プロローグ
渦は廻る。
巡り巡りて至るは、深い深い、夜よりも深い水の底。
渦はささやかな息吹となって、気泡を運んでいく。
終わりを指し示す、そんな夢を見る--
____
「全員下がれ!」
ライル・シュナイダーが呼び掛けた直後には、漁師の多くは両手で砂浜を掻きながら一目散に逃げ出していた。一先ず後ろにいれば護れる。
だが、一方で魔獣の襲来に腰を抜かした者もいた。海の回遊するシャーロ種は目の前の獲物に大口を開くが、ライルは間に合わない。
代わりに、呼び掛けた。
「ストラス!」
「はいっ! お任せあれ!」
シャーロ種の目前に飛び降りるは薙刀を振り下ろした女性。朱色のポニーテールをたなびかせながら、快活な掛け声を上げてシャーロ種の鋭利な牙を薙刀の刃で受け止める。
あちらは問題ない。他に逃げ遅れた者もいない。であれば、正面のオクト種を倒せば事は済む。
状況把握を終えたライルはポケットに手を突っ込み、取り出した8枚のコインを前方に放った。
「アドラス起動 【アイゼンシールド】」
詠唱と共にコインに込めた魔力が起動。コインを媒体に鉄の盾を形成し、眼前に迫った8つの触手を受け止める。
同時に駆け出したライルは伸び切った触手を右手の長剣で切り捨てながら直進し、最後にオクト種の脳天を断ち切った。
ゆっくりと崩れ落ちるオクト種の切断面から溢れる墨と青色の血から退き、魔法を使って長剣の汚れを落としたライルは同僚へと目を向けた。
「とぉりゃーー!」
精一杯の掛け声と共に振り回した薙刀がシャーロ種を横薙ぎに両断する。無傷での討伐。肌を汚しているのは全て返り血だろう。
内心安堵したライルは、砂浜に落とした鞄からタオルを取り出して、彼女に放り投げた。
「顔と武器を拭いてから来い」
「はーいっ!」
魔獣の討伐後も気後れも躊躇いもない。それを認めたライルは後方で控えていた漁師達の内、見知った男性に声を掛けた。
「全員無事だな?」
「あ、ああ。本当に助かった。まさか網に魔獣が引っ掛かってるなんて……」
中年の男性はライルにそう答えながら、砂浜に放り出されて波に煽られ続ける網を見つめた。
「地引網漁ですよね! 私見るの初めてです!」
「そうだろうな。だいぶ前に廃れたはずだが」
「アンタも知ってるだろ。最近船を出しても海は荒れてるし、魔獣に襲われることも稀じゃない。地引網ならどうかって思ったんだが……」
そこまで語り終えて男性は口を噤んだ。表情は重く、顔色は暗い。それから目の前の結果から気を紛らわせようとでもしたのか、ライルの隣の女性に目を向けて尋ねた。
「そういえばアンタは……新入りか?」
「はいっ! この度ーー」
朱色のポニーテールの女性が敬礼をしながら快活な声を飛ばした瞬間、重々しい吐息がそれを遮った。
「……もう嫌だ。最近何を獲ろうにも魔獣、魔獣! こんなんじゃ俺達」
「馬鹿野郎! 俺達ゃ、漁をするしか能がねぇんだ! まだ手がある足がある! だったらいくらでも獲れるだろ!」
「そんなこと言ったって……」
ライルの前の男性に檄を飛ばされたのはシャーロ種に襲われていた青年。それでも青年は弱音を見せる姿を見て、女性は胸に手を当てて顔を曇らせる。
「あ、あの。きっと、私達がーーぅっ」
女性が責任感に駆られて口走りかけたところで、ライルはその脇腹に肘を入れた。鈍い声を上げて眉を顰める女性を他所に、ライルは足元の鞄を拾いながら口を開く。
「魔獣も食えないことはない。2匹もいれば2日は持つだろ。この場は緊急対応ってことにしておく」
「……ああ、毎度悪いな」
漁師の男性が感謝を示す一方で、ライルは女性に帰宅を指示しながら最後に告げた。
「魔獣の討伐程度なら力になれる。そん時は声をかけてくれーー守護者ギルドに」