3-3:農業革命(Lv.1)と最初の『領民』
旧農業プラントの残骸は、内部も酷い状態だった。ドームの天井だった部分は崩落し、灰色の空がそのまま見える。床だった場所には、瓦礫と錆びた農機具が散乱していた。
「コッチダ」
K'サルに先導され、アストレアは施設の地下深くへと続く、暗い階段を下りていった。獣人たちは、松明代わりに、発光性の鉱石(おそらくこの星で採れるものだろう)を棒の先に括り付けたものを使っていた。
(テクノロジーレベル0は伊達じゃないわね…)
地下は、地上よりも空気がひんやりとしており、カビと金属錆の匂いが充満していた。やがて、彼らは巨大な空間に出た。
「…ここが、ポンプ室…」
アストレアの目の前にあったのは、直径20メートルはあろうかという巨大なタービンのような機械だった。それが、このプラントの心臓部、地下水脈ポンプだ。
「ココガ、我々ノ『聖域』ダ」
K'サルが、その巨大な機械を、どこか敬虔な目で見上げながら言った。
「我々ノ先祖ハ、コノ機械ガ動イテイタ『緑ノ時代』ヲ知ッテイル。ソシテ、イツカコノ機械ガ再ビ動キ出シ、水ガ戻ッテクルト信ジテ生キテキタ」
「…そう」
(なるほど。彼らにとって、ここはただの水場じゃない。信仰の対象なのね)
アストレアは、インターフェイスを起動し、ポンプの状態を詳細にスキャンさせた。
【対象:旧型ジオサーマル・アクアポンプ】
【状態:機能停止】
【損傷箇所:メイン動力ケーブル(セクターB-4)ニ、物理的切断ヲ確認】
【損傷箇所:第3タービンベアリング、腐食ニヨリ固着】
【必要リソース:高出力ケーブルx50m, 高純度潤滑油x10L, 溶接機(簡易型)x1】
(…思ったより、損傷が酷いわ。ケーブルだけじゃなかった)
ユニット・ゼロの遠隔スキャンでは、ケーブル切断しか分からなかった。だが、現地での詳細スキャンで、内部の腐食も判明した。
「どうした、帝国ノ領主様。修理デキルノデハナカッタノカ?」
アストレアが黙り込んだのを見て、K'サルが嘲るように言った。
「…ええ、もちろんよ。ただし、少し『材料』が足りないわ」
アストレアは、インターフェイスに表示された必要リソースのリストを、獣人たちに見えるようにホログラムで投影した。
「ナンダ、コレハ…」
「修理に必要な部品よ。このプラントのどこか、あるいは、あなたたちが知っている資材置き場に、こういうものはないかしら?」
彼女は、ケーブルや金属部品の形状を、分かりやすく立体図で示した。
「…コレナラ、見たコトガアル」
戦士の一人、ガロが反応した。
「北ノ『鉄ノ谷』ニ、コノ『蛇』ガ山ホド捨テテアル」
「ソノ『油(潤滑油)』ミタイナモノハ、壊レタ機械ノ残骸カラヨク滲ミ出テイル」
獣人たちが、次々と情報を寄せてきた。彼らは、このゴミ捨て場の「資源マップ」を、アストレアとは別の形で、経験として熟知していたのだ。
「素晴らしいわ」
アストレアは、K'サルに向き直った。
「K'サル。あなたの仲間を集めて。今すぐ、このリストにある材料を集めてきてちょうだい。それと、頑丈な金属板と、火を起こす道具も」
「火? ソンナモノデ、コレガ直ルノカ?」
「ええ。溶接機の代わりよ。簡易的な『鍛冶』を行うわ」
アストレアの頭の中では、前世のサバイバルゲームの知識がフル回転していた。文明が後退した世界での「クラフト」だ。
K'サルは、まだ半信半疑だったが、水が手に入るという一縷の望みに賭け、部下たちに指示を飛ばした。
「ガロ! 一番足ノ速イ者ヲ10人連レテ、鉄ノ谷へ行ケ! 他ノ者ハ、油ト金属板ヲ探セ! 急ゲ!」
獣人たちは、驚くべき俊敏さで暗闇の中へと散っていった。彼らは飢えてはいたが、その動きには野性の力がみなぎっていた。
(…すごい。指示を出してから、実行に移るまでの速度が尋常じゃない。これが、私の最初の『領民』…!)
