2. 『最悪の死を間近に』
――茶色い建物が続く街を、スピカはひたすらに歩いた。
「うわ!茶色い建物ばっか!凄〜い!あ、でも屋根は違う色なのかー。凄っ!白色もある……。アンティーク風を守り通せばいいのにーって思うけど、さすが異世界ね!」
周りはアンティーク調の建物で埋め尽くされ、肝心の道には、丸い小石が敷き詰められている。
「不思議な馬車〜。グリフィンが引いてる〜!だけど、個人的にペガサスじゃないから減点対象って言われちゃうかも」
軽口を叩いて、街並みを楽しむ。
国の主な都市であろうこの街では、何せ人が多く、馬車も多い。
街行く人々が、何事かと振り返るが、スピカは気にせずに探索する。
「やっぱ、異世界だ〜。テンションが上がっちゃうっ」
異世界の生活に、スピカは胸が躍った。
伸びをして、ぶらぶらと散策を続ける。
グリフィンの馬車、アンティーク調の数々。
それらは、ラファニア聖国の雰囲気を作り出していた。
「聖国って言ってたから、てっきり、ギリシャ風みたいな神殿があると思ってたけど、そんなことはないのね」
綺麗に光る建物を見つめて呟く。
「わーい!」
すぐ側を、亜人の少女が通りかかる。
そのすぐ後に、買い物に来たであろう人の姿も。
小さな子供も見かける。
沢山の人々を見かけ、現実世界と身なりの違いに気づく。
「うん。異世界あるある1。服装が、ちょっと不思議。面白い格好なのよね」
自分の服をつまみ上げ、ひらりと回ってみる。
この世界では普通に着る服装であろう服は、現実世界では見ることの無い装いだった。
「メイヴ、身嗜みだけは、ちゃんとやってくれたのよね」
大きなお世話……と言いたいところだが、行き交う人達に怪しまれないので、そこは素直にお礼を言おう。
何せ、服は勿論のこと、髪型までセットされている。
髪の毛先は少し水色に染まり、先程池で見て確認した瞳の色も、アクアマリンの様な色をしている。
服はレースの白い服。
おまけと言っては何だが、尖った耳に、背中に付いた青色の羽。
「ご丁寧なのか、そうじゃないのか。エルフの耳と羽を隠すフードまで装備してくれちゃって……」
エルフだとバレて仕舞えば、周りがまた土下座をする羽目になる。
当人としては不快ではないが、一応、周りのことも考慮しようという考えだ。
フードを深く被り、街の探索を再開した。
通りには、グリフィンの馬車が通る。
街は賑わい、人口が多いのはすぐに分かった。
さすが――
「さすが――。えっと、ここは、王都……?帝都……?聖国だから聖都……?どれだか全然分かんない」
見るからに首都な感じがするが、ラファニアでは何というのだろう。
教養の差を感じられる。
そして、数々の店を見て回るうち、文字についても気づくことがあった。
「異世界あるある2。言葉は通じるのに文字は読めない。なのに、何故か内容は頭に入ってくる。ちょっと気分悪いかも」
メイヴの言っていた通り、言葉は通じ、文字も理解できるが、方法が怖すぎて逆に困る。
「お前、何やってんだ?」
「あ、いえ。何も」
隣の男性に声をかけられ、単調な答えを返す。
「だったら、ちゃんと前見て歩けよ?『道行くは人生を行くが如し』っていうからな!後、下を向いて歩くのは止めろよ?それ、相手を侮辱する仕草だからな」
肩を叩いて男性は去る。
「異世界あるある3。文化の違い」
男性が居なくなると、スピカは大きく溜息を吐いた。
「仕草とか、気をつけないと。左手の中指立てるみたいに、変な意味になっちゃうかもだしねー。ちょっと不便」
慣用句やことわざの違いと同じく、仕草にも気をつけた方が良いだろう。
改めて教訓にするとして、通りの角を曲がる。
大通りと裏路地の境目に差し掛かった時。
――♪♪〜♬〜〜♩♫〜〜
突如、チェンバロで弾いた様な音楽が流れ、それに釣られて大通りに出る。
通りの中央には、楽器隊が曲を奏でていた。
ストリートミュージシャン、といったものだろう。
傍には、シルクハットの帽子が逆さに置いてある。
その中に、見慣れない小銭が山ほど入っていた。
それもその筈。中々に上手い。
思わず聞き惚れ、時間を忘れる。
静聴している民衆も、時間の流れが止まっている様だ。
