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恐る恐る指を曲げて拳を作り、力を入れてみる。
しかし、少し前迄の様に無意識的にリミッターが働く訳でも、嫌な感触に阻まれて力を入れられない、と言う事もなく、指が込められた力で軋む程に強く握り締める事に成功する。
今度は、ゆっくりと警戒しながら、それまで座っていた席から立ち上がってみる。
すると、少し前迄の様にたったそれだけの動作にて無様によろめく訳でも、反応が鈍いために必然的に引き摺る様な形になる事もなく、かつての様に滑らかに足を前に踏み出して歩く事に成功した。
それらの事実に、たったそれだけの事実に、俺は感動の余りにその場で立ち尽くしてしまう。
狙いの通りの効果を発揮し、人工物へと置換されている俺の骨格と筋繊維を[修復]がその効果にて修理し、全体的な調整や調律を[整備]が行ってくれたお陰で、こうしてガタガタであった俺の身体は、戦闘行為にこそは不安が残るが、それでも日常生活に於いては全く問題点は無いだろう、と言っても良い程の回復ぶりを見せてくれたのだ。
自分の事とは言え、半信半疑のままであったにも関わらず、こうして回復(?)する事が出来たのだから、感動の一つや二つするのは当然と言うモノだろう。
そうやって、無言のままに一人立ち尽くし、感動に打ち震えている俺の事を不審に思ったのか、訝しむ様にレティシア第二王女が声を掛けて来る。
「……あの、『救世主』様?突然その様になされて、どうされましたか?何か気に障る様な事でも在りましたか……?」
「…………いえ、なんでも……在りません……。
ただ……予想通りとは言え、嬉しくて、つい……!」
「……は、はぁ……そうですか……?」
何の前触れも無く向けられた俺の笑顔と、喜色に満ちた声に彼女の戸惑いはより強まる事となった様子だが、特に何か粗相があった訳でも、異変があった訳でも無いと判断したらしく、いまいち納得はしていない様子ながらもそのまま再度離れて行く。
そして、そんな彼女と入れ替わりになるかの様にして、今度はララさんが近付いて来た。
「……ん。どうだった?したい事は、ちゃんと出来た……?」
「……えぇ、そうですね。もしかしたら、程度に思っていた組み合わせでしたけど、上手く組合わさってくれたお陰で、狙い通りの効果が出ましたよ。これで、もうララさんに運んで貰わなくても……」
「……ん。それは、無理。と言うより、嫌……!」
「……いや、『嫌』と言われましても……って、むぎゅっ……!?」
唐突に距離を詰めて来たララさんによって捕獲されてしまう。
今日の彼女は昨日とは異なり、鎧姿ではなく私服。
しかも、下はタイトなパンツ姿(尻尾用の穴付き)で、上は前留め式のワイシャツの様な服装であり、とても防御力の低い服装をしている。
そして、そんな彼女に俺は、避ける隙も身構える時間も与えて貰える事はなく、無防備なままに捕獲されて正面から抱き締められてしまう。
俺と彼女の身長差的に、そうして真っ正面から抱き締められると、必然的に彼女の立派で豊かな二子山に俺の頭が来る事になり、当然の様にその柔らかな谷間に顔を押し込まれてしまい変な声が思わず零れ出る。
顔全体に伝わって来る柔らかな感触だとか、鼻を擽る甘い様にも感じる良い匂いだとか、ソレを衆目の在る場所にて行われている事に対しての羞恥心だとかが一度に脳へと殺到し、思わず慌てて俺の事を抱き締め続けているララさんの腕を叩いて解放する様に促す。
しかし、彼女は俺の訴えを完全に無視し、俺の顔を自身の胸に埋め込んだまま俺の頭頂部に鼻先を突っ込み、フガフガと俺の匂いを堪能している様子だ。
俺の脇腹に当たる柔らかでフサフサとした触感から、恐らくは尻尾もブンブンと振り回して大変お喜びの様子なのだろう。
「……まさか、あいつがなぁ……」
「ちょっと、変わりすぎじゃないか……?」
「いや、番を見付けた獣人って、大体あんな感じだぞ?」
「……以前告白した僕には、あんな姿見せてくれなかったなぁ……」
「……むぅ、なんでしょう、この感じ……。
ララと『救世主』様がくっついているのを見ると、なんだかこう……無性に胸がモヤモヤする様な……?」
微かに、そんな呟きが聞こえて来た様な気もするが、ララさんの驚異的な質量を誇る胸部装甲によった耳まで埋もれてしまっている俺には確かめる術は無く、只ひたすらにララさんへと解放を願う事しか出来なかったのであった。
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「やっほ~、さっきぶり~。こっちは終わったけど、滝川君はどうだった?」
「ただいま、滝川君!終わったから、私も戻って来たよ!」
[スキル]の使い方を会得してから少しすると、別行動をしていた加田屋と桐谷さんが戻って来た。
口振りと態度から察すると、恐らくは順当に使い方を会得する事が出来たのだろう。
まだ、各教官の処に残っている面子がソレなりにいる事を鑑みると、二人の習得速度はなかなか優秀であったのかもしれない。多分だけど。
「はい、お帰り~」
そんな二人を、気の抜けた様な声色にて返事をしつつ出迎える俺。
その姿は、やはりララさんに抱き抱えられた状態にて頭頂部をハスハスされており、靴を履いた爪先が床に届くか届かないか微妙なラインにてブラブラと揺られていた。
結局、回復したからもう大丈夫、と言う俺からの申し出はララさんに受け入れられる事は無く、最終的に俺の意見が黙殺される形にて彼女に押しきられ、こうしてまた今朝までと変わらずにこうして運搬される事になってしまっている、と言う訳だ。
まぁ、こうして不具合を解消出来たとは言え、普通に行動するには不自由な期間が長過ぎた為に、『そうである』事が当たり前になってしまっていた。当然、感覚もそれに合わされている状況に在る。
なので、以前の感覚を取り戻す為にも、これまでの感覚とのズレやら何やらを修正する為にも、ある程度はこうして運ばれるのは身体への負担等の面から考えればそこまで悪い事ではないだろう。多分。
……決して、決して無理矢理自分を納得させる為だけに捻り出した理屈では無い事だけは、確かだと主張したい。本当だよ?
