魔王がクラスメイトにウンタラカンタラ(リメイク版)
「じゃあここからはテスト範囲に関係ないが、最近色々と物騒だから皆も覚えとけよー」
そのゴリラのような野性味溢れる昼行灯に似つかわしくない、社会科という「いかにも」な科目を教えながら、首筋の汗を無造作に拭い取るのは僕のクラスの担任だ。
もう季節は夏だというのに、学校側はまだエアコンを稼働させる気がないらしい。
湿り気を帯びた熱気が、教室の空気を重く沈ませていた。
「まず、初めて発見されたのが十四年前。ちょうどお前らが生まれた頃だな。場所は中国の北部だったか……まぁ、細かい地名はいい」
どうでもよくはないだろう、と心の中で毒づきながら、僕は窓の外に広がる抜けるような青空を眺める。
空を自由に飛びたいな……なんて、手垢のついた妄想が脳裏をよぎる。
「中国の機動隊……PCTだったか、それを単独で制圧して行方不明。今もどこかで生きているという説が濃厚だ。クラスの連中も、夜道には気をつけろよ」
そんな有名人に遭遇する確率なんて、一体何%だというのか。
担任の言葉に、教室内が微かに色めき立つ。
男子たちは「かっけぇ……」「超能力かよ」と、自分たちがその脅威の対象になり得ることも忘れ、子供じみた憧憬を小声で交わし合っていた。
「前提というか一般常識として、コイツらは危険な武器を手にしたテロリストなんかとほぼ同じような存在だからな。見かけても絶対に近づかず、すぐに警察に通報するんだ。じゃあ、続けるぞ」
黒板に走るチョークは、削られるごとに、さらさらと白い粉を落としていく。
「えー、種類は大きく分けて三つ。一つ目が、別世界から流れてきた魂が肉体に宿るタイプ。コイツが観測されてる中じゃ1番多いな。さらに分類があって、機械の世界から来たのが『ブリキ』、野獣の世界から来たのが『キバ』、そして最も危険な魔境の世界から来たのが『レイオン』だ。ただ、コイツらの魂は自我が強くてな。肉体の本来の持ち主――主魂を殺して、肉体の主導権を奪ってしまう事例が多々ある。殆どが先天的なものだが、稀に後天的に宿る者もいるから、お前らも気をつけるんだぞ。まぁ、宿っちまったらどうしようもないけどな」
じゃあ、気をつける意味がないでしょうが。
「そして二つ目。コイツらは今言った奴らと似ているが少し違う。肉体の中で二つの魂が共生しているタイプだ。いや、共生というよりは『使役』しているって言った方が正しいか。元の肉体の魂である主魂の自我が、放浪者である別の魂の自我よりも強いと、その魂を押さえつけ、己の支配下に置くことができるそうだ。このタイプのヤツらは、支配下にある魂の力を自身に引き出すことが可能らしくて、人間離れした身体能力や謎の力を扱うことができる。少し前までは危険視されて政府に拘束されていたが、最近だと軍事利用している国が多いそうでな。日本も似たようなことをしているらしい。詳しくは知らんが」
担任は額に滲んだ汗を、灰色のくたびれたタオルで拭き取る。
僕が座る席は、いわゆる窓際最後列の「主人公席」と言えば聞こえは良いが、実際にはエアコンの真下で風が1ミリも来ないし、容赦ない日差しが降り注ぐだけの、完全なハズレ席だ。
「そして最後に、コイツが最も稀な存在だ。今までのヤツらとは、稀少価値も強さも桁違いだ。さっき説明した二つのタイプはどちらも一貫して『別世界の魂』が肉体に宿るタイプだったが、コイツらは違う。コイツらの肉体に宿っているのは、いわば『神』だ。なんだっていい、海や陸、空や火水風土……この世に存在する森羅万象には全て神が宿っているという。その神が現世に存在を顕現させる際に、その神の欠片を落とすそうだ。その神の欠片が肉体に魂として刻まれることで、コイツらはさっきの二つと同様な存在に成れる。コイツらは桁違いの力を有している分、観測数も極めて少ない。確か、世界でも二体ほどしか見つかっていないようだ」
神だの魂だの、そんなスピリチュアル的な存在を、一体どうやって科学的に発見するんだか。
「そして最後に、この三つのタイプの存在を総じてーーーー」
キーンコーンカーンコーン……
