プロローグ
ホントは短編にするつもりだったんですけど、長かったので区切りました。
「せいっ!」
汗ばんだ手で握り締めた剣を振るう。
剣は聞き慣れた音で空を切る。
生ぬるい汗が鼻先を伝った。自分の息が切れているのを嫌でも理解する。普通に立っているだけでも結構辛い。
辛いが、止めたいとは思わない。最低でも後、百回。いや、三百回は素振りをしなければ。
塗れてペシャンコになった髪を撫で付け、剣を握り直す。
「頑張るねぇ」
目だけ動かして声のした方を見ると、近所に住むランスが立っていた。彼は良い友達であり、良き好敵手でもある。
「負けらんないのよ。この剣に賭けてもね」
私の剣、『ドレットノート』は父の形見であり、私の最大の宝物だ。
私の父は高名な剣士だった。常に己の技、そして心を磨き、その勇猛さは誰もが認めた。そんな父も、昨年病に倒れ帰らぬ人となった。
だから私は父の意思を継ぐのだ。父のような高名な剣士には成れなくとも、その意思を継ぐ事は出来る。
父に教わった、簡単な型からの攻撃や切り返しを私は何度も繰り返してきた。目を瞑っていても剣を完璧に扱いきれる自身がある。
「負けらんないったって、戦う相手もいないだろうに」
やれやれという風にランスは首を振った。イラつく奴だ。手が滑った振りをして剣を投げつけてやろうか。いや、こんな大事な剣を粗末に扱うわけにはいかない。第一ランスなら余裕面を崩さずにあっさり避けてしまうだろう。
「で、あんた何しに来たの?」
わざとらしくランスは肩をすくめた。
「ひどい言い方だな。お前の母さんにお前を呼んでくるよう頼まれたんだよ」
私は途中まで振り下ろした剣を、力を抜いて惰性で振った。
「えっ、母さんに?」
「お昼の用意が出来たから戻って来いって」
言うなり、ランスはさっさと踵を返して歩き出した。
「ちょっと、待ってよ」
私はちょっと小走りになりながらその後を追った。
「連れて来たよ、おばさん」
「はいよ、ありがとさん」
ランスについて家に帰ると、おいしそうなスープの匂いがした。
「ただいま。母さん、今日のスープすっごく良い匂いね?」
母は声を上げて笑った。
「ランスの坊ちゃんが来てるから張り切ってんのさ」
母の台詞を聞き流し、スープの入った鍋を覗きこむ。
澄んだスープにとろけそうな野菜がいくつも浮かんでいて、とても美味しそうだった。
私は床に置いてあった着替えを勢いよく手に取った。
「それじゃ、食事の前にちょっと水浴びしてくるね」
ちゃっかり自分用の皿も用意していたランスが手を止めた。
「どこに行くんだい?」
「森の近くに泉があるの。ランスも来る? 冷たくて気持ち良いよ……覗いたら殺すけど」
ランスは何度か首を振って目を逸らした。私ならやりかねない、とでも思ったのだろうか。まあ嘘じゃないけど。
私は脱いだ服を投げ捨てると、泉の中へ飛び込んだ。足の裏が水面を蹴り、体が泉に飲まれていった。ひんやりした泉の水は私を優しく受け入れた。
「気持ちいい」
練習を終えてから大分立っているがなお、体の奥底に残った熱も泉の水に溶け出していくようだった。
澄んだ水を両手ですくい、パチャッと音をたてて顔にかけた。顔を何度か擦り、息を大きく吸い込む。
頭から水に突っ込み、両手で水を掻く。水が少し目に沁みたがすぐ慣れた。
私は昔から泳ぐのが好きだった。剣を握る前からこうして泳ぐのが好きだった。
冷たい水に潜り、人魚姫のように体を揺らして泳ぐのだ。自分の口から吐いた息が泡になり水面へあがっていくのを見ていると、疲れも悩みも泡と一緒にはじけて消えていくようだった。