病院の一室で
再び目を開けると俺は、白い部屋のベッドの上に横たわっていた。ちょっと目を瞑っただけの筈だったのだけれども……。どうやらアレが気を失うと言う事だったのだろうか……人生初の体験である。
暫く目だけを動かし周りを観察すると、窓の外は銀色の雪がチラホラ舞っている。かなり高層の部屋のようで遠くの街並みの様子が雪景色と混じり合って綺麗だ。
ベッドの横では義妹のアオイが椅子に座って参考書のような物を読んでいるようだ。
上半身を起こそうとした俺の身体中に激痛が走った。
「う痛ってぇ! 」
俺は思わず声を漏らした。
「あっ! 気がついた? 」
俺の声に気が付いたアオイが参考書をパタンと閉じると、俺の顔を覗き込んだ。
「大変だったね。凛さんが知らせてくれたのよ」
「ここは……? 」
俺は何とかゆっくりと上半身だけを起こしながらアオイに訊ねた。
「お義父さんとお母さんも心配してたわよ。二人共仕事だからこの受験で忙しいこの私がアンタの世話をする事になったのよ。嬉しいでしょ? 感謝してよ、ホントに」
「ちょっ、ここ」
「しっかし流石のアンタでも車に轢かれたら怪我くらいするのね。逆に安心したわ、アンタも人間なんだなって。普通なら、死んでてもおかしくないそうよ。運が良くても重体だったって。なのに打撲だけって、ホント丈夫にも程があるわね。ただし頭を強く打っているから念の為意識が戻ってから精密検査するってさ」
俺の問いを完全に無視して話し続けるアオイ。
「そうだ里香ちゃん……。秋吉 里香って女の子が……」
俺は兎に角一番気になっている事を訊いた。
「アンタも含めて全員無事だって、良かったね! 」
アオイは笑顔で答えた。
アオイの言葉にホッとしながらもイロイロ訊きたいことは山ほどある。だが、そもそもコイツは俺達に起こった出来事をどこまで把握しているのだろうか?
そんな事をぼんやりと考えていると、俺の表情を察してかアオイは「凛さんから訊いた事、順を追って説明するね」と言いながら何かメモのような物を鞄から取り出した。
「ところで俺はどれくらい寝てたんだ? 」
「今日は火曜日だから二日とちょっとよ。随分疲れてたのね」
「二日も? ちょっ、そう言う事、早く言ってね」
「了解! 」
「で? 誰か見舞いに来なかったか? 」
俺は里香ちゃんが来たんじゃないだろうかと淡い期待を抱きながらアオイに訊ねた。
実のところアオイには本当に申し訳ないが、目覚めてから隣にいるのがコイツで俺はガッカリしていたのだ。
だいたいこういう時は俺が目覚めると、ヒロインである里香ちゃんが心配そうに俺を見つめているものだと相場は決まっている筈なのに……。
「えーと、それも来た人たちの名前メモしたから、ちょっと待ってね。割と来てたのよね、なかなか人気者じゃん」
彼女は細長い指でシステム手帳をペラペラとめくり出した。
俺はドキドキと期待しながらアオイを見つめた。
「えーと、まず須藤 恭也さん、森元 涼介さんと三島 早織さんの三人。そうそう恭也さんってもの凄くイケメンね。それにあのビーンズグループの社長なんでしょ。この病院も彼の持ち物なんだって、スゴイよね。
この広い部屋だって恭也さんが手配してくれたのよ。政治家とか会社の重役なんかが入院する時にしか使わないVIPルームだって。凄いね! テレビも大きいでしょ。トイレとシャワールームも付いてるのよ。それにこの部屋に限り24時間何時でも面会自由だそうよ。携帯も使って良いって、良かったね! 恭也さんと涼介さんは高校からの友達なんでしょ、スゴイね! 」
アオイは話しながら嬉しそうに新聞を渡してくれた。
新聞を開くと見出しには大々的に恭也の事が書かれてあった。
『ビーンズグループの新しき獅子王、革新的大改革に成功!! 』
そしてそこには恭也だけでなく涼介の写真も載っている。二人の自信に満ちた堂々とした顔が印象的だった。
どうやら俺だけが小さな無人島に取り残されてしまったようだ。
俺は恭也と涼介が今まで以上にもの凄く遠い存在に思えて胸が苦しくなり淋しい気持ちになった。二人と遊びに行くなんてことはもう無理なのだろうか……。
「……他は? 他にも誰か来ただろ? 」
俺はアオイの前で暗くならないように気持ちを切り替えた。
「ちょっと待って、三島 早織さんはハルのアパートに行って着替えとか持って来てくれたのよ。だから今度お礼言っといてね」
「分かってるよ、言うよ! もちろん! それで他には? 」
「そうねぇ、私の見立てでは恭也さんと早織さんは良い感じね。あの雰囲気は、ただの社長と秘書の関係ではないね、絶対! 」
アオイは自慢気な利いたふうな口をきく。
「どうでも良いよ、そんなのは! イヤ、どうでも良くも無いけれどもっ! 今は他に見舞いに来てくれた人を教えてくれよ! 」
「ハイハイ、えーと次に凛さんと全日本警備会社の石田会長さんね。それにしてもペーぺーの平社員が入院したからって、一々会長が来るなんてことあるの? 」
「オイッ! 俺が重要人物って考えは無いのか? 言っとくが俺は平社員じゃねーぞ! 」
「へー、じゃ役職あんの? 」とアオイが訊く。
「ぐむっ……今は臨時契約社員なんだな」
「…………そう言えば何か事件を解決したんだってね。一応凛さん達から聞いた内容をザッと説明するね」
アオイはそう言いながらまたシステム手帳に目を移した。
俺が里香ちゃんと一緒に車に撥ね飛ばされた後、車は橋の石柵に当たり横転、そして運転していた大学生を恭也達が捉えた。
俺の入院手続きなどは全て恭也と歌川さんが行ってくれたそうだ。全くもって二人には感謝しかない。
大学生は警察に捕まり経歴に傷がつく事を恐れて逃げ出そうとしたようで、俺たちを殺すつもりは無かったらしい。
幸い俺も打撲程度、里香ちゃんも怪我一つなかった。だからと言って許せることでは無い。俺は里香ちゃんが無事だった事を聞いて安心した。
穏便に済ませたい石田会長の意向で警察に報告はしなかったそうだ。会社の大事な時期である恭也も同意見であったようだ。勿論、俺が納得出来ないのならキッチリ罪を追求すると約束してくれたそうだが。
他にも色々疑問が残るが詳しくは後日歌川にでも訊けばいいだろう。兎に角事件は解決したのだから。
残念な事に契約の事とか、正社員の話とかは遂にアオイの口からは聞けなかった。
事件解決までは臨時社員扱いで解決すれば正社員になれる等の約束などはしてはいないのだけれども……やはり期待はしてしまう。俺としては今回の事で割と有能だと認識されて正規雇いにして貰える雰囲気は有ったのかどうか……それが訊きたかったのだが。石田会長が幾ら俺の家族であってもアオイにそんな情報を漏らすことなどないだろうと自分に言い聞かせた。
アオイは冷蔵庫に向かいリンゴジュースのパックを持って来ると俺に差し出した。喉が渇いていた事に気がついた俺はそれをストローで一気に飲み干した。キンキンに冷えていたリンゴジュースで少し頭が痛んだ。