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文化祭黙示録  作者: 黄印一郎
非日常的日常 編
14/19

Chap.3

「しかし、相変わらず二年生は仲が良いな」


 森先輩は、藤原先輩に紙コップを一つ手渡しながら言う。


「やっぱり森もそう思うだろ。こいつらいつも一緒にいるからな」


 藤原先輩も、森先輩の横で同意を示した。


「そんなこと言って、先輩たちの方が仲良いんじゃないですか? クラス違うのに、いつも一緒にいるじゃないですか」


 二宮がそんな風に訊いた。


「そういえばそうだな。でもまあ、別に会おうとして会ってるわけじゃない。だろ?」


 藤原先輩が水を向けると、


「ああ、そうだな」


 森先輩もこくりと頷いた。


「けど、昼休みにお二人が部室で一緒にご飯食べてるの、よく見ますよ。わざわざ食堂からトレーごと持って来てまで」


 二宮がそんな風に追求したけれど、先輩たちの反応は冷ややかだった。


「こいつがいつも部室にいるだけだ。私が探したりしてるわけじゃない」


 藤原先輩が淡泊に言うと、


「お前がいつも部室に来るんじゃないか」


 森先輩が反駁する。やっぱり仲が良いよな、って僕が思っていたら、


「またまたぁ。実は先輩たち、付き合ってるんじゃないですか」


 皆木がメガトン級の爆弾を投下した。


「っておい、お前……」


「ちょっと皆木、いきなり何訊いてるのよ」


 石川が慌てて制止しようとしても、もう遅い。


 二宮も一応止めに入ってはいるけれど、こちらは本気で止めようとしているわけじゃ無いのが見て取れる。たまたま皆木が律儀に面と向かって訊いたけれど、二宮には最初からこういう方向に話題を誘導したフシがある。


 そもそも、三年生を除く文芸部のみんなが今まで訊きたくても訊けなかった事なのだ。その証拠に、結局石川だって、そして僕だってじっと先輩たちの返答を待っている。吉永なんて、


「わくわく」


……それは口で言う物じゃありません。


 僕らはまんじりともせずに二人の返事を待っていたけれど、


「全然違う」


 どうやら爆弾は不発弾だったらしい。


「私の脳味噌がお前みたいにピンク色をしているとでも思うのか?」


「……済みませんでした」


 というよりも地雷だったらしい。森先輩に正面から否定されて、ついでに藤原先輩から痛烈な皮肉を浴びせられ、皆木が目に見えて落ち込んだ。


 周囲の気温が一気に下がったような気まずい感覚の中、誰も口を開こうとしない。


 僕は、先輩たちの様子を窺っていた。森先輩が、手持ち無沙汰を誤魔化すように紙コップを手許で回した。コップの内側をじっと覗き込んでいる。紙コップのふちから、炭酸の弾ける小さな響きが広がる。


 藤原先輩のコップが、先輩の手許で小さく傾いだ。そのまま、中身の液体を緩やかに回そうとして、手が止まる。先輩は一瞬顔をしかめて、森先輩の様子を窺った。それから、取り繕った無表情でコップを口元に運ぶ。コップのふちから、小さく湯気が立ち上った。


 思わず、喉の奥から、くっくっ、と低い笑いが零れた。


「何かおかしな事でもあったか」


 藤原先輩は眉をひそめ、咎めるように軽く睨むように僕を見た。


「いいえ、何でもないですよ」


 そう答えながらも、僕は自分の顔ににやけが広がるのを自覚していた。何だかんだ言っても、先輩たち二人は、付き合っているんじゃないかと勘ぐられても仕方がないくらいには、互いのことをよく知っているように見える。そう思わせるくらい、似通った所がある。見た目が、ではなくて、長年連れ添った夫婦のように同じような仕草を見せることがあるし、生まれてからずっと一緒に育ってきた双子のように、互いがそこに居るのをあたり前に、自然と一緒にいる。


 藤原先輩は不満げに、ふん、と鼻を鳴らしたけれど、


「まあ、いい。私たちはそろそろ部室に戻るよ。ここには、休憩がてら来ただけだからな」


「休憩がてら、ですか」


 二宮が怪訝な顔で訊ねた。彼女と同じように、僕も、先輩たちが休憩のついでに何をしに来たのか、分からなかった。


「そう。だから、帰る前に用事を済ませて行く」森先輩が、藤原先輩の代わりに言う。「実はな、以前から藤原と話していた事があるんだよ」


 森先輩が藤原先輩に何やら目配せをする。藤原先輩は目配せを受けて、軽く溜息を吐いてから、


「ほら、私たち三年は、二人しか居ないだろ。現状、部誌の編集とか印刷所との折衝とかと平行して自分の原稿を進めてるんだけど、どうにも執筆にまとまった時間が取れないんだよ」


