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俺達がスゥホーイ村へと到着してから一夜が空けた。
あれから村へと戻った後、村長にお願いして村に在った空き家を幾つか借り上げ、俺達が滞在する間の拠点として使わせて貰う事に決定した後、皆でそれぞれの空き家へと分裂して泊まり込んで一夜を明かした後の現在。
俺達は、未だに朝靄も晴れずに立ち込め早朝とも呼べる時間帯に、再度例の畑へと訪れていた。
「…………ねぇ、滝川君。着いてきたのは僕だから、こんな事を言うのはちょっと違うかも知れないけどさ?でも、流石に言わせて貰うよ?
……ちょっと早すぎない?こんな早朝に、わざわざ調べに来る必要なんて在ったの?もう少し遅くても良かったんじゃないの?」
「……そう、だよ……。こんな、朝早く、から……そんな事しなくても……良いんじゃ、無いかな……?私、普段だと……まだ寝てる時間帯、なんだ……けど…………Zzz……」
「……だから、着いて来なくても良いと言っただろうに……」
随分と早い時間帯であった為か、俺が起き出して来た音で起きて着いてきた加田屋と桐谷さんが眠そうな様子にて抗議して来たが、俺としては
『寝てても良いんだぞ?』
と断りを入れていたにも関わらずにこの抗議であった為に、若干ジトリとした視線と態度にて欠伸を溢す加田屋と、眠気の余り立ったまま船を漕いでいる桐谷さんに言葉を返す。
しかし、片や既に夢の世界へと旅立っているし、もう片方もそんなにしない内に同じく夢の世界へと旅立ちそうな雰囲気にて佇んでいる為に、余り効果は無かった様に見えるのが残念な処だ。
正直な心情としては、二人を叩き起こしてでも抗議の一つや二つでもくれてやりたい処だが、そうして無駄な時間を使う事の方が勿体無いだろう、と判断し、二人の事は一旦無視して再度畑の土へと素手を突っ込んで状態を探ってみる。
……やはり、手触りとして粘度が高い。
その割には、掴んでみても湿り気が強くなる様な感じはしない。
そう言えば、昨日見た場所だと土は黒っぽかったみたいだし、この辺は火山灰ベースの粘土状なのか……?
聞いた話になってしまうが、小麦の栽培に関して言えば黒土質の土壌はあまりよろしくは無いらしい。
なんでも、黒土には基本的に土の栄養素の内『リン』に多くの比重が偏っているのだとか。
他の作物だと、生育に多くの『リン』を必要とするモノも在るので、そう言う傾向の在るモノを育てるのには最適らしいのだが、小麦の場合は土壌に多くの『リン』が含まれていると過剰に吸収してしまい、結果的に枯れてしまう事が多いのだとか。
それに、この粘度質な土壌もよろしくないらしい。
小麦は元々大量の水を必要とする作物であるので、近くに水路や水源の無い状態で保水性の悪い粘度質の土壌に直接植えるのはやはりよろしくは無いだろう。
粘度質その物は、遮水性は抜群に高いために、畑の下だとか、周囲を囲む様にして層になっていると、内部の保水性が格段に高くなるので小麦とも相性は良くなるのだが、恐らくはそうはなっていないだろう事は、土を見ていれば自ずと分かる。
……まだ水源や井戸の水を直接調査した訳ではないから確定とは言い難いが、これは土が原因となっている可能性が高い、かなぁ……?
そう見当を付けた俺は、昨晩と同じ様に土汚れを叩いて落としてから、ほぼ立ったまま眠っている二人を揺り起こして拠点へと戻って行く。
その途中で、昨日は見逃していた井戸を見付けた為に、モノの試しに、と近付いてみる。
昨日は既に日が暮れて夜になっていたからか、存在事態を見逃してしまっていたその井戸は、村の中心に位置する場所に掘られており、生活用水の殆どをコレ一つにて賄っているのであろう事が窺える。
しかし、覗き込んでみた結果として見えた水面は、そこまで高い位置に在る訳でもなかったので、恐らくは畑への用水としての使用はしていなかったのだろう。
流石に村の中心から畑までとなると、距離がそれなりに在るのでかなりの重労働になる。ならば、他の手段にて用水を確保していると見た方が建設的だろう。多分。
そうなると、何処か近くに川でも在るのか、もしくは水路を引いているのか、はたまた溜め池でも作ってあるのか、の三択になるハズだ。
しかし、この村へと辿り着くまでの道中にて、それらしき河川は見た覚えは無いし、見渡す限りでは溜め池の類いの人工物は見当たらない様にも思える。
そうなると、チマチマとこの位置に在る井戸から組み上げて撒いたり、雨が降るのを待ったり、と言う事になるのだろうか?
