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第一話 思い出しました。



 それは唐突だった。


 なんの前触れもなく視界がチカチカと瞬いたかと思うと、ぐらりと足元が揺れ、気づけばリリーは尻餅をついていた。


 ぐわんぐわんと揺れる視界。それが落ち着く頃、リリーは記憶の片隅に違和を感じていた。それは煮出した紅茶のように広がり、馴染んでいく。


(ああ、思い出した)


 埃をかぶった蝋燭台を見上げながら、リリーは自覚した。


(わたしは、魔女だ)


 それは、前世の記憶だった。




 前世、リリーは今のように離宮の端に追いやられた王女ではなく、大魔女と呼ばれ、さんざん周りにちやほやされていた小娘だった。


 魔法の研究が大好きで、文字通り真骨を捧げた。魔導書と結婚するのかと笑われるほど、魔法を愛していた。最期はあやふやで、いつ死んだのか定かでは無いが、百七十までは数えた記憶がある。充分、大往生したと思う。


 未練なんて、これっぽっちもなかった。

 なのに、これはどういうことだ、とリリーは床に臀をつけたまま、自分の格好を見下ろした。


 今着ているのは、サイズの合わないメイド服。袖や裾から伸びるのは、骨と皮しか無さそうな四肢。カサカサで潤いのない肌。きっちり三つ編みにしてまとめた髪も、染め粉と栄養不足のせいでパサついている。


 どこからどう見ても、不遇の王女である。


(ふむ……)


 どうしたものか、とリリーは思案する。


 リリーは今、齢八歳のか弱い少女である。


 王太子である父と離縁した母が、リリーを置いて母国に帰ってからずっと虐げられてきた。部屋を追いやられ、ドレスもアクセサリーも奪われ、食事を抜かれ、暴力を振るわれ……。


 ちやほやされまくっていた前世でも、それなりに嫌がらせを受けたことはあったが、ここまで粘着質ななかったと思う。


 まあ、部屋を追いやられようがドレスやアクセサリーを奪われようが正直どうでもいいが、まともな食事が貰えないのは困りものだ。


 朝と昼は基本貰えず、貰えてもカビの生えたパンや だったり。夜はそれに加えて、据えた匂いのスープだったり、もうそれ枯れてるのでは? と思うくらい萎びた野菜だったり。水が腐っていたこともあった。


 あのときは生と死を彷徨ったな、と思い出していると、部屋に近づく足音が聞こえてくる。荒々しく、品がない足音だなと思っていると、ノックもなしに古びたドアが、勢いよく開けられた。

 

「リリー、なにをグズグズしてるんです! 掃除は終わっているんでしょうね!」


 顔を上げて振り返ると、黒いメイド服を身に纏う、恰幅のいい女性が立っていた。メイド長のブリジットだ。


 ブリジットは床に座るリリーを見下ろすと、ぴくりと眉を動かした。彼女が不機嫌なサインだ。


「はぁ? どうして床に座り込んでいるの? ほら早く立ちなさい! 仕事はまだまだあるんですからね!」


 いちいち語気の荒いブリジットは、ぐいっとリリーの腕を強引にひっぱって立ち上がらせる。


 子供の関節は柔らかい。リリーは肩の痛みに顔を顰めたが、ブリジットはかまわなかった。それどころか「サボったりなんかしたら、また鞭で打ちますからね!」と怒鳴る始末である。


「このあとはマリアンヌと洗濯に行ってもらいます。それが終わったら王太子宮にある図書館の掃除。午前中に終わらせなさい。終わらなかったら……わかっていますね?」


 琥珀色の瞳がリリーを睨む。


(鞭で打たれるわけか)


 つくづく舐められているな、とリリーは心の内で笑う。

 

 父と祖父は魔法が使えぬリリーに関心がない。義母は蛇蝎のごとくリリーを嫌い、かつ見下している。部屋を追い出し、こんなくだらない冷遇を侍女やメイドに命じるほどに。異母弟も、そんな母につられてリリーを見下している。城で働く者たちには、義母たちが流す()のせいでリリーを“ハズレ姫”と呼ばれ疎まれている。


 この城に、リリーの味方は誰ひとりいないわけだ。


(まあ、新鮮……といえば、そうなんだが)


 人生というものは長く、さまざまな困難や、それという名の壁にぶち当たるものである。前世生きていた国には、山あり谷あり、という言葉もあった。


 前世ちやほやされまくっていたことを考えると、バランス的にはちょうどいいのかもしれない。この部屋も、素朴でこじんまりとしている……と考えれば、悪くない。掃除や洗濯といった仕事も、まともな王族ならできない貴重な経験だ。


