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……結局、特に心の整理がつく事も、桐谷さんや加田屋との話し合いを行う訳でもないままに数日間が経過し、オルランドゥ王が予告していた当日を迎えた。
予め言われていた通りにここ最近は使っていなかった方の食堂へと向かうと、途中の廊下にて見知った後ろ姿を視線の先に捉える事となった。
それまでの習慣で半ば反射的に声を掛けようとしたが、実際に二人と交わした会話と、ララさんからの言葉を思い出した事により、慌てて出かけた言葉を飲み下す。
……前回、アレだけの誤解と罵声を浴びせ、一方的に関係の見直しを宣言した様な相手が、一体どの面下げて声を掛けられると言うのか。
部隊に所属し、戦場に出ていた時にも、女性関係にだらしなく、それでいて反省すると言う事を一切しない様な輩を何度も目にし、そうはなるまいとまだ純粋だった頃に誓ったと言うのに、俺の現状は正しくソレだ。
決してフェミニストを気取っていた訳でもないし、寿命の終わりが見えてきたからと自棄になっていた訳でもない。
……だけど、彼女らから一方的に話を聞き出そうとするあまり、深く深く傷付けたのは純然たる事実なのだ。
それは、如何なる事が在ったとしても、揺るがない絶対の真実なのだ。
そんな俺が、未だに話し合う事もなく、謝罪する事もせずに、どうして彼女らに声を掛けられると言うのだろうか。
そんな事を、ララさんから渡された小瓶の入った腰のポーチを手で弄びながら、内心にて吐露する。
……しかし、そんな事、と言ってしまうには些か事態が深刻ではあるが、この様な事柄に於いて一喜一憂し心を悩ませる様な事態になるとは、こちらに呼び出された当初と比べると我が事ながら予想だに出来なかったであろう、と言う事実に密かに苦笑を溢す。
まだ、自分自身の中に、ここまで青臭く人間味の在る感情が残されていたのか、と言う事に、感動とも愕然とも取れない様な、そんな微妙極まる感想を抱いてしまっているのだから仕方無い。
こうして今悩んでいるのは、あのクソッタレな戦場にて『人間性』とでも呼ぶべきモノが焼き尽くされる事が無かったが為の産物であるのは間違いないが、しかしそうして『人間性』を喪失しきる事が無かったが為に向こうの世界で二人に出会い友宜を結ぶ事が出来たし、こちらの世界でララさん達とも親しくなる事が出来た。
いや、むしろ、こちらの世界にて起きた様々な出来事や、皆との触れ合いにより、ただ惰性で生きていた為に色褪せて見えていた世界が彩りを取り戻し、割りと何時寿命が尽きても良いと思っていたのが少しでも長く生きていたいと密かに願う様になっていた。
我が事ながら、自分の何処にそんな『人間性』が残されていたのか?と疑問に思う時もあったが、今思えば彼女らとの触れ合いにより、磨耗していたモノが徐々に回復しつつ在ったのだろうと思われる。
……まぁ、とは言え、そんな重大な事に今更気付き、ソレを行ってくれていた相手を罵倒したばかりの大間抜けが何を言っても説得力は皆無、か……。
そんな結論を出してしまったが為に、それまで浮かべていた苦笑を深めていると、どうやら向こうも俺に気付いたらしく、こちらへと窺う様な視線を向けて来ていた。
その視線の中には、悲しみや怒りと言った感情が混沌として存在している様に見えたが、その最奥には変わらずに親愛や愛情と言ったモノが鎮座しているのが感じられた。
思わず一歩踏み出し二人へと向けて手を伸ばそうとした俺だったが、その横から複数の影が割って入り彼女らへと話し掛けてしまう。
漏れ聞こえる声や後ろ姿から察するに、恐らくは深谷とその取り巻き達なのだろうが、何故ここに居るのか、まだ無事に生きていたのか、と言った疑念や衝撃が強すぎて、二人に声を掛けるタイミングを逃してしまう。
そして、深谷達の方も、俺と二人との間でいさかいが在った事を知っているのか、加田屋が間に入る事で牽制されていたり、決して表情からして歓迎されている雰囲気では無いにも関わらず、合間合間でこちらへと優越感の込められた視線を向けて来たり、あからさまに見下している様な笑みを口許に浮かべて見せたりしていた。