だとしたら、流石に枯れても仕方無い、とは言えなくなってしまうだろう。
何せ、小麦は『肥料食い』と呼ばれる程に、与えた肥料の量が味に直結する作物である。故に、良質な小麦を得ようと思えば、それ相応な量の肥料を投入する必要がある。
しかし、小麦とはそれ以上に大量の水を必要とする作物でもある。
向こうの世界の話ではあるが、小麦を安定して生産する為に、わざわざ運河を開いて水源を確保した、と言う話が在る程度には、小麦の育成と水とは切っても切り離せない関わりが在ると言えるだろう。
そしてそれは、肥料よりも如実に小麦の育成にダイレクトに響いてくる、重大な要素の一つである……らしい。
故に、キチンと水源さえまともに確保出来ていたのであれば、味や取れ高は兎も角として、取り敢えず収穫は出来たハズだ。
……それが出来ていなかった、と言う事は、極端に土が合わなかったのか、それとも水が足らなかったのか、はたまた水質が小麦その物と合わなかった、と言う事になるのだが……。
そんな事を思いながら、釣瓶を操作して桶を下ろし、携帯していた空き瓶へと水を汲み入れておく。
この場で[スキル]を使用し、どんな水質なのか、等を調べる事も可能ではあるのだが、生憎とそこまで小麦の生態に関して詳しい訳でも、適正な水質について知っている訳でもなかったので、詳しい判断が出来ない。
ぶっちゃけた話をすれば、データは取れてもそれが何を示しているのかが分からない、と言う感じだったりする。
なので、この場ではサンプルとして採取する事に終止し、後で今回使われた小麦の情報と照らし合わせて原因を探るための一助とする予定なのだ。
ついでに、朝食やら朝の身嗜み等に使うであろう分の水を汲み、ほぼ寝入り掛けている二人を揺り起こして拠点へと向かって行く。
すると、どうやら他の面々もそろそろ起き出して来ていたらしく、まだ眠そうな目を擦りながらそれぞれの借り屋から表に出て来たり、欠伸を漏らしながら髪を整えたりしていた。
そんな皆へと手を挙げて挨拶しながら声を掛けて行くと、皆の方もそれで意識が切り替わったのか、それとも異性に朝のだらしない場面を見られるのが耐え難かったのか、次第にシャキッとし始める。
そこまで至れば、無理して起き出して半ば寝惚けていた二人も漸く覚醒し始めたらしく、多少顔を赤らめながら俺が汲んできていた水を使って顔を洗ったり、髪を整えたりし始めていた。
やっぱり女性は朝の身支度に時間が掛かるモノだなぁ、と思いながらも特に言及する事はせず、人数の関係で外に設えた竈に薪と火口設置し、火口を放り込んで火を起こす。
ついで、荷物にくくりつけていた鍋を借り屋から取り出してきて竈へと掛け、汲んできた井戸水を中へと注いで煮立たせる。
未だに碌に調査してもいない水を使うことに抵抗が無いでもないが、今の今まで村人達は普通に生活用水として使用していた実績が在るのだから、多分大丈夫だろう。
少なくとも、飲んで腹を下す様なモノであれば事前に注意の一つは在っただろうし、何より他に井戸を掘っているハズだ。それが無かったと言う事は、少なくとも人が口にして不味い事態になると言う事は無いはずだ。多分だけど。
まぁ、最悪死ぬ事は無いだろう、と高を括り、鍋と同じく荷物としてくくりつけていた干し肉(自作)を、例の畑からの帰り道にて遭遇した村人から分けて貰った野菜(外見は白菜に近い)と共に適当な大きさにカットして投入する。
本来なら、ここで塩なり胡椒なりを投入して味を整えるのだが、今回使った干し肉は割りとスパイスを効かせて作ってあるし、それなりに量を投入しておいたので、この人数分であれば追加しなくても大丈夫な程度の味付けに収まるハズだ。
もっとも、それだけでは足りないだろう事が予測される(誰とは言わないが大食いか二人もいるので)ので、同じく持ち込んでいた小麦のパンとベーコン(干し肉とは別口)を適当な分厚過ぎない程度の厚さでスライスし、竈の端の方でまずベーコンだけを炙っておく。
表面から脂が浮かんでくる位に炙った処で裏返すと、表面に貯まっていた脂が火に落ちてジュウジュウと音を立てると共に芳ばしい香りが周囲へと広がって行く。
そうして広まったベーコンの薫りに引き寄せられて、ふらふらと約二名が近寄って来るが、手振りで『待て』と指示を出して今度はパンの方も表面を軽く炙っておく。
適当に頃合いを見計らってスープの方を味見し、問題ない出来になっている事を確認してから竈から下ろし、いい感じに火の入ったパンとベーコンを合体させると、その上に追加で試作したチーズを同じ様に軽く炙って蕩けさせから流し掛け、朝食のメニューを完成させて各自の皿へと盛り付けて行く。
「……取り敢えず、干し肉と葉野菜のスープに、ベーコンのチーズ掛けトースト(モドキ)って処ですかね。
一応、まだ残りはあるけど、それでも足りなかったら自分達で何か作るか、もしくは予め渡しておいた携帯食料でも齧っておいて下され」
製作者である俺が席に着き、全員が揃った事を確認した上で放たれたその言葉により、皆が一斉に食器へと手を伸ばす。
「……ん!美味!」
「いやはや全く、何時何を作られてもタキガワ殿の腕に狂いは無いでありますな!これぞ役得と言うヤツであります!」
……約二名、今の今までお預けを食らっていた面々が絶賛しているのを耳にして、背中がむず痒くなる思いではあったものの、他の面々も思った以上に食が進んでいるのか、みるみる間に減って行くお代わり用の料理を目の当たりにした俺は、慌てて自ら用の食事へと手を付けるのであった。




