですよ」立ったまま控えていた彼が、彼女の正面に回って屈み込み、諫めるように言う。「先輩の言い方だと、覚えててあたり前ですよね、なんて嫌味言っているみたいに聞こえちゃうじゃないですか」

「そんな事ないでしょう」彼女――榎本さんという二年生は彼に視線を向けて、心外だ、と言わんばかりに反駁した。

「ただ、前回まで何をしていたかきちんと確認しておかないと、議論に進展が無いじゃない」

榎本さんの問いかけに、三岳君は、ふふん、とでも言いたげに、得意げに答えを返した。

「前回の話し合いといっても、これがまだ三度目なんですから、ちっとも話が進んでいなくても仕方がないですよ。ねぇ?」そう言って、彼は僕らを見る。それでようやく、僕も彼の意図に気が付いた。

 彼は先輩を諫めていたわけじゃないし、()してや僕らをかばっていたわけでもなかった。むしろ、同じ部活の先輩と協力して僕らの退路を断っていただけだった。

 相手が議論の終着点を見据えている、と強調した上で、そちらはどうですか、なんて訊かれたら、事実にしろ虚勢にしろ、こちらも鷹揚に構えて、何らかの妥協をせざるを得なくなる。

 果たしてどちらが発してどちらが合わせたのかは判然としないけれど、少なくとも放送部三人のうち二人は、先輩後輩で息がぴったり合っている。僕らにしてみれば、策士降臨、と言ったところだった。それも、相手方に。

 冷静になってみれば、ここ(・・)は相手のホームグラウンド。妙なことで気を散らしている場合じゃなかった。むしろ気合いを充填しておかなければならなかった。

 そう考えると、今の僕らの状況は少々まずいことになっている。そんな風に、自分のおかれた状況を見つめ直す。敵方に、息のぴったりあった二人がいるのに、僕らのほうはと言えば、意思統一が図れているとは言い難い。前回の話し合いの後で、両方の部内で互いに意思統一を図っておく予定だったのに、文芸部ではそれぞれ自分の執筆活動が忙しくて、きちんと話し合いをする時間なんて取れなかった。

 いや、それは言い訳に過ぎないのだ、って自分でもわかっている。

 本当のところ、決して、全く時間が取れないというような状況じゃあなかった。部の皆は誰かが号令をかけるのを待っていて、そして、その号令をかけるだろうと目されていた僕は、自分の行動によって部内の状況が悪いほうへ転ぶことを恐れていた。

 だから、何一つ、新しい成果を齎すような行動を起こさなかった。

 そういうことなのかもしれない。

 僕の頭の中は、森先輩が部室を去って行ってから、何一つ進歩していなかったのかもしれない。

 残念なことに。

 悔しいことにだ。

 そうして、僕はすっと顔を上げる。目の前に座る彼女らを、正面から、見る。背筋を伸ばすと、少しだけ、頭の中がクリアになるのがわかる。

 頭にほんの少し生まれた空白の中で伸びをして、僕は周囲の様子に眼を向けた。

 一年の彼の――どうやら三岳くん、と言うらしい――視線に少しばかりの愉悦が混じる。自分に牙を剥こうとする獲物を、いたぶろうでもするような笑み。彼はなかなかユニークな性格をしているらしい。そして今までの僕は、そんなことも見えていなかったらしい。

 三岳くんが後ろから刺すも可、硬軟自在な男だということを自分の貧弱なメモリに刻み込みながら、僕は仕方なしに口を開く。

「もちろん、憶えてます。前回は確か、僕らが上演するタイトルをどういう話にするのか、って所で終わったんでしたね」

 そう。

 前回の話し合いでは、それぞれの部が次回の話し合いに腹案を持ち寄る、ということが決まっていただけだった。

 つまり、実のところ、一体どういう物語を書くのかという事すら、定まっていなかった。

 これまでの二回の話し合いでは、曖昧模糊とした、“何となくな空気感”だけが既成事実として積み上げられていて、そこには具体性が伴っていない。それに具体性を与えることをこそ、今の僕らは求められていた。

 それでも、やっぱり固まっている部分はある。それは大別して二つ。

「文芸部としては、やっぱりミステリィを推したいんですけど」

 僕は自分が上目遣い気味になっているのを自覚しながら、そう告げる。僕があんまり腰の引けた態度だったから、石川は少々不機嫌になったみたいだ。

「文化祭に来る不特定多数を相手にするんだろ? だったら、やっぱり一般受けするようなジャンルの話を用意した方がいいと思う」石川はそんな風に正論を主張して、僕の発言を後押しした。けれど、内心の苛立ちを隠せないのか、言葉の端々に険が見えている。

 これはまずいんじゃないか、なんて今更な心配をしていたら、案の定、今まで沈黙していた放送部最後の一人が声を上げた。

「そんな事はありません。だって、誰だって勇者が、あるいはそれに準ずる人物が主人公のお話を聞いたことがあるでしょう。ファンタジィだって、十分に衆目に耐えられますし、それを望んでいる人だって多いはずです」そう言う彼女の声には、どこかヒステリックな響きがある。そういう風に、僕には感じられる。

 それは、声質がよく通る分だけ、僕らの気持ちを大きく掻き乱すもののように思われた。

「それに何より、そういうファンタジィの方が、ミステリィよりもずっと躍動感があるはずです。短い時間とはいえ、観客を飽きさせないためのストーリーの盛り上がりを考えればこちらの方が妥当だと思います」

