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ep.3 婚約破棄された令嬢アンナ、修道院で聖女の如く覚醒。元王子の頭頂部未来を見据え、毛玉と共に笑い飛ばす逆転の物語。

みちこさん(Cwave 第一・第三日曜 21時半から22時)のお題から生まれた

《おつまみモンスター》シリーズ


屋敷の正門前には、護送用の馬車が待機していた。

 アンナが乗り込もうとしたその時、わざとらしく甲高い声が響いた。

「あらぁ、もう出発ですの?」


 現れたのは、元婚約者のジェラルドと、彼を奪った浮気相手の男爵令嬢ミリアだった。二人は腕を組み、勝ち誇った顔でアンナを見下ろしている。本来なら、アンナにとって腸が煮えくり返るような光景だ。


 ジェラルドが鼻を鳴らす。

「ふん、随分と殊勝な態度だな。騒ぎ立てるかと思っていたが……今更泣きついても遅いぞ、アンナ」

「アンナ様、修道院でお勤め頑張ってくださいねぇ。粗食で少しはお痩せになれるといいですわね(クスクス)」


 あからさまな侮蔑と嫌味。

 だが、アンナの反応は彼らの予想を遥かに裏切るものだった。

 彼女は怒るどころか、慈愛に満ちた、まるで駄々をこねる幼子を見るような目で二人を見つめたのだ。特に、ジェラルドの頭上――その、今はまだ金髪がふさふさと靡いている「生え際」のあたりを。


(ああ、今はあんなに威張っているけれど……可哀想なジェラルド様)

 アンナの脳裏には、昨夜あの不思議な「ケダマ」が見せてくれた未来予想図――つるりと輝く満月のようなジェラルドの頭部――が鮮明に浮かんでいた。

(その毛根は、すでに死んでいるのね。今はただ、最後の灯火を燃やしているだけ。残された数日、精一杯その髪型を楽しんでちょうだい)


 湧き上がる哀れみと笑いを噛み殺し、アンナは優雅に微笑んだ。

「ジェラルド様、ミリア様。わざわざお見送りありがとうございます。どうか、末永くお健やかで」


 そして、一歩近づき、心からの忠告を口にした。

「特にジェラルド様、頭……いえ、これからの季節はお体を冷やさぬよう、帽子などをこまめにお召しになってくださいね。直射日光も大敵ですわ」

「はあ? 何を言っている?」

 ジェラルドは怪訝そうに眉をひそめた。「余計なお世話だ! 俺は至って健康だ!」


(ええ、お体は健康でしょうね。ただ、頭皮の未来だけが荒野なのです)


 アンナは何も言い返さず、ただ深々と一礼した。その所作は洗練されており、毅然としていた。

 そして、誰の手も借りず、軽やかに馬車へと乗り込む。その背筋の伸びた姿があまりに潔く、美しかったため、遠巻きに見ていた使用人たちがざわめき始めた。


「……おい、見たか? あの堂々とした態度」

「やはりアンナ様は無実だったのでは……?」

「なんて気高いんだ。最後にジェラルド様の体調まで気遣うなんて」

「それに比べてあのお二人は……」


 使用人たちの同情と尊敬の眼差しがアンナの乗る馬車へ注がれる中、馬車はゆっくりと動き出した。ジェラルドはなんとなくバツが悪そうに、自分の豊かな前髪をかき上げたが、その行為が寿命を縮めていることを彼はまだ知らない。


***


 数時間の揺れの後、馬車は人里離れた山奥の修道院に到着した。

 そこは古びてはいたが、清廉な空気に満ちた静かで美しい場所だった。華やかな社交界とは無縁の、質素そのものの世界だ。


 出迎えた院長先生は、銀縁眼鏡をかけた厳格そうな老女だった。

「アンナですね。ここは罪を悔い改める場所。厳しい生活になりますよ」

 院長は鋭い視線を向けたが、アンナの顔を見て、ふっと表情を和らげた。そこには、無理やり連れてこられた令嬢特有の、怨嗟や悲嘆の色が一切なかったからだ。


「……憑き物が落ちたような、良い顔をしていますね」

「はい、院長先生」

 アンナは心からの笑顔で答えた。

「私、今ならどんな理不尽も許せる気がします。世界はコメディに満ちていますから」

「こ、コメディ……?」

「ええ。神様は時に、粋な計らいをなさるのです」


 その日から、アンナの「監獄生活」が始まった。

 だが、それは周囲が危惧したような過酷なものではなかった。

 土に触れる畑仕事は、ジェラルドの頭皮を耕すことのできない不毛さに比べれば実りある素晴らしい労働だったし、冷たい水での拭き掃除も、己の心についた澱を洗い流すようで清々しかった。


 何より、アンナは鼻歌交じりだった。

「ふふ~ん、あと五日~♪ 明日は四日~♪」

 彼女が通った後の廊下はピカピカに磨き上げられ、彼女が手入れした花壇の花々は生き生きと咲き誇った。修道女たちも、最初は「高慢な令嬢が来る」と警戒していたが、あまりに楽しそうに働くアンナを見て、次第に彼女を受け入れていった。


 そして夜。

 質素な個室で、アンナが就寝前のホットミルクを飲んでいる時だった。

 窓枠に、ぽすん、と黒い影が降り立った。


**『汝、まだ憂いがあるか?』**


 あの黒い毛玉ケダマだ。もふもふとした体躯に、つぶらな瞳が二つ光っている。

 アンナはマグカップを置き、嬉しそうに手を伸ばした。

「ううん、ないわ。ありがとうケダマちゃん。おかげで毎日が楽しいの」


 ケダマは満足そうに喉を鳴らすと、アンナの膝の上に飛び乗って丸まった。

**『ならばよい。我はストレスを喰らうもの。汝からは、ドス黒い絶望の味が消えた。だが……ふむ』**


 ケダマはくんくんと鼻を鳴らす。

**『今日のパンが少し硬かったこと、お祈りの時間が長くて足が痺れたこと……微量なストレスがあるな? いただこう』**


 ずずず、とケダマが空気を吸い込むと、アンナの肩からふっと重みが消えた。日常の些細な不満さえも、この奇妙な使い魔がきれいに掃除してくれるのだ。

 アンナはケダマのふわふわの毛並みを撫でながら、窓の外に広がる満天の星空を見上げた。


「ここは監獄なんかじゃないわ。面倒な人間関係も、ジェラルド様の浮気の心配もない。美味しい空気に、静かな時間。そして……あと数日で訪れる最高のショータイム」


 アンナにとって、この辺境の修道院は、俗世の雑音から切り離された極上のリゾートへと変貌していた。

 彼女は膝の上の毛玉を抱きしめ、くすくすと笑う。


「ねえケダマちゃん。ジェラルド様の髪が抜け落ちるその瞬間、風に乗ってここまで飛んでこないかしら?」

**『……汝、意外と性格が悪いな』**


 静寂の修道院に、アンナの幸せそうな寝息が響くのは、もう間もなくのことだった。

ストーリー音声化踏まえ新たに書き換えました。


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