人の噂も七十五年
それからしばらくの時間が過ぎた。
「ちょっ、そんなところまで!!」
「エルフに比べて人間は骨盤が外向きになっているのか。この背骨は、柔軟性は無いが長い距離を歩くのに適している」
「待って、いやっ!! ヴァルさん。ちょっと待って。んんっっ!」
変わらぬ仏頂面でブツブツと呟きながら、ヴァルはミリィの全身を撫で回していた。それはどちらかと言えば食材の具合を確かめる料理人のようで、いちいちつついたり引っ張ったりしては、一人で納得したように頷く。
「ヴァルさーーーん。もう限界。なんです……。おね……がい」
人間ではありえない微細な指使いに、ミリィは上気したまま、先ほどからギブアップを訴えているのだが、初めて触る人間の骨格に興味津々のヴァルは、作業に没入したままその手を止める気配は無い。
「骨盤の形が違うから、足の骨格も変わってくる」
ヴァルはミリィの鼠径部にぐっと指を押し込むと、股関節の可動域を確かめようと、なめ回すかのように指を走らせる。
「やめてってば。本当にやめて……ください」
半泣きで訴えるも、ヴァルの耳には届かない。そこまでの集中力はたいした物だが、ミリィにとってはたまったものではない。
「すごい、これはすごいぞ。ここまで」
やや興奮気味にそう呟くヴァル。そしてそのまま腕の動きがピタリと止まる。
グラリと身体が前のめりになり、ミリィの大事な部分に顔を埋めたままドサリと倒れ込んでくる。
当然、もはや限界を迎えたミリィが耐えられるはずも無く、そのまま押し倒される格好になる。
「ちょっと、ヴァルさん。だめです。そんなことしちゃ……ヴァルさん?」
唐突にヴァルの動きが止まる。ヴァルはピクリとも動かない。
「これって……死んで? ヴァルさん。しっかりして!!」
サーッと血の気の引く音を聞きながら、必死にヴァルを起こそうとする。
が、反応は無い。辛うじて呼吸はしてるようだ。
「あ~あ。ヴァルってばまた発作が出ちゃったのねぇ」
「その声。メルさん?」
あきれた様子で女エルフのメルが部屋の中に入ってくる。
先ほどとは違い、今度は薄いローブのような服を着ていた。
彼女なりにミリィに気遣ってくれたんだろうか?
「そうだ! 発作ってなんですか? ヴァルさんは大丈夫なんですか?」
「エルフ特有の突発性睡眠症よぉ。あんまりにも興奮しすぎると突然気を失っちゃうのよねぇ」
「こ、興奮……」
両手を口元に当て、ミリィは座ったまま眠りこけているヴァルを見る。
劣情を抱いているようには見えなかったが、それでもこの状況は刺激が強すぎたようだ。
「あの……わたしはどうすれば?」
「ああ、自分が家まで送っていくわ。あなたミランダの娘でしょ?」
「えっ、ご存じなんですか? お祖母ちゃんのこと!」
「え? 孫? ついこの前娘が産まれたって」
エルフの時間の感覚は人間のそれとは大きく異なる。
メルも人間と交流の多いエルフではあるのだが、自分の主観で認識していないと、どうしても時間の感覚がずれてくる。
「産まれたとき髪の色が祖母と同じだったから、私もミランダって名付けられたんです。ミリィは愛称ですね」
「そうなのねぇ。それじゃあ改めてよろしく。ミリィ」
「はい。よろしくお願いします。でも、ヴァルさんはどうすれば?」
ヴァルは仏頂面のまま動かない。呼吸に合わせて身体が動いていなければ彼自身が彫像になったかのような厳めしい姿だ。
「放っておけばいいのよぉ。目が覚めたら迎えに来てくれるでしょ。この子は私には弟……みたいなものだしねぇ」
「この子……」
どこからどう見ても、青年にしか見えない無精髭のエルフを、この子と呼ぶには違和感があるが、だがエルフの感覚では普通のことなのだろう。
「さぁ。いくわよぉ。今なら夜半過ぎには帰れるわ~」