「続きましては!チェンバァノによる、曲名『シュシュア』!」
曲が終わり、宣伝者であろう、その人の声を聞くと、またチェンバロ――チェンバァノの奏者が弾き始めた。
――♬♪〜〜♫♫〜
「異世界あるある4!名称の違い。それにしても、素敵!」
音楽のせいか、興奮した顔でスピカが呟くと、宣伝者が声を掛けた。
「『シュシュア』は、家柄のせいで断絶された二人の恋人の彼氏が恋人……シュシュアの元に通い、夜に密かに会い、逢瀬を楽しんでいた、と言う意味をこめたんですよ〜!素敵でしょう?」
美しい恋物語に、スピカも乙女心がくすぐられた。
♫♬♪〜♩♩♫〜――
演奏が終わり、観客の拍手が大通りに鳴り響く。
逆さになったシルクハットの中に、大勢が銅貨や銀貨を入れていった。
だが、スピカの手元には銅貨どころか、一円すらない状況である。
「む」
後ろめたい気持ちではあるが、仕方なしに大通りを離れる。
「またぜひ!お聴きにいらして下さい!」
いつかまた聴きに行き、次こそはその帽子の中に金貨を入れる、と決心した。
「あ、異世界あるある5。貨幣の価値が違う!」
側にあった洋服店を覗き込み、うっ、とうめき声を残して、値段から目を逸らす。
『26リュト』『31リュト』『19リュト』
「ぅ。意味わかんない……。でも、とんでもなく高いのは、見て取れるっていうか……」
周りの人達は、気に入った服を見つけた後、値段を見つめて帰っていく。
この服は、庶民には優しくないらしい。
買う人も居そうだが、かなりの大金持ちか、権力者だろう。
綺麗な服に後ろ髪を引かれつつも、諦めて出る。
後ろで、買い物客であろう人達の声が聞こえ、その人達がレジに行く様だったのは、周りの響めき、と言っておこう。
「了解!26リュトな!あー。50リュトしかあらへん!24リュトお釣もらえるやろか」
「50リュトって……!」
スピカは立ち尽くす。
周りも、さらに驚いた様だった。
価値は存じ上げないが、相当な金額らしい。
「も、申し訳ありません、エルフ様……。当店には、24リュトもなく……」
「えぇ!?どないしょう……」
エルフという単語も無視できないが、それ以前の問題だ。
スピカは、大金持ちであろうその人を凝視する。
「わ。関西弁がここで聞けるとは……!凄い……」
懐かしの関西弁。
後ろから見る彼女の声は、透き通る様な声だった。
若草の髪に、緑色の羽。
彼女は二人で店に来ているらしく、隣のもう一人もエルフだった。
隣のエルフは藤色の髪に、さらに薄い色の羽がついていた。
「エルフって、沢山いるのね」
無論、周りの人々は凝視した後、二人に頭を下げている。
「あ、せや!ミリュウさん!26リュト貸してくれへん?」
「おや、悪いけどウチも持ってへんさかい、貸されへんのどすえ……」
京都弁のミリュウと呼ばれたエルフは、困った様な声を出した。
それに驚いたのは、若草色の髪のエルフ。
「えぇ〜!?ほんま!?ミリュウさんも持ってへんて……。どないしたらええの?」
「せやったらな?明日また来たらええんどす。すぐには売れへんやろ」
「えーっ!えーっ!」
服が相当気に入ったのか、一向に離れようとしない彼女を宥めるのは、少し……。かなり……。……。……とても大変そうだ。
スピカは、藤色の髪のエルフに同情する。
梨花も同じ性格な以上、こういう事は多々あったが、対処法として無視&放置だったのだ。
そう思うと、彼女は中々にお節介と言える。
――「お、いたじゃん。あいつか」
思案するのに夢中になりすぎて、周りが見えていなかった。
スピカは、背後の人影に気付かなかったのだ。
エルフに夢中になっているスピカを、人影が襲う。
まるで、迷える子羊を、喜んで狼が喰う様に。
「ねぇ、ねぇ。ちょっと、こっちおいでよ」
「え?あっ、きゃっ」
叫べたのも束の間だった。手首に痛みを感じる。
気味の悪い男に引かれ、裏路地へ連れ込まれていることを、即座に理解した。
狼は、子羊を逃そうとはしない。
人混みの中で連れ去られ、必死に動こうとするが、全く動かない。
「大丈夫だからぁー」
「いっ、嫌あっ!は、離して!警察を呼ぶわよっ」
