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入口周辺まで

「細縄を出せ。」


ガルドの声で、ハクトは地図から顔を上げた。

目印布を結び、橋の向こう側の記録は終えた。

けれど、そこから先は、橋の上より足元がわかりにくい。

草は低く見える場所と、深く見える場所がある。

土の色も一定ではない。

乾いた茶色の場所、黒く湿った場所。

草に隠れて、何があるかわからない場所。


リクが布袋から細縄を取り出した。

きれいに巻いてある。

詰所から借りたものだ。

使う時は、返す時のことも考えなければならない。


「どう使うんですか?」


ハクトが聞くと、ガルドは細縄の端を取った。


「引っ張って助ける道具じゃない。行きすぎないための線だ。」

「行きすぎないため。」

「そうだ。ぬかるみや崩れた足場を見る時、踏み込みすぎる前に止まるために使う。」


ガルドは縄の片方を自分の手に持ち、もう片方をハクトへ渡した。


「腰に結ぶな。絡まった時に危ない。手で持て。離せと言われたら離せ。」

「はい。」

「リクは余りを持て。地面に垂らすな。シアは横を見る。」

「はい!」

「了解。」


リクは細縄の余りを両手でまとめ、足元に垂れないように持った。

シアは橋側ではなく、右の草むらへ視線を向けている。

前はガルド。

真ん中で足元を見るハクト。

道具を管理するリク。

後ろと横を見るシア。


出る前に確認した隊列が、ここでようやく意味を持った。


「進むのは一歩分だけだ。」


ガルドが言った。


「奥へ入るな。入口周辺を見る。」

「はい。」


ハクトは細縄を持った手に力を入れすぎないようにした。

引っ張られるためではなく、距離を知るための線。

その線があるだけで、前に出る量が決まる。


探り棒を草の下へ入れる。

柔らかい場所は避ける。

硬い場所を探す。

石の横、草の根元、湿った土の端。


「中央はぬかるみです。右側に硬い足場があります。」

「記録しろ。」

「はい。」


ハクトは地図に短く書いた。


『橋先足場:中央ぬかるみ』

『右側に硬い足場』

『草で視界不良』


書いている間、シアが小さく言った。


「右の草、動いた。」

「止まれ。」


ガルドがすぐに言った。

ハクトは探り棒を止めた。

リクも細縄を持つ手を止める。

草の中で、小さく何かが跳ねる音がした。


少しの間、誰も動かなかった。


草の間から、小さな黒い虫のようなものが跳び出し、ぬかるみの端を越えて別の草むらへ消えた。

魔物かどうかはわからない。

ただ、こちらへ向かってくる様子はなかった。


「今のは?」

「虫か、小動物か。魔物とは言い切れない。」


シアが言った。


「未確認で書け。」

「はい。」


ハクトは地図に追加した。


『右草むら:小動物らしき反応』

『魔物未確認』


見たもの、見ていないもの。

わかること、まだわからないこと。

それを分けるだけで、地図の白さは少しずつ形を変えていく。


ガルドが少し前を示した。


「あそこが、昨日見えた入口らしき場所か。」

「はい。」


草の先に、低い石積みが見えた。

橋のこちら側からだと、ただの崩れた石にも見える。

けれど、よく見ると石が列のように並んでいる。

その左右に、古い木杭が2本あった。

片方は傾き、もう片方は半分ほど草に隠れている。


道、と呼ぶには細い。

入口、と呼ぶには崩れている。

でも、そこだけ草の伸び方が違った。


ハクトは思わず息を止めた。


ここが入口だ。

そう書きたくなった。


けれど、手は止めた。

まだ、入口と決めるには早い。

入口らしき場所。

それが今書ける範囲だった。


「入口らしき場所まで見えました。」

「らしき、だな。」

「はい。」


ハクトは地図に書き込む。


『入口らしき場所:低い石列』

『木杭2本。片方傾き』

『奥は未確認』


リクが小さく地図を覗いた。


「奥は、見えませんね。」

「はい、草と石で隠れています。」

「今日の目的は、入口周辺まで。」

「奥へは入りません。」


そう言ってから、ハクトは少しだけ道標札を思い出した。

道標札は残り2枚ある。

ここに置けば、橋の先に印を残せる。

でも、ここはまだ基準地点ではない。

入口かどうかも、完全にはわかっていない。

奥へ進む許可もない。


ハクトは道標札を取り出さなかった。


「札は置かないのか。」


ガルドが聞いた。


「置きません。ここはまだ、残す場所ではないと思います。」

「理由は。」

「橋の向こう側も、この入口らしき場所も、まだ安全な基準地点ではありません。今日は入口周辺を見るだけです。」

「……いい判断だ。」


橋の向こう側の目印布は、ここからでも見えている。

今は、それ以上の印を増やさなくていい。


ガルドは空を見た。

まだ昼鐘までは時間がある。

