1. 『人生の選択先』
――「野々夜棲光ねえ。死因は、腹部損傷による失血死だねえ。若いのに、大変だよねえ」
「ねえ、聞いてるう?」
「ねえねえ〜」
とぼけた声で手を振る彼女は、金髪の髪をしていた。
水晶玉の様な目で見つめてくる。
まるで、蒼色の瞳に映る棲光を、吟味する様に。
「…こ…こは……?」
声が出たのは、何分経った頃だろうか。
震える唇を両手で抑え、瞠目する。
淡い色をした水の波紋が、辺りに広がった。
暗い闇の中で、かろうじて声の主の姿を確認する。
「ここはー、死後の世界です〜。と言っても〜、『選択の間』だけどねえ」
「『選択の間』……?」
そっくりそのまま、彼女に返す。
また一つ、水の波紋が広がる。
「そうだよー。君は死んじゃったからね〜」
当たり前に言う。
まるで、物事の摂理を淡々と述べる様に。
「――っ!」
当たり前の様に言う彼女が、憎らしくなった。
人の命を、何だと思ってるのだ。
思わず拳を強く握る。
人の生き方を馬鹿にされるのと同じくらい、死を軽んじられるのは不快だ。
例え、彼女に悪気は無かったとしても、死んだ人間から見れば笑い話にすらならない。
最低だ。
最悪、逆ギレされても良い筈だった。
自分は死んでないから分からないとか、むしろ、死なないから分からないとか、ハッタリでも言えたかもしれない。
その選択肢が、彼女にはあった。
しかし、棲光の変化に気づいた彼女は、慌てて手を振った。
「あっ!ごめんごめん!馬鹿にしてる訳じゃないよお?」
それでも信用出来ず、警戒を解かない。
そんなの、誰にだって言える。
説得力が無い。
「……命は、軽くなんかないよね」
先程まで肩透かしを食らった様な声が、一瞬にして変わった。
これが、彼女と同一人物かと思わせる声変わり。
思わず双眸を見開く。
彼女は、溜息を吐いた。
――話は終わっていなかった。
「だって、人は懸命に生きてる。いずれ死ぬと分かっていても。それでも尚。これって、一番美しいこと。一番神秘的なこと。……それを馬鹿になんてしない。むしろ逆」
彼女は、手で宙を仰ぐ。
「命は神秘!命はこの世の理想!人は皆、命が有るからこそ生きられる!!幸せになれるもの!」
目を細めて叫ぶ彼女に、棲光は面食らう。
天を仰いで硬直したままの彼女は、ゆっくりと手を下に下ろした。
両手を合わせ、頬の横にあてる。
顔を傾け、甘え顔になった。
「そんなわけでー。君は死んじゃったけどー、選択肢を与えまーす」
取り乱した声とは一変、おっとりとした声に変わる。
「あー!自己紹介忘れてた〜。えーと、私はー、与奪を司る神――メイヴです〜。よろしくねー」
ひらひらと手を振る姿は、先程までの表情とは似ても似つかない。
これが、同一人物だろうか。
様々な邪念を引き起こした当人のメイヴは、あれえー?と、またとぼけた様な声を出す。
「本当に、どうなってるのよ……」
棲光は、盛大に……ものすごく盛大に溜息をついた。
「えー?溜息つかれちゃいましたー。どーしよー?」
「どーしよー?、じゃないって。ここはどこ?」
噛み合わない会話の中で、おっとりとしたメイヴ(きっとこれが、ノーマルバージョンなのだろう)が、手を高々と挙げる。
「はいはーい!説明しまーす!ここはねぇ、『選択の間』って言うのよお。その名の通りー、死んでしまった人たちがー、選択を迫られる場所なの〜」
ポチャンと、どこかで音が鳴る。
水の波紋が広がる闇は、どこまでも続いている様に思う。
真っ暗な闇の中で、棲光は不安が増してきた。
「私は……どうなるの?」
死んでしまった自分は、どうなるのだろうか。
生まれ変わる?天国に行く?地獄に行く?蘇る?それとも――
「異世界転生、はどうかな?」
「――え?」
メイヴの言葉に、耳を疑った。
異世界転生?
