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文化祭黙示録  作者: 黄印一郎
非日常的日常 編
15/19

chap.! クマノミが主人公の映画だとイソギンチャクは全然フィーチャーされないけど、ねえそれってどんな気持ち? どんな気持ち? >> イソギンチャクさん

なんでこんなもんに二十日もかけてるのか自分でもよく分からない。

 季節は秋。


 この狛※高校も、グラウンドを囲う雑木林がすっかり色づいて、よそ行きを着込んだ様に鮮やかに染まっている。日が暮れかけると風の音に混じって響く、長く澄んだ蝉の鳴き声が、季節の移り変わりを教えてくれる。


 彼女はそんな秋の放課後がたまらなく好きだった。窓から臨む暮れなずむ景色は、いつだってどうしようもなく彼女の憧憬を掻き立てた。


 もちろん、今彼女がいるこの部屋に窓は無いし、防音設備も整っているから、そんな外の様子を覗う事は出来ない。けれど、季節の実感を大事にしたい彼女は、いつものように代用品で風情を感じる事にする。


 とそこまで考えて、自分を誤魔化すのはおしまいにした。


 自分で自分のことを、いかにも侘び寂びを大事にする人間だと思い込もうとしていたけれど、それは単なる自己暗示に過ぎない。本質的に、そういう“もののあはれ”とは縁遠い人間なのだ。


 彼女はただ、手段と目的をはき違える倒錯感までも貪欲に味わおうとしているに過ぎない。代用品を味わうことこそが目的であって、季節の移り変わりになんて最初から興味はない。


 そういう自身の性質を、彼女はよく知っている。


 彼女の目の前で、冬服に衣替えした彼の頬がすっかり色づいて、羞恥心を露わにしたかの様に鮮やかに染まっている。荒い呼吸の音に混じって時折響く、苦しげな、それでいてどこか愉悦に満ちた呻き声が、彼の体力の限界を告げている。彼が、彼女の指示を愚直に、そして従順に実行した証だ。


「せっ…んぱ……い」


 息も絶え絶えに呼ぶ彼に、


「誰が喋って良いって言ったのかしら」


 あっさりと拒絶で返す彼女。


 それでもなお、彼は縋るしかない。


「でも、もう…無理、です」


 苦しげな表情で彼は言い、そして、そんな彼の苦悶の表情こそが、彼女――榎本小春が心底求めている物だった。


「そう。じゃああと二十回はいけるわね」


 そう答えて、小春は無慈悲に、それでいて陶然とした笑みを浮かべて見せる。よだれが垂れそうになるのを我慢しながら、足を組み替え、目を閉じて、苦悶のBGMに身を任せる。


 苦痛のあまり自分の足元に縋り付く哀れな仔羊を、舐めるように想像して、小春は法悦に身を震わせた。


 その身に訪れるのは、迸る歓喜、歓喜、歓喜!


 閉じた瞼の裏側で、眼球がぐるんと巡った。


 そうして地球は廻っている。そういう風にして、時間を過ごしている。こればっかりは、クラーク・ケントにだって覆せない。覆して欲しくない。

それがその時の、小春の心の底からの実感だった。



 小春が三岳の先輩という立場になって、1年と半年が経つ。


 その間に起こったことを考えると、どうやら色々なことが大きく変化してしたのだと、自分たちの関係が、当初からは予想できないものに変化しているのだと、小春は気付く。そしてその気付きを、安堵と、少しの驚きをもって迎え入れている自分を感じ取る。

 安堵感は、自分たちが、今のような関係に落ち着いたことに対するもの。

 そして驚いたのは、今のような関係になる事など、入学当初には予想だにしていなかった事に対するもの。

 なにしろ、三岳の入学当初から考えると、今の自分の感情は信じられないようなものなのだから。


 入学当初の三岳誠一郎は、高校一年生という年齢の割には、随分と大人びた少年だった――性格だけは。


 何しろ、見た目はどうしたって中学校の新入生程度にしか見えないのに、それが何かにつけて嫌みったらしく誤りをあげつらうような言い方をするのだ。いかにそれが正しかろうと、言われた側は聞き入れる気が起きはしない。


 そういうクソ生意気な新入生の面倒を小春が見ることになったのは、彼女が放送部の先輩たちから暗に任されたことも理由だが、それ以上に彼女以外の人間が、三岳にあまり関わりを持とうとしなかった事が大きい。


 躾のなっていない小型犬が、近くを通るだけでキャンキャンと吼え立て、噛みついて来るような庭には、誰も足を踏み入れはしない。そして、そのことを知っているのなら、最初からその庭に近付くことを考えたりしない。


