第1章 魔獣被害を解決せよ 4
いつまでも廊下で話すのも、と提案したアインにより、ライルとミレイユは彼女の研究室に招かれた。四方の壁が戸棚に囲まれ、液体の入った試験管や魔導書などが陳列された部屋のなかで、唯一小綺麗に整理された応接テーブルを挟んだソファに通される。
「珍しく比較的綺麗だな。ストラスがいるからって気を遣ったのか」
「最近は気をつけてるんですー。いっつも一言余計!」
無遠慮なライルの発言に、ぶつくさ文句を言うアインだが周りを見れば整頓ができていないのはすぐに分かる。付箋の貼った資料が床に山のように積み重なり、作業机の上はペンや紙が散乱している。入室して物珍しそうに見まわしていたミレイユも、すぐに気づいたことだろう。
「って、そういえばケーキ! 買ってきてくれてもいいじゃない! 頼み込んできたのはライルじゃん!」
「次の頼み事は無償で良いって言ってただろ」
「うぐぐ……。確かに言ったけどぉ」
さらに不満をぶつけるアインは恨めしそうにライルを睨み付けた。その手のお盆にはコーヒーの入ったカップが3つと、個包装のチョコが積みあがった皿が乗っている。
「はい、ミレイユちゃん。ミルクとかシュガーも遠慮しないで」
「ありがとうございます! いただきます!」
ライルの隣に座ったアインは、向かいのミレイユにブラックコーヒーを差し出した。それを受け取って早速ブラックコーヒーを口にしながら、ミレイユは興味深そうにライルとアインを見つめている。
「ライルはいつもの」
「ありがとう。いただきます」
テーブルに置かれたカップを手に取り、ミルクの混ざったコーヒーを一口。まろやかな口当たりの奥に濃厚で特徴的な甘みと苦みが広がって一息つく。
「その、いつものというのは?」
「キャラメルとミルク少量。これが一番おいしいんだって。甘ったるそうと思ってたけど、これが結構いけるんだよね~」
アインは語尾を弾ませて、同じ配合のコーヒーを嗜んだ。それを見て、続けてライルの顔を見比べるミレイユは明らかに何か言いたげだが、ライルはチョコを口に運びながらせっついた。
「それで、アイン。例の件についてだが」
「あ……そ、そうですよね! 色々気になりますが……あの、まずは手伝ってくれるというのは! つまり、その」
「君が与えられた依頼。目下急増している魔獣による人的被害。それを魔導監察の視点で手伝えると思うんだ」
若干不安げに回りくどく尋ねたミレイユに、アインはストレートに答えた。途端にミレイユは晴れやかな笑顔をこぼす。
「本当ですか⁉︎ 凄い、どうやってでしょうか!」
「ふっふっふ〜。気になる? 気になっちゃうよねぇ。でも、まずは考え方の整理といこうか」
身を乗り出してまで喰いついたミレイユに、気をよくしたアインが含み笑いで告げた。餌を前にして待てを貰った犬のように気を落としながら、ミレイユは疑問符を浮かべる。
「考え方の整理、ですか?」
「まずは、あらましは聞いてるよ。ここ最近、漁に出ると魔獣に襲われる事案が急増。安全そうな地引網でも中型魔獣が引っ掛かった。これじゃあ漁が出来なくて漁師が困ってる。ひいては水産業に影響が出るかもしれない。だから、それを解決したい。だよね?」
「そうです! 皆さん困っていて……市民の皆さんの困り事を解決するのが守護者の役目だと思うんです!」
「なるほどなるほど。じゃあ、何をしたら解決になると思う?」
「……え」
表情を強張らせたミレイユを、アインの童顔ながら鋭い視線が射抜く。それくらいの答えを用意していなければ、引き受けるつもりはない。アインはそういう人間だ。
「……やっぱり海の魔獣が人を襲う原因を究明して、それを何も起きないように戻す。だって急に襲い始めたってことは、何か理由があるはずですから!」
「うんうん、それは間違いない。原因を断てば解決に近付くよ。でも、あたしが聞いてるのはそれじゃない。もっと具体的な方法だよ」
「そ、それは……」
答えを言い放った次の瞬間には、返された言の葉がミレイユに突き刺さった。弾んだ声音は固まって、斜め下に沈んだ視線が思考の海を示している。
そんな姿を見て、アインは口元を歪めた。
「プッ、あははっ! ごめんごめん、そんなに考え込まなくていいよっ。その答えはとっくにライルから貰ってたから」
「そ……そうなんですか!?」
「ああ、アインは魔導監察局の一員だ。そこに依頼するのなら、何を監察するかを指定する必要がある。それを予め調べておいてもらった」
驚愕を示すミレイユに頷いたライルが答える横で、腕を組んでしたり顔を浮かべるアイン。見た目こそ少女に近いが、頼りになる存在だ。
「改めまして、あたしの所属は魔導監察局の環境観測班の一員。ライルからはここ十二年の海洋観測データをまとめるように言われたんだ」
そう言ったアインは脇に置いていた書類を取り出して、ライルとミレイユの2人に配った。頭のページから文書とグラフで構成され、「セオリツ湾観測記録」と題されている。
「セオリツ湾の観測記録……。どのような結果が出たのでしょう!」
「その前に、まずこの観測記録はどんな趣旨なのかを説明するよ」
再び身を乗り出して食い付くミレイユを手の平で制したアインは、とくとくと解説を始める。
「もともとこの観測記録は、セオリツ湾に含まれる魔力を測定するためにあるんだ」
「魔力の、測定……ですか?」
「うん。大地に、空気中に、今この室内にも、魔力は目には見えないほど微小な魔素として漂っている。その力に作用させて発動するのが自然系統魔法。それは守護者なら知ってるよね」
アインからの確認に、ミレイユはおもむろに頷いた。その目は真っ直ぐにアインを捉えて、続きを待っている。
「自然系統魔法とかによって、魔素は消費されるけど、エウレスはまた魔素に戻り、大地に沈み、草花に吸い上げられて、動植物に届き、やがて人の身に蓄積される。そんな循環がとなっている」
「ふむふむ……。つまり、その観測ってことは、海の中の魔素を計測してるってことですか」
「端的に言うとそういうこと。より詳しく言えば、魔素の計測によって湾内の水流の流れや魔獣の生息域まで分かるんだ。前者で言えば水流による魔素の流動、後者で言えば魔獣の生活による魔素の増減によってね。そんな海洋状況の推移を観測する、それが目的なんだ」
アインの説明は一般的な知識の+αだ。詳細はより複雑なのだろうが大まかな理解は出来るので、深堀する気はライルにはない。ミレイユは説明が続く限り、聞きこんでしまうだろうから、コーヒーで喉を潤してから口を挟む。
「つまり、漁師を襲う頻度が多くなった原因があるなら、必ず魔素の観測結果に兆候が表れる。アイン、そんな兆候はあったのか?」
結論に迫る話を、ライルはアインの瞳を見つめて投げかけた。青と血色の視線が交差する。