「あのね?君は、今世で善い事をしました。だから、普通に行けば、天国に行けます!残念だけど、蘇りとか、生まれ変わりとかは、今の神々の技術的にないかなー」
「さりげなく、人の心を見ないでくれる?」
メイヴへの恐れは、一度置いておこう。
「ちょっと待って、異世界転生は?」
混乱する頭を抑え、棲光はメイヴに尋ねた。
「ふふっ、だからね?君には、二つの選択肢があるの。天国に行って、幸せに暮らす選択。もう一つは、異世界に転生する選択」
ノーマルver.とは打って変わり、普通の女性の声になる。ハードver.である。
水の波紋が、また広がった。
そして、メイヴの話。異世界転生の選択などは、聞いた事もある話だ。
異世界に転生するor天国に行く。
選択肢として、異論は無い。
「どう?良い選択肢だと思うんだけれど」
しかし、微笑む彼女の笑顔に裏は無いと言い切れるほど、棲光は甘くなかった。
「何が目的?」
メイヴに問いかける棲光の声音は、今までに無いほど低く、尖っていた。
天国は分かる。
ただ、異世界転生の意味がわからない。
一体どうして……?
「なーんにもないよお」
ノーマルver.に戻った彼女は、両手を開く。
まるで、何もないと言う様に。
「私はねえ、君達に幸せになって欲しいんだよー。特に君!他人を守る為に、命を投げ出すのは素敵だよねえ」
両手を顎に当て、可愛らしい声を出す。
それが、酷く気持ち悪く思える。
「もし、君が悪行をしてたら、地獄か異世界転生っていう選択肢だったよ〜。あ、でもさ〜、善行をした君に対してこの話は、失礼極まりないかもしれないねー」
「じゃあ、罪人も異世界転生できるのね?」
それは、少しばかり怖さがある。
前世に、殺人とかを起こしていたら?
前世に、強盗とかを起こしていたら?
異世界で、必ずしも安全という保証は無い。
転生する、ということは、今の自分のまま異世界に行くということだ。
異世界は、争いがあるのはお約束。
何も持っていない棲光に、一体何ができる?
どうやって自分を守る?
が、棲光の不安は、続く言葉に打ち消された。
「心配要らないよー。もし、君が異世界転生を選択した場合、君にとって必要なものを、一つだけ授けてあげまーす!君は選べないけどねー」
メイヴは人差し指を立て、棲光を指した。
鉄砲を打つ様な真似をする。
「それにねえ、罪人には〜、大切な何か、を一つ奪うからー、心配ナッシング〜」
「それって、体のどこかを奪う、とか?」
あまりにも酷い想像に嫌気が差す。
「そんなんじゃー、ないよお。それは力だったり、大切な誰かだったり?」
その何か、を特定しないメイヴに眉を顰める。
「だってさ……」
メイヴは目を見開いた。
あ、これは。
棲光は見慣れたそれに、さらに眉間に皺を寄せた。
怖さを受け持つ、アルティメットver.だ。
「善人と待遇が同じ!?そんなの不公平!不平等!不条理!!頑張って生きた善人と、怠けた悪人と待遇が同じなんて、ありえない!それこそ最悪!最低!悪人ならそれなりの罰を受ける!善人ならそれなりの褒美を貰う!これこそが物事の摂理!世の中の暗黙の了解!」
長々と語った彼女は、肩で息を切らす。
頬が高揚して、興奮しているのが見てとれる。
メイヴの独特な正義感に、棲光は完全に気圧された。
「わ、分かった分かった。つまるところ、善人の選択肢は天国or異世界転生+褒美、悪人の選択肢は地獄or異世界転生+罰、ってことね?……極端ー」
最後にボソッと付け加えたのは良しとして、棲光はメイヴが神である事を実感する。
メイヴこそ、神の象徴ではないだろうか。
善人、悪人を正しく裁き、褒美や罰を与える。
