第6章:交易(工業Lv.1) 6-1:戦勝処理(ポスト・プロセス)と黒幕の影
エレボスの軌道上に、二つ目の太陽が生まれたかのような閃光が消え去った後。残されたのは、不気味なほどの静寂と、爆発の中心から無数に広がる、宇宙船の残骸だけだった。
巡洋艦『クリムゾン・ジョウ』の轟沈。それは、この戦いの、あまりにも決定的な終幕だった。
ドク・エララの隠蔽ラボは、第5章のクライマックスで響き渡ったエララの歓喜の叫び声が嘘のように、今は静まり返っていた。
「…終わった…のね」
アストレアは、管制席に深く身を沈めたまま、誰にともなく呟いた。彼女のインターフェイスには、【クエスト、クリア】のウィンドウが、まるで他人事のように淡々と輝き続けている。
勝った。
巡洋艦級の敵を、地上からの狙撃という奇策で撃破した。人口52名の、インフラレベル1の領地が、だ。
前世のゲーマー「ミキ」であったなら、今頃はガッツポーズを取り、勝利の余韻に浸り、ドロップアイテム(報酬)を確認していただろう。だが、今のアストレアの心を満たしていたのは、達成感とは異なる、重く、冷たい感触だった。
(…死んだわ。あの巡洋艦に乗っていた、数百人の海賊たちが)
彼女の脳裏に、スパイクの『レイピア』が収集した、巡洋艦の熱源データが蘇る。あの無数の光点一つ一つが、生きた人間だった。
彼女は、前世で幾度となく「ユニット(兵士)」を生産し、敵の拠点に送り込み、数字の上での「殲滅」を繰り返してきた。それは「ゲーム」だった。リソースを消費し、リターンを得るための「作業」だ。
だが、今回は違う。
彼女の「『撃テ』(ファイア)」という、たった一言の命令が、現実の「命」を、数百という単位で消滅させたのだ。
海賊は、帝国の敵だ。このエレボスを襲撃し、獣人たちを殺し、すべてを奪おうとした侵略者だ。彼らを排除しなければ、こちらが殺されていた。合理的に考えれば、アストレアの決断は「領主」として、100%正しかった。
(でも…)
ズキリ、と胸の奥が痛む。
(ゲームじゃない…)
これが、この世界の重さ。
シミュレーションゲームのつもりで始めたこの「辺境惑星経営」は、彼女が思っていた以上に、血生臭く、そして取り返しのつかない「現実」だった。
「…領主様」
不意に、K'サルがその狼の顔を彼女に向けた。その瞳には、先ほどまでの戦闘の興奮とは違う、静かな畏怖が宿っていた。
「貴女様ハ…我々ヲ救ッテクレタ。コノ御恩ハ、忘レナイ」
彼は、獣人族の流儀に従い、アストレアの足元に片膝をつこうとした。
「…やめてちょうだい、K'サル」
アストレアは、かぶりを振った。
「私は、あなたたちを救ったんじゃない。私の領地と、私の領民を、『リソース』を守っただけよ」
あえて、冷たい言葉を選ぶ。同情や感謝に浸ってしまえば、この「命の重さ」に潰されてしまう気がした。自分は「プレイヤー」であり、「領主」なのだ。非情な決断を下し続けなければ、このクソマップでは生き残れない。
彼女は、無理やり思考を「ゲーム」へと引き戻そうとした。
「セバスチャン!」
「はっ、はっ…!」
壁際で休んでいた老執事が、サイバネティクスの軋む音を立てて立ち上がる。
「スパイクの回収は!? 彼のバイタルは!?」
「ただいま、K'サルの若者たちが、脱出ポッドの着陸地点へ向かっております! バイタルは…インターフェイスによれば、安定しております!」
「そう、よかった…」
アストレアは、心の底から安堵した。少なくとも、自分の「仲間(ユニークNPC)」を失わずに済んだ。
「エララ! 降伏勧告は!?」
「ああ! もちろんよ!」
エララは、アストレアの葛藤など知ったことかというように、興奮冷めやらぬ様子でコンソールを叩いていた。
「あのフリゲート2隻、完全にビビってるわ! 旗艦が一瞬で蒸発したんだもの、当たり前よね! 『即座ニ降伏スル! 命ダケハ助ケテクレ!』だってさ! フハハハ! 最高に笑えるわ!」
【対象:海賊フリゲート『デッド・ラビット』『ボーン・シックル』】
【状態:大破(ワープドライブ機能停止)、乗組員、戦意喪失(0%)】
【交渉:降伏勧告、受諾】
「…結構よ。彼らには、武装解除の上、指定した座標(管理棟から離れたジャンクヤード)に着陸し、全員、船内で待機するように伝えて。抵抗すれば、マスドライバーの『次弾』が飛ぶ、と付け加えておきなさい」
「了解!」
エララが脅し文句を通信している間に、アストレアは次の指示を出す。