 よほどの考えなしか、あるいは、きちんと上下関係を躾られるような人間でない限りは。


 そして、周囲の部員が小春に期待していたのは、もちろん後者だったし、小春は、期待された役目を十分以上に果たした。


 理詰めでケチを付けてくる三岳を、一年間の経験から来る理論武装で正面から粉砕する小春という組み合わせはいつしか部内でも認知され、こてんぱんに言い負かされた三岳を周りの部員が慰めることで彼が部に馴染む一因にもなった。


 そしてその陰で、小春は三岳を言い負かすごとに、暗い愉悦を深めていった。単に生意気な後輩に過ぎなかった三岳誠一郎に対して、榎本小春はいつしか、ひどく歪んだ愛情を抱くに至ったのだった。




 その日も、小春はいつものように放送室の扉を開けた――はずだったのだが。


 部屋の中には、白いローブを纏い、節くれ立った木の杖を持った魔法使いが一人。魔法使いは顎に生やした白い付けひげを撫でながら、ふぉっふぉっ、とザリガニ型宇宙人のような奇妙な笑い方をして、


「どうかねお嬢さん。ワシと一緒に冒険の旅に出てみんかね?」


 ――扉を開けると、そこは異世界だった。


「……そんなわけないでしょうがこのド阿呆!」


 榎本小春は三岳誠一郎をぶん殴った。仕出し弁当の名を持つ世界チャンプも驚く、見事なハートブレイクショットだ。堅く握られた拳がえぐるように胴体のど真ん中に突き刺さり、三岳は衝撃音を響かせながら吹き飛んで、後ろにあったパイプ椅子ごともんどり打って転がった。ふらふらしながらも何とか立ち上がった三岳だが、やがてテンプルを打ち抜かれたボクサーのように前のめりに倒れた。


「いきなりひどいじゃないですかぁ」


 三岳はリノリウム貼りの床に這いつくばって、苦痛に喘ぎながら情けない声を上げた。何とか立ち上がろうと藻掻くが、心臓を打ち抜かれた事で呼吸すらままならず、手足にも力が入らないようだ。


 両手足に纏わり付くローブをイソギンチャクの触手のように蠢かせる彼を見て、小春は自分がクマノミでないことを至極残念に思う。アレに戯れてみたらどれだけ楽しいのだろうか、などという考えが浮かぶが、頭を振って打ち消した。どう考えたって人外のクリーチャーにしか見えない目の前の物体を、一瞬でも可愛らしいと思ってしまうとは、全く惚れた弱みとは恐ろしい。


 目を閉じ、胸に手を当てて呼吸を整えてから、床で這いずる三岳に侮蔑の視線を注ぐ。


 榎本の目前でのたうつ三岳は、何故か息を荒げている。それは先程の胴体への強打による呼吸困難というわけではなく――もちろんそれが原因なのだが。


 ――調教完了……か?


 そういう文句が頭の中で踊るのを感じて小春は、


「あんた今自分が一体何をやってるのか、もう一度よく考えてから口を開きなさい」


 低姿勢から見上げる三岳の顔面に自分の靴の裏で口付けた。


 熱烈なキスに応えかねた三岳は床のリノリウムと靴底との三角関係に板挟みになりながら、


「せん……ぱい……ま…じ……かんべ…ん」


 泡をふいて気絶した。


 まだまだだな、と小春は溜息をつく。


 放送部のいつもの光景だった。




「あんたは本当に学習しないわね」


 そう言いながら、小春は三岳の胴の真ん中に青々と残るあざに勢いよく湿布を貼付ける。慈愛に満ちたはずのその一撃がなにやら良いところへ入ったのか、三岳が息を詰まらせた。


「ちょっと愛が足りないですよ」


 軽く咳き込んだ三岳が息を整えながら言う。


「あらそう? 私は十分愛を持っているつもりでいたのだけれど」


 三岳からの返答はない。小春は首を傾げて見せながらも、平気な顔で手足の打ち身に塗り薬を塗っていく。看護師顔負けのその手際は、三岳の入学から半年間にも渡って、怪我をした三岳に手当てを施してきた実践の成果だ。


 だが、クールな表情とは裏腹に、彼女は彼の言葉に危機感を抱いていた。


 三岳に対して普通に振る舞うことが出来ない。


 それが目下の小春の悩みであった。


 以前から、三岳に対して非道な扱いを心掛けていた小春ではあったが、しかし互いに好意を抱いていると知ってからの二週間、以前と同じように三岳を折檻することができなくなってしまったのだ。