 そこまで聞いて、ようやく僕にも話の要点が掴めてきた。それはつまり……


「ちょっと待って下さい」先輩が要点を言う前に、二宮が話に割り込んだ。「先輩が仰りたいことは大体予想がつくんですけど、もしかして……」


「そうだ」森先輩は微笑んで、続きを口にした。「今俺と藤原の二人で持っている仕事を、二年生に任せようと思っているんだ」


「せっかく、“仲が良い”んだから、みんなで協力してやれば早く終わるだろ」


 藤原先輩が、強かな笑みを見せる。目尻の丸みが、森先輩とそっくりだ。


「先輩たち程仲が良いわけじゃないですけど」


 皆木が軽い調子で返事をした。途端に藤原先輩に睨まれて、首を竦める。


「来年、お前らが文芸部を主導していく事になるのは目に見えてるわけだ。なんと言っても、今既に二年生だけで半数を占めてるわけだから」


「それは、確かにそうですけど」


 石川が、森先輩の意図を推し量るようにゆっくりと返事をした。


 確かにそうなんだけど、今先輩たちが仕事を丸投げしようがしまいが、来年は僕らが最高学年なんだから、主導的な立場に立つことは決まり切っている。


 先輩たちは、僕らのそんな疑問など意にも解さずに話を続ける。


「なに、そんなに深刻に考える必要なんてないさ。いざとなったら私たちも出来る限り手を貸すから、自分たちのやりたいようにやったらいい」


 藤原先輩が、珍しく優しげに笑って言う。


「それは、僕たちに選択の余地はあるんですか。既に決まったことなんじゃないんですか」


 もう先輩たちの中では確定事項かとは思ったけれど、念のために訊いた。けれど、帰ってきた答えは、意外にも、否。


「そんな事はないよ。俺たちとしては出来ればやって欲しいけど、みんなにも都合があるだろうからね。どうしてもできない、と言うのなら、無理強いはしないさ」


 森先輩が答えた。


 僕はみんなの顔を見渡した。みんな俯いて、どうするべきか考えている。皆木は膝の上で拳を握って、石川は腕を組んで、二宮はこめかみを押さえて、誰も彼も難しい顔をして


――訂正。 吉永は文庫本を開いていた。けれどまあ、それも彼女なりの考え事をする時のスタイルかもしれない。


 閉塞した状況を打開したのは、予想通りというか何というか、やっぱり二宮だった。


「やりましょう。さっき確認した私たちの原稿の進捗状況だったら、余裕はあるはずだから」


 力強く、言った。その言葉を耳にして、みんなも顔を上げる。


「そうだな。何とかなるか」


 石川が、自分に言い聞かせるように言う。


「俺なんか、むしろ部の仕事の合間に原稿やるぐらいで十分だよ」


 皆木が軽口を叩くと、


「それは、さすがに言い過ぎ。もっと謙虚に言った方が良い。出来るだけ頑張る、とか」


 吉永が添削した。


 みんなそうやって決意を固めていってしまって、あっという間に残っているのは僕一人になってしまった。


 僕は、どうしたらいいんだろう。みんなに同調して、意思表示すべきなんだろうか。

けれど、自分自身の原稿は一行も書けていない。書くためのとっかかりも、まだ掴めていない。部の仕事に手を出す余裕があるとは思えない。


 僕は、どうすべきなんだろう。どうするのが、一番正しい選択なんだろう。


 僕は、どうしたいんだろう。


 僕は、なにを……


「佐藤」皆木が僕を呼ぶ声に、我に返った。顔を上げて、皆木を見返す。「佐藤も、それで良いか」


 そう訊かれて、頷いた。頷くことしか、出来なかった。


「よし、じゃあ、決まりだな。いやぁ、ようやっと肩の荷が下りたよ」


 そう言って、森先輩はいつものように、からからと、威勢よく笑った。


「細かい割り振りは、そっちで決めてもらうとして」そこでようやく、藤原先輩は、いつもの嗜虐的な笑みを見せた。「音頭取りだけ決めておこう。森は、誰が良いと思う」


「うん? 俺が決めるのか……そうだな、じゃあ佐藤にしておこう」


 僅かに間を置いて、迷いなく言ったように、聞こえた。


 肺から漏れ出していた空気が、引っ込んだ。動転して、言葉が出なくて、それでも何とか一言だけ、喉の奥から絞り出した。僕がリーダーシップを取るのが適任だとは、どうしても思えなかったから。