 ブリジットに関しても、キンキンうるさい声は多少耳が痛くなるが、前世で死に別れた師匠を思い出して少し懐かしくなる。……もっとも、師匠は厳しいけれど道理の通った人であったが。

 

 それに、冷たい視線というのも……うむ、なかなかに新鮮。よくもまあ、いたいげな八歳児にこれだけ酷な仕打ちができるなと逆に感心する。


 こんもりシーツが積まれた桶を細腕で持ち上げ、よろよろと歩いていると、隣で同じくらいのシーツの山を抱えたマリアンヌが、何食わぬ顔でリリーの足をひっかけた。


「うわっ」


 リリーはべしゃっと転び、投げだされた桶は積まれていたシーツを放りだしてカラコロと転がった。蹴られた足首と、擦った膝が痛む。


 痛みで悶えるリリーに、マリアンヌは「なにやってるの、鈍臭いわね」と声をかける。


「あーあ、シーツが土まみれになっちゃって、これじゃあ洗うのが大変じゃない!」


 私は手伝わないわよ、と鼻を鳴らして、そのまま洗い場の方へ言ってしまった。


 取り残されたリリーはよろよろと立ち上がり、ジンジンと痛む膝を見た。するとやはり、膝頭から血が流れている。


「うわ、こっちもだ」


 肘も痛むな、と見てみると、血と砂が混ざって赤黒くなっている。魔法でどうにかできないものかと試してみるが、何も起こらない。魔力はあるような気がするのに。


 先程のマリアンヌと同じように洗濯物を抱えたメイドが何人か、リリーの横を通り過ぎていく。その際、ちらりとリリーと散らかった洗濯物を見るが、誰も何も言わないし綺麗に避けていく。関わりたくないのだろう。……たまに、わざとシーツを踏んでいくやつもいるが。


 リリーは苦笑しながら桶を拾い、シーツを集めた。


 洗い場に放置された洗い物。王太子宮から、リリーを追い越して運んで行ったメイドは、リリーがそこに着く頃には誰ひとりいなかった。


 いるのは、十人の王宮勤めのメイドだけ。皆、自分たちが持ってきた洗濯物を一生懸命洗っている。普通、王宮の洗濯物は王宮のメイドが、王太子宮のものは王太子宮のメイドが洗う。つまり、ここに放置されている洗い物は全部リリーがやらなければならないのだ。

 無茶にも程がある。


 王宮よりも量は少ないが、洗って擦って絞って干すまでを、齢八つの女児ひとりで全部やれと。

 もう一度言おう。無茶である。


 この細腕では濡れたシーツは持ち上げられないし、そもそも物干し竿に届かない。にも関わらず、図書館の掃除も含めて午前中に終わらせなければならない。……うん、鞭打ち確定だな。


 リリーは少し気分が重たくなりながらも、たらいに水を汲み、ザザザッと洗剤をぶち込む。そこにじゃぶじゃぶと洗濯物を沈めて洗っていく。洗濯板にごしごしと擦り付ける、実に原始的な洗い方だ。

 洗濯機はないのか、洗濯機は。


 どうやら魔法が発達したこの世界は、科学や魔道具の発展が遅れているらしい。王宮のメイドたちは魔法を使って洗濯をしているが、魔法が使えないリリーはこうして地道に擦り続けるしかないのだ。


 八歳児にこの仕事は荷が重すぎる。早々に腕が重くなり、痛くなってきた。午前中というか、今日中に終わるのかこれは。


「また意地悪されているの?」


 途方に暮れていると、細い手が伸びてきた。リリーが顔を上げると、お仕着せを着た若い女が、桶の向こうにしゃがんでいる。


 見覚えのある顔だ、とまだ整理のつかない記憶の中を引っ掻き回す。ああ、そうだ。ときどきこうして、洗濯を手伝ってくれる親切なメイドだ。たしか、王宮の……。


「リゼさん」

「最低ね、こんな幼い子に意地悪するなんて。恥ずかしくないのかしら」


 リゼは少し怒っているような顔で、布を洗濯板に擦り付ける。

 

「ありがとう、リゼさん」

「お礼なんて言わなくていいのよ。だいたい、こんな小さな子に仕事をさせるのが間違いだわ」


 それは確かにそうだ、とリリーは心の中で頷く。宮殿で、リリー以外に働く子供など見たことがない。城の方は分からないが。


「あなたを扱き使う上司はもちろん、あなたの親も何を考えているのかしらね」


 ぶつくさ言うリゼは、まさかその親が王太子宮の主だとは思うまい。


 そうだそうだ、と相槌が打てないリリーは、曖昧に微笑んだ。


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