第7章:陰謀(辺境の駆け引き) 7-1:『監視者』との対峙
『――先日の、貴殿の領宙で発生した、『海賊騒ぎ』について…いくつか、公式に、伺いたいことがある』
管理棟のメインスクリーンに映し出された、銀髪の貴公子、アレクシス・フォン・ヴァイス。その完璧な貴族然とした美貌とは裏腹に、彼の瞳は、第5章の戦闘でアストレアの戦術を目撃した「監視者」としての、冷徹な分析の色を隠そうともしていなかった。
その場にいた全員が、息をのんだ。
スパイクは、肋骨の痛みを忘れたかのように、その純白の軍服(ヴァイス子爵家)の紋章を睨みつけ、忌々しげに舌打ちした。彼は帝国軍(正規軍)の貴族指揮官が大嫌いだった。
K'サルは、本能的な警戒心から、喉の奥で低く唸り声を上げた。海賊とは違う、だが、海賊以上に危険な「力」の匂いを、その男から感じ取っていた。
セバスチャンだけが、アストレアの背後で、完璧な執事としての無表情を保っていたが、そのサイバネティクスの指先は、いつでも主を守れるよう、臨戦態勢に入っていた。
アストレアは、その全ての緊張を、まるで背中に羽織った外套のように受け流していた。
(…来たわね)
彼女の脳は、一瞬で「ゲーマー・ミキ」モードから、帝都で培った「公爵令嬢アストレア」の完璧なポーカーフェイスへと切り替わっていた。海賊との物理的な戦闘(RTS)が終わった今、始まったのは、彼女が最も嫌い、しかし最も得意とする「対人交渉」のフェーズだった。
目の前の男は、ヴォルコフ辺境伯の配下であり、こちらの手の内を(巡洋艦を一撃で葬ったという事実を)知っている。最悪の交渉相手だ。
「ごきげんよう、アレクシス・フォン・ヴァイス卿。このような辺境の地に、ヴァイス子爵家からの公式な通信とは、恐れ入りますわ」
アストレアは、あえて帝都のサロンで交わすような、完璧な貴族の挨拶を返した。薄汚れた防護服(今はヘルメットを脱いでいる)というアンバランスな姿で、完璧なカーテシー(お辞儀)の仕草をしてみせる。
その場違いなほどの優雅さに、アレクシスの無表情な仮面が、わずかに揺らいだ。
(…狂っている)
アレクシスの内心は、その冷静な声色とは裏腹に、混乱の極みにあった。
数日前、彼はこの場所で、信じられない光景を目撃した。地上から放たれたマスドライバーの閃光が、戦闘機の神業的な突入と連動し、重武装の巡洋艦を、その主砲ごと内部から誘爆させるという、狂気の戦術。
彼はヴォルコフ辺境伯に「正体不明の勢力により海賊は壊滅」と報告し、一時撤退した。だが、あの光景が脳裏から離れない。
あの戦術を立案し、実行したのが、目の前の、か弱くさえ見える、追放されたばかりの令嬢だとは、到底信じられなかった。だが、事実は目の前にある。
彼は、ヴォルコフからの「海賊の残党(拿捕された船)の状況を確認し、可能ならば回収せよ」という新たな命令と、それ以上に、自らの強烈な「好奇心」に突き動かされ、再びこの宙域に戻ってきたのだ。
『…アストレア・フォン・ヒンメル卿。単刀直入に伺おう』
アレクシスは、腹の探り合いは無駄だと判断し、核心に触れた。
『貴殿は、いかなる手段を用い、クリムゾンファングの巡洋艦を含む艦隊を撃退したのか? 我がヴァイス子爵家は、ヴォルコフ辺境伯の指揮下として、この宙域の治安維持を任されている。海賊の残党、及び、拿捕した艦船があるのであれば、帝国法に基づき、即刻、我々の管理下に移譲していただきたい』
それは、事実上の「恫喝」であり、「査察」の申し入れだった。
(なるほど。『ヴォルコフの命令(公式)』と、『私への興味(本音)』が半々、といったところかしら)
アストレアのインターフェイスが、アレクシスの表情筋の微細な動きと声紋を分析し、感情データを弾き出す。
【対象:アレクシス・フォン・ヴァイス】
【感情:強烈な好奇心(60%)、警戒(30%)、わずかな敵意(10%)】
【忠誠度:-10(中立的だが、ヴォルコフの配下)】
(敵意は低い。彼は、ヴォルコフに心酔しているわけじゃない。むしろ、私に興味津々ね)
アストレアは、この「ゲーム」の攻略ルートを見出しつつあった。
「ヴァイス卿。貴殿がご覧になった(・・・)ものが全てですわ」
アストレアは、あえて「彼が監視していたこと」を前提に話を進めた。
「私の領地は、不法な海賊の襲撃を受けました。領主として、私は、私の領民と財産を守るために、ありったけの手段で反撃する義務がありました」
『ありったけの手段…ね。その『手段』が、旧大戦の遺物であるマスドライバー(電磁投射砲)であったとしてもか? そのような戦略兵器を、帝国の許可なく使用することは、重罪に問われる可能性があると、ご存知ないわけではあるまい』
アレクシスの冷たい追及が突き刺さる。
「もちろん存じておりますわ」と、アストレアは悪びれもせずに微笑んだ。「ですが、ヴァイス卿。それは『平時』の法律ですわよね? 帝国の庇護が一切届かぬこの辺境で、重武装の巡洋艦に主砲を向けられた『緊急時』において、領主が取りうる『正当防衛』の範囲は、どこまでとお考えかしら?」
「…!」
アレクシスは言葉に詰まった。完璧な切り返しだった。彼女は、自らの行動を「正当防衛」という、帝国の法廷闘争に持ち込んだのだ。
「ましてや」とアストレアは続けた。「その海賊の背後に、帝国の有力貴族の影があったとしたら? 私の行動は、帝国の法を守るための、やむを得ない『自衛行為』だったと、皇帝陛下にもご理解いただけると信じておりますが」
(…この女!)