「うぇ? でもこんな時間に?」
「どのみち明日には街に行く用もあったしねぇ、あたしは精霊魔法も使えるから何が出てきたって恐くないわよぉ」
せき立てられるように準備を終えたミリィは、名残惜しそうにヴァルの様子をうかがう。相変わらず座ったままピクリともしないが、彼のお陰で気分はずいぶん楽になった。深々と頭を下げてエルフの森を後にする。
道すがらミリィはヴァルのことについて、メルから色々と聞かされていた。100年くらい前までは、彼はとてつもない弓の達人だったこと。
誰もが次のエルフの族長になるのだと信じていたのに、ある日突然弓を捨てて彫像を彫るのに夢中になったこと。
それでも50年くらい前までは時々狩りもしていたが、いつの間にやら人里に出向いては女神像を売って生計を立てるようになっていた。
「着きました~。メルさん送っていただいていありがとうございます」
そんなこんなで話を続けているうちに町に到着。
ミリィの家は町外れの花屋だ。もっとも花屋といっても花きの栽培農園も兼ねているので、敷地はかなり広い。
「お礼はいいのよぉ。それよりも今日のことをどう説明するかよねぇ」
「あ……」
「悪いけど、お話は少し聞かせてもらったわ。あなたはヴァルに買われたことになってるのよねぇ」
「それは、事実ですから」
婚約を破談にしたい一心で飛び出してきてしまったが、落ち着いて考えてみると取り返しのつかないことをしたような気もする。それでも……それでも意に添わない結婚から逃れられるなら構わない。それだけの決意はあった。
「ふぅん。ずいぶん肝が据わってるのねぇ」
メルからしてみれば、もっと慌てるとか困るとか面白い反応をするかと思っていたのだが、ミリィはきっぱりと断言した。
その目にはさざ波のように沸き立つ困惑も、深遠を覗くような恐怖も見られない。人の見せる意思の力。それはメルの最も好むものだ。
「わかったわ。半分くらいは私の責任でもあるし、明日なんとかするわねぇ。それじゃ私も久々に家に帰るから、ここで」
そう告げたメルは向かいの鍛冶屋の扉をノックする。鍛冶屋のアンデルセンさんはレンガ造りのそこそこ大きな家だ。
高いところに大きな窓がある頑丈そうな建物で、鍛冶屋なのに何故か大砲が店の前に置いてある不思議な店だが……。
「え、まさか鍛冶屋さんって、メルさんの旦那様?」
「違うわよぉ。鍛冶屋をやってるのは息子。旦那は外で仕事をしてるわぁ」
「まさかお向かいさんだったなんて……」
今日出会ったばかりの全裸エルフが、そんな人だったとは。ちょっと世間狭すぎじゃないか?
「それじゃあ、また明日ね」
「はい」
陽気に手を振って鍛冶屋の中に入るメル。一人残されたミリィはこんな時間なのに、まだ明かりの灯っている我が家を見る。
きっと、親も心配しているだろし、絶対に怒られるに違いない。
意を決して家の戸を開ける。
「ただいま戻りました」
「お帰り。ミランダ」
部屋の中心の丸テーブルを囲むように両親が座っていた。父は普段に比べてやや顔色は悪かったが、変わらぬ様子で娘に声をかける。
「お隣のメルさんに送ってもらいました」
「やっぱりそうなのね。良かった」
「やっぱりって?」
てっきりあんな真似をしたのだから、もっと怒られるんじゃないかと思っていたし、どんな顔をして両親にあえばいいのかもわからなかった。
それなのに、二人は普段と変わらない様子でミリィを出迎えた。
「酒場から連絡があったんだ。あの百年童貞がお前を森に連れて帰ったとね。大丈夫だろうとは思ったが、そこまでお前が思い詰めていたとは」
「あの風変わりなエルフは水の乙女様の弟なのでしょう?」
「え、ちょっと待って母さん。水の乙女って、メルさんのこと?」
