3. 『シュクルラウドの森』
「さっさと消えてくれ。鬱陶しい」
「ぁぐぅ……っ!」
――彼は、男に手で作った銃を当てた。
「ぉ――ぶぇ」
その途端、男が嘔吐した。
周りに、吐瀉物が広がる。
「――ぅ。ぐぅっ――ぁ」
のたうちまわり、苦しそうに嘔吐する。
そして――
「う」
叫び声が、こだました。
「うっ、うわぁぁああ!!何しやがった!」
額を抑え、顔を抑え、腕も抑える。
顔を掻きむしり、掻き傷から血が溢れ出した。
男は見たまま。狂気に染まった様だった。
そのまま、暴れ狂った後に、息を切らした。
「いっ、嫌だぁぁあ!し、死にたくな……あああぁぁぁぁぁ……」
最後まで言い終わらずに、男は泡を吹いて気絶する。
時間が停止したかの様に、ピクリとすら動かない。
その間、原因となった彼は、面倒臭そうに服の汚れを払っていた。
黒髪を弄り、まるで意に介していない様子が見て取れる。
「……ようやく静かになったか」
少しずつ話し始めたのは、何分経った頃だろうか。
失神している男を見下す目つきで、軽く睨む彼を、呆然と見ているのはスピカだった。
「誇りのかけらすら、感じられないな。お前は何をしたいのか、理解に苦しむね」
返事の無い男に向かい、彼は軽蔑した様な物言いをした。
無言の男を、軽く足蹴にする。
返答も無いと、独り言を言っている気分になったのだろう。
暫くすると、彼は帰ろうとした。
しかし、スピカは恩人を黙って返すほど恩知らずでは無い事を、伝えておこう。
「あ、あの……。ありがとう」
死に直面した自分を、助けてくれて。
何も出来ないまま、終わらない様にしてくれて。
複雑な気持ちをそのまま吐き出せずにいるが、真剣な表情を崩さない。
自分が救われ、助けられたのは事実なのだから。
真摯な気持ちを込めて彼を見据えるが、彼自身、空を見上げて、此方を見る様子すら無い。
彼は視界にすら入っていない様に無視を決め込んでいる様だった。
あまりにも酷である。
人が、精一杯の礼を述べていると言うのに。
彼は、ある事に気付いた様で、全く気にしていなかったのだ。
「エルフか。こんな路地裏で、警戒心すら無いとはな。先が思いやられる」
「あなた、私がエルフって知ってるの?」
まさかのフードが落ちていた……みたいに、ありがちな展開を望んだ訳ではないが、残念ながらそうでは無い。先程の男と言い、フードの無意味さを知る事になるとは、思わなんだ。
「全員が全員、分かるわけじゃない」
無愛想に一言放つ彼に、スピカの天性である好奇心が頭を出した。
「あなた、名前はなんて言うの?」
ありきたりな質問だと思う。
だが、それでも良いと思った。
彼の名前が出たら、自分も言おうと。
もしかしたら、異世界初めての友人になれるかもしれないと、本気で思った。
しかし、彼は鼻で笑う。
「名前を教える義理はない。一々面倒な事を聞くな」
その言葉で、スピカの闘争心に火がついた。
「あら、名前も言わずに無口って、随分やりづらい人よ。愛想の一つでも付いたら?」
「ふん」
皮肉って言ったものの、あまり効力は無さそうだ。
逆に、彼が鼻で笑うと、如何にも馬鹿にされてる感が増す。
そしてそれは、スピカの逆鱗に触れた。
「もう!どこの誰なのか分からないと、お礼のしようがないじゃないの」
全くの逆ギレだ。
だが、そうなる程、彼は人の怒りを買う手は一流だった。
「礼なんていらん。偶々通りかかっただけだ。お前が魔法を使ったあたりから、見過ごす事も考えたが」
魔法を使ったといえば、かなり前だという事を思い出す。
「そんな前からいたのに、見物してたの!?」
「ああ。そうだな。『見過ごすも良しで、見物も良し。但し夢見が悪くなる』って言うしな」
「ここの、ことわざって本当に教訓入ってる!?」
『高見の見物』の様なことを言われ、大変気分が悪い。
「お前、怪我したのか」
「え?」
まさか。
彼に言われて、視線を腕の先に持っていく。
見ると、男に掴まれた腕に爪が立っていたらしく、血が滴り落ちていた。
「あ……」
辛うじて服には付いていなかったが、認識と同時に痛みを感じる。
「痛っ」
反射的に腕を抑えた。
手に血が滲む。
「うぅ。全く気が付かなかった」
顔を歪めて痛みを表現する。
小さな傷だが、男の尖った爪が食い込んでいたのか、威力は絶大だ。
彼は、それを見ていられない様だった。
少し眉を寄せていた。
「はあ。全く。どうしようもないな」
溜息を吐いた彼は、少し青めの黒瞠を瞑る。
人差し指をスピカの傷口に当てる。
そして、やれやれと口を開くと、技名を口にした。
「リュルリアル」
彼の指先が、青く光る。
そして、小さなその光で、スピカの腕をなぞる。
すると青白い光が漏れ、傷口が塞がっていく。
最後には、跡すら残らずに回復した。
「治癒、魔法……?」
辿々しくも声に出す。
治癒魔法と呼ばれるそれは、回復に特化した魔法――さらに言えば、回復のみに当てられる魔法。
異世界では、あるあるの一つに数えられると言えよう。
「あなた、治癒術師なの?」
双眸を見開き、彼に問いかける。
「正確には、治癒術師の中の回復特化だ。治癒術師はそうでも、争いで低下された能力の治癒――能力特化と、身体の治癒――回復特化があるからな。そのくらい知ってるだろう」
