淡い恋は十五分
学校帰り。ラナちゃんに叱られた。
「なんでもっと早く教えてくれないかなあ、プレゼント用意したのに」
「いいよそんなの」
「よくないよくない、あたしが困る。今日誕生日だとかフミちゃんさあ……」
それは他愛もない話の流れで。私は自分の誕生日を明かすことになったのだ。誕生日のことを、私はそんなに大事な日だと思ってないから、ラナちゃんの反応に驚いた。
「ごめん」
つい謝ったら、ラナちゃんはぷりぷり怒りながら、私に命じる。
「謝らないでいいから、もー! 今からなんか選んで」
「えっ?」
聞き返すと、ラナちゃんはあたりを見渡す仕草をする。
「なんかあるよね、帰り道。お店いっぱいあるし。選んで、今日買お! それプレゼントするから。なんでもいいから!」
「ええー?」
確かに、学校から駅に向かうこの通りには、いろんなお店が立ち並ぶ。さらにこの先の複合駅に着けば、そこはまるで巨大迷路。このあたりで見つからなければ世界中のどこを探したって、欲しいものは一生見つからないのではと思えるぐらい、ありとあらゆるものが集まる場所。
「でも、欲しいものって言っても」
私は困る。なんでもいいと言われても困る。なんでもよくはないから困る。まず第一にラナちゃんに買わせて迷惑じゃないもの。私たちは学生で、予算に限りがある。いっそいくらと予算を教えてくれたらいいのに。友達にプレゼントするものってどのくらい? 私があげるなら何にする? 本当に私があげる方なら、こうやって考えるのも幸せな時間だけど、もらう方が自分だと、なんかちっとも楽しくない。
「お、フミちゃんめっちゃ真剣に考えモード! いいものあった?」
「それはまだ」
とにかく何か手軽で、プレゼントらしくて、リクエストしてもラナちゃんに迷惑かけなくて、そこそこ私も欲しくて、もらっても迷惑にはならないすてきなものを、今すぐ思いつかないと!
んんんん、無理じゃない?
そんなものこの世に存在するの?
せっかくラナちゃんがこう言ってくれてるのに。それだけでめちゃくちゃうれしくて、なんなら本気で私、その気持ちだけで十分だよって言っちゃいそう。ラナちゃんが私の誕生日のこと、今一瞬でも考えてくれてるのが幸せすぎるのだ。
「ラナちゃんが買ってくれるなら、なんでもいいよ。なんならお気持ちだけで十分だよ」
「ごまかされないよ、フミちゃん」
そしてラナちゃんは、お気持ちだけで、なんて私の言葉じゃ許してくれないのだ。やっぱり。
迷いながら私は、何かないかと周囲を見渡す。夕方の繁華街。人も車もいっぱい。
すぐ近くの高架の線路を、電車が走ってく。まるでドラミングみたいな音が激しくなって、遠ざかる。そして見上げた空に、私はあるものを見つけた。
観覧車。
それはこのあたりのランドマーク。
そしてラナちゃんは、私の動きを見逃さない。私のちょっと前を歩いてたはずなのに。もしかしたら、頭の後ろにも目、ついてんのかなって思えるぐらいの反応速度で、私に言う。
「乗る? 乗っちゃう?」
ラナちゃんは私の見えないものまで見えている。視野が広い。きっと世界も広い。
「えっ、いいよ」
私は咄嗟に断った。
「これ恋人とかが乗るやつだよね、なんか特別なやつ」
毎日視界に入れて通学してる私たちには、身近すぎて遠い乗り物。
なのにどうやら、私の言い方がまずかった。
「特別だよ、フミちゃんの誕生日!」
ラナちゃんは興奮気味に声を上げる。私はますます慌てて、断ろうとがんばった。
「特別じゃないよ。誕生日なんて毎年あるし、これまでも何回もあったし」
だけど私がそんなことを言う間にも、ラナちゃんはなにやらスマホを操作している。あああ何してんの?