「みんな、それでいいの」


 みんなは賛成してくれた。向いてると思う、と口々に言われた。


 それでも僕は、目だけでぎょろりとみんなの顔色を窺っていた。


 深海から水面上を覗き込むように。


 みんなの心の裡を窺うように。


 けれど。


 魚眼レンズは、歪んだ像を結ぶ。


 僕の曇った瞳には、みんなの心の裡は映らなかった。


 みんないつも通りの表情にしか、見えなかった。


「じゃあまあ、とりあえず佐藤は仮部長って事で」


「まあ、気負わずにやるといい。がんばれよ」


 僕らの顛末を見届けた後、先輩たちは並んで食堂を出て行った。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




 それから、何か特別な事をしたわけじゃない。誰がどの仕事を担当するか決めただけだ。先輩たちの仕事といっても、それほど多い物じゃない。片手間、とは行かないけれど、各自にほんの少しずつ割り振れば、それで片が付く。部全体の原稿の進捗管理が二宮、印刷所への連絡と料金体系の確認、印刷物の引き取りは石川と皆木、原稿の校正は吉永の仕事になった。


 僕だけは、どの特定の仕事も割り振られなかった。ただ、それぞれの担当者ときちんと情報交換して、全員の仕事を把握しておく事を求められはしたけど。


 御輿に担がれて、ふわふわと浮いたような気分だった。自分一人だけ中途半端な立ち位置にいる事に、ちょっとばかしそれでも、みんなきちんと仕事をこなすだろうから、僕の立ち位置は本当にただのお飾りに過ぎないんじゃないかと気が付いて、少しだけ気が楽になった。


 いいや、自分だけがふらふらしている後ろめたさで、気が重くなった。

それで、話は終わり。完全下校時刻まであまり間がなかったけれど、みんなはまだしばらく食堂に居るつもりだった。


 僕は用事がある、と言って先に部室へと戻った。用があったのは本当だ。先輩たちに確認しておかないといけないことが、まだあった。


 どうして、僕を選んだのか。


 どうして、二年生にやらせないといけなかったのか。


 自分の手許にある物を、わざわざ投げ出して、所有権を僕に半分投げ渡した。


 そして同時に、責任も僕の方に半分おっ被せた。


 どうしてそんな事をしたのか。


 その答えを、先輩たちは持っているのだ。


 部室の扉を開けると、案の定、三年生の二人はまだ残っていた。机にナナメに掛けていた森先輩が、僕を見留めて床へと降り立った。


「やあ、まだ残っていたのか。どうしたんだ、何か用事でもあったのか」


「そうです。……いいえ、今用事があるんです。部長に、お伺いしたいことがあります」


「へえ、俺にか」


 部長が、にやりと嗤った。陰険な笑みだ。


 引きつるように喉が渇いて、声まで引きつりそうになる。それでも、訊いておかなければならない。訊いておかなければ、僕がここに居る理由は何なのか、分からないままになってしまう。


「どうして、僕に音頭取りを任せたんですか」


「そりゃ、あの場で何となく決めただけだよ。何となく上手くいくんじゃないかって思ったから」


「違うでしょう」


「おや」部長は、僅かばかり眉を顰めて僕を見た。「どうしてそんな風に思ったんだ?」


「さっき、誰が音頭取りをすることになるのか決める時、何とはなしに決めたみたいに言ってましたけど、先輩たちは事前に誰にやらせるのか決めていたんでしょう。事前に打ち合わせしていたとしか思えないぐらい、スムーズに話が進んだじゃないですか。そうなんでしょう、藤原先輩」


 僕は藤原先輩の方へ振り向いた。けれど、先輩は余裕の笑みを浮かべる。


「さあ、どうだろうね」


 本心を掴ませない、分厚い笑みだ。


「教えて下さい。どうして僕にしたんですか。事前に決めていたのなら、僕を選ぶのには理由があったんでしょう? 僕に何が出来ると思って選んだんですか。お願いです、答えて下さい。どうして、僕だったんですか」」