「ええ、そうよ。ミランダは初めてお目にかかったのかしら」
「いや、待って水の乙女様ってこの町の守り神みたいな人なんでしょ?」
水の乙女は昔話に語られる伝説の存在で、150年前の旱魃の際、水の精霊の力でこの村を救ったと伝えられいる。
「メル様はかれこれ200年以上も、この村を守っておられる。うちも母さんの代から花屋を続けているのはあの方のお陰だ」
帰り道で半分くらいは自分の責任だといった理由もわかった。去年の花がダメになってしまったことに彼女なりに責任を感じているのだろう。婚約のことや、エルフ達のこと。悩みは解決したわけではなかったが、お気に入りの枕を抱いたまま少しだけ安心してミリィは眠りについた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「えーい!そーれーー!!」
花畑の真ん中で、水で透け透けの薄衣をはためかせてメルが踊る。
普段から全裸で過ごしているだけあって、日の光を浴びるたびに見えちゃいけないアレやそれがチラチラ見えてしまう。
しかも当の本人は服を着ただけで充分な配慮だと思っているのか、一向に気にしていない様子。
この村では子供は水の乙女を見ると森に掠われると教えられるのだが、これは子供には見せられない。
「ふぅ。これで今年はちゃんと花が咲くはずよぉ。去年は留守にしててごめんなさいねぇ」
「いえいえ、来ていただけた上にミランダのことまで助けていただきありがとうございます」
「それはいいのよぉ。ヴァルが勝手にやったことだし。困ったことがあればまた息子に頼んでねぇ」
深々と頭を下げるミリィの両親にそういうと、メルはミリィの手を掴む。
「さて、ミリィは私につきあってもらうわぁ」
「え? はいっ! でもその前に着替えてください」
濡れ透けの美人をこのまま連れて行くわけにもいかない。渋るメルを着替えさせ一緒に町を歩く。
自分の方を見て町の人たちがヒソヒソ話をするのが聞こえる。
昨日の今日で仕方ないが、当分後ろ指を指されることは覚悟しないといけない。
しかも彼女が向かう先は、昨日の酒場だった。
「さぁて、もう一つの問題を解決するわよぉ。たっだいまぁ~~」
場違いに元気な声で女エルフが酒場の扉を開ける。一斉に酒場中の視線が釘付けになる。
「おい……あいつは……」
「はっ、豪傑喰い」
メルの姿を見るなり、男たちがそそくさと隅のテーブルに移動する。
彼女は町の人間の半分くらいには、水の乙女ではなく森からいい男を漁りに来るヤバいエルフだと思われている。
「ど、どうしたの? 母ちゃん!」
そして彼女の姿を見るなり、裏返った声で叫ぶ酒場の主人。
「お母……さん」
「そうよぉ。この子は前の旦那の子供でジョンというの」
これがヴァルの言ってた四度の結婚ということか。酒場の主人のジョンさんは50半ば。
鍛冶屋のアンデルセンさんはまだ25くらいなので、すごく年の離れた兄弟になるのか?
「ジョン~お酒もらっていくわねー」
慣れた手つきで棚から蒸留酒を取り出して、そのまま瓶を開けて飲む。
いくら自分の家といっても破天荒すぎる。
「母ちゃん。みんなの前でジョンって呼ぶの止めてくれよ。またヴァル叔父さんに言いつけるぞ」
「はぁ? あの意気地なしに何ができるっていうのよ! 昨日だってこのミリィを買ったのは骨を調べるモデルとしてよ。あの百年童貞は、そういうことも普通に頼めない腰抜けなのよ」
メルは酒場全体に聞こえるようにそう告げた。
「ほら、やっぱり手出しできなかっただろ?」
「むしろそこのあばずれエルフを足止めしてくれていれば」
「賭けは俺の勝ちだな」
常連客達は口々に好き勝手なことを言い始める。
(もしかして、私のことを守るためにわざと?)
