3-2:飢えたる族長『K'サル』
槍の穂先が、防護服の薄いバイザーに触れ、キィ、と嫌な音を立てた。
アストレアの脳は、この絶体絶命の状況下で、前世の記憶を猛スピードで検索していた。
(FPSゲームじゃない、シミュレーションゲームよ。戦闘は最悪の選択。これは『交渉』フェーズ…!)
彼女は、ピクリとも動かなかった。恐怖で硬直しているのではない。相手の出方を完璧に見極めるためだ。
「待ちなさい」
アストレアは、あえてゆっくりと、両手を肩の高さまで上げた。敵意がないことを示す、宇宙共通のジェスチャーだ。
「…ナニヲ言ッテイル」
喉元に槍を突きつけた戦士が、疑念の声を上げる。
「私は、帝国ノ犬…そうかもしれないわね。でも、あなた方に危害を加えに来たわけじゃない」
アストレアの声は、ヘルメットのスピーカーを通して、冷静なまま響いた。この土壇場で、彼女の声が一切震えていないことに、獣人の戦士たちのほうが戸惑いを見せた。
「私はアストレア・フォン・ヒンメル。この惑星エレボスの全権を委任された、新しい『領主』よ」
「リョウシュ…?」
「笑ワセルナ! 帝国ハ、ココヲゴミ捨て場トシテ見捨テタ! 今サラ、領主ダト?」
戦士の一人が激高し、槍を突き出そうとする。
「待テ、ガロ」
その時、彼らの背後、集落の方から、別の声が響いた。
瓦礫の陰から、ひときわ体格のいい獣人族が姿を現した。他の者たちより毛並みは荒れているが、その両目には、他の者にはない理性の光と、深い疲労が宿っていた。彼こそが、この集落の族長、K'サルだった。
K'サルは、ゆっくりとアストレアの前に進み出ると、彼女の全身を値踏みするように見た。特に、彼女が身につけている、帝国の紋章が入った(オンボロだが)防護服を。
「…帝国ノ貴族様ガ、ナゼ一人デココニイル? オ前ノ仲間ハ、船ハドコダ?」
K'サルの声は、年若いが、多くの苦労を重ねてきた者のそれだった。
アストレアのインターフェイスが、即座に目の前の男を分析する。
【対象:K'サル(獣人族・狼種)】
【役職:族長】
【状態:【重度ノ飢餓】【慢性的な栄養失調】【極度ノ疲労】】
【感情:疑念(70%)、警戒(20%)、わずかな希望(10%)】
【忠誠度:-50(帝国への憎悪)】
(マイナスからのスタート…! でも、希望が10%ある。彼らも限界なのよ)
アストレアは、確信を持った。
「仲間は、今、動けないわ。船も、私たちが乗ってきたオンボロの追放艦だけ。私は、あなたたちが言う通り、帝国から見捨てられて、ここに『追放』されてきたのよ」
「ツイホウ…?」
K'サルは、その言葉に反応した。
「帝国ニ逆ラッタノカ?」
「まあ、そんなところね。私は、あなたたちと同じ、帝国に見捨てられた者。敵対する理由はないわ」
「信用デキルカ。オ前タチ帝国ノ人間ハ、昔モソウ言ッテ我々ヲ騙シ、コノ星ヲ奪ッタ」
(…なるほど。大戦前の記憶、あるいは伝承が残っているのね。根深い不信感だわ)
アストレAは、交渉のカードを切ることにした。
「信用できないなら、結果で見せるしかないわね」
彼女は、K'サルたちの背後、巨大な農業プラントの残骸を指差した。
「あなたたちは、水に困っている」
断言だった。K'サルの目が、鋭く細められる。
「ナゼソレヲ…」
「あなたたちのステータスが、そう言っているからよ」
「ステータス…?」
アストレアは、インターフェイスで見える情報を、あえて口にした。
「あなたも、あなたの仲間も、皆【重度の飢餓】と【栄養失調】状態。この荒れ地で、それだけの大所帯を支える水も食料もない。違うかしら?」
K'サルは、言葉に詰まった。図星だったのだ。彼らは、この旧農業プラントに残された、ごくわずかな貯水タンクの残りと、汚染された雨水を煮沸することで、かろうじて生き延びていた。だが、それも、もう限界だった。
「…ソレガ分カッテ、何ヲスル気ダ。我々ヲ嘲笑イニ来タノカ?」
K'サルの声に、絶望と怒りが滲む。
「いいえ、取引よ」
アストレアは、きっぱりと言った。
「あのプラントの地下には、まだ生きている巨大な『水脈』がある。汚染されていない、清浄な水がね。私は、それを蘇らせる技術を持っているわ」
「ナニ…!?」
K'サルだけでなく、周囲を囲んでいた獣人族の戦士たち全員が、その言葉に動揺した。
「水脈ガ…生キテイル…?」
「ええ。でも、メインポンプの動力ケーブルが切断されているせいで、機能していないだけ。私なら、それを修理できるわ」
これは、管理棟でユニット・ゼロから得た情報だ。
「…タダデ、修理スル気カ?」
K'サルの声に、警戒と、隠しきれない期待が混じる。
「もちろん、タダじゃないわ」
アストレアは、ここで前世のゲーマー「ミキ」の交渉術をフルに発動させた。
(NPCとの交渉の基本。相手の最大のニーズ(水)を満たし、こちらの要求(労働力)を通す)
「私が水脈を復活させたら、あなたたちは私を『領主』と認め、私の指示に従ってもらう。あなたたちのその『労働力』と、私の『技術』。等価交換よ」
「労働力…我々ヲ、奴隷ニスル気カ!」
戦士の一人、ガロが再び牙を剥く。
「違うわ」
アストレアは、彼を制した。
「奴隷じゃない。『領民』よ。私は、この星を豊かにする。水だけじゃない。安定した食料、安全な住居、そして、いつかはこの灰色の空を、昔の青い空に戻してみせるわ」
彼女のインターフェイスが、ユニット・ゼロからダウンロードした、大戦前のエレボスの緑豊かな風景をホログラムとして小さく投影した。
「「「…!」」」
獣人たちが、その信じられない光景に息をのむ。彼らの伝承でしか聞いたことのない、緑の星。
「私には、それを実現するための『知識』がある。でも、私には『仲間(労働力)』が足りない。あなたたちには、生き延びるための『技術』が足りない。利害は一致しているはずよ」
K'サルは、アストレアの青い瞳を、ヘルメット越しにじっと見つめていた。この小さな人間の女は、他の帝国人とは何かが決定的に違う。狂っているのか、あるいは…。
「…分カッタ」
長い沈黙の後、K'サルは決断した。
「マズハ、ソノ『水』トヤラヲ見セテモラウ。モシソレガ嘘デアッタ場合、ソシテ、オ前ガ我々ヲ裏切ッタ場合…」
K'サルは、自らの鋭い爪をアストレアの喉元に突きつけた。
「オ前ノ喉ヲ、オレガ食イ破ル」
「結構よ。交渉成立ね」
アストレアは、全く動じずに微笑んだ。
インターフェイスの表示が更新される。
【K'サル:敵対度:中立(0%)】
【忠誠度:-20(様子見)】
【クエスト進行:集落トノ一時的協力関係ヲ確立】
(マイナス50から、マイナス20まで改善したわ。上出来よ)
アストレアは、獣人族の戦士たちに囲まれながら、すべての始まりの場所、旧農業プラントのポンプ室へと、案内されていった。




