2: 理想と現実
不定期ですんません
――果てしなく広い草原。
緑のそよ風が1人立つ青年の頬を優しく撫でる。
爽やかで清々しい草原に対して、そこに立つ青年は、酷く濁った瞳をしていた。
―まぁ、俺なんだけど。
「――なるほど、こういう始まりな訳か…特にこれといった魔法陣もなく、同行者もなく、ただ1人ぼっちでヌルっと転移した、と」
しかし、濁った瞳の俺は先程の感情を乗り越えて頭をフル回転させて思考していた。どのジャンルの異世界か、目的は何か、そして――どうするべきか。
「そして徘徊するどこかで見たことのある青いネバネバのモンスター、ね。さて、それじゃあとりあえず元々の目的を果たすとしますか」
やっぱりこの世界にはモンスターというものが存在しているようだ。
しかし、俺は異世界に来てハイテンションになりそこらの魔物に挑みかかるなんて真似はしない。少なくともそんなお花畑バカではないと自負している。
相手の強さも確認できていないのにどうせザコだろうと高を括る死亡テンプレパターンだ。
という考えを持っている俺は言わずもがな、そこらの岩と正対する。
そう、元々の目的は「自らの能力を把握すること」だ。
まぁ、異世界まで来て初めてやることが能力把握っていうのは、中々段階を踏まないぶっ飛んだ考えであるっていうことは否めないんだが。
「とはいっても、いきなり岩を素手で殴るとか痛そうだからしたくねぇしなぁ…石でも投げつけてみるか?」
テキトーな石を拾い上げ、目標に意識を集中させる。まずはあの岩にこの石を命中させよう、ミスったら普通に恥ずかしいしな。
だが、俺もただの平凡な男ではない。伊達に高身長、悪くない運動神経を自分で口走っているだけのことはさすがにあるとは思う。事実遠投は45mくらい投げられるし、ストラックアウトもクリアできなかったことがない。当てるくらいならサクッとこなしてやろう。
…これこそまさにフラグメイカー的発言だと自分でも思うが敢えて言おう、俺はマジでフラグを回収したことは人生で一度もない、この何日間かで起こった非日常を除けば。
なんてことを考えつつプロ野球選手のそれをイメージ・同一化させて力強い踏み込みをし、美しく体を捻転させて――思いきり投擲した。
――そして岩は消し飛んだ。
押し寄せる驚きやらなにやら一切の感情を一旦押し殺して、俺は続けて小石を拾う。こんなことがこれからは何度も起きるのだ、これくらいは常識の範囲内とするのが当たり前になってくる…甚だ遺憾ではあるが。
付近の低木に続けて投球してみる――だが、岩と同様にはならなかった。
投球とこれまでに自分に巻き起こった出来事を思い返し共通点を洗い出す。
「――何が発動条件だ?共通点がまるで思い浮かばねぇ…そもそもこの力自体がなんなのかまだはっきりしねぇ…力の増幅系の能力であることってのは明らかだが、もしそうだとすればビル落下時のことの説明が…」
何度も思考を重ね、俺は一旦この能力を「力の増幅」であると当たりをつけることにした。
「千智がそばにいること?いや、だとすればさっき岩が壊れたのとは状況が違う…あ、まさか――――」
偶然、全くの偶然。奇跡。そう言っても過言ではない思考の過程で至った答え。
――あと少しで店のドーナツを超えていたのに――
――わざわざ鮭とばまで使って助けてやろうと――
――当てるくらいならサクッとこなせる――
それぞれの状況の時の自分が抱いた感情――それらが、紛うことなく一致していた。
生じた心地の悪い可能性――ほぼ確信に似たそれが事実に変わるかどうか、確かめる必要があった。
石を木に向けて投げる。そして――
「【傲慢】、だったか――」
醜い感情の発露が発現・発動の条件である――凄惨にひしゃげた木が示すその事実が少し鈍く胸に刺さる。
この力が魔法的な、ファンタジー的なものであったならという淡い期待を少なからず持っていた俺にとって、この異端な異能は少し虚しくなるものがあった。
ぶっちゃけ、俺はこの【大罪】系の能力に対して、拍子抜けといった感情を抱いていた。
今や【大罪】系も増えすぎたコンテンツの1つである。然るべくして、この序盤も序盤で今後の展開がある程度予想出来てしまった俺は、これから待ち受ける大冒険のあらすじが見えてしまい大分萎えてしまったという訳である。
「…まぁ、何はともあれ力が使えるようになったらこっちのもんだ。あとはひたすら練習あるのみだな」
…とかなんとか言いつつ、しっかり力を扱えるようになったことに結構少年じみた嬉しさを覚える俺もいたことは秘密の話である。
▽▲
――全く、
「――?」
彼女には全く理解できない。今どこにいて、どんな状況で、何をすべきなのか、今の彼女はそれらの情報を精査する思考力を持ち合わせていなかった。
