第1章:追放 1-1:星屑の舞台と完璧な令嬢
銀河帝国の帝都、セントラル・プライムに浮かぶインペリアルパレス。その大広間「星々のテラス」は、その名の通り、特殊なエネルギーフィールドによって隔てられた向こう側に、天の川銀河の壮大な渦がリアルタイムで映し出されるという、贅を極めた空間だった。今宵は、皇太子ユリウス・フォン・ヴァルハイトの二十歳の誕生日を祝う盛大なパーティーが催されている。
シャンデリアのように輝くのは、超新星の光を封じ込めたという宝珠の数々。床を流れるように行き交うのは、帝国中の有力貴族や星間企業のトップたちだ。彼らが纏う豪奢な衣装は、それだけで辺境惑星の一つや二つは買えてしまうほどの価値がある。誰もが笑顔を浮かべ、グラスを片手に歓談に興じているが、その瞳の奥には、帝国中枢における権力闘争の冷たい光が揺めめいていた。
その華やかな輪の中心に、一人の令嬢がいた。
アストレア・フォン・ヒンメル公爵令嬢。
皇太子ユリウスの婚約者にして、次期皇后と目される女性である。
白銀の髪は、広間の照明を受けて銀河の星々のようにきらめき、夜空の色を閉じ込めたような深い青の瞳は、宝石以上に理知的な輝きを放っていた。彼女が纏うドレスは、帝国の最新モードを取り入れつつも、華美に過ぎない洗練されたデザイン。その立ち居振る舞いは完璧で、どんな大物貴族を前にしても揺らぐことのない落ち着き払った態度は、十八歳という若さを忘れさせるほどの威厳を備えていた。
「アストレア様、今宵も一段とお美しいですわ」
「皇太子殿下も、あなたのような方が隣にいてくださることが、どれほど誇らしいことか」
取り巻きの令嬢たちが、計算された賛辞を並べ立てる。アストレアは、そのすべてに完璧な微笑みで応じながらも、内心では別のことを考えていた。
(…このパーティーの運営コスト、推定3億クレジット。警備費用と人件費でさらに5000万。費用対効果を考えると、皇太子の権威発揚というリターンに対して、コストが過剰すぎる。もっと効率的なブランディング戦略があるはずなのに)
彼女の頭脳は、目の前の光景を自動的に数字とデータに変換し、最適解を模索し始めていた。これは彼女の癖であり、そして秘密でもあった。アストレア・フォン・ヒンメルの中には、もう一つの人格が存在する。
――田中ミキ、享年二十八歳。地球という辺境惑星の、日本という島国で生きていた平凡な会社員。
その実態は、4X戦略ゲームや都市経営シミュレーションゲームに人生を捧げた、いわゆる「廃人ゲーマー」であった。
不慮の事故で命を落とした彼女が、なぜかこの銀河帝国の公爵令嬢アストレアとして二度目の生を受けたのだ。最初は戸惑ったものの、持ち前のゲーマー気質がすぐに頭をもたげた。貴族社会は、パラメータとフラグ管理が重要なシミュレーションゲームそのもの。法律、作法、歴史、経済学…あらゆる知識を「攻略情報」として吸収し、ステータスを磨き上げた結果、彼女は「完璧な公爵令嬢」というキャラクターを完璧にロールプレイングしていた。
婚約者であるユリウス皇太子は、このゲームにおける最重要攻略対象だ。しかし、彼には致命的な欠点があった。
(ユリウス殿下は、パラメータのバランスが悪い。プライドは高いのに、判断力と分析力に欠ける。他人の意見に流されやすく、特に自分を心地よくさせてくれる相手の言葉を無条件に信じる傾向がある。いわゆる『チョロい』タイプね)
その「チョロさ」を最大限に利用しているのが、最近ユリウスに取り入っているロゼッタ男爵令嬢だった。 彼女は、アストレアとは対照的な、庇護欲をそそる可憐なタイプの少女だ。だが、その計算高さと野心は、アストレアの目には手に取るようにわかった。
「アストレア」
凛とした声に思考を中断させられ、顔を上げると、パーティーの主役であるユリウスが不機嫌そうな顔で立っていた。その隣には、心配そうな表情を浮かべたロゼッタが寄り添っている。
「殿下、ごきげんよう」
アストレアが完璧なカーテシーをしてみせると、ユリウスはさらに眉を寄せた。
「君はいつもそうだ。楽しんでいるのかどうかも分からない。もっと笑顔を見せたらどうだ」
「申し訳ございません。ですが、わたくしは皇太子の婚約者として、常に品位を保つべきかと」
正論だった。だが、ユリウスが求めているのは正論ではない。
「そういうところが可愛げないと言っているんだ! ロゼッタを見習え。彼女はいつも素直に感情を表してくれる」
ユリウスの腕の中で、ロゼッタがはにかむように頬を染める。その一連の動きが完璧な計算に基づいていることに、この皇太子は気づく様子もない。
(フラグが立った…か)
アストレアは内心でため息をついた。今夜、何かが起こる。ゲームなら、間違いなく重要イベントが発生するタイミングだ。彼女は静かに、これから降りかかるであろう理不尽なイベントに備え、思考をクリアにした。