アストレアは、彼らの「労働力」としてのポテンシャルの高さに、密かに舌を巻いていた。
それから約2時間。アストレアは、K'サルが見守る中、ポンプの制御盤を解体し、インターフェイスの指示に従って内部構造を分析していた。
やがて、ガロたちが大量のケーブルや資材を持って戻ってきた。
「コレデ足リルカ!」
「十分すぎるわ。よくやったわね、ガロ」
アストレアが素直に褒めると、ガロは意外そうな顔をして、少しだけ敵意を緩めた。
ここからが、アストレアの独壇場だった。
「ガロ、あなたはそのケーブルの被膜を、そのナイフで剥がして。中の導線をこれだけの長さで切り出して」
「K'サル、あなたはその金属板を、この鉱石(発光石)の火で炙って。赤くなるまで。その後、私が指示する形に叩いて曲げてちょうだい」
「そこのあなた、その油を集めて、タービンのあの隙間に流し込んで」
彼女は、公爵令嬢だったとは思えないほど、テキパキと、そして的確に指示を飛ばしていく。その姿には、迷いというものが一切なかった。
獣人たちは、最初こそ戸惑っていたが、アストレアの淀みない指示と、インターフェイスが投影する分かりやすい作業図に導かれ、次第に一つのチームとして機能し始めた。
彼らは、帝国語は片言だったが、作業の飲み込みは驚くほど早かった。
そして、さらに1時間後。
切断されていたケーブルは、剥き出しの導線を束ね、炙った金属板で無理やり固定・圧着された。固着していたベアリングには、集めた潤滑油が注ぎ込まれ、K'サルが体重をかけてタービンを回すことで、強引に固着が剥がされた。
(…原始的すぎるわ。応急処置にもならない。でも、今はこの一瞬、動けばいい…!)
アストレアは、メインコンソールに戻り、埃を被った起動スイッチに手をかけた。
「…みんな、下がって」
獣人たちが、ゴクリと息をのんで後ずさる。
アストレアは、スイッチを、入れた。
ガ、ガ、ガ…
重い、嫌な音が響き渡る。
『警告:動力ケーブルノ接続ガ不安定。オーバーヒートノ危険アリ』
インターフェイスが警告を発する。
(知ってるわよ! 動け…!)
ガギン!
一際大きな金属音が響き、すべてが静かになった。
「…ダメカ」
K'サルの肩が、失望に落ちる。
だが、アストレアは、スイッチから手を離さなかった。
「…いいえ。まだよ」
ゴゴゴゴゴゴ…
地響きのような、低い振動が始まった。
「…!」
獣人たちが、その音の正体に気づく。
それは、数百年ぶりに、この巨大なポンプが、地下深くの水を吸い上げ始めた音だった。
「ウオオオオオオ!!」
K'サルが、天を仰いで咆哮した。
その直後、ポンプ室の端にある、ひび割れた貯水槽のパイプから、轟音と共に、濁流のような水が溢れ出した!
獣人たちは、我先にとその水に駆け寄り、その清浄な(少なくとも彼らが知るどの水よりも綺麗な)水を、手ですくい、貪るように飲んだ。
「水ダ! 本当ニ水ガ…!」
「生キテル! コノ水ハ生キテイル!」
歓喜の叫びが、地下空間にこだました。
K'サルは、自らもその水を一口飲むと、濡れた顔のまま、アストレアの前に進み出た。
そして、彼は、獣人族の最大級の敬意を示す作法――片膝をつき、頭を垂れた。
「…領主様」
K'サルは、はっきりとした声で言った。
「我々、灰色の牙族ハ、今日コノ日ヨリ、貴女様ヲ我々ノ『領主』ト認メ、コノ命ヲ捧ゲルコトヲ誓ウ」
その言葉と共に、アストレアのインターフェイスが、高らかな達成音を鳴らした。
【メインクエスト更新:『拠点の確保』】
・旧農業プラントの地下水脈を確保せよ (達成)
・未確認の集落と接触せよ (達成)
【新規領民獲得:灰色の牙族】
【人口:52名(アストレア, セバスチャン, 獣人族50名)】
【領民忠誠度:+30(感謝)】
【農業レベルがアンロックされました:農業Lv.1】
【報酬:技術【基本水耕栽培】【灌漑システム】、研究ポイントx200 を獲得しました】
「ええ、確かに受け取ったわ。K'サル」
アストレアは、初めて「領主」として、自らの民の前に立った。
「でも、これは始まりに過ぎないわよ。水が手に入ったのなら、次は『食料』よ」
彼女は、インターフェイスを開き、獲得したばかりの【灌漑システム】の技術データを、K'サルたちの前に投影した。
「この水を使って、このプラントを、もう一度『緑の時代』に戻すのよ」
獣人たちの目に、飢えと絶望以外の色――「希望」が、初めてはっきりと宿った瞬間だった。