どうやら、俺から自分に乗り換える様に提案している様にも見えるが、幸いにして彼女の方にその気は無かったらしく、強張った表情と嫌悪の浮かんだ視線にて、毅然とした態度と共に断られていた。
その為か、忌々しげな視線と舌打ちを残して機嫌悪そうに食堂の方へと歩いて行く背中を見送ると、チラリとこちらへと視線を送ってから、二人で同じ方向へと歩きだして行く。
普段ならば簡単に出来ていたハズの事が出来なかった悔しさと、どれだけ関係がギクシャクしていたとしても割って入って庇う位は出来たハズだ、と言う不甲斐なさに打ちひしがれながら、俺も二人の背中に従う様にして、食堂へと足を向けるのであった。
******
「……それでは、帰還を希望される方々は、この陣の中へとお入り下さい」
一度食堂へと集められた俺達は、オルランドゥ王から直々に帰還の準備が整った事を告げられた。
そして、導かれるがままにあの日とは真逆の道筋を辿り、俺達がこの世界へと呼び出されたあの部屋へと到着する。
そこで、これから帰還用の魔方陣を起動させること、帰還を希望する者は陣の中へと入ること、一度入ったら誤作動を防止する為に出られなくなること、等を説明され、陣へと[マギ]が注入さた事によって魔法系特有の光を放ち始め、入るように促されている、と言う訳なのである。
促されるがままに魔方陣へと足を踏み入れる者。
頑としてその場を動こうとしない者。
迷いながら、知人へと話し掛ける者。
約束とは違う友人の行動に、戸惑いを見せる者。
様々な反応を見せる元クラスメイト達だったが、帰還に動く者達は戦闘系に特化していた者達が多く、残留を望む者達には何かしらの生産系にタッチしていた者達が多い様に見て取れた。
もちろん、必ずそうなっていると言う訳ではない。
中には、生産系の[スキル]を取っていたハズの者も帰還を希望して魔方陣へと踏み入っているし、戦闘系に特化させていたハズの者にも残留を希望している者もいる。
そんな中、早々に魔方陣の中へと踏み入り、内側から頻りに共に来る様に誘い掛け、やれ『君がこちらに残らなければならない理由はもう無いだろう?』だの『俺の方が、あんなヤツよりも花怜を愉しませてあげられる!』だの『君を疑う様なヤツの事なんて忘れて、俺の胸に飛び込んで来いよ!』だの『【勇者】たる俺を失ったこの世界が滅ぶのは必定だ。だからこんな世界と心中する必要は無いんだ!』だのと言った戯言をほざいている深谷の姿と、ソレを迷惑そうな視線で眺めながらも、比較的魔方陣に近しい場所にて立ち尽くしている桐谷さんの姿が在った。
半ば反射的、無意識的な行動では在ったものの、今回は途中で止める事はせずに一歩踏み出し、二人の元へと歩み寄って行く。
すると、流石に加田屋の方が先に気付き、先程の廊下の時とは異なる鋭い視線を俺へと向けてくる。
……やはり、未だに謝罪の一つもしていない俺を、彼女に近付ける事を良しとしていない、と言う事なのだろう。
今更ながらに、内心で忸怩たる思いと共に拳を握り込むが、その全てが自業自得であるのは理解しているので、これまでであれば十分過ぎる程に二人との距離を開けた状態にて立ち止まると、その場で床へと膝を突いてから頭を下げた。
「…………不要な追求をかけ、その上で見当違いな疑いまで掛けた癖に、何を虫の良いことを言っているのか、と思われて当然だとは思う。だけど、どうか、どうかお願いだから俺の話を聞いては貰えないだろうか……?この通りだ……頼む…………!」
「……っ!!何を!謝罪もしないで!調子の良い事を……!!」
「……待って。加田屋君、ゴメン。私、彼の話を聞こうと思うの……」
「……でも……!」
「…………良いから、ね……?」
突然の俺の行動に、多分に戸惑いを含んだ加田屋からの声が飛んで来るが、ソレを彼女が柔らかに制して宥めているのが聞こえてきた声から察せられた。
そして、依然として頭を下げたままの俺へと、良く知った気配が寄り添う様にして近付いて来るのも感じられた。
「……それで、話って何……?