 それまではきちんと冷酷な女王として振る舞えていたのが、今は口を開けば突き放すような言葉が出てしまうし、振るう手足にはいたわりの心を込めることが出来ず、単なる暴力となってしまう。小春は表にはせずとも内心で苦悩し、それに比して三岳の表情は単純に明るい。


 もっと婉曲に心の薄皮をはぎ取るようでありながら、なおかつシンプルにえぐるような一言を生み出さねばならない。そして、かつての関係を取り戻さねばならない――とそこまで考えて、小春は自分の間違いに気が付いた。


 努力の方向を間違えている。


 今小春が考えるべきなのはいかにして付き合い始めるきっかけを掴むのかであって、決していかに上手く三岳をいたぶるか、ではないのだ。


 告白されて両思いであった事を互いに知ったは良いものの、それではお付合いという物を始めてみましょう、ということには何故かならず、もちろんなし崩し的に付き合い始めるということにもなりはせず、さりとてそういうつもりがないわけではないがこちらから切り出すということは意地が邪魔をして出来ず、全くこんな事でやきもきさせてくれるとは躾け方がぬるかったのかしらなどと三岳にとっては理不尽極まりない怒りが沸き上がって来るに至って、小春の頭の中はゴルディアスの結び目の如くこんがらがってしまったのだった。


 その過程で溜まったフラストレーションを、小春は三岳へのお仕置きという名の直接的な暴力によって発散しようとしてしまう。


 そしてまたやってしまったと落ち込んで、さらにフラストレーションが溜まる。閉じた系で繰り広げられる非常に非効率的かつ非生産的な一連のプロセスに、小春は徒労感すら覚える。


 そうではないのだ、と小春は思う。そういう自分の我儘に相手を付き合わせる、という形に区切りを付けて、あたらしい関係を作りたいのだ。


 そのために、この負の連鎖を断ち切る必要がある。


 それが今の小春が自らに課した目標ではあるのだが。


 とそこまで考えて、簡単なことだったのだと、小春は気が付く。


 その目標を達成するということは即ち………………もっと仲良く三岳をいたぶれるようになるという事だ。



 本当のところ、小春が三岳にどのように接してゆけばいいのか、ということについては、何の問題もなかった。いや、問題しかなかった。


 安心して欲しい。いや、安心しなければならないのは自分だ。


 もはや小春は自分が何を考えているのか、認識し切れていない。


 しかし動悸が速くなるのは押さえられない。呼吸が浅く、早くなり、頬が熱を持つ。将来の幸福に対する期待で熱に浮かされたようにぼうっとなるが、それでも何とか落ち着こうと、小春は頭の中で一人呟く。


 ――おちこんだりもしたけれど、私は元気です。


 駄目だった。むしろ元気すぎるのが問題だった。


 とにかくクールダウンしなければならない、と感じて、小春は三岳の手当てを止め、塗り薬のキャップを閉める。途端に、三岳が不思議そうな顔をした。


「あれ、終わりですか」


「そうよ。怪我をしたところには大体塗りおえたじゃない。それとも、まだ痛いところがある?」


 内心の葛藤を、おくびにも出さずに小春は訊いた。三岳は軽く肩を回してみて、いてて、と眉をしかめる。痛みを感じた右肩を見つめ、左腕で押さえた。


「まだ無理しちゃ駄目よ。しばらく安静にしてなきゃ」


「先輩が安静にさせてくれたら、心配要らないんですけど」


 三岳の小さな皮肉に、沈黙が場を支配し、小春はこんなつもりじゃなかったのに、とちょっと後悔する。最近はこんな事を繰り返してばかりだった。


だから小春は、「ねえ、三岳」苦し紛れに口を開いて、「あなたは、私が好きなんでしょう」事実を、追求した。


「そうですよ」三岳は真顔で答える。右手を離して、小春の方を見た。「だからこうして先輩と一緒に居るんです」


 その返答に、小春は、うん、と自分に確認するように頷いて、


「だったら、私たち、付き合わない?」三岳と、正面から視線を合わせた。「気持ちがはっきりしてるのに、中途半端な関係のままなのは嫌なの」


 小春の頭の芯が心臓の鼓動と共に鈍く疼き、熱を持ったように耳元で血がごうと巡った。期待を込めて見つめる小春に、三岳は笑みを見せて、


「イヤです」


 はっきりと、答えた。


この二人が何を考えているのか、僕もよくわかりません

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