すべての思考が停止した今、彼女――千智にできることは立ち尽くすことだけだった。
要が有り得ないものを瞬時に理解し判断し飲み込んだのは、彼のひねくれた価値観が故である。
常人にとって、有り得ないものはどんなことがあれど有り得てはいけないのだ。
で、あるからして――――
――暗い洞窟でゴブリンに囲まれ思考停止しない少女などそれこそ有り得ない。
「あぁ、なるほど――――
…が、彼女は超人であり――
――――これが、異世界転移というやつね。」
――同時に変人でもあった。
『馬鹿と天才は紙一重』――先人の言葉を借りるとするのならば、彼女は間違いなく後者である。
状況を恐るべき頭の回転速度で把握し、自らを冷静に保ったのだ。
だが確かに、それでいて残念なことに、彼女もまた要に次ぐ変人だった。
故にこの状況を異世界転移だ、と瞬時に判断し飲み込んだのである。
だがそんなこととは無関係に、彼女を前にしたゴブリン達はその醜悪な相貌を歪め、舌舐めずりをしながらジリジリと迫る。
「――とはいえ、この状況がまずいことくらいはすぐに理解できるわ。か弱い女の子を洞窟のゴブリン達の輪の中にソロ転移させるなんて、絶対少女×ゴブリンモノ好きのこの異世界の神はいずれ殺さなければならないわね。なにせ私はただ――」
―料理を作っていただけなのよ、という彼女の言葉は、暗い洞窟の奥に紅く光る大きな双眸の持ち主の咆哮によって、ついに誰の耳にも届くことは無かった。
▽▲
俺がその轟音を耳にしたのは、ようやくスライム一匹を討伐した頃だった。
どう見てもスライムとの戦闘後とは思えない負傷痕と疲労感がその場で一体何があったかを物語る。
「はぁっ...はぁっ...ふ、ふざけんなよマジで...この世界は一体何がしてぇんだよ...いきなりスライムLv100ってどういうことよ...」
テンプレ、とは一体何か。深く考えらせされる相手だった――
俺が本格的に力を試そうと意気込み、決意新たに大きな1歩を踏み出そうとしたちょうどその時、前方のひしゃげた木に違和感を感じた。
「――なんだあの青いのは?」
記憶が正しければ、あの木は大きくひしゃげた後に樹液がめちゃくちゃ溢れてきていた。よって、少なくとも黄金色であるはずだ、だが...
「その部分が青いやつに覆われている――あぁ、スライムか。樹液でも舐めに来たの...か...っ!?」
そう、確かに樹液を舐めていたはずだ。無くなるのは樹液。
では、木そのものが無くなっているのは、どう説明をつければ良いのだろうか?
俺が唖然としているうちに、スライムがその身を起こし、明らかに体をこちらへよじった。
「はは、冗談だろ...俺のバトル童貞はこのぶっ壊れスライムで捨てろってか?」
その言葉を皮切りにするかのように、スライムがこちらへ飛び出す。
俺は全力で横っ跳びして回避した。
いきなり戦闘で体術を使いこなすようなスーパー主人公でもなんでもない俺は地面から体を起こす。
「くっそ、このままじゃ体力無くなってジリ貧だ。木を溶かす体だから殴れねーし...どうする?」
思考を巡らす、が、ジュウっという音がした。
―痛い。そう思ったのは、その音がした直後、
――青い粘液が、肌を溶かしていた。
右腕の皮が抉れて、赤黒い肉が見える。
「うぁあああああっ!?何でっ、どうしてだよ!?」
俺は十分に余裕を持って完全に躱したはずだ、何せあんな回避の仕方をしたのだから。
痛い、痛い、痛い、痛い――――
――――怖い。
痛みが、敵を脅威に感じる心によって恐怖に塗り替えられる。
勝てる――と、どこかで思っていた自分がいた。
力の発現が根拠となったその慢心は、実に脆く、潰える。
そのうちに、スライムがこちらへ這い寄る。
「消えろっっ!!」
俺は無我夢中で力を使おうとし、残った左腕で石を拾い上げ、思い切り投擲する――
――が、石はスライムには届かず消えた。
「――なっ!?」
驚きが、返って俺を冷静にする。
力が使えなかった、確かにそれもある、が。
どうやらこの世界は俺の非日常に対する意向を汲み取った普通と異なる異世界――異異世界らしく、まさしくこいつはテンプレブレイカーだった訳だ。
攻撃法はシンプルな体当たり...だけではない。
――その粘液の発射、も可能なのである。
初期登場モンスターの域を完全に超えてしまったぶっ壊れスライム。
こいつを相手したこの世界の住人、はたまた存在するとすれば俺のように異世界転移した者はどうやってやり過ごしたのだろうか、いや、そもそも生き延びた者はいるのだろうか。
どんな人間も、まさに今這い寄るこのスライムの粘液の前には、
――いや、待て。
