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第四話 天は二物を与えないと言いますから。



 その決心というのは、王太子宮のキッチンに忍び込むことだった。


 見張りの兵以外のほとんどが眠りについた夜半、リリーはこっそり部屋を抜け出す。


 なるべく音を立てぬよう、裸足でひたひたと廊下を歩く。幸か不幸か、王太子宮の兵はそれほど真面目じゃない。おかげでなんなく、キッチンへの侵入に成功した。


 重い扉を引いて、何とかできた隙間に小さな体を滑り込ませ、リリーはほっと息を吐く。それから、静かにキッチン内を物色した。


 白くてふわふわしたパン、新鮮な野菜や果物。スープはなかったが、冷蔵庫と思しき箱の中にはチーズやら、明日使うように仕込んだだろう肉の塊が入っていた。


 リリーは肉をじっと見つめたあと、パンに切込みを入れ、その隙間に薄く切った肉と、チーズを挟んだ。程よく脂がのった、いい肉だ。それを、戸棚の隙間に見つけた油紙に包み、人参と林檎と一緒に、部屋から持ってきた麻袋に突っ込んだ。


 次いで、ケースにあった空き小瓶に水を注ぎ、油紙を被せて紐で縛る。それも麻袋に詰めて、そそくさとキッチンを後にした。


 王太子宮の西の端にあるリリーの部屋に戻ってくると、煤けた暖炉に火を入れる。薪は、倉庫に積まれたものをいくつかくすねてきた。

 

 サンドウィッチを包んだ油紙ごと火に突っ込む。焼けるのが待っている間、麻袋から出したニンジンを、土を服の裾で拭って齧った。若干土臭いが、甘みが強くていいニンジンだ。


 がじがじとニンジンを噛んでいると、暖炉からいい匂いが漂ってくる。……もう良い頃合だろう。そわそわと両手を擦り合わせたリリーは、火ばさみで油紙の包みを取り出した。

 

 あち、あち、と声を漏らしながらこんがりと焼き色のついた包みを開けると、思わずよだれがこぼれ落ちそうな匂いが湯気とともにくゆりと登った。

 

 ゴクリと口にあふれる唾を飲み込んだリリーは、ほかほかなサンドウィッチを手で持った。ふうふうと、息を吹きかけ、ひとくち頬張る。


「あふっ、はふっ……っ! …………っ!」


 とろりと溶けたチーズの熱に悶絶しながら、水を入れた小瓶を煽る。なんとか熱を逃がし、また食らいつく。

 

 リリーは久々の美味しい食事に感動した。ああ、こんな御馳走は何年ぶりだろう。はさんだ肉の脂の、なんと美味いことか。


 温めたパンは端はカリカリしていて、中はリリーが使っている布団よりもずっと柔らかい。


 (味は適当なスパイスをかけただけだが……天才か?)


 今世で魔法の才に恵まれなかったのは残念だが、まさか料理の才能があったとは。天は二物を与えないというが、かつて大魔女だったリリーには当てはまらないのかもしれない。

 

 口いっぱいに頬張り、咀嚼をしながらリリーはふむと考える。

 

 どうせ、この傷だらけの身体ではまともな嫁ぎ先は見つからないだろう。そもそも、嫁ぐような歳まで生かす気があるのかも定かでないが。


 ならば、城を出て料理人として生きるのもありかもしれない。それとも、自分で気付かぬ才能がまだまだ眠っていたりするのだろうか。


 リリーが魔法を使えないのはきっと、天の神々が嫉妬したからにちがいない。


(ああ、才がありすぎるというのも罪深きものだな)


 満たされていく胃袋の底からふつふつと、活力と自尊心が湧いてくる。

 

 リリーには、たくさんの可能性がある。こんなに狭い城のすみっこで腐らせておくのは、あまりに勿体ない。どうせ、まともな王族としての将来なんてありはしないのだ。


 それに。


(あれこれ命令されるのも、考えるとき以外俯くのも、私らしくない)


 大魔女は、我慢というものとすこぶる相性が悪いのだ。






「あいたたたた……」


(しまった、食べすぎた)

 

 深夜の爆食を後悔したのは、明け方になってから。

 

 これまで清貧すぎる食生活を送っていたリリーの健気な胃袋は、ちょっといい肉とチーズの脂に耐えられなかったのだろう。それとも、生のニンジンを丸かじりしたのが良くなかったのだろうか。


 硬くて埃臭いベッドの上で腹を抱え、こめかみに脂汗を浮かべるリリー。先程から何度も、廊下にあるトイレと部屋とを行ったり来たりしている。ひと気のない西の端に部屋があったことをこれほど感謝した日はないだろう。


 しかし、じきにブリジットが来る。腹を抱えたまま倒れるリリーを見たら、何を食べたのかと疑うはずだ。


(くそう、薬草と魔法が使えれば……)


 リリーはギリ……と奥歯を噛み締める。二日続けて鞭で打たれるのはさすがに勘弁願いたい。


 しかし、リリーを起こしに来たブリジットは、ベッドに横たわる彼女を見て怒らなかった。


「そう。ならば今日はゆっくりしていなさい。食事はここに置いておくわよ」


 腹痛を訴えたリリーに、ブリジットはそう言ってすんなり部屋を出ていった。去り際、ブリジットの口元が緩むのを、リリーは見逃さない。


(あいつ、昨日の夕食になにか仕込んだな)


 昨日の夕食はなんだったか。リリーは昨晩メイドが持ってきた夕食を思い出し、そして鼻白む。仕込むも何も、パンにカビが生えていたし、スープが生臭かったな。瓶の水も何かが浮いていた。おまけに、ブリジットが置いていった朝食からもすえた臭いがしている。


 ついでに思い出したが、リリーはこれまでも何度か空腹に耐えかねてああいうものを口にし、腹を壊していた。そういうとき、ブリジットの機嫌が良ければはこうして放置され、悪ければ鞭で叩かれた。どうやら今日は、機嫌が良かったようだ。


 のそのそとベッドから起き上がったリリーは、鼻を摘んで異臭を放つ朝食を窓の外に捨てた。


 はからずも休暇を手に入れたわけだが、部屋とトイレを行き来するだけの一日になりそうだ。リリーはほとほとと涙をこぼした。




 リリーの記憶と感覚は、前世と今世のものが雑然と混ざりあっている。だからだろう、腹痛というのは出すものを出せば治るということを、すっかり失念していた。


 日が天辺を過ぎる頃には、腹の調子は随分と良くなっていた。今度キッチンから盗んでくるときは、脂の少ないものにしようと心に誓ったリリーは、カビの生えたパンを手に、こっそりと宮殿を抜け出したのだった。


 

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