エピローグにはまだ早い
あれから俺たちは少し休息を取ってから家に帰宅した。もちろんびしょびしょのままで。
大きな日本家屋。祖父の代から引き継いでいるものらしく、造りは古めかしいけれど、定期的に掃除しているお陰であまり劣化はしていない。
部屋数も多く、少し広い庭があり、蔵があったりするが、両親がいない現状では持て余している。
いつものように『ただいま』と言いながら扉を開けると、中からドタドタと物凄い勢いで迫ってくる夜琉。
「もう、お兄ちゃん遅い!!」
鬼の形相で言ってきたかと思えば、アルテミスの顔を見るや否や怯えたような表情になる。
やはり、まだ受け入れられていなかった。
そして、一緒にいたもう一人に視線が移る。
「あ、れ? ニケちゃん?」
「……へ?」
金髪の少女を前にして、夜琉は確かに『ニケ』と口にした。
偶然で言い当てられるような名前でもなければ、そんな嘘を吐く理由もない。
つまり、彼女はニケのことを知っている。
「……えっと、どういうこと?」
「あらぁ、よーくん! おかえりなさい!」
全員玄関で固まっていると、リビングから姉さんが出てくる。
弟が女のコを二人も引き連れて帰ってきたのだ。何か言われるかと思ったが、そんな事より先に俺たちがずぶ濡れであることに気付き、タオルを持ってきてくれた。
「はい、これで拭いて〜」
「あ、ありがと」
「ここで話すのもあれだから、中に入りましょ!」
姉さんの提案により、俺たちはようやく家の中に入れる。
濡れた制服から、スウェットとパーカーに着替えてリビングに向かう。
みんな既に揃っており、同じくずぶ濡れになっていたニケは夜琉の服を借りて制服からティーシャツとジーンズというラフな格好になっていた。
「それじゃ、朝の話し合いの続き……の前に、夜琉はなんでニケのことを?」
本題に入る前に、夜琉が何故ニケの存在を知っているのか、それを聞き出しておかなければならなかった。
「ニケちゃん、私のクラスメイトなんだ」
「なるほどねー」
と横目で金髪の少女を見る。
ニケと夜琉が知り合いならば、今回の件はもう少し早く話が進んだだろうが、過ぎた話をしても仕方がない。
「ちなみに、お前はどんな名前でここにいるんだ?」
「えっと……ニケ・キュルケゴーンです!」
「センス無いわね」
「そんな事ないもんっ!」
「はいはい、喧嘩は後でやってくれ」
両脇に座る少女たちが今にも弓と槍を取り出して争い出しそうなのをなだめ、ようやく本題に切り込める。
「とにかく、朝言った通りアルテミスは神様で、ついでにニケも神様だ。それは事実だし、現に俺もこうして命を救われてる」
「でも……そんなのどうやって信じればいいの?」
もっともな話だった。
霊体だったり、異形であればもっとスムーズに事が運ぶのだが、この少女たちは見た目が人間と同じ。神様だと言われても、『いや、人間じゃん』と反論をもらい、俺たちはそれに対する証明を持っていない。
「そーだよなぁ……槍をぶん投げてもらうワケにもいかねぇし……」
悩んでいると、アルテミスが勝手に立ち上がり、台所に向かう。
何かを探しているようだった。
「おい、アルテミス?」
持ってきたものは、包丁だった。
ギラギラと輝くその刃を自分の首筋に当てる。
「おい待て!」
「ちょっと……!」
「大丈夫よ」
俺とニケの制止を優しい瞳で止める。
アルテミスには何か考えがあるらしい。
だが、目の前で自殺の一歩手前を見せつけられているのだから、心臓が痛いくらいに跳ね上がり、全員がこれから何が起きるのかと息を呑む。
「見てなさい、二人とも。これが神の力よ」
そう言って包丁を首に突き刺す。
頸動脈を突き破ったのか、勢い良く流れ出る鮮血に姉さんも夜琉も悲鳴を上げる。
常人なら一瞬で死に至る状況だ。なのに、アルテミスは包丁を首から引き抜き、傷口を手で押えるくらいの余裕を見せる。
制服と床が赤に染っていく。
ようやく血が止まり、先ほど刺した首を二人に見せつける。