「――何でこいつの通った後の草は残ってる?」
そうして浮かんだひとつの仮説を立証する。
俺は石を拾い、スライムに投げながら駆け出す。
色々な方向に移動して、時にはフェイントを加える。
当然の様に発射された粘液に消されていく石。だがスライムの反応速度は、力を使って駆ける俺のそれを下回る。
そして、不意に立ち止まる俺に、スライムはしめたとばかりに狙いを定め粘液を放った。
――俺が既にそこに居ないにも関わらず。
スライムの後ろの俺は、
「――攻撃対象にしかその溶ける粘液を使えない、
それがお前の敗因だ。」
――確信した勝ちを、現実にするために振り抜いた拳は、スライムを爆ぜさせた。
対峙した人間の悲惨なその後を想像せざるを得ない、そんなバケモノを相手にし終えた今の俺は、言うまでもなく疲れのため草原に寝転がっている。
「ふぅ…で、何なんださっきのクソうるさい音は?せっかくこっちが歴史上に残ってもおかしくないレベルの激戦を繰り広げて、達成感に満ち満ちた状態で清々しく寝転んで青空見上げて痛々しく黄昏れてるってのに。悪いがわざわざ面倒事に巻き込まれに行くほど俺は馬鹿じゃねぇし、あいにくまともに相手できるほどの体力も残ってないしな」
事実、これから何か別のモンスターとの戦闘が起こりうるのだとすれば、それは完全に俺の死を意味する。
こんなに分かりきったフラグ回収イベントは、まさに俺が嫌いなテンプレである。誰が行くか。
草原を吹き抜ける一陣の風がかつてのそれと同じように心地よく流れ、草木のそよぐ音が耳をくすぐる。
だがそこで俺は、ある一つの重大な事実に気がつく。
「――いや待てよ、俺このままここから疲れて動けなかったらワンチャン死ぬんじゃ…」
いつの間にか風も消え、生じた沈黙は優しげにそよぐ草原を凍り付かせた。
当然の事実。自明でありながら確固たるものであるそれは、例の青いネバネバ達が周囲を這いずる音をより際立たせ、なんともいえない悪寒と背中を伝う留まることを知らない冷や汗は、草原に寝転ぶ俺を立ち上がらせるのには十分すぎた。
「だぁぁぁぁもう、待ってろやフラグ回収イベントォォッッ!!」
―そう言って、俺は重い体を引きずり音のなった方へ向かった。
▽▲
彼女は、薄暗い洞窟にただただ、立っていた。
本来、洞窟の奥ともなると光の一切絶たれた空間である筈だが、彼女が立ち尽くすその洞窟は、鉱石の発光により仄暗い明るさが保たれていた。
漆黒に溺れる洞窟に、もはやその光は美しさを与えていたが、対して儚げに照らされる彼女はその身を紅く染めていた。
何故か――それは赤い瞳の持ち主の咆哮後に起こった。
硬直し怯えるゴブリンに対し、彼女は驚く程落ち着いていた。
この状況において彼女の思考を支配していたもの――それは、ただひたすらに面倒だということであり、彼女にとっては現状落ち着いているというよりはその咆哮に関心がなかったという方が正しい。
異世界転移に巻き込まれる以前の彼女にとって、異世界という概念は全て要の口から語られたことで形成されていた。
聞いていた当初から、有り様のない可能性を想起することの何が楽しいのか彼女には分からず、また分かろうともしなかった。
料理に熱が入る一方で、一般的な思春期真っ只中の年代特有の色々な願望、葛藤、その他諸々に対しては正直言ってどうでも良いといったような感情しか抱いておらず、手の施しようなくねじ曲がった性格の彼に全く影響されなかった強者であることは間違いない。
そうして遂に彼女は唾液を振り撒いて喚き散らすゴブリン達を鬱陶しいと強く思うようになった。
増幅する感情が、ため息混じりの言葉になって彼女の口から零れる。
「――五月蝿くて、面倒なのだけれど」
瞬間一匹のゴブリンが浮かび上がり、呻き――
――その首で美しい円弧を描き血の花を咲かせた。
唖然、という言葉で形容できる程の驚きならば、狡猾な狩りをする程度の知能を持つゴブリン達にも「逃げる」という選択肢を選ぶ思考があっただろう。
しかしもはや現状はその域を越え、彼らには何が起こったのか理解できなかった。
美しい花。赤い、紅い花弁をもつ花。だが、目の前に咲いたその花は、すぐさまにその花びらを散らしゴブリン達に降りかかり、ベチャッ、という音とともに、ゴブリンだったものへと変貌を遂げる。
返り血を浴びてかつての仲間だった歪になったそれを見ていた筈の彼らは、音を聴く。
圧倒的な何かに何かが捻じ切られる音を。
回転する景色の後に彼らが見た地面は、
――いつもより近く見えた。
――かつて、
要は若者としての思考を放棄した彼女にこう言った。
お前それは若者として――――
――――【怠惰】だよ』、と。
がんばるぞい