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第三章:初夜の決意と、夫の「仮面」

式が終わり、夜の帳が静かに王都を包んだ。

教会での華やかな祝福の余韻は、馬車の揺れと共にゆるやかに薄れていき、私はバルテル様と共に、夫婦としての最初の夜を迎えようとしていた。


屋敷に戻ると、ささやかな祝宴の席が整えられていた。控えめな装飾と温かな灯り。使用人たちは必要最低限に抑えられ、場の空気はどこまでも静謐だった。それは、騒がしいことが苦手な私への、彼の配慮なのだろう。


「疲れただろう。無理はしなくていい。……君の心に、まだ迷いがあることも分かっているつもりだ」


そう言って、バルテル様は私に微笑みかけた。あまりにもすべてを見透かしたようなその瞳に、私は一瞬、息を呑む。彼の静かな思いやりが、逆に鋭い刃のように胸を締めつけた。


私はぎこちない笑みを返し、席に着く。料理は上品で香り高く、どれも祝いの場にふさわしいものばかりだった。けれど、味はよくわからなかった。ただ、流れ作業のように口に運び、飲み込み、完璧な妻の笑顔を貼りつける。


この時間を拒んではいけない。私はもう、妻になったのだから。


食後、使用人たちが静かに席を下がると、バルテル様は私の手を取り、夫婦の寝室へと導いた。


広々とした寝室。ふかふかの絨毯に、繊細なレースのカーテン。そして、部屋の中央に置かれた大きなベッドには、いかにも“その夜”のための純白のシーツが敷かれていた。


「……怖いか?」


バルテル様はそう言って、私の頬にそっと触れた。彼の指先は、驚くほど冷たかった。


私は首を横に振る。彼を拒む権利など、私にはない。


彼の動きは、どこまでも穏やかで、私の心情を計算し尽くしたかのように優しかった。

激しさも、強引さもない。けれど、その丁寧すぎる愛撫が、逆に私の心の壁を一枚一枚剥がしていく。レオンの荒々しいけれど真っ直ぐな愛情とは全く違う、緻密で、どこか支配的な優しさ。


身体が熱を帯びていくのと同時に、心の奥底にこびりついていたレオンの記憶が、すうっと上書きされていくような感覚に陥った。


――ああ、これで本当に、終わるんだ。


激しい恋の記憶は、この静かな夜に溶けて消えていく。私はもう、彼の妻なのだ。


契りが交わされ、彼の腕の中で微かに震える私に、バルテル様は囁いた。

「これからは、君が安らげる場所はここだけだ。……私だけが、君を守ってあげられる」


その言葉は、まるで呪いのように、私の心に深く染み込んだ。


隣で夫が寝息を立て始めた後、私はそっとベッドを抜け出した。ポケットの中の魔導石が、ひどく重く感じる。冷たいその石は、もう私を呼ばない。私を過去に繋ぎ止める力も、もうないはずだ。


ゆっくりと立ち上がり、寝室の奥にあるバルコニーの扉を開ける。ひやりとした夜風が、火照った頬を撫でた。


この石を、捨てなければ。


私は石を強く握りしめた。けれど、指がうまく開かない。これを手放せば、レオンとの七年間が、本当にすべて無に帰す。良い思い出も、悪い思い出も、すべて。


涙が、一筋だけ頬を伝った。これが、最後の涙だ。


私は、勢いよく腕を振った。


魔導石は夜の闇に吸い込まれ、庭の茂みの中に落ちて、くぐもった音を立てた。


――さようなら、私の恋。


もう戻らない。私は夫の元へ戻り、彼の隣に横たわった。


明日からは、バルテル様の妻として、完璧に生きていこう。

彼の隣で、穏やかな家庭を築いていく。それが、過去を捨てた私にできる、唯一の償いなのだから。


翌朝、朝食の席で、バルテル様は紅茶のカップを静かに置いて言った。

「数日休みが取れた。新婚旅行に出かけよう」


私は驚いて彼を見た。

「……え?」


「北の離宮が空いているらしい。静かで、誰にも邪魔されない場所だ。君の心を乱すものは、何もない」


彼の申し出に、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


ああ、この人はやはり、優しい。私のすべてを理解してくれている。


私は静かに頷いた。

「はい……お願いします」


すると、バルテル様は満足そうに微笑んだ。その口元が、ほんのわずかに歪んだのを、私は見逃さなかった。


「ああ。君を、誰にも見つからない場所へ連れて行ってあげよう」


その言葉に、私はなぜか、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

彼の優しさは、まるで美しい鳥を金色の鳥籠に閉じ込めようとするかのような、静かな独占欲の色を帯びているように思えた。


こうして私は、過去との決別を誓った。

しかし、それは同時に、夫という名の、新たな謎に満ちた迷宮への入り口に立った瞬間でもあったのかもしれない。

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