【1】千駄ヶ谷 圭は子猫を助ける
「あ、ケイくん。それ運んだらそこのお客さんにコーヒーお代わりいるか、一応訊いといてくれる?」
「はい、わかりました」
「おいおいジジイ、あの客もう2時間くらいいるぜ。お代わり無料つっても赤字になっちまうんじゃないか?」
「はは……ま、いいさ。くつろいでくれているのならね」
俺は店長のこの優しい表情が好きだ。常に客に気を使っていて、ここをより良いものにしようとしている。まさしく、尊敬すべき人だ。
「お待たせしました。こちらハムサンドウィッチとコーンスープ、コーヒーになります。コーヒーはお代わり無料となっておりますので、いつでもお申し付けください」
一人の男性客は読書をしながら、軽く頭を下げた。
そのまま、店長に言われた通りカップが空になっている客の元に行き、お代わりを淹れるか尋ねた。
その女性客は小さく「結構です」と言った。
「かしこまりました」
もうここでバイトを始めてから1年経とうとしている。慣れたものだ。
未だに店長の息子、小此木 陽介からは「コーヒーの発音早く直してくださいよ」とか言われるけれど。もう癖になってしまったし、直すつもりもないが。
ここの喫茶店は隠れた名店という感じで、客もだいたいみんなが常連客だ。もう顔も覚えた。
俺も元々はここの常連客だったのだが、店長に頼まれてここで働くことになった。
店長の名前は、小此木 守。息子の陽介と(たまに奥さんも)家族でここの喫茶店『サンライト』を営んでいたが、人手不足で困っていた、とのことだ。
店長の頼みとなれば断ることはできないし、この店の雰囲気はとても好きだ。
それに、親からの仕送りで生活している現状に多少罪悪感を持っていたところだ。大学もサボりがちだし……。
さっきの男性客の注文を最後に客は来なくなった。
どうやら今日も忙しい時間を無事に乗り切ったらしい。
喫茶店ではだいたい昼と夜に忙しくなるが、それ以外の時間には結構暇だったりする。
「ハァ〜、オレもう戻っていいくね?予習とかしたいし」
「ああ、そうだな。今日も助かったよ」
「ウイ。ケイさん、お疲れ様っした」
「ああ、お疲れさん」
陽介はまだ高校2年生。言葉遣いは荒く、最初は「反抗期なんだなあ」とか思ってたけれど、その実思いやりがあって、俺よりもめちゃくちゃ真面目のやつだった。
「ふう……」
店長も安堵し、壁に寄りかかる。それからしばらく目を閉じると、天井の方を見上げた。
「ん、雨が降っているのか。午前は全然そんな感じじゃなかったのに。傘、大丈夫?」
「はい。天気予報で言っていたので。予報よりもかなり土砂降りな気はしますけど」
「うーん、お客さんは大丈夫かなあ……。あっそうだ、ドアのとこに傘貸し出し用として数本置いておこう」
「大丈夫なんですか?」
「まあね。うちにはなぜかビニール傘が大量にあるんだ」
そう言って、奥へ傘を取りに行った。
ここの喫茶店は店長の家の一部になっている。
いやあ大きい家だなあ。立地もかなりいいし……。
「よいしょっと」と店長が傘が数本入った傘立てを持って戻ってきた。「持ちますよ」と言って代わる。
元から置いてある傘立ての隣に置き、店長手書きの『貸し出し用』と書かれたポップを貼り付けた。
雨音を聴きながら空いたテーブルを拭いていたら、時間になった。
何人かが同時に帰り支度をはじめ、会計を済ます。
最後の客を見送ってから着替えをし、店長を探していると、奥からニコニコしながら包みを持って店長が出てきた。
「これ、まかないって言うか、余り物で作ったやつだから。貰っていってくれないかな」
「おお、助かります!ありがとうございます!」
店長はこうやって時々まかない料理をくれる。
毎回ではないところに店長の気心が知れる。
「いやいや、このくらいはね。今日もお疲れ様。明日も同じ時間だったよね」
「はい、お疲れ様でした」
そう言って、店を後にする。
すごい雨だ。風を伴っているから傘を持っていてもこれはずぶ濡れになるな。
ここから家はあるルートで行けば、そう遠くはない。
サンライトを出て、しばらく道なりに歩くと右手側に小道がある。街灯も少ないため人通りはかなり少ない。
この平和な街で誘拐などの事件が起きるとしたらここだろう。
しかし、この道の薄暗さと生い茂っている草木の雰囲気がとても好きだ。中二病が抜けきっていないのもあるだろうけれど。
なんか闇の機関が集会とかやってそうだし(猫が集会しているのは一回だけ見たことがある)。
その小道を通り抜けると、家の裏側に出て、だいたい5分くらいはショートカットできるのだ。
「うっわあ」
サンライトからちょっと出ただけでもうずぶ濡れだった。
傘意味ないなコレ……。
今日もいつも通り、その小道を通り家の裏の道に出た時だった。
「…………」
道路の端で何かが小さくうごめいている。
何か黒い動物?
道路の端ということは、車か何かに轢かれてしまったのだろう。
すぐに駆け寄って、様子を見てみた。
「子猫か……」
周りに親猫がいる様子はない。
こういう時、どうするのがベストだったのだろうか。
自然に任せてしまう方が良かったのかもしれない。
しかし、俺は着ていた上着を脱ぎ、子猫を包むとなるべく振動を与えないように急いで家へ帰った。
自分でもこんなお節介な性格だったとは、と後からびっくりしたが。
「ただいまっ」
「おかえり、兄さん。タオル用意しといたよ。ってなに、その、なに?」
「子猫、怪我してたから拾ってきちゃった」
「拾ってきちゃったって……」
「電気毛布電源入れといてくんない?」
「う、うん」
パタパタとかけていく春香。
俺は訳あって今は高校一年生の妹と二人で暮らしている。色々家事をしてくれたりするので大変助かっている。
子猫を軽く拭いてあげてから、ハル(理由は忘れたが俺は幼い頃から妹をそう呼んでいる)が用意してくれた電気毛布に入れてやる。
「どうするの、その子」
「明日病院に連れていくよ」
「そっか。兄さん大学全然行ってないしね」
「まあな」
「自身たっぷりに言うことじゃないよ」
一応、皿に温かい牛乳を用意して近くに置いておく。
猫を飼ったことなんてないからわからないことだらけだけど。
「もう晩御飯作ったけど、先お風呂入った方が良さそうだね」
「ああ、ありがとう。そういえばまかない料理作ってもらった。カバンに入ってるから出しといて」
「なんと。さすが店長さん」
風呂から上がると子猫が牛乳をぺろぺろと飲んでいるのを見て少し安心した。
そして、その日は子猫のこと以外はいつも通りな日常で、すぐに眠りについた。
いつも通りな日常が今日で終わるとも知らずに…………。
自分のペースでゆっくりと投稿していきます〜。
よろしくお願いします〜。