そこには傷の類は一切無く、血で汚れてはいるものの、傷一つ無い綺麗な肌があった。
「う、そ……」
「どう? これでもまだ信じられないかしら?」
驚く二人を見て、これで信じられないなら、まだ別の手があると言わんばかりに不敵に微笑むアルテミス。
だが、ようやく納得がいったようで、最初に話を切り出したのは姉さんからだった。
「いいえ、信じるわ。信じるしかないもの」
「じ、じゃあなんで神様が、お兄ちゃんの所にいるの?」
夜琉の問いに、やはりアルテミスは押し黙る。
朝からその質問だけは絶対に答えない。
何か目的があることは確かだが、何をするわけでもなく俺を眷属にして助け、学校にさえ通い始めた。
ただ現代を謳歌する為とは思えないが、かと言って大それた目的があるようにも思えない。
それはニケも一緒だった。
アテナ様の勅命でここにいると言っていたが、その内容までは答えないし、聞いても答えるつもりは無いのだろう。
「やましい理由じゃなさそうだし、そこは聞いてやるな」
俺は、そんな彼女たちがいつか話してくれるまで待つことにした。
たとえ自分が利用されているだけでも、単なる道具だとしても、今日一緒に戦い命を預けた仲なのだから、俺は信じるに値すると思う。
「でも……」
「良いわ。よーくんがそう言うなら、私たちはよーくんの言葉を信じるもの、ね?」
「お姉ちゃん……」
姉さんの言葉に夜琉は少し悩んだ後、静かに頷いた。
俺がアルテミスたちを信じたように、姉さんたちもまた、俺のことを信じてくれるようだった。
「ありがとう、二人とも」
「これでなんとか一件落着ね〜」
朝の段階で一番話をややこしくしていた人がよく言う。
「でも、アルテミスさんたちは、住む所はどうなってるの?」
夜琉の質問に俺も興味を持つ。
現代で過ごしていくのだ。さすがに宿が無いなんてことはないだろう。
「無いわ」
「ニケは毎回アテナ様の所に戻りますよ」
思わずため息が漏れる。
本当にノープランでここにいるようだった。
「待て待て! まずニケ、お前どうやってギリシアから学校通うんだよ!?」
徒歩、自転車、電車、通学方法は様々だが、飛行機通学なんて世界中どこを探しても、アラブの石油王くらいしかやらないだろう。
「ニケには翼がありますから。本気出せば、ここまで十分くらいで来れます!!」
鬼と対峙した時に見せた白くて大きな翼を思い出す。
確かにあれならば、通うことは不可能ではないかもしれない。
ただ、見つかったりすれば、大問題に発展するだろう。主に領空侵犯とか未確認飛行物体とか言われて国際問題に。
「まあ……いっか! で、アルテミスはマジの宿無しかよ」
「ええ、あるワケないじゃない」
「自慢気に言わんでもらえる?」
「それじゃあ、ウチに住めばいいじゃな〜い!」
さも良いことを思い付いたと言わんばかりに手を叩き、俺たちに提案してくる姉さん。
その発言に俺も夜琉も、そしてアルテミスでさえも唖然としていた。
きっと彼女自身、ウチに滞在する気は無かったのだろう。
この後どうするのか知らないが、テキトーに放浪するのか、どこかの部屋を借りるのか、手段はたくさんあるのだから。
「え、っとぉ?」
「もう……良いんじゃないかな?」
姉さんのマイペースっぷりに夜琉も考えることを放棄したようで、俺に向かってサムズアップしてみせる。
「はぁ……どうする、アルテミス?」
「え、ええ……せっかくだからその好意に甘えようかしら……」
「はい、それじゃあ決定〜!」
何故、アルテミス当人ではなく、姉さんが一番乗り気なのか分からない。
昔からこの人は、意図しないタイミングで傍若無人を発揮する。しかも俺たちがノーと返事出来ないようにするのが尚更憎たらしい。
だが、今回ばかりは心の隅で感謝をする。
アルテミスのような綺麗な女性とひとつ屋根の下で住むなど、百回人生を繰り返しても無い出来事だ。
健全な男子高校生が抱く期待に胸を膨らます。
こうして俺たちの家に神様が一柱、一緒に住むことになった。