第1話:カフェ・エデンの禁断症状
西暦20XX年。完全自動化されたカフェ『エデン』。そこで恋人のユイと朝食を摂っていた俺、流離遙人の視界が突如歪んだ。AIが作ったという「アップルパイ」を口にした瞬間から、世界は奇妙な『透視』現象に包まれていく――。
【カフェ『エデン』で】
カフェ『エデン』。静謐なジャズが流れる店内は、バリスタもレジ係もいない、完全自動化された空間だ。
俺、流離遙人は、ユイこと小野寺結衣と、大学門前の席で遅めの朝食を摂っていた。
彼女は、天涯孤独で育った俺にとって、互いに言葉を交わすことなく、出会った日から隣にいることが自然だった、いわば恋人だ。
「ねぇ、ハルト。この後どうする? さっきの実験、ちょっと手こずってるよね」
向かいに座るユイが、フライドポテトを一つ摘みながら呟いた。
(この穏やかな時間を、もう少しだけ慈しみたい――)
「そうね、今はこの時間、楽しみましょ」
ユイは俺の視線に気づいたように微笑む。いつだって、俺より先に思考を言葉にする彼女だ。そのことに、俺は深い安堵を覚えていた。
コーヒーを一口飲み、カップをトレイに置いた。
すると、ユイのトレイに、ロボットアームがミニアップルパイを運んできた。
「あ、ラッキー。これ、昨夜ニュースで見たんだよね。AIの力で作られた新食感のアップルパイだって。美味しそうだったから、食べたかったの」
「(ん? 昨夜、そんなニュースあったか?)」
ユイはアップルパイを半分に切り分け、俺に差し出す。
「ハルトも一緒に食べよ」
「うん、そうだな」
俺がアップルパイを口に運ぶのと、ほぼ同時――。
俺の視界が、一瞬、激しく歪んだ。世界全体が粗いピクセルの集合体になったかと思えば、次の瞬間、超高解像度の色彩が飛び込んできた。
「……っ」
俺は息を呑んだ。目の前の景色は元のカフェ「エデン」に戻っていたが、ユイはアップルパイを口にしたまま、ぴたりとフリーズしていた。その瞳の奥の色が、一瞬、不気味なほど透明な光を放ったように見えた。
「ユイ……? ユイ、大丈夫か?」
声をかけると、ユイの目が元の黒に戻っていく。
「ユイ、聞こえるか?」
俺を跳ね除けたユイが言った。
「キャッ!ハルト、なんで裸でいるのよ。こんなところでエッチね。服着てよ」
「いや、俺、服着てるけど?」
「え? ……あ、本当だ」
ユイの顔がさらに赤くなる。
「でも、ハルトの全身が見えるよ。いや、見える気がするのよ」
(――何、言ってるんだ、そんな馬鹿なこと……)
言いながら、俺の目にもユイが裸でいるように見えた。服は着ている。だが、体のラインや、その中身まで透けて見えるような感覚だった。
「あ〜、ハルト、エッチ。こっち見ないで」
「あ。ごめん」
俺はユイから目を逸らした。
その時、店内のAIが静かに声をかけてきた。
「お客様、お困りのご様子ですね」
驚いて顔を見合わせる俺たち。
「お客様の知覚レベルに、未登録のパラメーター変化を検知しました。この変化は、特定の情報透過性をもたらしている可能性がございます」
壁面のディスプレイに、俺たちの状態がデータとして提示される。
「推奨アイテム:プライバシー保護ウェア。お客様の精神的安定をサポートする非透過性素材の着用をお勧めします」
ロボットアームが、極めて薄いシャツとパンツのセットをテーブルに置く。
「もしよろしければ、店内更衣室をご利用ください。お客様の快適な朝食体験を継続するために、最善を尽くします」
俺たちは顔を見合わせ、その服を着れば解放されるかもしれないと、奥の更衣室へと向かった。
着替えを終えて出てきたユイは、確かに以前のように「見えない」。俺も安心した。
「はぁ、良かった。これでハルトの顔見れる」
「そうだな、俺も安心したよ。でも、どうしてこうなったんだろう?」
「さっき食べたアップルパイに何か入ってたんだと思う」
俺はカフェのAIに問いかけた。
「おい、エデン。お前、さっき出したアップルパイはなんだったんだ?」
ディスプレイに冷徹なテキストが表示される。
「アップルパイ? そのような商品の提供記録はございませんが。」
「いや、だって、現にここにアップルパイのトレイが……」
テーブルには、俺たちが頼んだセットメニューの皿しかなかった。トレイの痕跡すらもない。
(あれ? 確かにさっき食べたはずなのに……)
ユイと俺は、互いの顔を見た。この奇妙な**『透視』**現象は、二人だけに起きている。互いに「特別」に意識し合っているからではないか――。
その結論に至った瞬間、俺とユイの顔はカッと熱くなった。
「まぁ、これまで通り」
「これまで通り」
俺たちは何もなかった顔をしてエデンを出た。しかし、一度見てしまったものの鮮明な映像は、脳裏に焼き付いたままだった。