「もうチケット買っちゃった」
ラナちゃんは、スマホを私に向ける。画面には購入手続き完了の画面。二名分。
ラナちゃんは行動力の塊だ。考えながら動ける人、すごい。
でも買ってしまったなら仕方ない。私はラナちゃんに申し出る。
「私もお金払うよ」
私はチケット代がいくらか、見ようとラナちゃんのスマホをのぞき込んだけど、ひょいっとかわされてしまった。
「お誕生日の人は無料です」
ラナちゃんに言われて、私は目を丸くする。
「そんなのあるの?」
だったら甘えてもいいかもと一瞬思ったら、ラナちゃんがにひひと笑う。
「あたしが決めました」
「それじゃだめだよ、払うよぅ」
だけどラナちゃんは譲らない。強引にそのままどんどん、観覧車乗り場のあるビルに進んでく。
「お誕生日の人に発言権はありません」
もう観覧車は至近距離。頭かっくん曲げてもてっぺん見えない。
「お誕生日の人、立場弱いのなんで」
もうこれは、私が何を言ったところできっと無駄。ラナちゃんが止まることはなさそうだ。
諦めて到着した観覧車乗り場。数組のお客さんが、ゴンドラが回ってくるのを待っていた。そこに並んだ私たちの後ろにも、すぐに別のお客さんたちが並ぶ。
挟まれちゃって、うん。もう逃げられない感じ。
「順番きたね、乗って乗って」
ラナちゃんのスマホのチケットが認証されて、私たちは観覧車に進む。ラナちゃんに背中をリアルに押されつつ、私はゴンドラに詰め込まれた。
案内係のスタッフさんが、扉を閉じて見送ってくれた。行ってらっしゃいの言葉と一緒に、地面から私たちは浮き上がる。
もう戻れない。
「乗っちゃったよ」
「乗っちゃったねえ」
ふたりで気の抜けた声を上げて、それぞれ向かい合う席にひとりずつ座った。
窓の外をゆっくりと景色が移動してゆく。一周十五分の、空中散歩。
「初観覧車」
私が呟くと、ラナちゃんも言う。
「あたしも初めて」
「そうなんだ」
それはちょっと意外だった。チケット買うのも手際良すぎたし、これまでにも乗ったことあるんだとばかり。それこそ他の友達とか。……恋人、とか。
ラナちゃんは社交的で、たくさん友達がいるからなあ。
たまたま、帰りの電車の向きが同じだから、学校帰りは一緒になることが多いけど。
ていうか。それだって。
なんで一緒にいてくれるんだろうって、いまだに不思議に思ってたりもするんだけどね。
ふと窓に向けてた視線をゴンドラの中に戻す。
窓の外を見てはしゃぎ回ると予想してたラナちゃんが、静かなのも気になった。
ラナちゃんはいつになく真剣な表情、っていうか。
「なんかラナちゃん震えてない?」
ゴンドラの揺れとは違う振動を察知して問えば。
ラナちゃんは思いがけないことを言う。
「いやちょっとあたし高いとこ苦手かも」
「えっ、今さら?」
それも意外だし知らなかった。なんか勝手に、ラナちゃんは高いところ大好きなイメージだったから。違うよ別に煙とアレは高いところ好きみたいなことわざじゃなくて。ごめんねラナちゃん。だってラナちゃんはピカピカキラキラ。地面じゃなくて空に住んでる生き物っぽいから。
だからなんか高いところ好きそうだなって。
「苦手なのに、なんで乗ったの?」
「え、フミちゃんが誕生日だから」
「え? 私のせい? ごめん」
ちょっとしょんぼりしかけたところで。ラナちゃんは突然席を立つ。ぐらりとゴンドラが揺れて、ラナちゃんは前の席から私の隣に、移動してきた。
「責任とって手つないでて」
私の隣にラナちゃんの温度。そして片手はぎゅっと握られた。
「手、つないでたら大丈夫?」
「大丈夫じゃないけどがんばれる」
ラナちゃんは本当に怖そうな様子で、緊張して表情も固くなってる。それが珍しくて、いつもからかわれてばかりだから、たまには私がからかってみようなんて。悪い気持ちがわいてきた。
「手、つないでたって。落ちたら死ぬよ」
ラナちゃんに囁いたら、肩がびくって震えてた。そして、
「落ちるとか言わない!」
叱られて、私は苦笑しつつ謝る。
「ごめん」
やっぱ慣れないことはしちゃだめだな。ラナちゃんをからかって怖がらせても、申し訳ない気持ちになる。もっかい謝ろうかと、ラナちゃんの顔を見たら。
ラナちゃんも私を見て、言った。
「でも落ちてもいいよ。フミちゃんと一緒なら」
つないだ手にぎゅっと力を入れたのは。私かな。それともラナちゃんだったかな。わからないけどくっついた手のひらは、とてもとても、熱い。
私もラナちゃんと一緒なら、落ちてもいいと思ってしまった。
だけどそれを口に出してはいけない気がして、私は息を飲み込んだ。それできっと変な顔になっちゃってたのかな。ラナちゃんに、心配そうに尋ねられる。
「あ、ごめんフミちゃんまで怖くなっちゃう?」
