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桐谷さんと共に、医務室にて負傷者達を治療し捌いて行く。
時に診察により見た目よりも軽傷と判断して、他の比較的経験の浅い人達の処へと練習台として投げ返し。
時に治療の際の痛みにて暴れだす負傷者を、半ば無理矢理腕力にて黙らせて治療を敢行し、終わり次第ベッドへと転がして放置する。
時に治療の感謝から握手やハグを求めて来る元負傷者達を、その後の治療の邪魔だから、と華麗に回避して後回しにし。
時に判断を誤ったのか、軽傷と判断した負傷者が実は重傷者であり、俺達の処へと振り分け直されたりもした。
そんな、ドタバタと慌ただしく、その上負傷者の血液やら何やらにて最後はドロドロに汚れる羽目になりはしたが、割りと貴重な経験を桐谷さんと共に潜り抜けてから早くも数日が経過した現在。
俺は、以前にも訪れたディスカー王国の王城にある、薬師専用の畑に、その畑の管理者でもあるセレティさんと共に佇んでいた。
「さて、今日はウチの番だけど、本当に良いのかい?こう言っちゃなんだけど、ウチに無理に付き合う事は無いんだよ?お願いするのも、この畑の手入れと収穫なんて言う地味で楽しげも無さそうな作業なんだし、別にウチ一人でも出来なくはないんだから、座って休んでても別に……」
「……はい、そこまで。俺達の居た世界でも謙虚な事は美徳でしたけど、あまりやり過ぎると相手を不快にさせますよ?
それに、俺だって幾ら深い仲に在る相手からの『お願い』だったとしても、本当にやりたくもない事だったら本気で断るか、もしくは何も言わないでトンズラしますからね?覚えておいて下さないな」
「……えぇと、つまり……?」
「早い話が、嫌がってはいない、ちゃんとやる気で来てる、何もしないで見てるだけは寧ろ不愉快、って事ですよ。
取り敢えず、この辺のは扱いが繊細だったハズですよね?なんで、指示お願いします」
「……!あ、あぁ、任せな!じゃあ、早速お願いしようかね!!」
事前に決められていた順番に従い、今回はセレティさんと一日過ごす、と言う事になっていたのだが、一人だけ年齢の高い彼女は他の皆に遠慮して一歩引いてしまう事が多々在り、現に今もこうして遠慮する様な事を口にしていた。
なので俺は、半ば無理矢理決められ、俺の意志の介在する余地の無かった決定では在ったものの、それでも本当に気に入らなければ抵抗していた、と言う事実を伝えた上で、今回のコレも乗り気で在る、と言う事を言葉で示すと、普段は比較的キリリと引き締められている表情を嬉しそうに崩し、頬を紅く染めながら力強く作業の開始を宣言した。
ソレを受けて俺は、若干表情を綻ばせながら僅かに準備運動にも似た動作を行って身体の各所の調子を調べつつ、今身に纏っている作業着の稼動性や着心地を確認する。
「……そう言えば、『ソレ』って確かカレンがあんたに、って繕っていたヤツかい?
パッと見た感じだと、ウチらが知ってる作業着とあんまり違いは無さそうだけどねぇ……?
実際の処として、その辺どうなんだい?やっぱり、何処か違ったりするのかい?」
「……そう、ですねぇ……」
セレティさんの言う通り、外見的にはルルさんが使っていた様なツナギにそっくりな作業着は既にこの世界に存在しており、俺が今使っているモノも同じ様な外見のモノとなっている。
しかし、あの医務室でのアレコレの後に、わざわざ桐谷さんが自分で一から用立てて、その上でプレゼントしてくれたモノなので、恐らくは何かしらの付加効果が与えられている可能性が高いと見て間違いは無いハズだ。
なので、その確認をするために動作に支障の無い程度に[スキル]で身体を直した俺は、ラジオ体操モドキをしてみたり、手入れ道具として用意されていた鍬やスコップを手に取って実際に使ってみたりして、身体の調子を確かめてみる。
「……ふむ?若干、普通のヤツを使っている時よりも、動作に痞が無い様な……?
あと、身体にフィットしているから、動くときに無駄に体力を使わなくて済んでる、かも?
良いか悪いかで言えば断然『良い』のだけど、いざと言う時に簡単に脱ぎ捨てられる事が強みであるツナギとしてはどうなんだろうか……?」
「ふぅん?そんなに良いのかい?じゃあ、後でウチもカレンに頼んでみようかねぇ?」
「……?セレティさんも、ですか?でも、作業着なら、今着てるのが在るんじゃ?」
「こんな野良作業用じゃなくて、調薬の時用のだよ。
ウチは専門が違うからそこまでじゃないけど、割りとそのままだと有害なモノだとかを扱う機会は多いんだからね?
