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文化祭黙示録  作者: 黄印一郎
非日常的日常 編
16/19

Chap.4

 何かを書いている合間、自分の頭にコンピュータのようにメモリを増設できたら、どんなに良いだろうか、と考えることがある。


 頭に降ってきたインスピレーションを、イメージを、言葉という柄杓でアナログにすくい取って、思考回路へと流し込む。それから、整理された内容をアウトプットする。それが物語を書く時に必要な作業なんだけど、作業の過程で元のイメージは細かく切り取られてばらばらになってしまうし、その時すくいきれなかったイメージはそのまま流れ去ってしまう。


 思考回路は、改善する事が出来る。何らかの方法論でもって、効率化を図ったり、網羅性を高めたりすることが出来る。


 けれど、イメージは僅かな間しか完全な形で保持しておくことが出来ない。僕の貧弱な記憶能力にも問題があるように思うけれど、頭に浮かんでから、キーボードでアウトプットするまでの短い時間、それを保っていられたら良い方で、打ち込んでいる最中にも失われていってしまうし、打ち込んだ後だと既にイメージの大半が思考の表層から流れ去っていて、言葉と照らし合わせることは現実的じゃなくなってしまっている。


 「言葉では言い表せない」という表現と「言葉で言い尽くせない」という表現の違いは、こういう所にあるんだろう。瞬間的に浮かんだイメージの全体像と、流れ去りつつあるイメージの総量との間にある差異だ。尤も、どちらにせよ膨大である事は変わらない。


 だからこそ、後になってアウトプットされた物から元の全体像を推し量ることは難しい。言葉としてアウトプットされた物語は、元のイメージのほんの一部に過ぎないし、その物語から推察されるイメージは元とは違うものになってしまう。


 それは例えば、恐竜の化石のほんの一部から誤った全体像を構築してしまうのに似ているかもしれない。他の部位の化石を探そうとそこら中を掘り返してみたって、そんな物もともと存在しないんだから出てくるはずもない。


 捜し物は、想像の中にしか存在しない。記憶の奥底にしか存在し得ない。


 想像した恐竜が、本人の頭の中にしか存在しないように。


 イメージの言語化は、不可逆なのだ。


 だから僕は、記憶から不完全なイメージを掘り起こして、自分の書いたものと比較することしか出来ない。


 物語の完全さは、そうやって失われていく。僕はそれを後悔しながら眺める。


 そして思う。もっと、イメージを留めて置けるメモリ容量が大きければ、自分がどの程度イメージを言葉に置換出来たのかを考える事が出来るし、言葉をイメージに近付けることで、物語を完全なものに近付ける事が出来るのに、って。


 僕は自分が完璧な物語が書けると考える程、傲慢な人間じゃないし、そもそも完璧な物語なんてものは存在しないと思っている。


 それでも、少しでも完璧に近づける努力を怠ってはいけないし、完璧を目指さなければならない、とは考えている。


 それが、言葉という不完全で万能の杖を振るおうとする人間の、義務なのだ。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 先輩たちの目論見は成功し、現在の文芸部の活動は、二年生が主導している。


 部員一人一人で書いている物が違うんだから、先輩たちが全体を統制する必要は今のところない。そういう建前で、あれ以来先輩たちは部に顔を出していない。きっと二人とも、自分の原稿だけに集中して、引退前に楽隠居の気分を味わっているんだろう。


 それでも、文芸部の部室ではいつものように部員たちがモニタに向かい、キーボードに自分の思うままに物語をぶつけている。皆木は快調にキーボードをさえずらせ、石川はモニタを睨み付けてうんうん唸っている。二宮は何かのプリントアウトに目を通しているし、吉永は――吉永はいない。多分図書室かどこかで本を読んでいるんだろう。


