馬車の旅
町に出かけるその日、母は私に大きな籠を渡した。
「ランス坊ちゃんと一緒に食べな」
「うん。ありがとう、行ってくるね」
私は父さんの使っていたマントを羽織り、腰には愛用の長剣ドレッドノートを差して気分はすっかり剣士だった。今ならどんな相手とやっても負ける気はしない。
母にもう一度別れを告げ、私は家を出た。
「よお、随分やる気だな。見違えたぜ」
しばらく歩いているとランスがひょっこり顔を出した。ランスは普段持っている小奇麗な剣ではなく、古びた剣を差していた。
「どうしたの? その剣。いつも使ってた『アンジェリーナ』はどうしたの?」
アンジェリーナはランスがいつも使っている剣の銘。この銘をきいた時は私も少々ひいた。
「ん? おまじないみたいなもんさ」
適当に答え、ランスはハッキリとは言わなかった。まあ別にどうでも良いが。
二人はそれからしばらく歩き続け、村の中央までやってきた。
そこには数々の馬車が止まっており、専用の馬車道もきっちり整備されている。馬車の代金はランスが払ってくれる事になっていた為、心配は無かった。
「ねぇねぇ、あのでっかい馬車は何?」
私は無骨な小さい馬車に乗り込もうとしていたランスの袖を引いて、私達の背中側にある大きな馬車を指差した。
「ん? あれは相乗りの馬車だよ。個人用の馬車乗れる分のお金持ってきてるから大丈夫だよ」
そう言って小さな馬車に乗り込もうとするランスを私は力強く引っぱった。
「ねぇねぇランス、私あっちに乗りたい」
相乗りの馬車の方を向いて袖を引っぱる私に、ランスは思い出したように言った。
「そう言えば、君は馬車に乗るのは初めてだったね。良いよ、乗ろうか」
二人が乗ってからしばらくすると馬車が動き出した。
「馬の体ってすごいね〜。お尻ムキムキ」
「恥ずかしいから、あんましはしゃぐなって」
二人が座ったのは馬車の後ろの方で、景色はもちろん周りの客も見渡せた。何やら真っ黒な帽子をかぶった紳士、眠たそうな顔をした農家風の老婆など色々な人が乗っていた。
馬車はかなり大きくちょっとした部屋くらいのスペースがある。無理矢理押し込めばそれこそ十人近く乗れるかもしれない。それだけの人数を引く馬達は可哀想だが。
「ねえ、ノウ・ウッズの町にはどのくらいで着くの?」
ランスは顎に手を当てて少しの間考えた。
「そうだね、こっからだとかなり距離があるから……向こうに着くのは夕方になるんじゃないのか」
ふうんと軽い返事をしてから、私はまだ上りきっていない白い太陽を見て、眩しさに目を細めた。
「ランス、お腹空かない? お弁当貰ったから一緒に食べよ」
私は母に渡された籠をランスの前に掲げた。
「いいね、おばさんの手作りか」
籠を膝の上に載せて開けてみると、中には軟らかそうなサンドイッチがぎっしり詰まっていた。私はランスに聞こえないようにつばを飲んだ。
二人で食事を終え(ランスは食べるのが遅かったので、ほとんど私が頂いた)しばらくすると、はじめは新鮮に思えた馬車の揺れも段々と飽きが来て、それを超えると気持ちが悪くなってきた。
「ランス〜」
背もたれに体を預け、まどろんでいたランスはめんどくさそうに目を開けた。
「今度はどうしたんだい?」
「気持ち悪い」
気持ち悪い、と口で言うと更に気持ち悪くなってきた。ランスも事の大事さを理解したのか少し慌てるそぶりを見せた。
「もうそろそろノウ・ウッズに着くから、がんばれ。ほら、辺りの景色でも見てなよ」
周りの景色を見てもあたりには清清しい緑の葉とスタイルのいい木が見えるだけで、気を紛らわせる事が出来るような物は無かった。
「もうダメ、サンドイッチが口から出たがってる……」
私はほとんど放心したようになり、なんだかもうどうでもよくなってきた。我慢するのさえ馬鹿らしく感じる。
「わ、馬鹿、頑張れ。ほら、もう少しだから」
私を宥めるランスの慌てぶりが珍しかったのか近くに座っていた老婆が、心配そうな顔でこちらを見ている。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
「だ、いじょう、ぶ。この、剣に賭けても……」
「こいつ、ちょっと馬車に酔ったみたいで」
あまりの気持ち悪さに、老婆の銀色の髪が段々モップのように見えてきた。
すると老婆は懐から何かを取り出した。小さな緑色の葉っぱ。……?
「これを口に入れてすり潰すように噛んでから飲み込んでご覧」
老婆はそう言って葉っぱを私の方に差し出した。
「何、これ?」
「ハーブだよ。気分がよくなるからやってみなさい」
私はざらざらした葉っぱを思い切って口に入れた。
苦い。噛み潰してみる……もっと苦い。飲み込んでみる……。
私は思い切りむせた。
「大丈夫かい?」
心配そうな顔でランスがこちらを見る。私は何度か頷いて見せたがむせながらだと説得力に欠けるようだ。
「うん、大丈夫。……っていうか何なのよ! このハーブ、ムチャクチャ不味いじゃない!」
「はっはっは、お嬢ちゃん元気が出たかい?」
あっ、と声を出して私は吐き気がなくなっているのに気づいた。苦いうえに無茶苦茶辛かった、あのハーブも捨てたものではない。
老婆の名前はダリアと言うらしい。何でも町のほうに住む孫娘が病気で寝込んでいると聞いてお見舞いに行く最中だそうだ。
元気の出た私がしばらくダリアやランスと話し込んでいるとあっという間に時間は過ぎていった。
「それでね、私が捕まえた虫をね……」
「降りよう、着いたみたいだ」
ランスに言われてようやく私は馬車が止まっているのに気づいた。陽はもう沈みかけている。
「じゃあね、ダリアさん。ハーブありがと」
私はランスに引かれ、ダリアに手を振りながら馬車を後にした。