だから、って言う訳じゃないけど、その手の作業着で優秀なのは必須なんだよ」
「成る程、そう言うことね……」
彼女からの説明に納得の頷きを返しつつ、作物の根元から生えていた雑草を引き抜く。
ついでに、作物に付いていた虫っぽい生物(俺の知る虫って脚がもっと少ないし物理的に齧り付けそうな牙と顎は持っていないハズなんだけど?)を払い落として追い払い、齧られて孔を開けられていた葉を鋏で剪定して、もう同じ様な虫が付かない様に殺虫剤を振り掛ける事も忘れずに行っておく。
そこまでやってようやく視線を上げると、セレティさんはセレティさんで樹木の剪定を行っていた。
高枝ハサミに似た道具を使って広がりすぎた枝葉を切り落とすのと同時に、剪定した部分の枝の切り口に何かを塗り付けている様にも見える。
ソレを、下生えを整えながら好奇心から眺めていると、彼女の方もそれに気が付いたらしく、腰から提げていた切り口に塗っていた液体の入っている缶へと手にしていた刷毛を突っ込みながら問い掛けて来る。
「……なんだい?コレが、そんなに気になるのかい?」
「まぁ、正直に言えば。
似た様な事は俺のいた世界でもやっていたので、何となく何をしているのかは解るんですけど、正確に『何をしているのか』だとか『何を塗っているのか』だとかは分からなかったから見ていた、って感じですね。
と言う訳で、ソレの中身って何ですか?」
「へぇ?ウチとしちゃ、あんたの世界の方にも似た様な事が在った、って方が気になるんだけど?
……まぁ、そっちは後で良いか。それで、コレが何か。だったね?コレはヒァーレって言うのさ」
そう言って彼女は一旦言葉を切り、腰に提げている缶に突っ込んだ刷毛を一度持ち上げて、何が付いているのかを示して見せてくれる。
見せてくれるのであれば、と俺の方も遠慮する事はせず、手に付いていた土を払ってから立ち上がると彼女の元へと近寄って行き、缶へと顔を近付けて良く観察させて貰う事にする。
見た目は、黒くてドロドロした液体にしか見えないモノが、セレティさんの左腰に据えられた缶の半分ほどを満たしている。
匂いは……あまりしないが、何となく甘い匂いがする様な気がするので、同じ様なシチュエーションで使われていたタールとは別の何かである可能性が高い。
持ち上げられた刷毛から滴る様子から、粘度自体はそれなりに高そうだが、タール程に高い訳でも速乾性が在る訳でも無い様子だ。
とは言え、こうして現物を見て、その上で塗られた枝の状態等を鑑みれば、やはり枝の切り口を保護する為に塗装していた、と言う事なのだろう。
草の類いであればまた別なのだろうが、樹木の類いになると切り口をそのまま放置していると、そこから樹液が滲み出てしまって樹の体力が落ちる事になるし、切り口から細菌等が入り込んで病気になってしまう事がある。
なので、そう言う事態を防ぐために、一定以上の太さの枝を剪定した場合には、その切り口を保護する為のモノを塗布してやる必要が在るのだ。
その際に、俺達が元いた方の世界では、植物由来のタールを使っていたのだが、こちらで使っているのはどうやら別物の様だ。
あっちはもっと粘度が高いし、結構匂いもキツいモノが多い。
コレみたいに、ほぼ無臭に近くて僅かに甘い匂いがする、と言う様な、優しい物体では無かったハズだからね。
「あんたの世界に在ったヤツがどんなのかは知らないし、何を原料としていたのかも知らないけど、こっちに在るソレ、特にウチが使ってるのはヌーンガって呼ばれてる樹の樹液が主な原料でね。
ソイツを元にして、他に幾つかの素材を混ぜ合わせた上で煮詰めると出来るのさ。
水気にも強くて、塗り付ければ数時間程度でキチンと固まってくれるから、こう言う傷口を塞ぎたい時には重宝するんだよ。
まぁ、欠点が無く事もないんだけどね?」
「欠点、ですか?」
「そうそう。まず、雨の時は使えないんだよ。何でか知らないけど、固まってくれないからねぇ。
それと、管理が結構面倒でね?割りと直ぐに固まっちまうから、よっぽど専門的に管理するか、もしくはその都度用意するか位はしないと、固まっちまって使い物にならなくなるからねぇ。性質上、また溶かしてもう一度、って事も出来ないから、余計に面倒なんだよ」
「成る程成る程。じゃあ、俺達の世界に在ったヤツよりかは、人にも自然にも優しいって事で良さそうですね」
「自然に優しい、ってのは当然として、人にも優しい、って言うのはどうだろうねぇ?」
「……なんです?その、含みの在る不穏なセリフは……」
「いやね?確かに、材料の中には毒が在るヤツは入っちゃいないよ?でも、だからって言っても優しいのか、って言われちまうと、少し違うんじゃないのかねぇ?
このヒァーレは食用って訳じゃないから、少なくとも口にするのは止めておいた方が良さそうなモノだけどね?
……それと、コレは良く言われてた昔話の類いからの情報だけど、ヒァーレって一応甘いらしいよ?でも、少しだけ程度ならともかく、あまり口にし過ぎると盛大に腹を下す事になるんだってさ。だから、取り敢えず食べてみようかな?とか思ってるんなら止めておいた方が賢明だと思うけど?」
「んなことしやしませんよ!」
彼女から液体の正体を聞き、その上で阿保みたいに下らない逸話と用法を聞かされた俺は、内心で
『エルフって、思ってたよりも阿保なのかな?』
と若干失礼な事を思い浮かべながらも、取り敢えずは目の前の作業を終わらせてしまうべく、再度手を動かし始めるのであった。