ここに来るだけなら一人でも十分だったはずだ。それでもミリィをここに連れてきたのは、昨日のことを無かったことにするために違いなかった。それからも酔ってクダを巻きながらも、ミリィの婚約のことや家庭の事情などを聞こえるように話し続けた。そして日が暮れる頃にはすっかり酔いつぶれて寝てしまった。
「ミリィちゃん。今日は母ちゃんが迷惑をかけたね。次来た時は何でも好きなものを頼んどくれ」
「いえいえ、こちらこそメルさんにもヴァルさんにも助けられましたありがとうございます」
寝ているメルに毛布を掛けながら、ジョンは嬉しそうに微笑んだ。
「今日はメルさんはここに泊まるんですか?」
「いや、さっき伝書鳩を飛ばしたからそろそろヴァル叔父さんが来る頃だ」
その言葉が終わるか終わらぬかのうちに、ギギィと扉が開く。戸口に立つのは死神のように鋭い目つきの男。
「待たせたなジョン。メルを迎えに来た。それとマック一つお持ち帰りで」
「そろそろ来る頃だと思って作っておいたよ。母ちゃんが来たのは昨日のあれかい?」
「まあ、そんなところだ。ミリィも昨日はありがとう」
ジョンからマックの入った包みを受け取り、ヴァルは毛布を掛けたままのメルを背負う。
「私こそありがとうございます。そうだ、町外れまで送っていきますよ」
ヴァルはエルフにしては筋肉質な体をしているし、実際に力も強そうだ。
相変わらず表情はわからないが、メルやジョンを見る眼差しは少し優しく見えた。
こうして改めて逢うと少し気恥ずかしい。
普段は人に見せない姿を見せるのは、なんとなくむずがゆい気持ちになる。
「メルさんにも本当にお世話になりました。わざわざ悪い噂が広まらないように手を尽くしてくれて」
「人の噂も七十五年。たとえ一時噂になろうとも、七十五年もたてば皆忘れるし居なくなる」
気の長い話だが、彼らエルフにしてみれば一瞬の出来事なのかもしれない。
「エルフはそれで良いのかもしれませんけど、人間はそんなに長くは待てません。私もお婆ちゃんになっちゃいますよ」
「そうだな。俺も少し不用意だった」
「そうだ。酒場のご主人のお父さんってどんな人だったんです?」
「ああ、マックか。あいつは俺も勝てないような凄腕の猟師だった。このマックもあいつと狩りに行くときにいつも食べていたものだ」
マックサンドを考案した猟師のマックがメルの前の配偶者で、しかも酒場の先代だったなんて。でも、いわれてみれば、酒場の至る所に剥製がおいてあるし、それが真実なのだろう。
「ヴァルさんにとっては、マックは思い出そのものなんですね」
「そうだな。あいつは居なくなっても生きた証は残る。俺があいつのことを語る限り、マックの物語は終わらない」
「ヴァルさんって以外とロマンチストなんですね」
「そうなのか?」
「そうなんです」
こうして話してると自然に笑みがこぼれてくる。無愛想だが彼は人並みの感情は持ち合わせている。
それはこんな風に話してみて、色々なことを知らなければわからなかっただろう。
「あの? これからも森に遊びに行ってもいいですか?」
「俺は構わないが、町の者にどう言われるかが心配だ……」
「いいんですよ。やましいことがなければ胸を張ります。人の噂も七十五年でしょ?」
「人間には七十五年は長過ぎないか?」
「人間は、納得するまでの時間も早いんです。誤解があれば私がなんとかします」
「そうか。ありがとう」
ほんの少し、ヴァルの口角がつり上がる。
その時である!
「ミリィさんから離れろぉぉぉぉぉ!!!!!」
猛然と飛び出してきた何者かが、ヴァルの左頬に強烈な一撃を食らわせる。
それでもヴァルはその一撃に怯みもせずにギロリと睨み返す。
「ひっ!」
ピクリともしないヴァルを見て男は少しひるむ。灰色の髪に鳶色の目。
見るからに上質なリネンのシャツに皮のズボン。
「お前は?」
「僕の名前はロナルド・コークス。ミリィさんの婚約者だ!」