「セバスチャン、K'サル。管理棟の地下にいる民たちに、勝利を伝えて。それと、ガロが守っている農業プラントにも通信を。あちらの被害状況を確認して」
「はっ! 御意に!」
二人が慌ただしく動き出す。ラボは、再び「戦後処理」という名の、新たな「作業」で活気を取り戻し始めた。
(これでいい…)
アストレアは、自らの感傷を、多忙なタスク処理の奥底へと無理やり押し込めた。悲しんでいる暇も、葛藤している暇もない。領主は、常に次の一手を考え続けなければならないのだから。
数時間後。
ラボは、即席の「作戦司令部」と化していた。
スパイクが、K'サルの民に担がれるようにして戻ってきた。彼は、脱出時の衝撃で肋骨を数本折っていたが、その口元には、満足げな笑みが浮かんでいた。
「…ハッ。やったぜ、ボス。あのクソ海賊どもに、デカい花火をプレゼントしてやった…」
「ええ、最高の『弾丸』だったわ。よくやったわね、スパイク」
アストレアが素直に労うと、スパイクは「へへ…」と照れ臭そうに笑った。
【スパイク:忠誠度:+60(勝利への貢献、領主への信頼)】
(忠誠度が大幅に上がったわ。これで、彼は完全に私の『仲間』ね)
農業プラントのガロからも、無事の報告が入った。彼はアストレアの命令通り、地下水脈に隠れ、海賊の地上部隊の襲撃をやり過ごした。畑の一部は荒らされたが、人的被害はゼロだった。
【領民忠誠度(灰色の牙族):+50(領主への絶対的信頼)】
すべてが、順調だった。
「さて、エララ」
アストレアは、メインスクリーンに、拿捕したフリゲート艦『デッド・ラビット』の内部見取り図を表示させた。スパイクが、K'サルの民と共に艦内に乗り込み、乗組員(約30名)を拘束。エララが遠隔で艦内のスキャンを開始していた。
「艦のログデータは? なぜ、彼ら(クリムゾンファング)が、こんな辺境の、それも私たちが着陸したタイミングを狙ったかのように、襲撃してきたのか。その『理由』が知りたいわ」
第5章の戦闘中、アストレアは、敵のウォーカーが自分ではなく「発電機」を正確に破壊したことに、強い違和感を覚えていた。まるで、こちらの状況を正確に把握しているかのような動きだった。
「ああ、それね。今、解析中よ」
エララは、不機嫌そうに銀髪をかき上げた。
「セキュリティが、思ったより面倒でね…。帝国軍の正規暗号が使われてるわ。海賊ごときが使うシロモノじゃない。…でも、まあ、私のS+級スキル(古代技術解析)にかかれば、時間の問題だけど」
エララの指が、コンソール上で踊る。暗号化されたデータが、猛烈な勢いで解読されていく。
そして、ついに、一つのファイルが開かれた。
【ファイル名:依頼書_V卿】
「…V卿…?」
アストレアの眉が動く。そのファイルを開くと、そこには、衝撃的な内容が記されていた。
『依頼主:ヴォルコフ辺境伯(代理人)』
『対象:エレボス星系に追放された、アストレア・フォン・ヒンメル公爵令嬢』
『内容:海賊の襲撃に見せかけ、対象を『処理』せよ。痕跡を残すな。成功報酬として、同星系のレアメタル採掘権の優先譲渡を約束する』
「…ヴォルコフ…辺境伯…!」
アストレアの背筋を、冷たい汗が伝った。
ユリウス皇太子に追放されただけではなかった。自分は、最初から「殺される」運命だったのだ。
ユリウスの愚かな断罪は、このヴォルコフ辺境伯にとって、アストレアを合法的に「帝都の庇護下」から引き剥がし、辺境で「事故死」させるための、絶好の口実でしかなかった。
「…なるほどね」
アストレアは、歯を食いしばった。先ほどの、命を奪ったことへの葛藤が、一瞬で吹き飛んでいく。
(私を殺そうとしたのは、あの海賊たちじゃない。帝国の『貴族』…ヴォルコフよ。なら、容赦はいらない)
彼女の瞳から、感傷の色が完全に消え失せた。そこにあるのは、前世のゲーマー「ミキ」が、最大の敵を前にした時に見せる、冷徹な闘志の炎だけだった。
「エララ。あのフリゲート2隻、修理できるわね?」
「はあ? 修理? あんなオンボロ…まあ、報酬でアンロックされた【艦船修理(初級)】と、私の技術があれば、2週間もあれば飛べるようにはなるけど…」
「2週間…長すぎるわ。1週間よ」
「無茶言わないでよ!」
「ヴォルコフは、海賊が失敗したと知れば、必ず次の一手を打ってくる。それまでに、私たちも『牙』を持たなければならないのよ」
アストレアは、立ち上がった。
「私たちの『エレボス自衛艦隊』よ。創設を急ぐわよ!」