担任が人差し指を立てて皆を見据えた瞬間、黒板の上に着いているスピーカーから、無慈悲なチャイムの音が学校全体へと響き渡った。
「っと、そういや今日、短縮授業だったな。じゃあ、号令ー」
◇
放課後、帰宅の準備をしながら、何気なく壁の張り紙に目を向ける。
『祝・陸上部全国大会出場』。
僕には一生縁のない、眩しすぎるほどの世界だ。
リュックを背負い、いつものように一人で喧騒を抜け出そうとした、その時。
背中に、ラグビーのタックルのような衝撃が走った。
「おーいぃ!! 肇! 何一人で帰ろうとしてんだよ! 一緒に帰ろうぜぇ!」
「……痛い。それから、暑苦しい」
背後から抱きついてきたのは、阿留都冷。
クラスの中心にいる、いわゆる陽キャだ。
例の張り紙の立役者も、目の前でへらへらと笑うこの男である。
「なぁにツレナイこと言ってんだよ! 幼馴染じゃんか、俺たち!」
そう、一応は幼馴染だ。
家が隣という不可抗力だけで、この正反対な二人が友人という括りに収まっているのは、客観的に見ても奇妙なことだった。
「……部活はいいのか?」
「今日はオフ! ほら、帰ろ帰ろ!!」
校門をくぐると、アスファルトから立ち上る陽炎が視界を歪めていた。
「なーなー肇、お前さ。もし今朝の授業で言って『魂』の話、自分が対象だったらどうするよ?」
「一世一代の大革命を起こして、超ひもQグミを復活させる」
「あはは! あれ美味いよなー! ソーダとコーラの境目を食う瞬間の背徳感がたまんねぇんだわ!」
「庶民的だな」
「あと縄跳びもできるしな」
「食べ物で遊ぶな」
冷は目をキラキラさせながら、子供のように笑う。
僕はその一歩後ろを、重い足取りで歩いていた。
「そういうお前はどうするんだ」
「俺かー? 俺はなー……ん、なんだアレ」
歩道の先に、赤色灯の群れが見えた。
救急車とパトカーが数台、そしてその周りを取り囲む野次馬の壁。
「行ってみようぜ」
「え、ちょっ……!」
制止する間もなく、冷は人だかりへと走っていく。
仕方なく僕もその後を追ったが、人の壁に阻まれて現場の様子は窺い知れない。
ふと、隣で耳打ちし合う近所の主婦たちの声が、熱気混じりに耳に飛び込んできた。
「406号室の相川さんが……」
「えぇ…あの方が? 可哀想に……」
「また『あの傷』があったらしいわよ。熊にでも襲われたような、鋭い切り裂き傷が。それに、犯人はドアから入るんじゃなくて、窓を突き破って入ったらしいわよ」
「なんか、意表を突いて楽しんでるって感じで気味悪いわね……」
背筋に冷たいものが走る。
「……怖いわよねぇ。あ、怖いで言えば、あの飯島さんとこの子供。ウチの子のクラスの隣なのよ」
「えぇ!? あの『人殺し』の……!?」
心臓が跳ねた。
その言葉は、どんな凶器よりも深く僕の胸を抉った。
僕は顔を伏せ、逃げるようにその場を離れた。
速歩きが、いつの間にか駆け足に変わる。
「お、おい肇!」
冷が慌てて追いつき、僕の肩に手を置く。
その温もりが、今はひどく疎ましかった。
「おいどうしたんだよ急に!」
「……うるさい。放せよ」
僕は冷の手を乱暴に振り払う。
冷は「肇……?」と、困惑と心配が混ざったような表情で立ち尽くした。
「ずっと思ってたけど……僕みたいな奴と、あんまり関わらない方がいいよ。だって僕は……」
喉の奥まで出かかった言葉を、無理やり絞り出す。
「人殺しの、子供なんだから……」
「肇……」
僕は耐えきれず、振り返ることなく自分の家へと走り去った。
背後でセミの鳴き声だけが、泣きじゃくるように響いていた。
◇
その日の夜。
僕は一人、重苦しい空気の満ちた家を抜け出し、近くのコンビニにいた。
目的は、断線した充電ケーブルと、予備のモバイルバッテリー。
愛想の悪い店員の態度に舌打ちしたくなるのを抑え、イヤホンを耳に押し込む。
帰り道、ふと公園の遊具が街灯に照らされているのが見えた。
「何してんの?」
十数年前の記憶。
公園の隅で、一人泥遊びをしていた僕に声をかけてきたのが、引っ越してきたばかりの冷だった。
