橋の袂
日頃の訓練の成果だろうか、大して息切れすることもなく麓の橋に着いた。
橋の向こうでは丁度犯人グループと思われる六台の車がヘッドライトを点けたまま停車していた。
車は全てワゴンのような大型乗用車である。俺は呼吸を整えるため一旦立ち止まり、橋の電灯の灯りから外れて身を隠すように向こう側の様子を観察した。
橋の向こうには、ざっと見て一瞬では数えきれない程の人影が見えたたので、危機感が増した。大急ぎで丘を下っては来たものの、実際にこれだけの多人数を目の当たりにして俺は少し怖気付いてしまった。
何人かは車から降りて小グループずつに別れてワイワイと騒がしく話している。車のライトは付けっぱなしで、騒がしく全く不用心である。
とても今から壁画を盗みに行くとは思えないまるで学生のサークルのノリのようだと感じた。
実際にはサークルなどに入ったこともないから知る由もないのだが。イヤ、そもそも俺は大学にさえ入学したことさえないのだが。
間違いなく監視カメラで見た連中だろうと思ってここまでやって来たのだが、ここに来て少し不安になった。
普通ならこんな大勢でやって来て目立つ様な事はしない筈なのだが、短時間で偽壁を仕上げる為には仕方のない事なのかもしれないが。
もしくは本当に学生サークルが「願いが叶うチラシ」に釣られて壁画を見に来ただけとも限らない。
どうしたものかと思案している間にも、彼等がこの橋を渡り出してしまったら、一人では防ぎようがない。
今、向こうが気づいていない間にダッシュで犯人達に近づき奇襲して成功したとしても、取り逃した者達に橋を渡られた時点でゲームオーバーだ。
イヤ、それよりも橋の向こうの彼らが、犯人グループと全くの無関係だったらそれこそ俺の人生一貫の終わりだ。
恐らく十中八九犯人グループだと思うのだけれども……確証はない。
橋の向こうの奴等が犯人グループなら上で待機している里香ちゃんたちに危害が及ばないように、誰一人として丘に上らせてはならない。
この辺りは携帯の電波は届いているのだが、今警察に連絡したとしても警官の到着まで待つ時間などは無い。
それに壁画盗難の件を大事にしたくない石田会長の意思に反する事になる。
だからと言って俺一人で全員を相手にするには数が多すぎる。今の俺は絶望的に不利な状況に立たされている。
今にして思えば里香ちゃん達と丘の上で隠れていた方が良かったかもしれない。
そうすれば大勢の人間が壁画洞窟の監視カメラに映った時点で応援ががやって来ただろうから。応援部隊の到着が間に合うかどうかは別としてだが。
だが彼等にバレずに今から俺が丘の上に引き返したとして、恭也たちや歌川さんが到着して運悪く犯人グループと鉢合わせにってしまうとも限らない。
色々と考えを巡らせている間も、依然として車はライトを橋に向かって点灯したまま駐車されている。
俺がここで立ち向かう事を渋っている間にも、時期に橋の向こうにいる奴等も動き出してしまうだろう。
考えは纏まらないが、覚悟は決めた。俺は不安に感じつつも、ゆっくりとした足取りで橋の中央を渡り始めた。
今はもう長閑な川のせせらぎの音など全く聴こえない。俺自身がゆっくり踏み締め砂利の音だけが聞こえる。
橋の半分ほど進むと向こう側のグループの内の何人かは直ぐに俺の存在に気が付いたようだ。キャップを目深に被るリーダーと思われる女性の冷静な声で静かになった。女の両脇に一人ずつ男が立っているだけで、残りは相変わらず小グループにバラけている。
完全には統制が取れていないようでまだ少しザワついている。ただ全員が俺を注目しているのはヒシヒシと感じる。
奴等の顔まではハッキリとは認識出来ないが、橋の電灯で逆に向こう側の人間には俺の顔はよく見えているのだろうか。
俺は橋を渡りきり、電灯の下でスポットライトを浴びながら橋の袂に立ち塞がるように歩みを止めた。