 頭を下げた。これ以上、僕一人だけ役立たずで居るのがいやだったから。


 けれど、部長の返事は、溜息を伴って帰ってきた


「なあ佐藤、そう思うんだったら,何であのとき断らなかったんだ。お前は、何の為に今の役目に就いたんだ」


 分からない。


 何を言ったらいいのか。


 何と答えたら良いのか。


「なあ佐藤、俺がお前を指名したのは、お前が……」


 そこまで言って、部長は言葉を切り上げた。


「……やっぱり止めた」部長は嗤った。「答えは自分で持ってこい」


「お前はまだまだ勉強不足だな。宿題だそうだぞ」


 藤原先輩も、嗤った。


 目の前で、双子の悪魔が嗤う。同じように、邪悪な笑みを見せる


 悪魔は、何でも知っているという。何でも知っているからこそ、人間を誘導して、欺いて、堕落させるのだ。肝心なところだけ、教えないで、暗いところへ誘うのだ。


 先輩たちは、遠くへ去っていく。答えを抱えたまま、部室を後にする。


 分からない僕だけが、残された。


 分からないから、知りたいと思う。


 僕は、どうして引き受けたのか。


 僕はどうして文芸部に居るのか。


 どうして、小説を書くのか。


 何を、書きたいと思っているのか


 ………………


 ……本当に、分からないのだ。


 わからないと言うことさえ、分かっていなかったのだ。












 翌日、土曜日。


 顔を洗ってうがいをして、ご飯を食べて、歯を磨く。歯ブラシと歯磨き粉のチューブをホールトマトの空き缶に放り込んでから、玄関で靴を履いて、登校する。〆切までの日付が一日短くなった事以外は、昨日と変わらないはずの、朝。

 

 一限からのホームルームは文化祭に向けての話し合い、だけど、僕は正直上の空だった。頭の中でぐるぐるする何もかもを、隅っこに積み上げて、広いスペースを確保しようとしても、上手くはいかない。学級委員が何か提案を取り上げて決を取ろうとする度に、その作業は中断されてまた一からやり直しになった。賽の河原で子供が積んだ石のように、頭の中に散らばった。


 そんな風にあっという間に授業時間が過ぎて、部活。


「けど、改善の余地があるだろ。〆切までまだ間があるし、もうちょっと粘ってみてくれ」


「わかったよ……。部長さんの言うことには従いますよ」


 今回はよほど自信があったんだろう。皆木は少々項垂れて、溜息をついた。普段のおちゃらけた態度とは裏腹に、皆木はプロ意識、職人意識が強い。自分の書いた物に、誰よりも自信を持っている。それ故に、自分の手が届く範囲にあるものは、全部自分で処理しようとする。それでも、それが過度になり過ぎないようにだけ気をつけておけば、あれこれと指示するよりもずっと良い結果に辿り着くだろう。


 だから、僕がやったのは評論じゃなくて、ガス抜きだ。


 皆木が、煮詰まらないように。


 頭の中身が、僕みたいにこんがらがってしまわないように。


「それから、僕は部長じゃなくて、仮部長だからね。そのうち、部長、が取れて、(仮)だけが残るかもしれない。そしたら部員じゃなくて、仮部員になる。平部員より気楽だろうな」


 僕は、皆木を見据えて、後ろめたさから目を逸らして、皮肉な笑みを作って見せた。


「いや、それを言うなら部長代理でしょう。そのうち尻から代理が取れて、本物になるかもしれない。そしたら、俺がご機嫌取りしたって無駄にならないだろ」


「だったら代わるか」


「いえいえ、遠慮しときます。俺は平部員の方が、気楽で良いよ。部長なんて、佐藤みたいに責任感あるやつじゃないと、務まんないだろうし、さ」


「僕だってまだ自分の原稿仕上がってないんだから、そんなに時間があるわけじゃないんだよ。それと、いくつか誤字見つけたから、赤引いといたぞ」


「おお、あざーす」皆木はへらへらと、軽く敬礼するような素振りを見せる。


「そう思うんだったら、一度ぐらい見直してから持って来てくれないか。……全く、部長代理になんてなるもんじゃないな」


「同感です」皆木がにやり、と言ったので、


「ほっといてくれ」僕も笑った。


 けれど……そうだ。部長候補になんてなるもんじゃない。


 自分の原稿もなかなか進まないのに、これからは部員全員の進行状況まで考えないといけない。印刷製本の手配から、文化祭当日の配布手続きまで含めて、全部僕の仕事だ。ちょっとでも気を抜いたら、あちらを立てればこちらが立たず、といった案配で、どれも中途半端になってしまう。放課後、ただキィボードに向かっているだけでは済まない立場になってしまった。