そんな、普段と変わらない様子の俺へと、片や多少の呆れを含ませながらも笑みを、片や怒りや執着心と言った感情を潜ませた視線を向けながら、二人は順番に何処か自慢する様に口を開く。
「僕の方は、もう基礎は出来てる、って太鼓判を貰えたよ。
元々、【職業】の方も魔法系に補正が高いモノだったみたいだし、選んだ[錬金術]も魔法寄りの[スキル]だっただけあって、割りと簡単に使える様になったみたいだね。
まぁ、何も無い処から何かを造り出せる様な類いのモノじゃ無かったみたいだから、まだ何を造った、って訳じゃないけどね?
ちなみに、こう言う事なら出来る様になったよ?」
そう言って、加田屋は分かり易く掌を上に向け、その上に小さな火球を幾つも発生させると、両手でそれらを器用にお手玉して見せる。
加田屋のその行動に倣ってか、急き込む様にして桐谷さんも口を開く。
「わ、私も、後は応用の方法を覚えれば完璧だって誉められたよ!
それに、習得していた[回復魔法]も、初歩的なモノだけどちゃんと使える様になったし、聞いた話だと古傷の類いにも効果は在るって話だったから、いつか滝川君の身体も治してあげられると思うんだ!
だから、いつになるかはまだ分からないけど、でも、その『いつか』を待っていて貰えないかな?お願い!」
拝む様にして頭を下げる桐谷さん。
その瞳には真摯な光を湛えており、本気で言っているのであろう事が感じられた。
だが、そのお願いに、俺は本来であればするべきであろう返答を出来ないでいた。
何故なら、彼女が成そうとしている事が無意味だと、俺は知ってしまっているからだ。
そもそもの話として、俺の身体が不自由だった原因を彼女達には『事故にあった後遺症』だと話していた。
つまり、彼女は実際に俺の身体へと身体的欠陥が生じている、またはその欠陥が修復出来ていない、と言う前提で考えているのだろう。
しかし、実際の処としては、俺の身体に起きていたのはあくまでも置換された人工物の損傷と劣化、並びに技師がいなくなった事によるメンテナンス不足が原因であり、あくまでも無機物としての『故障』の範疇の出来事なのだ。
肉体的な『負傷』では無く、だ。
なので、まだ[回復魔法]とやらのデータが無い以上、確たる事は言えないし、もしかしたら出来たのかも知れないが、俺の予想では[回復魔法]では俺の不自由を取り除く事は出来なかっただろうと思われる。少なくとも、出来なかった可能性の方が高いだろう。
それに、そもそも俺の身体的不具合は、既に俺が自分の[スキル]を使用する事によって既に解決済みなのだから、既に俺にとっては本格的に不必要なモノであると言わざるを得ないだろう。
だが、だからと言って『不必要だ』と告げるのは、流石に躊躇われる。彼女の親切心を踏みにじる様な行為は、出来ればしたくは無い。
それに、『じゃあどうやって治したのか?』と問われた場合、そうそう答えられる様な類いの情報では無い故に、口を閉ざす以外の選択肢を選ぶ事が出来なくなる。それも、彼女との今後の関係性を考慮した場合、出来ればしたくは無い。
おまけに、どう言う形であれ、俺の身体が直っている、と言う事を話してしまえば、ララさんに運ばれている事にも要らない突っ込みを受ける羽目になるだろう。
それは、俺にとってもララさんにとっても、ただただ煩わしいだけなので出来なくても遠慮したいのが正直な話だ。
……だとするならば、正直な話としては不本意ではあるけれど、こう返答するしかない、か……。
そう決意した俺は、彼女に掛けさせる無駄な労力と、彼女との関係性が拗れる可能性を天秤に掛け、その結果としてより重要なモノとして後者を選択し、彼女に要らぬ努力をさせる選択をする。
「……うん、じゃあ、いつか出来る様になったら、お願いしようかな?」
……罪悪感を胸に秘めたまま放ったその返答により、顔を輝かせて瞳に強い光を宿した彼女から目を背ける事になったとしても、俺は彼女との今の関係性を選ぶのであった。