 僕は後ろを振り向いて、窓の外の、夕日が差し込みつつある様子を眺める。


 そういう振りをして、視界の端、窓の手前で執筆に勤しんでいる一年生たちの様子を覗っていた。


 仲良く三人並んだ一年生のうち、ふと手を止めた真ん中の一人が、深い溜息を吐いた。身体の細胞を全部新しい物と入れ替えようとでもしているような、大きな呼吸だった。


 それを聞きつけた両隣が顔を上げ、引きずられるように溜息を吐いた。


 互いの立てた吐息に、三人は顔を見合わせて、二年生が脇目も振らずに部活に打ち込んでいるのを眺め、小さく笑った。それから、また自分のモニタに向かっていった。


 そのまま部の様子を眺めていたい誘惑を振り切って、僕もまた、目の前の真っ白な画面を眺める。


 挑むように、睨み付ける。


 けれどただ見ているだけでは、そこに一文字だって現れてくれはしない。影すらも、姿を現そうとしない。それが、僕らの知っている事実なのだ。


 言葉とイメージのすれ違いがもたらす、悲劇なのだ。


 そんな風に考えて、自分の顔に、苦笑いが浮かぶのを自覚する。それを、隠す必要も無い。けれど、悲しくはない。自分が一人だなんて、孤独だなんて、自己陶酔に浸っているわけじゃない。僕は確かに今こんな風に悩んでいるけれど、それは決して僕一人の苦悩ではないのだから。そういう実感を、文芸部のみんなは与えてくれる。一人じゃないって、教えてくれる。


 ありがちな道徳表現として、人という字は支え合って出来ている、なんて言うけれど、今の僕たちは決して支え合っているわけじゃない。今この小さな部屋の中で、僕らはお互いに寄りかかりあって過ごしている。


 心地よく、安らいでいる。


 そういう様子を見ていると、二年生主導の文芸部はそれなりに上手くいっている、と思う。僕らに課せられた負荷がそれほど大きな物ではなかったということもあるけれど、それ以上にもともと部員たちのモチベーションが高かったからだろう。


 それは、自分たちが部活動という箱庭の中で、どういう役が割り振られているのか、理解して行動しているからだ。どういう役割を与えたのか、きちんと伝えることに成功しているから、と読み替えることも出来る。


 そして、そういう部の雰囲気が、先輩たちが動機付けをしてきた結果だと考えると、自分がその代わりを務められるのか不安になってくる。それくらい、部のみんなも、僕も――少なくとも表面上は――やる気に満ちていた。


 ふと、モニタの隅に表示された時計に目を遣った。放課後に入って、作業に没頭し始めてからそれなりの時間が経っていた。今の時間は、午後五時、十分前。


 ノらない気分を切り上げて、椅子から立ち上がる。そして、そろりそろりと二宮の後ろの隙間を通り抜ける。入り口近くで、モニタを睨み付けている石川の肩を叩くと、石川は、その不機嫌そうな顔を僕に向けた。


「どうしたんだよ」


「打ち合わせの時間が近づいてるから、そろそろ行かないと」


 僕が言うと、石川は途端に表情に憂鬱なものを浮かべて、僕を見上げた。


「あと五分だけ待ってくれないか。何か良いアイディアが浮かびそうな所なんだ」


 眉を寄せた石川が、縋るようにそう言うので、僕は困ってしまう。何と言って説得したものかと考えていたら、


「でも、打ち合わせって五時からでしょう。もうここを出ないと、間に合わないんじゃない」


 二宮がなだめるように言ってくれた。おかげで、石川は溜息を吐いて立ち上がる。


「何だ、ようやく出発か。やきもきしたよ」


 いつものように、皆木が軽口を叩く。石川が首を回してぎろりと睨み付けたので、彼は慌てて首を竦めた。


 気乗りしない石川を先導するように、僕は部室を出て、歩き出す。目的地は、放送部の部室だ。


 文芸部と放送部、どちらの部も校舎内に部室があるから、移動にはそれほど時間はかからない。放課後の校舎では廊下ですれ違う生徒の姿もなく、僕らは目的地へ向けて歩を進めた。夕闇の迫りつつある校舎の中に、少しずつ幅を利かせ始めた蛍光灯の青白い光が、夕日で赤く地塗りされたタイルの上に、薄く、淡く重ねられている。