「ダンゴムシ集めてる……」
「ダンゴムシ! 俺も好き! 見せて!」
「……!じゃあ、これとか……」
僕は冷に話しかけられたのが嬉しくて、首からかけていた虫かごから一匹のヒラタクワガタを取り出す。
でも、大きさはそこまで大きくなく、なんならヒラタの中でも小さい方だ。
「すげー!クワガタ!俺もカブトムシ家にいるんだぜ!見せてあげる!」
「…うん!」
人殺しの子供だと後ろ指を指され、輪に入れなかった僕を、彼は何の色眼鏡もなしに世界へ引きずり出した。
「……あいつは、どうせ僕のことなんて気にしてないんだろうな」
「誰が?」
背後から響いた聞き覚えのある声に、肩が跳ねた。
「……っ、冷?」
そこには、塾帰りだろうか、自転車に跨った冷が立っていた。
「え、な…何して」
「いやー普通に塾帰り。お前こそ何してんだよこんな時間に」
「え?あ、僕は買い物……」
その瞬間、僕は放課後に冷にしたことを思い出す。
「いや…別になんでも……」
きっと怒っている。
あるいは、僕の言葉を肯定し、冷めた目で見ているに違いない。
そう身構えた僕に届いたのは、意外な言葉だった。
「…俺、お前になんか悪いことしちまったかな?」
「え……?」
「いや、さ。帰り際、すげー怒ってたろ? だから、何か嫌がるようなこと言っちゃったかなって……心配でさ。もし俺と一緒にいるのが嫌なら、もう無理には誘わねぇからさ」
違う。
そうじゃないんだ。
僕が自分を許せないだけで、お前に非なんて一つも――。
「……冷、僕は」
言いかけたその時。
冷の顔が、見たこともないほど蒼白に染まった。
彼の視線は僕を通り越し、僕の背後……頭上の闇を射抜いている。
「縺ィ縺上→縺上°縺?シ√→縺上→縺上°縺?シ」
電子音がバグったような、不気味な声が鼓膜を震わせた。
「肇!! 逃げ――ッ!!」
冷が叫びながら僕を突き飛ばす。
その直後、視界が真っ赤に染まった。
「……え?」
「ガハッ……! ゴフッ……!」
僕を庇うように割り込んだ冷の腹部を、巨大な「何か」の爪が斬り裂いた。
冷は吐血し、崩れるように僕の上に倒れ込む。
街灯の下にぬるりと姿を現したのは、亀のような醜悪な頭部を持つ怪物だった。
額に埋め込まれた赤い宝石のような瞳が、獲物を定めた悦びに歪んでいる。
「冷!? おい、しっかりしろ! 冷!!」
「縺?d繝シ縲√d縺」縺ア繧翫」
怪物は歪んだ口元から血を滴らせ、ニヤリと笑った。
その爪には、冷の肉片がこびりついている。
「………ッ!!!」
恐怖が限界を超え、思考が爆発した。
僕は全力で、すぐ横に倒れていた冷の自転車を蹴り上げる。
不意を突かれ、空飛ぶ鉄塊に一瞬だけ怯んだ怪物の隙を見逃さなかった。
僕は必死に冷の腕を自分の肩に回し、その体を抱え上げて、無我夢中で駆け出した。
「ハァ……! ハァ……! ハァ……!!」
重い。
普段から運動を避けてきた僕にとって、自分より一回り大きい冷を担いで走るのは死ぬほど過酷だった。
けれど、背中から伝わる冷の弱々しい吐息が、止まりそうな足を無理やり前へと進ませる。
(なんで……なんでこんなことに……!)
冷の腹部には、あのニュースで聞いたものと同じ「鋭い切り裂き傷」が刻まれている。
今朝、担任が話していたあの不吉な内容が、最悪の形で現実となって僕たちを追い詰めていた。
(あの見た目…頭部の異形……。肉体を奪われた、主導権を握った方の魂か……!? だとしたら、早く……!)
肺が焼けるように熱い。
僕は走りながら、震える手でポケットからスマホを掴み出し、血で滑る画面を操作して「110」を叩いた。
「埼玉県さいたま市、場所は――――」
詳しい状況を説明する余裕はない。
場所だけを叫び、僕は電話を切った。
これで警察が動いてくれることを祈るしかない。
凄く、怖かった。
あの化物に殺されそうになったことも、冷が死んでしまいそうになっている状況も。
しかし、本当に怖いのはそれらではなかった。
本当に怖いのは――――
(なんで…なんで僕は…冷が死にそうなのに、あの化物に殺されかけたのに、冷静に考えられてるんだ……?)