こんな所に一人でやって来た人間を訝しげに思っているのか、ザワつきながらも誰一人動き出す様子はなかった。
頼みの綱である業があるので何とか耐える事ができたが、やはり気持ちは大人数に圧倒されている。
こちら側に少しでも有利に事が運ぶ為にも怖気付いている気持ちを悟られないように隠し、尚且つ敵が何十人いようとも余裕がある様に見せるためにどうすれば良いのか。ここは一つ強者の真似をするのが正解である。
俺が思い当たる武道の達人は二人存在する。師匠の獅子谷 雷拳こと南田 直樹と伝説の男である月島省吾を思い浮かべた……が、直ぐに何の参考にもならないのに気がついた。一人は小学生のような見栄っ張り、方やプライドが高い器の小さき男。どちらの真似をしても甘く見られるのがオチだろう。実在の達人の模写は諦めた。所詮凡人の俺に常軌を逸した人間の空気感を出すのは無理な話である。
先ずは彼等が犯人なのか確かめようと話しかける事にした。
「やあ君たち、こんな季節の、こんな時間に、こんな大勢でバードウォッチングかな? なんちって、ハハハ」
俺の言った冗談が余りにもくだらな過ぎたからなのだろうか、全員が何の反応もしない。少し恥をかかされた気分になった。
俺は一度咳払いをして気を取り直し「それとも壁画を盗みに来たのか? 」と、いきなり確信に迫った。
彼等は少しザワつきながらも、俺の問い掛けには無視を通した。
少し苛立ちを感じながらも俺は彼等が敵かどうか確かめる為に「黙ってるって事はお前ら壁画泥棒って事でいいんだな」と念を押した。
「私たちは盗んではいないわ」
代表と思われる女が冷静な声を出した。
女の俺に対する返事で彼等が犯人グループだと確信した。もし彼等が犯人グループではないとしたら、身に覚えの無い彼等は俺の言ったことが全く理解出来ない筈である。
ふき晒しの寒い中、話の進まない状況に苛々していたが、やっとのことで話が進みだしたとホッとした。
やっと手応えが有った事に気を良くして「だが、勝手に壁に細工をしただろう」と何でもお見通しのフリをした。
俺の追い討ちに黙ってしまった彼等に更に「いいか、今からこの橋は通行止めだ。ここを通りたきゃ、シロクマより強い俺を倒して行くしかないぞ、嘘だけど、フフ」と余裕があるフリで精一杯の牽制をかました。
やる気が無いのか、戸惑っているのか分からないが誰も動き出す気配はない。全員がリーダーの合図でも待っているのだろうか?
「おーいっ、寒いんだから早く始めようぜっ!! 早くかかって来いよ!! 」
奴等の意気地を挫くと同時に、自分自身の恐怖心を払い除ける為に俺は威勢良く大声を張り上げ、同時に地面の砂を向こう側に蹴り上げた。
俺の挑発めいた怒号に全く反応せずに誰も向かって来ないところを見ると、そこまでの暴力的な集団ではないのかもしれない。
少しホッと胸を撫で下ろした矢先にリーダーの女がさっきまでの冷静さと打って変わって上擦った大声を上げた。
「こ、攻撃部隊、今こそ出番でしょ! 早くアイツを排除して! 」
「ちょっ、攻撃部隊って、そんな大袈裟な……ハハハハハ」
彼女の大袈裟な物言いに俺はつい笑い出してしまった。
リーダーの声に反応して、集団の中から数名がザザザッと風を切る様に前へ飛び出して来た。
相手側の冗談ではない雰囲気に、泡を食った俺は慌てて身構えた。
さっきまでの余裕が無くなったのか女は、前へ出た数名に「彼を動けなくしてちょうだい。彼、信じられないくらい手強いから気を抜かないでよね」と早口の声で話す。
俺はいきなりの臨戦体制に身構えながらも「この女、俺の事を知っているのか? 」と不可解に思った。
「強いのは知ってるよ。多分、俺達だけじゃ敵わないと思う。部員たちが怯えきってしまってる」と前へ出た中の一人がリーダーの女に小声で話した。
「コイツ奴も俺の事を知っているのか? 」と俺の中で、《《ある》》考えが段々と確信に変わり始めた。