思わぬ発覚に、目を瞬く。
「俺に、魔法攻撃の才能はないから」
それは、彼なりに苦悩の末なのだろう。
話す事を放棄した顔に、スピカは申し訳ないと罪悪感が生じる。
「何か、ごめんね?悪いこと聞いたわ」
「別に良い」
顔を晒すと、彼は歩き始めた。
「聖都から出るぞ。どんな輩がいるか知らん。さっきの奴みたいに、『エルフ迫害組織』もいるかもしれんしな」
「『エルフ迫害組織』?」
スピカもその後に続く。
「エルフに対抗する集団だ。通称『迫害組織』。そんな事も知らないのか」
「む。煩いわね。『屋敷の中にいる者は、美少女であり無知』って、私の故郷ではよく言うわ」
正確には、『井の中の蛙、大海を知らず』だが。
この際、どうでも良いというのが、スピカの弁である。
「お前が美少女……。――無いな」
「酷い!そんな事言ってたら、好きになる人なんていなくなっちゃうわ」
「恋愛には、興味が無い。心配するな」
「皮肉で言ったのよ!?」
皮肉が通じない人である。
スピカは不満そうに口を曲げる。
「本当に意地悪な人!聖都に、何の用があったのかしらね。どちらにしても、用件を承った人は不幸だわ」
懲りずに皮肉を重ねる。
「聖都には、行ったことがない。あそこにいたのは、ただの偶然だ」
「へぇ、そんなの。どんなご用事?」
「『シュクルラウドの森』に用があった」
早足になる彼を、スピカは懸命についていく。
「何のために、その森に行ったの?」
「人には、事情があるものだ」
暗に話すつもりは無い、と言われ、スピカは疎外感を感じる。
しかし、少し気分を害すが、それ以上追求するつもりは毛頭無いし、聞いたとして、それは空気を読めない行いだ。
するべきではない。
「ふーん。そう。まぁ良いわ。それで、今どこに向かってるの?」
「は?そんな事も分からないのか?」
「見るからに驚いた様な顔されると、ちょっと居心地悪いんだけど……。実はそうなの」
歩き続けている足を止め、行き先を聞く。
今更!?と言われても否定出来まい。
どうか、ご了承を。
「ここの道に続くのは、『シュクルラウドの森』しか無いぞ」
「さっき言ってた?」
「そうだ」
先程、話に出てきた『シュクルラウドの森』。
名前からして森なのは分かるが、そもそも異世界の森というのは、果たしてスピカの認識通りだろうか。
「その森に、何で行くの?」
「聖都を抜けるのに、あそこが一番良い。近道だからな」
「そうなの」
異世界の地図は分からないが、少なくとも彼の言う事は正しいのだろう。
他にいる人々も、『シュクルラウドの森』に向かっている様子だ。
完全に、安心しきっていた。
「ついた」
「ここ!?ちょっと待ってっ」
『シュクルラウドの森』は、イメージとは真逆だった。
森というイメージには沿うものの、少しばかり……少し……かなり……とても暗い。
しかも、森の手前まで来たものの、森に入るのは、ほんの10分の1程の数だ。
――不安要素しかない。
「本当に、ここを抜けるの?」
「嫌なら、遠回りでも良いんだが?」
「抜けましょう!!」
不安を脅迫で縛られる。
さすがに彼のやり方は残酷だが、確かに遠回りは御免である。
「ちょっと暗いけど、見た目は森だし……。他の人もいるし。大丈夫、大丈夫」
自ら落ち着かせ、気合を入れる。
メイヴと会った場所も、暗闇だったはずだ。
その時、平気だったでしょ?スピカ。
暗さなんて、怖くない、怖くない。
「何を言ってるんだ?気味の悪い奴だな」
「落ち着かせてるの!」
大分落ち着いてきて、軽口を叩ける様になった頃、足を森に踏み入れる。
湿った土の匂いがして、入らなければ良かったと後悔する。
しかし、彼の手前、退く事はできない。
絶対後で皮肉られる。
「わ、わー。凄いわー」
「棒読みだぞ」
「揚げ足取らないでっ」
容赦の無い人である。
人が頑張っている時に。
――がぶり
「もう入り口が見えないわ」
「そうだな。中間に入ったか」
――がぶり
「早く出口見えないかな……」
「まだまだ、だぞ?」
「む」
――がぶりがぶりがぶりがぶり
「――ぁ」
隣の彼が疼く。
「なぁに?どうしたの――?」
スピカも、その肩を見て絶句した。
「ガルルルゥッ」
「ァァヴヴ」
――大きな獣の群れが、彼の肩に噛み付いていた。
「ヴァヴウウッ!」
獣が、彼の肩からその鋭い牙を抜く。
「ぐっ……」
彼は耐えきれずに、膝をついた。
相当応えたようだ。
「ヴヴ」
獣が唸り、臨戦態勢を取った。
「しっかりして!!」
その獣の間を抜け、スピカは駆け寄り、彼の肩を止血する。
しかし、それも効果がない。
原始的な方法で止めても、治癒魔法には敵わない。
頭で理解する内容と、目の前の状況と。
それが噛み合わず、無我夢中で肩を抑える。
「どうしようどうしようどうしよう!!」
顔を歪めつつも耐えている彼に、自分が出来ることは?
自分に治癒魔法は出来ないのか。
あの獣は、どうして彼を噛んだ?
手の隙間から溢れ出す血を、懸命に抑える。
思考から出る疑問を後回しに、救護を行う。
――彼の鮮血が、辺り一面に広がっていた。