けれど、余裕があるから進む、ではない。


「どうする。」


ガルドがハクトを見た。


ハクトは地図を見た。

橋の向こう側。

中央ぬかるみ。

右側の硬い足場。

右草むらの反応。

入口らしき場所。

奥は未確認。

橋向こう側の目印布。


それから、橋の方を見る。

戻る場所は見えている。

見えているうちに戻る。

それも判断だ。


「戻ります。入口周辺は確認できました。でも、奥は未確認です。」

「それでいい。」


ガルドはすぐに言った。

シアは少しだけ笑う。


「入口を見たからって、入口を越える必要はないからね。」

「はい。」


リクも帳面を閉じた。


「帰りに、目印布がちゃんと見えるか確認しよう!」

「はい、見えるかどうかも記録します。」


戻る時は、来た時と向きが変わる。

行きに見えたものが、帰りに見えないこともある。

目印布は、帰りに見えて初めて意味がある。


橋の向こう側の目印布が見えた。

橋へ戻る方向に、小さく揺れている。

行きに結んだ時よりも、帰りの方が意味がはっきりしていた。


『橋向こう側の目印布:帰路から視認可』


ハクトは記録した。


シアが後ろと横を見ながら言う。


「回収できる時に回収する。でも、回収のために無理はしない。」

「はい。」


今回は、無理なく回収できる。

橋の手前へ戻る前に、ハクトは目印布をほどいた。


『橋向こう側の目印布:回収』

『状態:使用可』


リクは布を受け取り、未使用のものと分けてしまった。

細縄も巻き直す。

リクは余りを絡めないようにまとめ、詰所から借りた時と同じ形に近づけようとしていた。

完全に同じではない。

でも、返すものとして扱っている。


橋へ戻る前に、ガルドが立ち位置を決め直した。


「帰りも同じだ。俺が先に橋へ乗る。ハクト、リク、シア。」

「はい。」


橋の上は、行きより少しだけ怖くなかった。

けれど、その怖くなさが一番危ない気がした。


リクが小さく言った。


「行きより怖くないね。でも、怖くないと思うのが怖い……!」

「はい、慣れたと思った時が危ないです。」


ガルドが前を向いたまま言った。


「わかっているならいい。」


ハクトは足元を声に出しながら戻った。

右の乾いた石、中央の抜けを避ける、黒い石に体重をかけない。

橋下に動きは見えない。

見えないだけで、いないとは書かない。


リクも続く。

シアは最後に渡りながら、後ろを一度だけ見た。


「後ろ、異常なし。」

「よし。」


橋の手前の道標札に戻った時、ハクトは少しだけ息を吐いた。

橋を渡った、入口らしき場所を見た、目印布を使った、回収した。

でも、まだ調査は終わっていない。


橋の先に戻る場所を作ることはできなかった。

いや、作らなかった。

今日見た場所は、まだ残す場所ではない。

残す前に、確かめる場所だった。


ハクトは地図を開き、最後の行を書き足した。


『橋先入口周辺確認』

『奥へは入らず』

『目印布1本使用、1本回収』

『道標札は使用せず』

『奥は未確認』


橋の先は、まだ白い。

けれど、白い場所の端に、入口の形が書き込まれた。


ハクトは地図を閉じる前に、もう一度だけ最後の文字を見た。


『奥は未確認』


それを書いてから、橋手前の道標札を見る。

進んだ印ではなく、戻ってきた印。


「このまま、詰所まで戻りますか?」


リクが聞いた。


「戻る。」


ガルドが答えた。


「記録は、見た直後に出した方がいい。時間を置くと、覚えているものと考えたものが混ざる。」

「覚えているものと、考えたもの。」

「そうだ。地図に書くなら、そこを混ぜるな。」


シアが橋の方を見ながら続けた。


「あと、貸与品も早く返した方がいいよ。持ったまま街を歩くと、返すものって意識が薄くなるから。」

「はい。」


リクは細縄を布袋の中で別に分けた。


「細縄と滑り止め爪は、返すもの。目印布は、使ったものも含めて報告するもの。」

「うん、帳面にも書いておく。」


ハクトは地図を閉じた。

今日の調査は、橋の先を見たところで終わりではない。

南門詰所へ戻る、貸与品を返す、記録を提出する。

見たものと、見ていないものを分けて伝える。


そこまで終えて、ようやく今日の探索が終わる。


橋の先は、少しだけ白くなくなった。

けれど、白い場所はまだ続いている。

次にそこへ入るためには、今日の記録を、誰かが使えるものにしなければならない。


ハクトは探り棒を持ち直した。

行きよりも、帰りの方が少し重く感じた。

進むために持っていた道具が、今は戻るために必要な道具になっている。


南門へ戻る道で、古い石標の札を見る。

それを確認して、南門外側の札を見る。

そして、詰所へ戻る。


まだ戻る道の途中だ。

今日の調査は、まだ終わっていない。

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