 もともと、部長になるだなんて、考えてもいなかった。なりたいとも思っていなかった。


 本当に。



 そんな風に考えて、突然、何もかもが煩わしくなった。身にまとわりつく、腐臭を放つしがらみを、全部はぎ取ってしまいたくなる。今までの僕の立場だったら、きっと僕は文芸部を放っておいて、一人きりで過ごそうとしただろう。誰からも干渉されない所へ行って、自由であろうとしただろう。自分の書きたい物を書いて、それだけで満たされていただろう。


 好きなことだけに打ち込めるようになりたかった。


 何もかも捨てて、身軽になって、どこかに飛んでいってしまいたかった。


 けれど、もうそんな自由は許されない。


 そしてそれを見据えて、森先輩は僕を役職で縛り付けたのかもしれない。


 文芸部に縛り付けたのかもしれない。


 そういう考えすら、僕の想像でしかなかった。僕を代わりに仕立て上げたとき、先輩は何を考えていたのか。


 僕には解らない。


 これまでの僕は平凡な一部員でしかなくて、石川のように面倒見が良い先輩でもなければ、皆木のように斬新な発想で周りから一目置かれていたわけでもない。二宮のようにリーダーシップを発揮するタイプでも無ければ、吉永みたいに誰よりも読書経験があるというわけでもない。


 結果が分からないのに足を踏み出すのを躊躇わない程、勇敢な人間でもないけれど、期待を向けられてそれを固辞する程、剛直な人間でもなかった。それだけの事だった。

そうして僕は、文芸部の看板を預る身になった。


 部長として、僕に何が出来るのか、何をすれば良いのか。どうすればいいのか、僕にはわからない。それを決める勇気もない。


 でも、勇者なら、きっと迷わない。


 勇者なら、迷わないだろうと、僕は思う。


 だって、


「我の味方となれ。さすれば、世界の半分をお前にやろう」


 魔王にそう言われた勇者には、いつも選択肢は一つしかない。


「いいえ」


 ――訂正。 選択肢はない。勇者は迷わない。


 お城を出発して次の町で初期装備を売り払う時にも、魔物を仲間にする時にも、町中で公序良俗に反するような事をする時でさえ、最低限『はい』か『いいえ』の二択があったはずなのに。


 世界の半分だけでも平和に出来る可能性があるのに、勇者は常に拒否する。負ければ世界から勇者という希望が失われる、というリスクを取る。


 ――訂正。 遍く世界を平和にし得る、という、将来的な利益を取る。


 利益を確定させる為に必要なのは、勇者自身が魔王に勝つこと。


 ポジションは超ロング。デポジットは世界の全て。問答無用のゼロサム・ゲーム。


 その瞬間、勇者は世界一優秀なトレーダーで、世界一軽薄なギャンブラーだ。


 魔王は『悪』だ。それは、疑う余地のない、厳然とした事実だ。


「魔王にも、そうしなければならない理由があったんだ」


 そんな風に考える事は簡単だ。けれど、価値観の違い、だとか、個性、だとかで何もかもが片づいてしまう世の中で、その言葉にいかほどの意味があるというのか。


「勝った方が『正義』で、負けた方が『悪』になる」


 賢しらに、そう言うやつもいる。事実は、魔王を打ち倒す事が勇者の『正義』だ。そして勇者がそれを決めた時点で、魔王は『悪』だ。勝ち負けの遥か以前に、『正義』と『悪』が存在する物語だ。


「魔王は勇者に討ち果たされた。何故か」


 『悪』だったから。他に理由は付けられない。付ける必要もない。


 魔王が『悪』である事は、此岸彼岸の軛を越えて、決まってしまった事なのだ。


 勇者は魔王には従わない。それが『正義』で、そして勇者は、『正義』を為さねばならない。勇者は、魔王の申し出を断ることしか出来ない。


 だから、勇者が『はい』と頷いた物語の続きを、僕は知らない。


 知らないから、動けない。


 知らないから、自由じゃない。


 家に帰ってから、何もかも忘れて、泥のように眠った。眠りのうちでだけ、僕は自由だったから。


多分直ぐ改訂します

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