丘の上
気を取り直して、全員で丘の上を目指し出発した。俺と里香ちゃんが先に歩き出すと、何故か夏目たちは少し離れて後ろの方を歩く。
名人なりに気を遣ってくれたのだろうか。イヤ、アイツにそんな考えなどないだろう。あの馬鹿は、きっと舞ちゃんとイチャイチャしながら夜道を歩きたいだけだろう。
濃紺色に染まる夜の鳳村。
静まり返る小道、冷たく清廉な空気を感じる中、ランタンの明かり一つで歩く二人の距離は自然と肩を寄せ合うほどに近くなる。嬉しくドキドキしながらも少し緊張した。
後ろを振り返ると夏目は舞ちゃんの肩を抱きピッタリと寄り添いながら歩いている。仲良く歩く二人に危うく舌打ちしそうになった。
当たり前と言えば、当たり前なのだが夏の夜と冬の夜では随分と鳳村の装いは違う。気温は勿論だが空気感が全くの別物である。
前回一人で来た時は寂しく不安な気持ちで歩いていたのだが、今日は里香ちゃんとそのオマケの二人もいる。当然ながら前回と打って変わり心強いのだが、それでもやはり里香ちゃんと二人だけが良かったと染み染み思う。
小川の流れる橋に近づくと橋の両側に電灯が設置されていて明るくなっているのに気がついた。
壁画が盗まれてから防犯のため幾つかの防犯カメラと電灯が設置されたのは知ってはいたのだが。橋の両サイドを照らす灯りは、丘までの夜道を歩く人間にとってかなり有難く感じる筈だ。
「前はこの橋、暗くて危なかったよね」
俺はここで里香ちゃんと会った時のことを思い出しながら話した。
あの時ここで偶然、里香ちゃんに出遭わなければ、今こうして一緒に歩くことはなかったのだろうと思うと大変感慨深い。
短い橋を渡り終え坂道に差し掛かると、上の方にいよいよ丘に近づいた。
隣で俺の下らない話に耳を傾け微笑む可愛い彼女の顔を見ていると、俺は今ここで告白しなければならないという気持ちになった。
彼女が欲しいのに出来ない奴は意気地が無い、意気地が無いから彼女が出来ない。それは自分でも分かっている。
ずっと彼女が出来ないと、もっと意気地が無くなる。年齢を重ねるほどフラれることが怖くなる。下らないプライドが邪魔をする。それも分かっている。分かってはいる……分かってはいるのだが……分かってはいるのだけれども……そう簡単に出来れば苦労は無い。そう、告白するタイミングは今しかない!
気持ちを伝える決意を固める間、沈黙が流れた。俺の緊張が伝わってしまったのか彼女も黙り込んでしまった。
深呼吸した後、思い切って言う事にした。
「えっと、里香ちゃん! 」
俺が勇気を出し、声を上げたと同時に彼女は勢いよく「ゴメンなさいっ! 」と言うと立ち止まってしまった。
決死の覚悟の告白を遮られ出鼻を挫かれ、俺は一言も発する事が出来なかった。
そしてランタンの灯りの中、真っ直ぐこちらを見つめる彼女の真剣な眼差しは、更に俺を緊張させた。
俺の告白を察知して先に謝ったのかもしれないと考えながらも彼女の言葉を待った。
またもや沈黙の続く中、俺は名人たちを先に丘の上に行くように合図を送った。意外にも名人たちは素直に応じて俺たちの横を足速に通り過ぎていった。
「えっと、ありがとう。その……ちゃんと説明するね」
里香ちゃんは俺が名人達を先に行かせた事に対してお礼を言った。そしてそのまま彼女の告白は始まった。
「実は、ハルとここで会ってからその後も何度かここに来たんだよね。あの時は一度しか行ったことがないって言ったんだけど」
申し訳なさそうに話す里香ちゃん。
彼女は以前、植物園で会長にこの丘には一度しか行ったことがないと言ったが俺と会った後、この丘に三度も訪れていたそうだ。
そしてそれは会長室で石田会長が正に俺に言っていた通りの事であった。
しかし彼女が俺の告白を予知して遮った訳ではない事が分かりホッとして、ここに来た回数の事なんてどうでも良くなっていた。
「それで、三回ここに来たのにはちゃんと理由があって……」
彼女は何だか言い難そうに俯きながら話す。
固唾を飲みながら彼女の次の言葉を待った。
三度ここに来た理由を彼女は言い淀みながらも何とか説明しようとしている。彼女も二十二歳の乙女である。恋人関係の事等かもしれないし、イロイロと人に言うには恥ずかしい願い事も有るだろう。