まともな自分が何よりも怖くなった。
まるで、命をなんとも思っていないような自分が。
「ハァ……ハァ……! とりあえず、ここに身を隠そう……!」
僕は振り返り、まだあの化け物が視界に入っていないのを確認して、すぐ横にあった廃ビルの、壊れた防犯扉の隙間へと滑り込んだ。
古びた階段を上り、月明かりが照らす床へと冷を寝かす。
「ハァ…ハァ…まずは止血しないと…」
まずはバイタルを確認する。
首筋に指を当て、脈を測る。
速いが、力強い。
「……息はある。出血も、動脈じゃない。静脈性だ。よし、腹腔鏡下で見るまで断言はできないが、致命的な臓器損傷は免れてるはずだ……」
僕は震える手で自分のシャツを脱ぎ捨て、手早く何重にも折りたたんだ。
それを冷の腹部の裂傷に当てがい、自分の体重をかけて強く押し込む。
直接圧迫止血。
今の僕にできる、精一杯の救命処置だ。
「ハハ……お前じゃなかったら、今ので死んでたぞ。冷」
普通の人間なら、ショック症状でとっくに心停止していてもおかしくない出血量だ。
だが、冷の体は昔からどこか「異常」だった。
「お前は昔っから、本当に同じ人間かって疑うくらい頑丈だったよな……」
体育の成績は常に学年上位。
どんなスポーツも、一度見ただけでプロのような動きを模倣してみせる。
その圧倒的な身体能力は、子供の頃から大人を凌駕していた。
「ホント……どうなってんだよ。なんで、そんな最強のお前が……僕なんかを庇うんだよ……」
一番理解できないのは、その超がつくほどの「お人好し」だ。
僕が窮地に陥れば、自分の損得なんて一顧だにせず、真っ先に飛び込んでくる。
たとえそのせいで、自分自身が傷つくことになっても。
「……よし、とりあえずの圧迫は維持できる。あとは……」
僕は一度立ち上がり、暗闇に慣れた目で、自分が上がってきたばかりの階段を見下ろした。
(血痕がベッタリ残ってちゃあ、あの化け物に場所が割れちまう。跡を消さねぇとな……)
僕は階段を下り、入口辺りに体を低くして、床に点々と続く黒赤い血痕を確認する。
「あの化け物はまだ追いつけてないっぽいけど、血痕がここまで案内しちまってる。バレるのも時間の問題だ。あいつの足が亀並みに遅くなきゃ、今頃とっくにお陀仏だったな……」
僕は周囲の砂や埃を靴で蹴り、血痕の上に被せることで、冷がいる場所までのダイレクトな道標を不器用に消していく。
(けど、完全に消すのは無理だ。あいつの鼻を騙す用の、別の偽の血痕がないと、時期にここに辿り着かれる。あぁクソッ……! 刃物か何か、使えるものは落ちてねぇのか……!)
僕は頭を抱え、自分の指でも噛み切って血を流すかと模索した、その時。
突然、僕のすぐ足元に、カランと硬質な金属が床に落ちたような音が響いた。
「っ!?」
僕はすぐさま身を引いて警戒する。
恐る恐る床を確認すると、月明かりの反射の中に、なぜか新品同様の、鈍い輝きを放つサバイバルナイフが一本、ぽつんと落ちていた。
「な、なんで……なんでこんなところに、ナイフが……?」
僕は吸い寄せられるようにそのナイフを拾い上げ、周囲の暗闇を確認するも、人影はどこにも見当たらない。
(偶然、ここに落ちていたのを僕が発見しただけ…? いや、そんな都合のいい話があるか? だが…まぁいい。今は利用させてもらう……!)
深く考えるのをやめ、僕はそのナイフの柄を逆手に握りしめると、自身の手首の皮膚を、躊躇なく軽く切り裂いた。
痛みが脳を刺激する。
出血過多で僕が先に倒れちゃ元も子もないので、親指で傷口を圧迫しながら、地面に自分の血を滴らせていく。
「引きずるように……。そうだな…あの奥の部屋までルートを伸ばそう」
僕は手首から生々しい血を滴らせ、冷のいる階段とは真逆の、奥の薄暗い部屋まで偽の痕跡を引き延ばしていった。これで、数分は時間を稼げるはずだ。
僕は部屋を飛び出し、冷が倒れている二階の場所まで、自分の手首の血を服の袖で強く押さえながら階段を駆け上がった。
(にしても、なにか妙だな……。あの亀野郎……いくらなんでも、僕たちを追ってくるのが遅すぎる。どれだけ足が遅い個体だとしても、流石に不自然だ……)
脳の片隅に、冷ややかな違和感がこびりつく。
まるで、僕たちはただ必死に逃げ回る姿を、上から愉しそうに観察されているだけのような、薄気味悪い感覚。しかし、今の僕にはそれを検証する術はない。
「けど、来ないなら来ないで好都合か……。今のうちに病院へ――」
僕は寝かせている冷の体を再び持ち上げ、ここから脱出しようと試みた。
しかし次の瞬間、僕たちの唯一の光源であった、窓から差し込む美しい月光が、巨大な「黒い影」によって完全に塞がれた。
「は……?」
窓枠の向こう。
そこに浮かんでいたのは、赤い瞳でこちらを嘲笑うように覗き込む、あの亀の顔だった。
ガシャアアアアアン!!!