 僕が小さく足音を立てて歩く後ろを、石川は、むっつりと押し黙って、静かに歩く。


 足音は聞こえない。靴底のゴムが小さく軋む音ですら、廊下の静けさの中に吸い込まれていく。


 そこから、彼の心の裡を、覗うことは出来ない。


 だから僕は、彼の心を波立たせる事しか、彼の心の裡を知る術を持たないのだ。


「やっぱり、一度みんなで話し合ってみよう」そう言って、振り返る。そして、石川を見つめる。「全部一人でやらなくたって良いじゃないか。個人の作品、ってわけじゃないんだから」


 俯き気味に歩いていた石川は、少し顔を上げて、僕を見た。それから、もどかしそうな、何か言いたげな表情をして、小さく首を振った。


「別にそこまでしんどいわけじゃない」石川は、呟くように言う。「ただ少し、言葉を選んでいるだけだから」


 けれどそれは、まだ出来上がっていない理由を探しているだけのように、僕には聞こえた。


 それを、一々訊き返したりはしない。それでも、どうしたって、さみしくなってしまうのは仕方がない。


 石川が今書いている物語は、彼自身の作品じゃない。彼が今書いているのは、僕らみんなでやるはずのものだ。僕らみんなで、成し遂げないといけないもののはずだ。


 そう言いたくても、今目の前で思い詰めている彼にかけてあげられる言葉はなかった。彼が形にしたい物語に、力を貸すことは出来なかった。手伝ってあげる事は出来なかった。


 僕には。


 だから代わりに、足を早めた。この気まずい時間が、少しでも早く過ぎ去るように。


 階段を上って渡り廊下を渡れば、それで目的地に辿り着く。辿り着いたのは、放送室の隣にある、放送器具庫だった。


 鉄製の防火扉を、三回、慎重にノックする。一度強く叩きすぎて、痛い思いをしたからだ。がらんとした渡り廊下に、乾いた反響音がかん高く響いた。


 少し間を於いて、扉の内側から「どうぞ」と声がした。冷たいドアノブを握って回すと、スチールの堅い軋みと共に扉が開く。


 がらんとした室内で僕たちを待っていたのは、二年生の女子が二人と、一年生の男子が一人。つまり、放送部の部員が三人。テーブルは用意されていないけれど、パイプ椅子が二つずつ組になって向かい合うように据えられている。


「どうぞお掛け下さい」


 立ったままの男子生徒に促されて、僕は席の一つに掛ける。石川も、失礼しますと挨拶をして、僕の右手に座った。向かいに女子生徒が仲良く座って、ようやく打ち合わせ開始、と相成った。


「それで」僕の正面に座った背の高い女子部員が、明瞭に言った。よく通るアルトだ。「前回の打ち合わせの内容、まだ覚えていますか」


 随分と不思議な言い様をするものだからちょっと気に掛かって、僕が彼女の目元に視線を遣ると、彼女は僕に向かってたおやかに微笑んで見せた。僕が先手を取られた気分でいると、右手に座った女子生徒も作り笑いをして見せる。視界の端で、石川が無理に口角を持ち上げて笑おうとする。追い詰められた獣が牙を剥くような、獰猛な笑みだ。彼の向かいで、彼女が笑みを深くする。


 やわらかく睨み合う二人を眺めながら、僕はどうしてこんな状況になっているのか思い返していた。


 僕から見て、うちの高校の放送部は高校の文化部にあるまじき勤勉さを発揮しているように思える。入学するまで知らなかったのだけれど、放送部にも全国大会、というものがあるのだ。我が校の放送部は残念ながら賞の獲得までには至っていないものの、まずは入選を目標に、日々を練習に費やし、毎年大会に参加しているのだという。


