第3章:開拓 3-1:荒野の行軍と獣の集落
アストレアは、旧管理棟の分厚い隔壁が背後で閉じる音を聞きながら、再びエレボスの赤茶けた荒野へと一人で足を踏み出した。
時刻は、着陸から約5時間が経過していた。空は相変わらず灰色の雲に覆われ、時間感覚を曖昧にさせる。
『リョウシュ。セクター7-ガンマ迄ノ、最短ルートヲ、貴女ノインターフェイスニ送信シマス。推定到達時間、3時間15分』
管理棟に残ったユニット・ゼロからの通信が、ヘルメット内に小さく響いた。セバスチャンのサイバネティクスから供給された電力は、予備バッテリーに蓄えられ、AIと施設の最低限の機能を維持している。
「助かるわ。セバスチャンはどう?」
『スリープモードニ移行。ジェネレーターノ自己修復ヲ開始シテイマス。オーバーロードニヨル損傷ハ深刻デスケド、48時間以内ノ再起動ハ可能ト予測』
「そう。彼が目覚めるまでに、良い報告を持って帰らないとね」
アストレアの視界には、ユニット・ゼロから転送された詳細な地形データに基づき、最適化されたルートが青いガイドラインとして瓦礫の上に表示されていた。
南西へ15キロ。言葉にすれば短いが、このジャンクヤードと化した惑星では、帝都の整備された道路を歩くのとは訳が違う。
彼女は、前世のゲーマー「ミキ」の記憶を呼び起こしていた。
(高難易度マップの単独行軍。基本は『ステルス』と『リソース管理』よ)
彼女の防護服フィルターの耐久値は、残り約68時間。メインクエストのタイムリミットが、そのまま彼女の生命維持のタイムリミットだった。無駄な戦闘や迂回は、そのまま自らの首を絞めることになる。
幸い、インターフェイスは完璧なナビゲーターだった。
【警告:前方30メートル、構造不安定。崩落ノ可能性アリ】
ガイドラインが即座に赤く点滅し、迂回路を示す。
【脅威感知:右前方、瓦礫ノ下ニ、腐食性アメーバ(生態系ランクF)ガ潜伏中】
アストレアは、足音を忍ばせてその場をやり過ごす。この星にも、独自の生態系が(あるいは、廃棄された生物兵器の成れの果てが)存在しているのだ。
(帝国の公式記録では『生命反応、極めて希薄』だったけど、とんでもない。ゴミの山に適応進化した、厄介なクリーチャーだらけじゃない)
彼女は、腰に下げたまま一度も使っていない、護身用の旧式レーザーピストルに無意識に手をやった。これは追放艦に積まれていた備品だが、威力は期待できそうにない。弾切れになれば、ただの重りにしかならないだろう。
アストレアは、ひたすらインターフェイスの指示に従い、瓦礫の山を登り、崩れたハイウェイの残骸をくぐり抜け、汚染された廃液の川を(かろうじて残っていた橋の鉄骨を渡って)越えていった。
その道中、彼女はただ移動していただけではなかった。
(あの残骸…軍用コンテナね。マーキングは『タイタン重工』。中身は兵器の部品か、あるいは高純度の金属資材か…)
【スキャン完了:高純度チタン合金x50, 未知ノ動力コアx1】
(あの瓦礫の層…地質データと照合。なるほど、旧時代のセラミック工場跡。上質な粘土(セラミック原料)が大量に埋まっているわ)
【資源ポイント発見:セラミック原料(高純度)】
彼女のマップは、彼女が通過するたびに、膨大な「資源」情報で埋め尽くされていく。ユリウス皇太子が「ゴミ捨て場」と嘲笑したこの星は、前世のゲーマーの目から見れば、マップ全域にレアアイテムが散らばった「ボーナスステージ」に他ならなかった。
「…ふふっ」
思わず笑みがこぼれる。帝都での退屈な日々。完璧な令嬢を演じ、決められたレールの上を歩くだけの「作業」。それに比べて、今はどうだ。
死の危険と隣り合わせだが、自らの知識と判断力だけがすべてを決める。失敗すればゲームオーバー。成功すれば、無限の可能性が広がる。
(最高じゃない…!)
この高揚感、このスリルこそが、彼女が求めていたものだった。
予定通り、約3時間が経過した頃。
『リョウシュ。セクター7-ガンマニ到達シマシタ』
AIの報告と共に、目の前の景色が変わった。
それまで延々と続いていたジャンクの山々が途切れ、巨大な渓谷のような窪地が広がっていた。そして、その窪地の底に、それはあった。
「…旧農業プラント…」
アストレアは息をのんだ。それは、かつて巨大なドームだったものであろう、無数の鉄骨が空を突き刺すように剥き出しになった、痛々しい残骸だった。ドームの直径は、少なくとも2キロはあろうか。大戦前、どれほどの食糧をこの施設が生み出していたのか。
そして、アストレアは見た。
その巨大なドームの残骸に寄り添うようにして、小さな集落が形成されていたのだ。
素材は、すべてこの星にあるジャンク。宇宙船の装甲版を歪めて作った家。ケーブルを編んで作った防風壁。焚き火の煙が、灰色の空へと弱々しく立ち上っている。
インターフェイスが、即座に情報を更新する。
【集落発見:所属不明】
【人口:約50名(目視)】
【テクノロジーレベル:推定レベル0(原始的)】
【敵対度:不明】
アストレアは、窪地を見下ろす丘の上から、慎重に集落を観察した。
(確かに、50名ほどの熱源があるわ。でも…)
彼女のインターフェイスが、集落の様子をズームアップする。そこにいたのは、帝国市民ではなかった。
全身が灰色の体毛で覆われ、狼や犬に似た、しかし明らかに直立二足歩行を行う知性体。彼らは、ボロボロの布を腰に巻き付け、原始的な槍のようなものを持っている。
(獣人族…! アウトラインにあったわ。K'サル。彼らがこの星の先住民…!)
彼女が興奮を覚えた、その瞬間だった。
「グルルルルァァァ!!」
鋭い咆哮が、足元から響いた。
アストレアが視線を落とすと、数メートル下の岩陰から、二人の獣人族の戦士が飛び出してきた。彼らは、アストレアが丘の上から彼らを「観察」していたのと同時に、アストレアの存在に気づき、完璧なステルス行動で接近していたのだ。
(しまった…! AIのセンサーにもかからなかった! 高度な隠密スキル…!)
二人の戦士は、アストレアを挟み撃ちにするように立ちふさがり、その鋭い爪と、ジャンクメタルを研ぎ澄ませた粗末な槍を、寸分の狂いもなく彼女の喉元と心臓に突きつけていた。
【警告:敵対的脅威トノ接触】
【敵対度:敵対(90%)】
インターフェイスが真っ赤な警告を発する。
ヘルメットのバイザー越しに、獣人族の戦士の目が見えた。それは、飢えと、絶望と、そして侵入者に対する激しい憎悪に満ちた瞳だった。
「…帝国ノ犬ガ…!」
獣人の一人が、乾いた喉で、絞り出すような帝国共通語を話した。
「コロシテ、ソノ水袋(防護服)ヲ奪エ…!」
もう一人が応じ、槍を握る手に力がこもる。絶体絶命。アストレアの生命維持リミットは、メインクエストの制限時間(残り68時間)ではなく、今、この瞬間の「ゼロ秒」になろうとしていた。