 もちろん、そんな彼女の主張の根拠なんて存在しないのだけれど、あるいは僕らには単純に受け入れることなんてできないのだけれど、それに反駁するための材料を、僕らは持ち合わせていなかった。だから、

 彼女はどうにも思い込みが激しいらしい。何事もまずは決めてかかるような言い方をする。

 僕らもまた、そういう風に決めてかかることで、鼻白んで見せる事で、彼女の主張に反論する、動機付けを行うのだ。

 ともあれ、五人の間に存在する共通見解として、ミステリィにするかファンタジィにするか、という選択肢が存在することは確かだった。僕自身、その選択肢に対する見解というものがあったのだけれど、僕がそれを口にする前に石川が鋭く噛みついた。

「何度も言ってるだろ、どうしてファンタジィに拘ろうとするんだよ。他の物でも良いじゃないか」

 そう言われ、彼女も負けじと声を張り上げる。

「何でファンタジィだと駄目なんですか。やってみないと分からないじゃないですか」

「だから、口頭でやる限度を越えた内容なんだよ」

 石川が以前口にした内容を繰り返し、

「来場者が最初から最後まで聞いてくれる前提だったら何とかなるけど、断片的にしか聞けないんだったら、わかりやすい内容の方が良いと思うんだよ」僕も言葉を継いだ。「お約束的なファンタジィはどうしてもお約束を細かく説明する必要があるだろうし、そうじゃないファンタジィは、短い時間のうちに物語世界の全容を観客に受け入れて貰うのは難しいんじゃないかな」

 ただ、石川が言った事も僕が言った事も、書き手の力量が十分にあればその限りではない、という注釈を付け加える必要があったけれど。

 もちろん彼女はそんな言葉では納得しなかったようで、目を剥いて言い返そうとして――そこで榎本さんが言葉を差し込んだ。

「その辺にしときなさい。前回も、その前も、その調子で話し合いの時間を全部使っちゃったんじゃない」呆れたようにそう言って、榎本さんは僕の方を見る。「今回は実務的な面で進展があったから、まずはそれについて話しておきたいんです。いいですか」

 そう言われて、僕も――安堵感を気取られないように――頷いた。「ええ、お願いします」

 全体での確認事項なら、当然知っておかなければならなかったし、それ以上に僕の隣で息を荒げんばかりの板東太郎がクールダウンするまで、時間を措かないといけなかったから。

 その辺りの心境は向こうも同じだったかもしれない。何しろ、アナウンサーか声優志望だと言う――ラジオ・スタアという言葉が失われて久しい――その女子放送部員と石川が毎度大立ち回りを繰り広げるせいで、これまでの話し合いが進展しなかったのだから。

 榎本さんは僕に頷きを返して見せて、それから隣に座る同輩と石川が落ち着きを取り戻したのを確認してから、内ポケットから手帳を取り出して開く。僕も慌てて、メモ用紙とちびた鉛筆を出して、彼女の言葉に備えた。

「文化祭実行委員会に実行可能か否かを諮ったところ、教室の空き自体はあるそうです。ただ、文化祭の真っ最中ですから、朗読会が実行できるか否か、という意味では、はっきりとしません」彼女は朗々と、淡々と告げる。

「それはどうして?」彼女の言葉を書き留めるかどうかほんの少し迷った後、僕は訊き返すことにした。「つまり、教室の空きがあるのなら、それはそこで上演できる、ということでは?」

「もちろん、朗読が出来るか出来ないか、という点では、多分どこだって出来るでしょう。ただ」榎本さんはそこで言葉を切って、石川を見た。「演劇部が、今年はミステリーを上演するそうです。彼らは、夏休みの前から演目を決めて練習を重ねてきているので、今から台本を変えることはできないでしょう」

 彼女はゆっくりと、旋回するグライダーのように言葉を紡いで、

「そして、うちの高校では文化祭の出し物は、各部で内容が被らないようにする、という暗黙の了解があります。ご存じですよね」

「婉曲な言い方はやめましょう」僕は、彼女を正面から見る。男子生徒を後ろに控えさせ、女王のように静かな威圧を放つ彼女に、「だからミステリーは上演出来ない。そう言いたいんですよね」

 僕はそう問い、彼女は頷く。それでも、まだ勝負はついていない。彼女の主張には、十分な根拠が欠けている。演劇部はミステリーを上演するのであって、僕らと同じ筋立ての物語を選ぶわけでは、もちろんない。存在しないものを真似るなんてこと、誰にもできはしない。

 それに何より、僕らは小説の朗読を行うのであって、演劇を上演するのではない。僕らがやろうとしていることは、彼らとは全く別のことなのだから、学園祭の不文律にも引っかからない。

 榎本さんは、ずいぶんとおかしな主張をしているのだ。

 それなのに。

 僕らがあきらめなくてはいけない理由なんて無いのに。

 顔を上げた石川は、榎本さんではなく、僕を、睨み付けた。

 裏切り者を見つけ、卑怯を見つけ、そういう性根を嫌悪する、潔癖な視線だった。

 そして、自分の責任を放棄する理由ができた事に対する、奇妙な安堵を隠した視線だった。


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