 初めてそれを耳にした時には、同じ文化系部活動なのに、僕らの活動とはだいぶ違うなあ、と少々感心したものだ。僕ら文芸部では、そんな風に外向きに打って出る活動はあまり行っていない。


 尤も、それは外から他人に何かを伝えようとする活動と、内から他人に何かを感じさせようとする活動の違いから来るのかもしれない。言葉の作用も、外から内へと、内から外へ。言葉を使う方向性が違うのだ。


 それでも、そういう根幹の部分が異なるはずの僕らは、こうして向き合って話をしている。


 それは、放送部から、文芸部が書いた台本を放送部の面々が読み上げて、ラジオドラマならぬ校内放送ドラマをやりませんか、と唐突な申し出があったからだった。


 とは言え、僕個人にとってみれば、むしろありがたいとすら言える話だった。何しろ、文芸部は部誌の発行以外にこれといって積極的な活動をしていないのだ。不本意ながらも部の責任者になったからには、ここらで何か一つ、新しい活動に手を出してみたかった。


 それに、先輩たちに対する意趣返し、という意味も、なくはなかった。部員のモチベーションも高く、僕は現状、先輩たちに据えられたお飾りに過ぎない。先輩たちが敷いたレールの上をただ踏襲していくというのは、あまりにも退屈なものだったから、それを何とか覆してみたい、と思ったのだ。


 但し、僕たち文芸部の方にはまだまだ考えなければならない事が残っていた。その一つが、やるのなら誰がそれを書くのか、という事だ。


 確かに今の僕たち文芸部で、進行はかつかつ、というわけではなかったので、引き受けても構わない、と考える事は出来た。けれど、誰がそれを引き受けるのか、という事になると、みんな尻込みして、手を上げようとはしなかった。最終的には僕らみんなの持ち回りで、手が空いた人間で仕上げるという、曖昧な結論に至ったのだけど。


 それは決して、期限までに台本が出来上がらない事を心配している訳じゃなかった。それぞれの進捗は、何だかんだと二宮から上がってくるから、僕も心配はしていなかった。みんなそれぞれに自分の原稿には目処が立っていて、余裕はある――少なくとも、僕を除いて。


 それでも僕らが尻込みしていたのは、部誌の発行という形では浮かび上がらない問題が、客観的に明らかにされてしまうんじゃないか、という心配からだった。


 文芸部の部誌を手に取る人間というのは、基本的に新しいもの好きなんじゃないかと、僕は思っている。そういう人は、部誌を手に取っても、軽く目を通してからふうんとゴミ箱に投げ捨ててしまうし、抱いた感想も思考の表層からすぐに捨て去ってしまう。そして、書かれていた物について、ストレートに感想が返ってくるという事は無い。


 それはつまり、自分の書いた物について、部の外からリアクションが返ってくることは無い、ということだ。身内だけの、穏やかな空気の中で、自分を研磨するのにゆっくりと時間をかけられるということだ。


 けれど、放送部と協力して、ということになれば、そうはいかない。今までの文芸部が発行していた部誌では、ただ校舎の片隅に置かれて「ご自由にお持ちください」と物好きな人間の手を待っているだけだったのに比べて、部誌という形では手に取ることもしない人たちの耳にも入ることになるだろう。それは、僕らが今まできちんと目にしたことのない“観客”の姿を目の当たりにするということだ。そして、その“観客”たちが僕らの物語にどういう反応を示すのかも。


 そうして抱かれた感想は、何気ない世間話にしろ、無責任な野次にしろ、何らかの形で誰かの口の端に上ることになる。そして、いずれは僕たちの元へ届く。そうやって僕たちの耳に感想が届くのは、ごく短い期間だけの事かもしれないけれど、それは少なくとも、部の内側という互いにパーソナルスペースの線引きをわきまえた所から返ってくる意見とは、違った鋭さを持っているはずだった。


 僕らの身を切るには、十分な鋭さを持っているはずだった。


 僕らはただそれを、恐れていたのだ。


ようやく本編。されど筆は進まず。

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