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文化祭黙示録  作者: 黄印一郎
非日常的日常 編
12/19

Chap.1 オセロ

 子供の頃から、勇敢な人たちの、勇者たちの物語は、好きじゃなかった。


 長い旅路を経て邪悪な魔王のもとへと辿り着き、決戦を挑む。初めは勇者たちを軽くあしらっていた魔王も、徐々に押され、力を尽くし、それでも勇者の渾身の一振りの前に敗れ去る。


 そして最後に、魔王はこう捨て台詞を吐くのだ。


「光あるところに闇もまたある。いずれ第二第三の魔王が……」


つまり、


「私を倒したからとて、それで全てが解決するわけではない……」


 何をあたり前の事を、って思った。自分の足元にいつも影があるのはあたり前の事だ。そして暗がりから明るい所へ出たからと言って、影が無くなるわけでもない。そんな事、今更教えて貰わなくてもかまわない。


 けれど勇者は、いつもだいたいこんな感じの返答をする。


「それでも、魔王を斃す事が『正義』だと信じる」


 やわらかい泥を踏むと足跡が残るように、ごくあたり前に言ってのける。


 そう、勇者にとっての正義とは、自分が歩いた跡に出来る道の事なのだ。


 もちろん、そんな風に簡単に選択しているわけじゃないことぐらいは、分かっていた。冒険の過程で勇者は幾つもの疑問に出会い、悩み、苦しんで、その中で勇者なりの最善を、『正義』を選択してゆく。物語の中で、そういう風に描かれる。誰からも認められる、清廉潔白で、完全無欠の『正義』を選んでいるわけじゃない。


 けれどそれは、英雄の事跡だ。英雄は、人間じゃない。ただの人間と、英雄の間には、幅広く、深い谷が横たわっている。峻険な峰が横たわっている。


 普通の人間には、魔王を斃す事なんて出来やしない。


 普通の人間は、魔王を斃す事なんて、思いつきもしない。


 そしてきっと、それが勇者と人間の分水嶺。


 僕は、白でも黒でもない、灰色の選択をする勇者が、見たかった。自分の選んだ道が悪でこそなけれども正義でもないと知っていて、胃袋をきりきりと痛めている、臆病で、どっちつかずの、優柔不断な、コウモリのような勇者が見てみたかった。


 人間らしい勇者が見てみたかった。


 幸いにして、小学校を卒業しようという頃になってからは、そんな風に考えることも無くなって、物語を受け入れる事が出来るようになった。楽しむことが出来るようになった。


 嘘だ。


 ただそういう物でしかないんだと、曖昧に物語を味わうようになって、どこかで諦めてしまっていただけだ。


 それでも、別のどこかで諦め切れない僕は、今日もこの文芸部の部室で、キィボードに向かっている。同じ部屋の中で、何人かの部員が、僕と同じようにノートパソコンのモニタに向かっている。しかめ面でうんうん唸っているやつも、快調に、けたたましくキィボードを囀らせるやつもいる。


 そして僕はどちらかと言うと集中力を欠いた前者で、だから誰かが部室の入り口に立った気配に気が付いたのも必然だった。


 キィボードのキィが沈む音の中で、敷居が小さく軋む音がした。それだけで、戸口に立ったのが部長の森先輩だと判った。森先輩は、どんな所であっても、必ず敷居を踏んでから扉をくぐる癖がある。


「嘆かわしいねえ」


 開けっ放しだった部室の戸口に立って、先輩が言った。モニタから顔を上げて見ると、部長は肩を竦め、掌を上に向けて、イヤイヤ、と首を横に振った。万事がその調子で、部長の振る舞いは、いつもどこか芝居がかって見える。部長の足元で、戸の敷居がまた小さく軋んだ。


「何が、ですか」


 僕は、部長に訊ねた。部長は、そんな事も解らないのか、と言わんばかりに大げさに溜息をついて、


「どうして文学部の名を冠しながら、部内に原稿用紙に向かっているやつがいないのかって事だよ。見ろ、これを」


 声を張り上げ、鞄から何かを取り出す。その声に、今までモニタに向かっていた部員たちも、顔を上げて戸口を見る。


 部長が取り出したのは、真っ白な原稿用紙だった。


「『ますや』の二十字詰め原稿用紙だ。この白い一枡一枡には、魂が宿る。魂を宿らせるのが、お前たちの仕事だ。ちまちまワープロソフトなんて使ってる場合じゃないんだよ」


 部室を、空虚な沈黙が包んだ。誰も返答しようとしない状況で、どうやら貧乏籤は最初に訊き返した僕の所に回って来たらしい。周囲の部員たちからの、無言の圧力を感じて、僕は、部長に訊く。