「け、守備隊も前へ出て!! 早く!! 」
リーダーの女がかなり慌てた声で叫ぶと、奥から大柄な者達がゆっくりと砂利を踏む音をさせながら前へ出た。
前へと出た大柄な一人が「なんだよ、おい。空手部も大した事ないなぁ。ワハハハ」と野太い笑い声を上げた。そして男は低い声で続けた。
「まあ、俺たち柔道部に任せとけ。なんなら俺一人でやってやるから安心してくれよな! 」
誰への何のアピールなのか男は大きめの声を出した。
「余計なこと言ってないでサッサと片付けなさいよ、殺すわよ!! 」
リーダーの女が苛立った様子で喚く。
すかさず大柄な男が情けない声で謝ると、たった今の失言を取り返すかのように一人で俺に向かって歩き出した。
「柔道部に空手部と言うことは学生か」俺は心の中で呟いた。
俺はやはり何処の組織にでも馬鹿はいるものだなと呆れながらも、特別な情報が聞けた事に、内心ほくそ笑んだ。
柔道では組手争いでお互いに手を払う動作をするので、俺の攻撃を簡単に払われるかもしれない。だが柔道家は掴むとその手を放そうとしないので簡単に攻撃が当たるはずである。兎に角俺の拳が何処でも良いから掠ってしまえば勝ちという簡単な作業であるからだ。
確実に掴みに来ると分かっている柔道部ならば全く問題はない。この状況はまさに蟻と蟻地獄のような入れ食い状態である。
「果てしなく馬鹿だな、お前。カッコつけなくて良いから全員まとめていっぺんにかかって来いよ。その女にまた怒られるぞ、ハハハ」
俺は馬鹿を馬鹿にして揶揄った。
「うるせえっ!! オイッ、お前ら、行くぞっ!! 」
男は怒鳴りながらも、馬鹿だからなのか俺の忠告に素直に従い、柔道部の仲間に声をかけた。
ひょっとしなくても薄々感じてはいたのだが、間違い無くこの馬鹿が柔道部の主将なのだ。トップが馬鹿だと下はやり切れないだろうなと思いながらも、敵側からすればこんな幸運は無いなと勝手に笑みが溢れた。
主将の号令と共に柔道部員全員が俺一人に一斉に突撃を始め、「囲めっ! 」という命令で俺を取り囲もうとした。
だが橋を背にしている俺は背中までは回り込まれることはなかった。橋の電灯の下見る柔道部員たちに知った顔は一人もいなかった。
始めに勢い良く馬鹿の主将が俺の胸倉を掴んだ……瞬間、無言で膝から地面に崩れ落ちた。
俺の地獄と天国の複合業が、胸倉を掴んで投げようとする主将の腹を打ち抜いたからだ。
一瞬にして主将が倒されると、目の前の柔道部員たちは慄いた様子と共に少し後ずさった。
次に俺が狙いを定めた柔道部員は俺の業の攻撃を払い落とそうとして、掌で拳に触ってしまい「むぎゅうっ! 」と言う可笑しなな声を出して卒倒してしまった。
俺は一人また一人と業の制限時間内に次々と昏倒させていき、周囲を恐怖に陥れた。
自暴自棄になった空手部員何人かが殴りかかってきたが、やはり俺には全く効かなかった。見る見るうちに呆気なく失神させられていく部員たちを見て更に恐怖が伝染していく。こうなると攻撃を当てることなど、人形に殴ることくらい容易い事だった。
余りにもアッサリと片付いてしまい、俺は拍子抜けしてしまった。後ろに数人控えている人間を見て、まだ奥の手があるのかもしれないと、俺は疑いの目を向けた。
俺は、間もなく業が使えなくなる事を予想して「本当にもう終わりなの? 」と全員に確認した。
「つっ、強過ぎるでしょ、卑怯よっ!! 」
リーダーの女がヒステリックに叫び声を上げた。
確かに業を使った俺は卑怯かもしれない、卑怯かもしれないが……女の言い分が少し面白く感じた。
自分で言うのもなんだが正に圧倒的強さを発揮した。犯人グループに無敵の強さを見せつけた。久々にスカッとした。
あとは恐怖に怯え切った連中は放っておいて、リーダーの女に洗いざらい喋ってもらうだけである。
勝利を確信した俺は、ワナワナと怒りに震える女リーダーの顔を確認するためゆっくりと近づいた。