誰かを贔屓目にはせず、全てをあくまで平等に、公平に、道理に沿ったやり方で裁く。
神という名に相応しい行いだった。
「早く決めてねえ、ここの時間は、異世界――ラファニア聖国の時間とは違うからねえ。もう、一年くらい経過してるよー」
……初耳だ。
「な、何で先に言わなかったのよー!!長居したら、世界が滅びるところまで行っちゃうじゃない!」
クレームをつける棲光に対し、メイヴはコツンと、頭を叩く。
「てへっ☆」
「メイヴーっ!」
もっと言いたいことがあったが、何故時間がない。
即決しなければ、聖国が滅びるところまで行く、というのは冗談でもなくなる。
棲光は恨めしさを隠さない目のまま、大きく息を吐く。
水滴が落ちる音が、再度する。
「……私、おとぎの国のお姫様が好きだったの」
「え?」
メイヴのハテナ顔はさておき、棲光は話を進める。
「お姫様は、いつだって優しくて、寛大で、それでいて強くて。女の子の憧れだったわ。私はいつだって、そんなお姫様みたいになりたかった。でも、黙って待ってるだけだったら、駄目なのよね。何かを得るということは、何かを失うことだから」
「それは、否定しないわよ」
ハードver.のメイヴが肯定する。
闇の世界に、水色の光が差し込んだ。
まるで、棲光にスポットライトが当たっている様に。
「だから私は、今の私の幸せな生活を失う代わりに、冒険をしたという経験を得たいと思うわ」
「それはつまり!?」
メイヴが身を乗り出す。
居心地が悪くなった棲光は、メイヴから目を逸らした。
バツが悪い子供の様に、口を尖らせる。
「異世界に……その……転生するわよ。えーと……良いもの!一つはくれるんでしょ?」
棲光の答えに、メイヴは目を輝かせる。
「良いわ!最高!素敵!良い選択肢を選んだわねっ!!」
また頬を赤くさせ、狂気に染まった瞳を向ける。
「最っ高のプレゼントを選んであげるっ!嗚呼、何て素晴らしいの!!今日は吉日!最高の日!!」
彼女は確かに神だと、今一度実感した一瞬だった。
三重人格とも受け取れるメイヴ。
彼女の性格の裏を追求するのは、本能が否定する。
「じゃあ、さっさとやってしまいましょう!気が変わらないうちに!」
用意周到なのか、要領がいいのか。
メイヴは急いで転生させる様だ。
「そうね。善は急げと言うし。……急がば回れとも言うけど」
「善は急げ、だよ〜っ!あ、そうそう、異世界転生って不安だろうけど、文字は読める様になってるし、言葉は通じるからねえ。多少、文化の違いはあるにしてもね。……後、ちょっと治安悪いけど。凄く良い所だからねぇ!」
今、フラグ立った……?
棲光に冷や汗が流れる。
治安が悪い!?
「あ、心配いらないよお。君には、大切な何か、をあげるしね?治安っていうより情勢だけど」
「余計心配!!」
目を吊り上げた棲光に、メイヴは少し申し訳なさそうな顔をした。
「本当のことを言うと、情勢が良いとは言えないんだ。そんな怖い国とかじゃないけど、度々争いがあると言うか何と言うか……」
それこそ冒険、か。
棲光は、それなりに楽しみになった。
冒険の経験。
それは、自分が求める利益だった。
安寧と引き換えに選ぶリスク。
それは、生きていると感慨深く感じられるものだった。
「それは、問題ないよ。逆に楽しみだから」
メイヴは、目を見開く。
まるで、その回答は予測していなかった様だった。
「驚いたぁ。てっきり、怖がられるかと思ったのに〜」
「言ったでしょ?冒険がしたいって。平和な世界じゃ、冒険にならないわ」
胸を張って言う棲光に、メイヴはまた驚いた顔をする。
選択の神、メイヴにとって、転生を選択した棲光を、信じられなかった。
人は、リスクと引き換えに安寧を求めるものだ。