「それで、その部誌のレイアウトとか、更正とか、打ち込みとか、パソコン使わなくても良いんですか。入稿もメールですけど」


 一々手書きしていたら、二度手間だった。


 つまりは、そういう事だった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 〆切までまだ間があるとは言っても、執筆がはかどらない部員たちは殺気立って、それが部室内の空気をどんよりと重たい物に変えていた。小説原稿は手書きが至高だと断ずるアナクロ趣味の森先輩も、部員全員の反対を押し切ってまで、時代の流れに逆らうことは出来なかった。先輩はしょぼくれて、部室の隅でパイプ椅子に掛け、リングに沈んだボクサーのように黄昏れていた。


 多くの高校でそうであるように、この狛※高校でもご多分に漏れず、文芸部の活動には部誌の発行、ってやつが含まれている。それが誰かに読ませるために書かれたものなのか、それともただ執筆者本人の満足のために書かれた物なのか。


――あるいは誰にも読まれない事を前提に書かれた物なのか。


 そういう事情は斟酌されない。部誌が発行されていると言うこと自体が、文芸部という団体が活動している、と証明する為に必要だから。


 そしてまた多くの高校でそうであるように、この狛※高校でも、年に三度ある部誌発行のタイミングのうち、一つが文化祭の時期に合わせられている。違った目的で書かれた物語たちを、ごった煮のように一つに纏めて、文化祭に訪れる不特定多数の観客に供する為に。


 部長の言う、古き良き時代――部員たちが血道を上げて原稿用紙に向かっていた時代――にも、もちろん部誌は発行されていたのだけれど、その時代の部誌は部室の片隅で埃を被っている。酸化して黄色くなったページを開くと、古い紙特有の、黴臭い臭いがする。ページを綴じるのり(・・)もすっかり傷んでいて、開く端からページがこぼれ落ちそうになる。


 だから、誰もそれを開いたりしない。


 その頃から変わらないのは、部員一人一人にページ数、文字数のノルマが課されていて、それを満たさない限り、安堵して文化祭を迎えられないということ、そして、文芸部が文芸部という名前であるということだけ。


 訂正。あともう一つ。


「なあ、どうだ。なかなか面白いだろ」


 僕は、目を落としていたプリントアウトから顔を上げた。目の前で同級の皆木が、にやにやしながら僕の返答を待っている。こうやって、それぞれが書いた物語を互いに批評し合うのも、やはり変わっていないことの一つだった。


「ちょっと待ってくれよ。もう一度、目を通すから」


 そう答えて、僕は再び手許のプリントアウトに視線を落とし、冒頭からもう一度読み始めた。


 皆木が書いたのは、『指輪物語』の、というよりも『ウィザードリィ』のオマージュとしての基本的なファンタジィの形式を踏襲した短編だった。土壇場であっと驚く機転を利かせた勇者が、魔王を打ち倒す、そんな物語。


 もちろん、彼はファンタジィだけを書いているわけじゃない。推理だったり、SFだったり、ホラーだったり、あるいはノン・ジャンルだったりと、色々なものを書いていて、それらは僕を含めた部員たちの間でも一定の評価を得ていた。ストーリーのどこかに彼らしいアクセントがきいていて、読み手に山椒のようなさわやかさを残す。それが今回たまたま、形式的なファンタジィだった、というだけだった。


 そしてその物語は、魔王と勇者たちが対峙する場面から始まる。


 ――薄暗い迷宮の最奥、松明が灼々と照らす広間で玉座に掛け、瞑目していた魔王は、廊下を駆ける音に目を開けた。彼の視線の先、僅かに間を於いて扉が開け放たれ、勇者たちが飛び込んでくる。


 無粋な乱入者たちを視界に捉えた魔王は、しかし優雅な所作で立ち上がり、微笑んだ。


「遥かな迷宮の深淵へと、よくぞ辿り着いた。お前たちの死を以て、その蛮勇への褒美としよう。自身の魂の灯で、仄暗い迷宮を僅かばかり照らすが良い」


 魔王の雷鳴にも似た声音は、ただそれだけで、その持ち主が絶対者であると告げている。

勇者の仲間たちが思わず身を竦ませ、それをあざ笑うかのように、魔王はゆったりとした動きで宙に浮かんだ杖に向けて手を伸ばす。たぐり寄せるように、ふい、と手を引くと、杖が魔王の下へと引き寄せられる。


