プロローグ:アテネ最終攻防戦前夜
空を厚い雲が覆っている。
つい先ほどまで広大な草原だった大地は、全て焼き払われて生命の欠片も感じられない荒野と化していた。神界でなければ、一国が機能しなくなるような被害が出ていただろう。
肺に取り込む空気が燃えるように熱い。深呼吸なんてすれば、爛れてしまいそう。
「アルテミス、アテナさんを連れて下がっててくれないか?」
横にいた銀髪の少女にお願いする。
青から白へと向かうグラデーションのドレスに身を包んだその姿は、先の災害とも言えるような攻撃でボロボロになっていた。
そんな彼女より重傷な金髪の女性。
白銀の鎧に身を包み、俺と同じくらいの背丈を覆い隠すほどの楯を持ち、俺たちの前に立っていたが、あの一撃を真正面から受けたことにより、手足が炭化してしまっている。
「気にする、必要は……ありません。貴方たちは……成すべきことを、しなさい……!」
息も絶え絶えに、後ろにいた俺たちをその紺碧の瞳が捉えた。
だが、頭からの流血で片目が潰されてしまっている。これ以上戦うのは、素人目に見ても無理だろう。
「頼む、アルテミス!」
俺とアルテミスの深青の瞳が交錯する。
覚悟を測るかのように、切れ長の目は俺を見続ける。
「分かったわ。でも――」
「死ぬな。だろ? 分かってるよ。せっかくここまで来たのに、死に別れなんて嫌だからな!」
安心させるためにニッと笑ってみせると、拳を突き出してきた。
そうだ。俺たちはいつもこうして互いの無事を祈った。
「任せたぞ」
「ええ!」
差し出された拳に応え、アテナさんの前に出る。
数十メートル先にいるソイツをまっすぐ睨みつけ、腰に差してある刀に手を掛け、大きく息を吐く。
「アンタはそうまでして人間を恨むのか?」
俺はソイツに問う。
長い白髪を全てかき上げ、口元を覆う長い髭を触りながら首を傾げる。
「貴様は何か勘違いをしておらんか?」
「……なに?」
「これは選別だ。神は人間を支配し、人間は神に祈りを捧げる。それが正しい在り方なのだよ」
腹に響くような低い声。
アルテミスたちと同じ青い瞳から放たれる鋭い眼光は、今までの誰よりも威圧的で一歩前に出ることすら躊躇うほど。
白い布一つ身にまとったその姿は、ギリシャの象徴――いや、神の象徴として相応しい。
「そうかよ。それなら何も言わねぇ。アンタと俺は敵同士だ」
「ほっほっほっ。敵と言うか人間! 貴様のような矮小な存在が、全能の神たるゼウスに歯向かうと言うのか」
全能の神ゼウス。ギリシア神話において、オリンポスの十二神を従える神々の王。
今まで出会ってきたどの神様よりも、押し潰されそうな威圧感を放っている。
「ったりめぇだろ! 人間の世界をめちゃくちゃになんかさせるかよ。みんな必死に生きてるんだ!!」
それでも臆することなく俺は、一歩を踏み出す。
こんな神様に勝てる可能性は、万に一つあるか分からない。先ほどの一撃を食らえば、俺は骨すら残らず塵と化すだろう。
だが、人間を舐め腐っている今なら、どうにか一太刀加えることは出来るかもしれない。
「ならば、この雷霆で葬ってやろう」
空が唸りを上げる。
緑の大地を焼き払った一撃がもう一度来る。
外敵を屠るために振るわれる雷霆は、娘のアテナさんに振るわれるそれとはケタが違う。
地球全土を溶かし、その光は宇宙の果まで焼き尽くす。
「かかって来いよ。こっちも一撃キメてやる」
頬を伝う汗を気にしているヒマはない。チャンスは一度きり。
この抜刀の真髄はカウンター。相手が何も知らずに大技を繰り出すほど、大きなダメージを与えられる。
「行くぜ、村雨」
(お任せ下さい!)
脳内に幼女の声が響く。
どうやら、村雨の方もやる気全開のようだった。
ヴァヂィィッ!!!! と今まで唸っていた雷が、ゼウスの下に落雷として集まっていく。
超高密度の電気エネルギー。それが雷霆の力。
目で捉えることは不可能に近く、音で判断しようものなら肉体は残らず、全身の神経を一点に集中させて攻撃のタイミングを見極めなければならない。
「村雨極刀流奥義、弐ノ型最終――」
左足を一歩引き、鯉口を切る。
体重を前方に向け、走り出す準備は出来ている。
乱れる風に耳を劈くほどの轟音がほんの一瞬だけ止む。
その瞬間――。
「皇刀・白露ッッ――!!!!」
「アポリト・ケラウノスッ!!!!」
世界の命運を分ける特異点が衝突した。