1-5:ゴミ捨て場の新領地(マップ)
ごとり、と重い金属音を立てて、追放艦のハッチが閉じた。外の嘲笑も、帝都の華やかな光も、すべてが遮断される。船内に満ちているのは、オイルの匂いと、長い間使われていなかった船特有のカビ臭さ、そして絶望的な静寂だった。
同行を許されたのは、老執事のセバスチャンただ一人。彼は、主人の不遇を嘆き、固くこぶしを握りしめていた。
「お嬢様…なんという屈辱…。あの愚かな皇太子と、浅知恵の働く小娘めに…」
「いいのよ、セバスチャン。すべては終わったことよ」
アストレアは、汚れた窓から遠ざかっていく帝都の壮麗な姿を眺めていた。無数の光が、まるで手の届かない星々のように小さくなっていく。普通の令嬢なら、この瞬間、涙の一滴も流すだろう。だが、アストレアの瞳に映っていたのは、感傷ではなかった。
(第一章『追放』、クリア。リザルトは…最悪ね。全装備、全資産、全称号を剥奪。初期地点はデバフ満載の辺境惑星。仲間は忠実なNPC一人。これは…いわゆる『縛りプレイ』というやつかしら)
彼女の頭脳は、この絶望的な状況を、高難易度ゲームの開始条件として冷静に分析していた。田中ミキとして生きていた頃、彼女は好んでこういう逆境から始まるゲームをプレイしていた。資源が枯渇し、強力な敵に囲まれたマップを、最適化と効率化を極めた知識でひっくり返すのが、何よりの快感だったのだ。
やがて、船はワープゲートを通過し、超光速航行に入った。窓の外の景色は、無数の光の筋が流れるだけの単調なものに変わる。エレボスまでは、数週間の航海が必要だった。
その間、アストレアは船室にこもり、セバスチャンが持ち込むことを許された数個のデータパッドに没頭した。そこに入っているのは、エレボスに関する、ごくわずかな公式記録。
「辺境星系オメガ-7に位置する岩石惑星。過去の大戦で軌道上施設が破壊され、その残骸が降り注いだため、地表は汚染。生命反応、極めて希薄。経済的価値、ゼロ。帝国法に基づき、廃棄物投棄星系に指定」
まさにゴミ捨て場。その評価は間違っていなかった。
だが、アストレアは、その短い記述の行間から、別の情報を読み取ろうとしていた。
(軌道上施設が破壊された…? 何の施設だったのか。なぜ、これほど徹底的に打ち捨てられているのか。不自然だわ。何かを隠している可能性がある)
ゲーマーの勘が、このクソマップには何か裏がある、と告げていた。
長い航海の果て、オンボロの追放艦は、ついに最終目的地であるエレボス星系に到着した。窓の外に広がる光景に、セバスチャンは息をのんだ。
赤茶けた大地。灰色の大気。そして、惑星の軌道上には、巨大な宇宙船の残骸が墓標のように無数に漂い、デブリベルトを形成していた。まるで、古代の戦場の跡地だ。美しい帝都とは何もかもが違う、荒涼とした死の世界。
「ここが…エレボス…」
船がゆっくりと高度を下げ、着陸態勢に入る。地表が近づくにつれて、その荒廃ぶりがより鮮明になった。大地には巨大なクレーターが口を開け、錆びついた金属の山々――ジャンクヤードが延々と続いている。
ガコン、という衝撃と共に、船が着陸した。
「お嬢様、お着きになりました」
セバスチャンの声は、絶望に沈んでいた。
ハッチが開き、エレボスの乾いた空気が船内に流れ込む。アストレアは、ためらうことなくタラップを下り、赤茶けた大地にその小さな靴で立った。
見渡す限り、瓦礫とジャンクの山。空は、汚染された大気のせいで、どんよりと曇っている。生命の気配はどこにもない。
セバスチャンが、絶望的な表情で主に問うた。
「お嬢様…我々は、これからここで…」
だが、アストレアは彼の言葉を聞いていなかった。彼女は、荒涼とした風景を、その深い青の瞳で見渡していた。その瞳には、もはや公爵令嬢としての仮面はなかった。宿っていたのは、未開のマップを前にした、廃人ゲーマーの獰猛なまでの輝きだった。
彼女は、不敵な笑みを唇に浮かべると、高らかに宣言した。
「ここが私の新しい『領地』…」
そして、まるで最高のゲームを手に入れた子供のように、続けた。
「上等じゃない」
その瞬間、アストレアの視界の端に、淡い光のラインが走った。目の前の空間に、半透明のウィンドウが次々と展開される。
【惑星開発インターフェイス、起動】
【チュートリアルを開始しますか? Y/N】
【惑星基本情報:エレボス】
【人口:2名(アストレア・フォン・ヒンメル, セバスチャン)】
【インフラレベル:0】
【農業レベル:0】
【工業レベル:0】
それは、彼女が前世で遊び尽くした、数々のシミュレーションゲームのユーザーインターフェイスそのものだった。
追放された令嬢の物語は、ここで終わりを告げた。
そして、最強のゲーマーによる、辺境惑星経営シミュレーションが、今、始まったのだ。