「がぁッ」
窓ガラスを突き破り、迫った怪物の爪が、僕の肩を深く抉る。
「あ…が……っ」
地面に転がり、肺の空気が押し出される。
「縺セ縺翫¥繧牙?騾」霈峨@繧医≧縺懶シ」
追いついた怪物はゆっくりと歩み寄り、僕の上にのしかかった。
獲物をすぐに殺さず、恐怖を味わわせる。
その狡猾な目に、僕は一縷の勝機を見出そうと必死に思考を巡らせる。
(……冷静になれ。こいつは僕を『餌』だと思ってる。なら、油断させろ)
僕は震える手で、近くに落ちていたレジ袋の中のモバイルバッテリーを握りしめた。
さらに、もう片方の手には金属製の充電ケーブル。
「喰うんだったら…先に僕を食えよ……!」
僕は自嘲気味に笑い、怪物の口元に手を差し出す。
怪物は嘲笑うように口を大きく開いた。
その瞬間、僕はバッテリーの端子部分に、先程のナイフで無理やりケーブルの端子を突き刺し、ショートさせた。
「――っ!!」
リチウムイオン電池が熱暴走を起こし、火花を散らす。
強引に怪物の口内へその「爆弾」を叩き込み、同時にケーブルのワイヤーを首に巻きつけ、全体重をかけて締め上げた。
「ギ、ギャアアアアッ!?」
口内で破裂したバッテリーの熱と、首を絞められる圧迫感に怪物がのたうち回る。
だが、化け物の筋力は僕の想像を遥かに超えていた。
(オマケにこのナイフを…!!!)
僕はナイフを亀野郎の喉元に突き立てる。
しかし……。
「グッ……!」
引きちぎられた。
ケーブルが、そして僕の抵抗が。
僕は軽々と吹き飛ばされ、地面に力なく倒れる。
怪物は激昂し、顔を半分焼き爛れさせながら、僕ではなく、背後に転がっている冷へと爪を振り上げた。
(あ…しまっ……!!)
標的を変えられた。
僕が余計なことをしたせいで、冷が――。
嫌だ。
死んでほしくない。
あの時、決めたんだ。
僕は―――――
『いつも一緒にいる理由?うーん、理由とかそんなんはねぇけどよ。強いて言うなら…お前が俺にないものを持ってるから……かな!』
いつか冷が笑って言った言葉が、頭の中でリフレインする。
自分さえ良ければいいと思っていた。
人殺しの子供だと自嘲して、世界を拒絶していた。
けれど、こいつだけは。
こいつだけは死なせたくない!!
『イヤダアアアアアアァァァァァァァ!!!!!!』
叫びが、夜の公園に木霊した。
しかし、それは僕の声ではない。
その瞬間、世界の時間が止まったかのような錯覚に陥る。
怪物の爪が、冷の喉元数センチのところで止まっていた。
否、止められていた。
そこには、いつの間にか一人の「ヒトガタ」が立っていた。
全身が透き通るような白。
顔も、髪も、服もない。
ただ頭部の中心に、光を一切反射しない深淵のような黒い穴が一つだけ空いている。
その細い、しかし鋼のような腕が、怪物の剛腕を軽々と受け止めていた。
「……ッ!!!」
白いヒトガタは、一切の躊躇なく力を込める。
バキ、という嫌な音と共に怪物の腕が引きちぎられ、そのまま音速を超える手打ちが怪物の胴体を薙いだ。
衝撃波が公園の木々を揺らす。
一瞬前まで生々しい殺意を放っていた怪物は、抵抗する間もなく肉塊へと変わり、やがて光の粒子となって霧散した。
静寂が戻る。
残されたのは、意識を失った冷と、僕を見つめる白い「何か」。
僕は、それを知っていた。
魂の共生。内なる力の具現。
十四年前に始まり、今や世界の理を変えつつある異能の存在。
世界は、それらをこう呼称した。
総じて――――『転生者』と。