その常識を覆す程に、棲光が非常識だった。
「そうか。君は、あのプレゼントが合うかも。よーし!準備しよ〜」
意味深な顔で微笑するメイヴ。
「そのプレゼントってなに⁉︎」
「それは秘密だよー」
軽口の叩き合いも、楽しい時間に見えた。
闇に、少しずつ光が混じる。
それが、蒼く蒼く見えた。
お互いに恋人繋ぎをする。
額を付け、目を閉じる。
「それじゃあ、元気でね」
「うん」
「また、会えたら良いね」
「ええ」
「何か、最後の言葉無いの?」
「え?じゃ、さよなら?」
「軽っ!」
メイヴと棲光の会話が、暫く続く。
だが、時間感覚の違うこの場で、長居する事は許されない。
ラファニア聖国に行くことは、早い方が良い。
後ろ髪を引かれながらも、棲光は握っているメイヴの手を離した。
メイヴは、棲光の胸に手を当てる。
――蒼色の、燐光を見た。
「野々夜棲光。ラファニア聖国へ転生せよ。褒美を与えられし其の人、我の名のもとに、祝福がある様に。其の神の恵み、与えたまえ」
棲光の視界がぼやける。
周りが消えてなくなる感覚があった。
しかし、まだ心残りがあった。
まだ、最後に……。
「ねぇ、メイヴ。最後に聞きたいことがあるんだけど」
「なぁに〜?」
「あの人は、無事だった?」
最後に事故に巻き込まれた、黒髪の少年。
彼は、無事だったのだろうか。
彼は、助かったのだろうか。
それだけが気にかかっていた。
ちゃんと無事に、生きていられているだろうか。
そればかりを願う棲光にとって、メイヴは淡々と告げる。
「……あの子は、死んでしまったよ」
メイヴの言葉に、絶望を感じた。
それでは、自分が死んだ意味はないではないか。
あの人を助ける為に死んだのに、道連れだったとは。
悲しみと後悔が押し寄せる。
一体なんの為に、自分は死んだのだ。
そんな彼女に、メイヴは優しく声を掛けた。
「気に止むことはないよ。彼は、君が守っても守らなくても、死ぬ運命だった。それが、一人では無かった。最期に、誰かが助けようとしてくれた。それは、素晴らしいことよ。貴方は善人だわ」
でも、と開きかけた口を、メイヴの人差し指で抑えられる。
蒼色の燐光が、瞬く間に強くなる。
時間がなくなってきた。
意を決し、スピカは問いかけをする。
「……あの人は、『選択の間』で、何を選んだの?」
白く光る世界で、闇が光る世界で、棲光は最後の問いかけをした。
「あの子は、◼️◼️を選んだよ」
――メイヴの答えは、雑音で聞こえなかった。
「またね、スピカ」
★☆☆☆★☆☆☆☆☆☆★☆☆☆★
「おい!大丈夫か?嬢ちゃん!」
「え――?」
燐光を見た後、棲光――スピカは、男の人の前にいた。
「だから、大丈夫かよ嬢ちゃん……って、え?」
威勢の良い男性は、スピカの耳を見て絶句する。
「もっ、申し訳ありません!!エルフ様!」
いきなり土下座で詫びる。
――え?
エルフ?
誰が?
その声が自然と手を動かす。
恐る恐ると、手を耳に当てた。
自分の耳を、指で軽くなぞる。
と同時に、背中で何かが動く感覚がした。
先程、メイヴと別れた事しか頭に残っていないスピカは、早々に彼女の『褒美』を確認した。
これは……。
尖った耳。
背中に生えた羽。
「メイヴ〜っ!」
地団駄を踏んでも彼女は居ない。
要領が良いのか、運が良いのか。
「貴方様は、まさか?」
「嘘だろ?」
「何で、こんな高貴なエルフ様が……」
周りの驚きの混じった声を聞く。
それが、自分に向けられたものだと分かって。
ますますメイヴを憎んだ。
「何で、エルフ様がいらっしゃるんだ……?」
周りに、疑問の輪が広がった。
こうして、スピカの特殊な、凄く特殊な冒険、物語。
――異世界での生活が、始まったのである。