恥ずかしそうにモジモジしている彼女を見て、俺は理解ある人間のフリをして理由を訊かない事にした。とても気にはなったのだけれども。取り敢えずは理由を説明してくれようとしてくれただけで満足である。
今更、彼女が犯人グループの一員であったとしても、そうでなかったとしても、俺が彼女を好きな事には変わりはないのだから。
だからと言って犯罪を見過ごす訳では無いが、以前に彼女は壁画泥棒の一味では無いと答えたのだから、俺はそれを信じたい。
俺が「理由は教えてくれなくても構わないよ」と言うと彼女は少しガッカリした様な、ホッとした様な良く分からない表情になったので一体どっちなんだよと思いながらも、また歩き出した。
里香ちゃんは「まあ、いいか」と俺に聴こえるようにか、ホッとした様に一人呟き隣を歩き出した。
しかし今思うと、やはり今日の俺ははツイていた。もし先ほど彼女に告白してフラれていたら星観測どころではなくなっていただろう。そう考えると俺はツイている。たとえフラれるにしても最後の別れ際が良い。そう思いながら一つ目の丘の上へ到達すると夏目たちの姿が見えた。
俺たちは一番上の丘に行き洞穴の電灯を避けて、下の村を見下ろせる所まで行った。
ランタンを消すと天には一面吸い込まれる様な深い群青色の空が広がっている。明るいとさえ感じるくらいの星空の下、三人の感嘆の声を聴きながら、同時に俺も心の中で驚嘆の叫び声を上げていた。
この星空を、またもう一度里香ちゃんと見る事が出来ただけでも幸せである。
名人たちは少し離れた場所で星空を眺めだした。
里香ちゃんはプラネタリウムの司会の如く星の事を色々と説明してくれた。
彼女の澄んだ声の天体観測授業に俺は只々デレデレと聞き惚れた。途中何度か俺が冗談を言うと彼女も笑いながら冗談を返してくれた。何だか二人は付き合っているような錯覚に陥りそうになる。
恋愛経験の乏しい俺だけれども、自惚れているわけではなく、ここは冷静に考えても、隣で楽しそうにしている彼女を見てやはり俺だけの片想いでは無いと思えるのだが。
この星空の下、いつまでも、こうしていたいのだが、時間は残りあと僅かである。もうじきオジャマ虫軍団がやってくるだろう。
「ちょっと俺の話を聞いてくれるかな、真面目な話になっちゃうんだけど……」
俺は意を決して彼女に真剣な口調で語り始めた。
俺の雰囲気を読んでか彼女も神妙な面持ちになり、俺も余計に緊張した。俺はまず始めに今のこの状況とこれからの働き次第で正社員になれるかもしれない事を彼女に話した。
そして、いよいよ彼女に俺の気持ちを伝えようとしたその時「いやぁ、しかしさっむいなぁ。何とかならないの? ハル」と名人が白い息を吐きながら近づいてきた。
俺は咄嗟に告白を止め里香ちゃんに困ったように微笑んでから「ああ、丘の上は更に寒いな」と名人に返した。
俺の今の、この時の、気持ちを一言で表すなら
「何とかなる訳ないだろうが! 俺は風の神様じゃねぇんだからな! 勝手にやって来て勝手な事ほざいてんじゃねーぞ! いっつも、いっつも邪魔ばかりしやがって、クソがっ! いっぺん死んで来い、ボケッ! 」
とありったけの大声で怒鳴り散らし、更に地獄の拳を力の続く限りコイツに連打してやりたい。
こんな感じで一言では済まないのだが、そこは歯を食いしばって大人の対応をした。
ただし里香ちゃんには俺の今の仕事を頑張っているという自慢話をしただけになってしまったもだが。
「ねえねえ、そこの洞窟みたいなとこって入っても良いのかな? 」
舞ちゃんが呑気に壁画洞窟を指差した。
彼らは俺の告白の邪魔をしたって事に全く気が付いていないようだ。それでこそ名人のカップルである。
俺が洞窟内には壁画が描かれている事を教えると舞ちゃんはとても興味を持ったようで、みんなで入ってみようと言った。
俺も社用車でここへ来たからには、格好だけでも壁画の様子も見ておかなければと思っていたので丁度いいと考え、舞ちゃんの提案に賛成した。
里香ちゃんと名人も異存は無いようなので、みんなで洞窟に入る事にした。