私、コレでも恋人に貞操を疑われて結構傷付いているんだけど……?」
「…………まず、在らぬ疑いから心無い言葉を投げ掛けてゴメン。アレは、アレだけは言っちゃならない言葉だったと今では思ってる」
「……まぁ、私達の方も、話せない事情が在ったとしても、貴方に対して説明する事を諦めていたから、疑われても仕方がなかったとは思う。
……思うけど、それでも私は悲しかったし辛かったんだからね?」
「……分かっている、とは口が裂けても言えないけれど、こちらでも把握はした。
それと、無理矢理聞き出そうとして済まなかった。あの時は、そうするのが最善だと思っていたけど、後から他の皆から聞いたよ。確かに、どんな風に言われたとしても、あの場では言い難い事だったと思う。済まなかった」
「……じゃあ、アレは受け取ったって事で良いの?」
「……あぁ、受け取った。まだ、中身は何か聞いてないし、口にしてもいないけど」
「…………そっ、か……。じゃあ、間に合ったんだね……?
……良かった。本当に、良かった……!」
それまでの哀しみが大きな割合を占めていた彼女の声が、唐突に喜びが大きな割合を占めるモノへと変化する。
その急激な変動に戸惑っていると、それまで下げ続けていた俺の視線の中に見覚えの在る手が差し込まれる。
突然の事に思考を漂白させて固まっていると、未だに悲哀や憤りが込められてはいるが、ソレよりも表面へと慈しみや愛情が押し上げられている事が感じられる声色にて彼女が告げる。
「……ねぇ、響君。私ね、貴方に疑われて、冷たくされて、とても悲しかったし傷付いた。
でもね?そうして傷付いて、加田屋君に慰めて貰って散々泣き暮らした後に、私思ったの。
それでもやっぱり貴方と一緒に居たい、貴方の隣に私以外が居たとしても、やっぱり貴方と一緒に居たい、って。
……貴方が、世間には明かせない経歴で戦場に引き出され、そこで色んな経験をしたことで、心の奥底では他人の事を信用出来ていなかったのだろうな、とは薄々感付いてはいたんだよ?詳しい話を聞くよりも前に、こっちに呼ばれる以前はなんとなくだったけどね?
だから、あんな風に問い掛けを拒絶する様にして黙られると、裏切られた様に感じたんだろうなぁ、って事は、今ならちゃんと理解出来るよ」
「…………」
「……だから。だから、ね?
お願い。貴方の選択を聞かせて?
加田屋君はまだ怒ってるけど、それでも私も彼……いや、彼女も、貴方と一緒に生きていたいの。だから、お願い。響君がどちらの世界を選んだとしても、私は必ず貴方の隣に居たいと思うの。
だから、お願いします。貴方の選択を、私に、私達に教えて下さい」
「………………俺は……」
……一度は非情にも突き放たれ、謂われ無き弾劾にもあったにも関わらず、それでもなお俺の事を想ってくれていた彼女の……花怜さんの言葉を受けた俺は、彼女も製作に携わっていたと聞くポーションが入ったポーチを握り締めつつ、胸の奥から込み上げてくる熱を持った何かを堪えながら、彼女に対して答えを返すのであった。
次回、最終回