 そして、あるべき所にあるべき物が収まった。杖が放つ鈍色の輝きが、鼓動をするように瞬き、やがて魔王の気配と一体となる。それだけで、魔王が放つ威圧感が増していく。漠然とした脅威としか感じられなかったものが、寄せ木細工の最後の一片が嵌ったかのように、完成された色合いを見せてゆく。魔王の身に纏う気配が真円の様を成し、迷宮の最奥に辿り着いた勇士たちをしてなお、隔絶した存在であることを知らしめていた。


 勇者の仲間たちの表情が歪み、怖じ気づいた魔法使いが、ズッ、と後じさる。それでも、勇者だけは、臆さない。剣を鞘から引き抜いて掲げ、ただ魔王を見据えて、淡々と言葉を紡ぐ。


「俺たちは、この時の為にここへ来た。だから、ただ為さねばならない事をしよう。魔王を打ち斃し、世を正義の輝きで照らそう」


 勇者の言葉が、後ろ姿が、仲間たちの心に巣くっていた恐れを晴らした。本来持っていた勇気を、その身に取り戻す。戦士が肩に背負った斧を振るい、大理石の床に深い傷跡を穿つ。雄叫びを上げて駆け出した彼の後ろで、僧侶が祝詞を上げて神の加護を請い、魔法使いは低い声で呪文を唱え、激烈な威力を秘めた魔導の一撃を生み出す。


 そして、先陣を切った勇者の一閃が、風を切る鋭い響きを伴って、魔王に喰らいついた。



 ――戦いは、熾烈を極めた。


 勇者の聖剣と魔王の堕杖は、幾合も打ち合わされ、互いに身を削りながらも、なおその原形を留めていた。勇者はその聖剣を以て薙ぎ、袈裟懸けに切り下ろし、あるいは鋭く突き入れる。魔王は勇者の剣閃を躱し、堕杖を以て受け止め、逸らし、その間にも杖に注いだ障気を解き放ち、勇者に痛撃を与えんとする。


 解き放たれた波動を屈んで躱し、飛び上がった勢いそのままに、勇者が渾身の力を持って剣を打ち下ろす。その一撃を、魔王は片手に携えた杖を鋭く振るって受け止めた。そこに込められた力強さに魔王は一瞬眉を顰めるが、直ぐさま余裕の笑みで取り繕う。


「ふむ、まだこんな力を残していたか。だが、それも長くは持つまい。お前たちの骸が爛れ、腐れ落ち、朽ち果てる様が目に浮かぶ」


 魔王がそう言い、打ち合わされた武器の向こうで、勇者は、ぎりり、と歯ぎしりを返した。


 魔王は嘲笑って、


「振り返って見るといい。もうお前の仲間たちは死出の道を歩み始めたぞ」


 囁くように、告げた。勇者は、振り返らなかった。けれど彼とて、仲間たちの命の灯火が失われつつある事を感じ取っていた。


 戦士は既に膝を突き、浅い息をして、それでも立ち上がろうと藻掻く。その度に、彼の総身から流れ出した夥しい量の血が、大理石の輝きをぬるりと赤く閉ざした。


 魔法使いは、既に息をしていなかった。最後に全身全霊を以て放った魔導の触媒に、その命すら用いたのだ。未だ神の奇跡によって魂を現世につなぎ止めることが可能ではあれど、それを行い得る僧侶は精根尽き果て、昏倒して意識を失っている。度重なる神との交信が、僧侶の神経に灼き切れんばかりの負荷をかけていたのだ。


 勇者は遮二無二剣を振るう――否。もはや剣を振るうことしか出来ない。幾合かの打ち合いの後、またも振り落とされた刃に、魔王は堕杖を合わせると見せ、空いた手をするりと杖に添えて、


 ――刹那、波動が瞬いた。


 聖剣もろともに吹き飛ばされた勇者は、したたかに地へと打ち付けられ、いよいよ膝を折る。並の兵ならば必殺たり得る威力の波動をその身に浴びては、勇者と言えどもはや息も絶え絶えだった。剣に縋って立ち上がろうとするが、それすらままならない。


 対する魔王は、息を荒げてはいるものの、虚勢を張るだけの余力を残していた。その身を鎧っていた障気こそ失われたが、なおも自らの足で地を踏みしめている。口角を上げ、眼下で這いつくばる勇者たちに、傲岸な笑みを見せた。


 魔王を見上げた戦士の眦から、悔し涙が零れた。透明だった滴りは、すぐに広間に落ちた血と混じり合い、濁って消えた。


「俺は、俺たちは、無力なのか」


 自分たちの運命を暗示するかの様なそれを目にして、戦士が、ようやく言葉だと判ずる事の出来る、うめき声を上げた。


「嘆くことはない。いずれ魔界の扉が開き、世界の全てが、等しく混沌の裡に注ぎ込まれることになる。お前たちはそこにほんの少し早く足を踏み入れるだけのことだ。早いか遅いかの違いでしかない」


