元夫のストーカーは続く
「おい、いつまで隠れてるつもりだよ。」
「あの人が帰るまでよ。」
「こいつ閉店までサボるつもりだぞ。叱られろ」
厨房でセカセカと動くハジメは、ビャクの声にムスッとした顔で振り返った。
私は決してサボっていない。
頼まれたものが、後はオーブンに入れて焼けるのを待つだけなのである。
「厨房も俺一人じゃ足りないんだ。お前かアダムが料理するなら代わってもらえ。」
「ダメだよ。お客がお腹壊しちゃう。」
「なら、あの大公様なんとかして来い。」
そう今、我がカフェは空前絶後の行列が出来上がっている。
お陰で店はガッヤガヤ、お金はウッハウハ、忙しいハジメはムッスムス。
あまりに忙しくて、目を回すハジメを見かねて私も厨房入りすることに。
もちろん、理由はそれだけではないのだけれど。
「どう考えても、あの大公はアンタ狙いだろ。接客が俺達だけになってから、まるで猛獣みたいな眼光だぞ。」
「大人しく座ってるじゃない。」
「あれが大人しいって言うなら、アダムがあんなにピリついてんのはなんでたろな。」
チラリと言われた方向のアダムを見れば、いつもの無表情で接客をしている。
……いや、2秒に1度は大公の方を見て、腰に携えた短剣を触っている。
「どっちかが爆発して、猛獣どもの戦場と化しても俺は知らん。」
両手を上げてさっさと接客に戻っていくビャク。
確かにこんな所で喧嘩が始まっては事だろう。
しかし、いつものフードを被らず何故か顔面丸出しでやってきた大公に、お引き取りくださいなんて言えない。
もちろん大公だと言うのもあるが、この大行列何を隠そう大公のお陰なのである。
かつて、武神として活躍した彼は賛美されることもあるが、極悪非道、傍若無人、冷徹団長、殺人鬼など揶揄され恐れられることの方が多かった。
しかし、3年の結婚生活と離婚経てからどうした事でしょう。空前の大公ブームである。
それもそのはず、彼は長い王妃との政権争いの中、少しずつ備蓄していた資金を、大公就任とともに全額民の為に使ったのだ。
民達は大公の慈悲深さにいたく感動し、また幾度の戦いで鍛え抜かれた身体と、歴代1ワイルドイケメンと呼ばれた先先代陛下と瓜二つの顔に、世の女性達はメロメロである。
故にいつ噂になったのか、ここに大公がいると知り、あわよくばの女性が大襲来している。
「大公誰かお持ち帰りして、帰ってくれないかなぁ。」
「真っ昼間にあり得ないでしょう。」
「絶対私の謝罪待ちだよ。」
「まぁ、先に悪い事をしたのはあちらの方ですが……。」
あの手のタイプは自分から謝るなんてことはしないでしょうと、軽く確信をついてくるハジメ。
そうです、結婚生活でも彼から謝るなんてことはほとんど無かった。
と言うか、くだらないことでいつまでも溝を作って、利用される隙を作るのが嫌だった私が、早々に白旗を振って彼に謝っていたのだ。
だが、彼の傲岸不遜な性格は折り紙付きだし、たとえ百零で彼が悪くとも、部下を殴り飛ばして謝罪させていた。
「あの大公にはお前が品出せ。俺達じゃ殴られかねん。」
「アンタ達、私が雇ってるの忘れてない?」
「アンタが行っても殴られねぇだろ。」
うんうんと頷くアダムと、心底お疲れ顔のビャクは、無理やり私を厨房から引き摺り出した。
注文された今日のパンケーキを持たせると、イケイケとジェスチャーを繰り返す。
気乗りしない足をなんとか前に進めながら、笑みを必死に作って大公の前へと立った。
「お待たせしました。今日のおすすめのパンケーキです。」
「結婚式前夜の時みたいな顔してるな」
その言葉に、作っていた笑顔がピシリと音を立てた。
「だって笑いたくて笑ってないもの。」
「……俺と会うのはそんなに嫌か?」
「嫌と言うより、気まずい。」
想像の十倍、すらすら話せている自分に内心驚いた。
もっとまごついて、心臓もバクバク言うと思ったのに……。
案外平気な自分に安心して、そしてどこか落胆した。
「離婚した相手前にして、こんにちはって挨拶できるほど、私図々しくないよ。」
「別に……挨拶しろとは言ってない。」
「じゃあ何?謝れって言いに来た?」
さっきよりも貼り付けた笑みを見せて言えば、彼の方が少し強張った。
私が早口で話し始めると、彼はいつも怒ったと思うらしい。
ちなみに言うと私は怒っていない。
道理の通らない事をされて納得がいかないから、説明を求めてるだけ。
「確かに大公ともあろうお方が、大勢の部下の前で掌底食らって目を回すなんて、さぞ不名誉な事でしょうね。」
「……。」
「だけど、例え離婚したと言っても私にもプライドがあるの。」
「……悪かった。」
「えぇ、えぇ。大いに反省して頂戴。そして肝に銘じなさい。次やったら……。」
アンタ殺すわよ。
耳元でそっと囁いて、とびきりの笑顔と共にさっき厨房から拝借した果物ナイフをチラつかせた。
まぁ、こんなのでこの人を殺さるとは思ってないけど……。
ナイフをポケットにしまい直して、後ろに一歩距離を取ろうとすると、誰かに腕を引っ張られた。
ちょっと長くなってしまいました。