私は動揺しながら言葉をつむぐ。
「ん、なんか。怖いって言うか、緊張? ラナちゃんのが移ってくる感じ」
「あー、こういうのって。集団ヒステリーとか集団幻覚とかのやつじゃない?」
「よけい怖いよ」
言いながら、ちょっと笑ったら力が抜けるのがわかった。やっぱり、伝わるのかな。ラナちゃんの表情も私に合わせて柔らかくなる。
「じゃあ深呼吸とかしとく? 一緒に、リラックス」
私たちはゴンドラの中の空気を胸いっぱい吸い込む。今吸ってるのってきっと空の一部分。私たちの体の中に、夕暮れの空が入っていって。
「はー」
そして地上から持ってきた、重たい空気が出ていくイメージ。
「はい、もっかい! ひーひーふーのやつ」
ラナちゃんはすっかり調子を取り戻し、変な合いの手を入れる。深呼吸を邪魔されて、私は我慢できずにふき出した。
「やめてよ笑かさないでよ。しんこきゅうむり、ラナちゃん変顔やめてあははは」
高度が高いところで笑いすぎて呼吸困難になったら、地上でなるより空気が薄いから重症化しそう。そこまで影響ないか観覧車の高さなら。
笑ったおかげでリラックスした私たちは、ようやく外の景色に目を向ける。てっぺんは、もうすぐ。
「そうそう、高いとこからだと、いろいろまとめて見えるから。フミちゃんの欲しいものも、見つかりやすいかと思うんだけど、どうかな」
「だから観覧車乗ったわけ?」
「そう。今思いついた、一石二鳥みたいな」
「え、今思いついたやつなんだ?」
ラナちゃんにツッコミながら、私は地上に目を凝らす。
でも、ここからじゃ小さすぎて見えないんだよね、ディスプレイの中は。何の店かもけっこうあやふや。
顔を動かしたら隣にいるラナちゃんだけが私と同じ縮尺で、私にふさわしい大きさのものはラナちゃんしかこの世にいないような錯覚。
だから私の欲しいものは、と考えて。
そんなふうに考えてはいけないよと、理性が囁くので慌てて顔を背けようとしたのに。
外の景色のその前に、ラナちゃんが割り込んでくる。
「あっち霧出てるね。雨降ってんのかな」
示された空の向こうは白くぼやけてしまってる。
「そうだね」
私は窓の外を見るふりをして、至近距離にいるラナちゃんを見ていた。
今の位置は近すぎる。
少し離れてるぐらいがこっそり眺められていいのにな。
私は教室の席を思い出して、欲しいものから目をそらす。
私がうつむくのに合わせたみたいに、観覧車はゆっくり下に進み出す。
「あ、もう下がってる。地上に戻れるよ」
「なんかそれはそれで残念。せっかく慣れたのに」
慣れた、とは言うけど、ラナちゃんはずっと私と手をつないだまま。ずっと怖いの我慢して、一緒にいてくれてありがとう。
「ラナちゃんの誕生日にも、観覧車乗りに来ようか?」
もらいっぱなしじゃ嫌だから、ラナちゃんに尋ねてみる。すると返ってきたのは疑問符だった。
「フミちゃんあたしの誕生日知ってる?」
「知ってる……」
ラナちゃんのお誕生日は知ってる、たまたま別の子と話してるのが聞こえたから。
漏れ聞こえちゃった個人情報。大事に胸の中にしまってる。
だけどしまった。これ、ラナちゃんには言わない方が良かったのかも。
私はしどろもどろに白状する。
「前に、皆と、話してるの聞こえたから、盗み聞き。ごめん」
今日何回目かのごめんに、ラナちゃんはキラキラした顔で笑う。
「なんで謝るかなあ、めちゃくちゃうれしいよ。フミちゃんあたしの誕生日覚えててくれるとか。うれしー」
そして本当にうれしそうに言うのだ。
「フミちゃんとなら、観覧車。また乗りたい」
ラナちゃんは怖いはずの観覧車を嫌がることもなく。むしろ私とならと限定されて、ひどく胸がぎゅっとした。
ラナちゃんが窓の外を示して問う。
「ねえ、あの列なんだろ?」
見れば、ひとつ向こうの通りに、ぽつぽつと人が並んでる。この位置からでは何を売ってるかまでは見えないけど。雰囲気からするとスイーツ系のお店っぽい。
「なんか新しいお店かな? 行ってみよっか?」
「うん! やった、プレゼント見つかったね」
「いいよ。観覧車もらったし、もう」
「だめだよ、あれもプレゼントする!」
こうなるとラナちゃんは私の言うことなど聞かない。まあいいか。私は苦笑しながら、心の中ではめちゃくちゃ、よろこんでるし。
「何屋さんだろうね? 見える?」
「待って待って、あの色と形……?」
ふたりでガラスに顔を近づけて、お店の様子を窺う。いつの間にか手をつなぐのも、ぴったりと頭を寄せ合って話すことにも慣れてしまってる。
きっと観覧車を降りたら、またちょっと離れてしまうけど。今は当たり前のこの距離に、胸をときめかせる。
「降りたくないね」
ラナちゃんの呟きに、私も一緒にうなずいた。
(淡い恋は十五分/終)