「ケイサツぅ?へぇ、それは彼氏か何かかなぁ?」
「嘘っ!警察が通じない世界なの!?」
いや、警察が通じない世界があるものか。
名称が違うだけで。
「き、騎士を呼ぶわよ!」
「はぁ?騎士ぃ?お前、何者なんだよ?騎士なんて滅多なもん、来るわけねぇだろ」
騎士はある様だが、これも通じない。
八方塞がりということわざが、これだけ似合う場面は、またと無いだろう。
手首を動かしても、体を振ってもびくともしない。
動こうとすれば逆効果。
さらに締め付けられ、奥に連れて行かれるだけだ。
足が引きずられて痛い。
助けも呼べない。
大声を出そうにも、口を抑えられていた。
いよいよ、行き止まりになる。
立ち上がったままスピカを下にして、男は壁に手をつく。
必死に声を出して、嫌味をぶつけた。
「壁……ドンなら、もっと……イケメンの…人にやって貰いたかっ…たわ」
「お前、今失礼なこと言ったろ」
男が前に乗り出し始めた動作に合わせ、スピカは下に下がる。
男は、さらに前のめりになる。
「動くなよぉ。お前に用があんだって」
「な、なに……?」
手から口を解放し、男は小声でスピカに用件を伝える。
男から出てくる声も、薄気味悪いものだった。
「怪しいもんじゃねぇって。ある人に人探しを頼まれててだから――」
「やーぁっ!」
冷静に聞けば分かる話ではあるが、スピカも冷静ではいられないと理解して欲しい。
手の先から甲にかけて、大きな水の球が包む。
そして、内側にあった空気が膨らみ、水を押しやった。
ところが、水を内から全て消す前に、勢いを失う。
水で空中に、球を描いている様な形になる。
スピカはそれを、男に向かって放った。
水の球は相手の溝落ち辺りを、直撃する。
これは、魔法というやつだろうか。
「ぐぇぁ――っ」
あまりの激痛に耐えられないのか、男は膝をついて屈む。
暫く、痛みに悶絶したようだった。
――今のうちに。
スピカは、男の横を通り抜けようとする。
しかし、耐えられないのも束の間、男はスピカが逃げる前に立ちはだかった。
「もう…っ、怒っ……た!塵になれぇぇえ!」
「ひゃ――っ!?」
男に銃を突きつけられる。
恐る恐る両手を上げた先には、男の怒りの形相がいともはっきりと見えた。
「あ、あの……」
「嬢ちゃんよぉ、今度街で散歩する時があったら、気をつけなぁ。一人で歩くもんじゃ、ねぇっての。――エルフが」
「!!」
エルフと知っていながら、男はスピカを殺害しようとしている。
これは本当に絶体絶命だ。
死を覚悟する。
目を堅く瞑り、息を止めた。
が。
――「ハハッ。銃じゃつまらねぇや。すぐに殺せちまうからなぁ」
男は何の気まぐれか、スピカの額から銃を離す。
そして懐から――鋭利な刃物を取り出した。
スピカは、微かな怒りを覚えた。
銃を出したと思えば刃物を出す。
相手の死を弄ぶ、最低の殺し方だった。
否、殺し方に善も悪も無い。
殺すという行為が、悪に、罪に、狂気にまみれている。
「これで、完膚なきまでにぶった斬ってやるよッ!!」
男は、ナイフを高く振りかざす。
振りかざされたナイフが、鈍く光った。
死を……確信する。
――あぁ、私、ここでも殺されるのね。
一度目は、大切でも何でもない他人を守るために、死んで。
だが、その他人は守れなかった。
二度目も、素性も知らない男の手によって、殺される。
何も、出来ないまま。
「私の死って、本当に無意味」
スピカの一挙一動に、男は苛立っている様だった。
「その目が、気にいらねぇんだよお!エルフが!」
生気を失った目に向かって。
無造作にナイフを振り下ろす。
――走馬灯くらい、見たかったわ。
その刃先が、今にも届きそうな時。
ピキッ
ヒビの入る音がする。
――「はぁ。見ていられない」
ナイフの刃先が……刀身が――割れた。
事態の収拾すらつかないまま、スピカは瞠目した。
男は、口を大きく開ける。
スピカも驚愕したまま、声の主を凝視した。
肩に付くかくらいの黒髪に黒瞠。
服装も見慣れた服装で。
横に長い、楕円形の眼鏡を掛けていた。
どこかで見た、懐かしい装い。
「さっさと消えてくれ。鬱陶しい」
「あぐぅ……っ!」
――彼は、男に手で作った銃を当てた。