 魔王が、厳かに言い、広間を静寂が満たした。


 それでも、ようやく立ち上がった勇者だけは、なおも諦めていない。


 勇者は、正義を貫き通す。


 そのための準備を、彼は怠っていなかった。


 支えとしていた剣を持ち上げ、天を突くように掲げ、満腔から絞り出した力で、その言葉を紡ごうと口を開き――



「おーい、何か言ってくれよ。佐藤がゴーサインを出してくれたら、俺も安心して入稿できるんだからさ」


 皆木はおどけた口調で言った。僕がなかなか返事をしなかったので、しびれをきらしたらしい。何度もそんな風に呼ばれて、僕が少々げんなりして顔を上げても、彼はにやにやとした表情を崩しはしなかった。けれど、その瞳の奥には、モニタに向かってキィを叩くのにうんざりしているだけじゃなく、自分の作品への評価を気にする、確かな脅えがあった。


「そう思うんだったら、もうちょっと神妙な顔してくれよ。それに」僕は溜息をつく。「なんで僕が原稿の出来・・のバロメータなのさ」


「いやさあ、つまんない物書いてると、佐藤って、結構ズバッと切り込んで来るじゃんか、ドSだし。そうすっと何かゾクッと来て、ノって書けるんだよね」


 ゾクッと来たのは僕の方だ。そして皆木がドMなだけだ。


「心外だ」抗議の意志を込めて僕は言った。「じゃあ、僕が駄目だって思ってて、わざとOKって言っても、お前は納得するのか」


「だって佐藤はそんなことしないだろ」皆木は、何をあたり前の事を、って顔をする。


 話が通じない。


 しかたがない。


「うーん、そうだなあ……」


 それ以上問答することを諦めて、何事も無かったかのように、僕は腕を組んで考え込む風を装いながら、抱いた印象を思い返す。


 勇者という旗印に、仲間も、勇者を知っている人も、知らない人も、勇者が知っている人も、知らない人も、誰も彼もが縋って、手を伸ばして、長い列を作る。自分の命すら、与えられるのを待っている。そういう一面を持っているということが、僕がこういうシナリオを好まない理由かもしれない。


 少なくとも僕は、そういう話を読んでいて楽しくはならない。あくまで個人的嗜好の範疇だから、それを理由に善し悪しを言う事は出来ないけれど。


 それでも、端的に言って、気にくわない話だった。


 むかむかしてくるぐらいに。


 それを、そのまま伝える事は出来ない。沸き上がった感情を、皆木に悟られないように取り繕う。批評を求められている以上、子供の食わず嫌いのように、好き嫌い、良い悪い、だけの返答で済ますわけにはいかなかった。何かを評価する時には、感覚に理由付けが必要だし、その理由には論理が伴っていなければいけない。


 論理を伴って良否を判断し、その良否に感覚を、感情を付随させる。


 人間のココロのメカニズムと、全く逆の働きをしなければ、何かを批評する事なんて出来やしない。そして、僕にはそんなこと出来ない。だから僕はいつものように、自分の感覚を優先することにする。ゆっくり、頭の回転を早めてゆく。加速していく。


「チェスの棋譜を読んでるみたいだよ。白の先手番」僕は言う。


「おいおい、何だそりゃ。意味わかんねーよ」皆木は本気で解らない、って顔をする。


「登場人物が、勇者に戦士、僧侶に魔法使いだろ。キングにルーク、ビショップにナイトだ。キング以外は取られて戻って来ない。そしてキングが取られたら負け。そういうルール」


 僕は、ゆっくり言う。考えながら。理解しながら。それが、僕らのルール。そういう気配を感じ取って、皆木が、僕を睨め付ける。考えている時の、彼の癖だ。


「魔法使いがナイト?」返答は早い。


「動きが変則的でしょ」反射的に答える。


「魔王は?」


「黒のクイーン」


「男だけど」


「やたら艶めかしい。だからクイーンだけ目立つ」


「けど、勝ったのは勇者だ」


「勝負にはね」


「試合には?」


「負けた」


「理由は?」


「ルール違反」


「けど、真剣勝負だぜ」


「戦ったのは、勇者と魔王じゃない」


「じゃあ何が?」


「白と黒」


 ゆっくり、息を吸う。


 彼の物語で、


 戦っていたのは、正義と悪だ。


 戦っていたのは、人間じゃない。

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