アレクシスの背筋を、冷たい汗が流れた。彼女は、ヴォルコフ辺境伯の関与に、すでに気づいている。それどころか、その事実を逆手に取り、「自分を攻撃することは、ヴォルコフの陰謀に加担することだ」と、こちらを牽制してきたのだ。
(…恐ろしい。帝都のサロンで『完璧な令嬢』と呼ばれていたのは、この交渉術、この胆力のことだったのか…!)
アレクシスは、自分が完全に「格上」の相手と交渉していることを、痛感させられた。
「…拿捕した艦船について、お答えいただこう」
アレクシスは、脂汗を隠し、冷静に話題を戻した。
「私の『エレボス自衛艦隊』として、現在、修理・改修中ですわ」
アストレアは、あっさりと宣言した。
「フリゲート艦2隻。そして、元海賊のうち、技術を持つ者たちは、私の『領民』として受け入れ、労働に従事させております」
『…なんと! 海賊を、領民に…!? 正気か!』
今度こそ、アレクシスは冷静さを失い、素の驚きを露わにした。獣人族を領民にし、海賊すら労働力に変える。彼の貴族としての常識を、アストレアは次々と破壊していく。
「彼らは、ヴォルコフ辺境伯に『依頼』され、私を殺しに来た『被害者』でもあるのですから。この星で、私の管理下で、労働をもって罪を償わせるのが、最も合理的な判断かと」
「…」
アレクシスは、もはや反論の言葉を失っていた。すべてが、アストレアの論理の中で完結している。
「…通信では、埒が明かないようだ」
アレクシスは、深く溜息をついた。
「数日中に、使者として、貴殿の領地を『公式訪問』させていただく。それまでに、ヴォルコフ辺境伯閣下への『報告書』を、貴殿なりにまとめておいていただきたい」
『公式訪問』。それは、事実上の「査察」の通告だった。
「ええ、喜んで。帝都を離れて以来、まともな『お客様』は初めてですもの」
アストレアは、薄汚れた管理棟のコントロールルームから、完璧な淑女の笑みで応じた。
「歓迎いたしますわ、アレクシス卿。我が『領地』の、ありのままの姿をご覧にいれますわ」
通信が切れる。
スクリーンが暗転し、アレクシスの冷たい美貌が消えた。
「…ボス」
スパイクが、緊張した面持ちでアストレアに声をかけた。
「…ありゃあ、海賊よりタチが悪いぜ。ヴォルコフの犬だ。どうする? ヤツらが着陸したら、エララのレールガンで…」
「馬鹿ね」
アストレアは、貴族の仮面を脱ぎ捨て、冷徹なゲーマーの顔に戻っていた。
「彼は、ヴォルコフの『犬』じゃないわ。『監視者』であり、そして『ヴォルコフを出し抜きたい(・・・・・)』と、あの目が言っていたわ」
「…は?」
「彼は、私たちが海賊に負けるところを『監視』しに来て、私たちが勝つところを『目撃』してしまったのよ。ヴォルコフへの報告と、彼自身の好奇心の間で、板挟みになっているわ」
アストレアは、この「イベント」の分岐を正確に読み解いていた。
(アレクシスは、敵のコマでありながら、こちらの『仲間』になる可能性を秘めた、重要NPCよ)
「エララ!」とアストレアは、別回線でラボにいるエララに通信を繋いだ。
「ああ、聞いてたわよ! あのキザ野郎、ムカつくわね! で、何? 撃つの?」
「いいえ。逆よ。彼らが来訪するまでに、拿捕したフリゲート艦『デッド・ラビット』を、一隻だけでもいい、完璧に修理しておいて。それと、海賊の捕虜たちに、新しい『エレボス領民服』でも着せて、大人しく作業させておいてちょうだい」
「はあ!? あんなオンボロ、まだかかるわよ! それに領民服!?」
「いいからやるのよ。私たちは、彼に『見せる』必要があるの」
「何をよ?」
「私たちが、ヴォルコフの脅威に対抗できる『力』を持っていること。そして、このゴミ捨て場が、彼の家(ヴァイス子爵家)にとっても、『有益な取引相手』になり得るということをね」
アストレアは、アレクシスの来訪を、ヴォルコフへの「防衛」イベントから、アレクシス自身を「攻略(懐柔)」する、新たな「交渉」イベントへと、無理やり上書きしようとしていた。




