元夫はストーカー
産声を上げてから5年後、俺は戦場で幼少期を過ごした。
母親が平民出身の俺は、第一王子と言えどその待遇は酷いものだった。
だが幸いにも、停戦関係にある隣国との境界線を守る騎士団長に預けられ、早くから頭角を現した。
武神と呼ばれ、数々の戦場で帝国の旗を挙げたのは、皇帝も俺を見直すほどだ。
しかしそれをよく思わない正室の王妃は、俺に男爵令嬢の彼女を差し向けたのだった。
もちろん初めは彼女のことを警戒した。
戦場で出会った仲間たちも、皆彼女には気を付けろと口々に囁いた。
だが、彼女は俺に刃を突き立てたり、散財することも、こそこそとどこかに出掛けることもなく、ただ毎日俺に食事を作り帰りを待っていた。
何故そんなことをするのか興味本位で聞いたことがあった。
「私が妻になると言ったのだから、当然のことをしています。」
一度だけ、思えばまともな会話と呼べるものはそれだけだと思うが、揺らぎの無い瞳で言われたのは印象深くあった。
男爵令嬢と言えど貴族、そんな彼女は折々に貴族らしからぬ行動をしていた。
毎日の食事もそうだが、俺が休日になれば、書斎に篭る俺を連れ出して、彼女が自分で手入れをした庭で茶を飲んだり、彼女が作ったケーキを食べたり。
普通の令嬢達は、パーティーの段取りをしたり、新しいドレスを試着したり、集まって社交界の情報を流しあったりする物だ。
「お待たせしました。チョコと抹茶のスフレです。」
しかし彼女は、こうやって少し微笑みながら俺に甘い物を出しては、向かいに座って茶をすすっていた。
初めは警戒していたが、彼女が毒味するように一口かじるのを見て、そのうちさっぱり警戒しなくなった。
それどころか、彼女は俺を助けようと自分の命まで投げ出したのだ。
仲間には無愛想だの、無頓着だの、パワハラだの、傲岸不遜だのと揶揄されるが、彼女にだけは俺のなけなしの人間性が顔を出した。
優しさも思いやりも、尊敬も愛しさも。
彼女だけにしか感じない感情だ。
毎日、決まってここへ来るのも彼女が安心して一日を過ごせたか確かめるためでもある。
なにより、彼女の微笑み無しでは俺は1日を終えられないのだ。
彼女が離婚してすぐ行方をくらました時には、日課の稽古もままならなかった。
彼女が領地に戻ったと聞いて、すぐさま確認しに来た。
ただ、会えたと言っても彼女は、俺が大公だとは気付いていないだろう。
きっと、別れた夫となど会いたくないはずだ。
俺は、彼女の笑顔が見れればそれでいい。
今は領地に閉じ込めているが、それも安全のためだ。
彼女が望むなら、影ながら護衛して、旅をするのも悪くない。
王都にも連れて行ってやれる。
彼女の黒い瞳黒髪の原点である、東の国にも連れてってやれる。
飾られた写真の風景画をバックに、微笑んでいる彼女が俺の脳裏に浮かんだ。