少女と百年童貞
「誰でもかまいません!! 私を買って下さい!!!」
バタンと、観音開きの扉が閉まる音と共に駆け込んできた小さな影。
声からすると少女だろうか? それは酒場中に響くような大声だった。
「おいおい。どうしたんだいミリィちゃん」
「何があったか知らないが、自棄を起こしちゃいけねぇな」
ミリィは16歳。背中の中程まで伸びた赤毛。
太すぎず細すぎない理想的なプロポーションを持つ少女。
子鹿のようにしなやかな足と、服の上からでもわかる形のよい胸。
すらりと伸びた背筋は、ひときわ均整の取れた身体を際立たせ、おまけに器量よしときている。
「いや……そうはいっても、なぁ?」
「ああ。悪いがそいつはできない相談だ」
そんな美少女が自分を売りに出すという。
世の常であれば、男どもはすぐにも飛びつきそうなものだ。
だが、狭いこの街。
酒場で酒を飲む男達は、みな少女の顔見知りばかり。
家族で花屋を営むミリィをよく知っている彼らの中に、手を挙げる者はいない。
「私は本気です! 誰でも構いません!!!! お願いです!!!」
懇願する少女の声が、おんぼろ酒場の壁を揺るがさんばかりに響く。
それでも、必死の願いもむなしく男達は顔を見合わせたまま、なんともいえいない表情を浮かべていた。
何かよほどの事情があるのはわかる。
が、厄介ごとに巻き込まれるのも、後ろ指を差されるのもご免被りたい。
「誰か!!!!!!」
涙混じりの叫び声。
酒場とは思えない静寂の時間が続く。
「俺が……買おう」
店の奥でスッと手を上げて、そう告げた死神のような声。
一斉に酒場中の視線が釘付けになる。
「おい……あいつは……」
「はっ、百年童貞……」
男達は、少女に声をかけた「ソレ」をよく知っていた。
それでも駆け寄るミリィを呼び止める者はいない。
いや……止めることなどできないのだ。
「ありがとうございます!!! 貴方は。えっ、エルフ!!」
ようやく自分の願いを叶えてくれる相手を笑顔で見上げたミリィが凍り付く。
酒場の隅の暗闇。天井から吊り下げたランプの灯りに浮かび上がったその姿。
長く尖った耳、ギョロギョロと眼球だけが動く仮面のような顔。
端正なはずのスラリとした鼻、薄い唇。
その全てが、この場にいてはならない異形の姿だったのだから……。
「ヴァ=ルダだ。人間にはヴァルと呼ばれている」
視線だけをミリィに向け、エルフはそう名乗った。
ミリィもこの男に関する伝説は知っている。
百年童貞。
その奇妙なエルフの彫刻家は、この100年ものあいだ女神像を掘り続けている。
美の女神を侮辱したために、女神が満足するまで彫刻を彫らされいるとも、死んだ初恋の乙女を甦らせるために、その似姿を彫っているとも言われている。
ある日酒場でモテないことを嘆いていた若者に、自分は百年以上も童貞であると告白したことから、街の者からは《百年童貞》という不名誉な異名で呼ばれていた。
「あの……ヴァルさん。それは本気なんですか?」
先ほどまでの勢いはどこへやら、ミリィは自分を買うというこの男の真意を量りかねる。
買おうと思えばミリィのような自棄を起こした小娘などでなく、大きな街で最高級の娼婦すら買えるはずだ。彼の女神像は好事家に高く売れることは誰もが知っている。
「冗談でいえることか?」
「そうですよね……」
低く呟くような声、射貫くような視線にミリィは目を伏せた。
視線の先、ヴァルの手には食べかけの『マックサンド』が握られていた。
その昔猟師のマックが山で体力を維持するために、堅いライ麦パンの間に挽肉に野菜屑を混ぜたステーキを挟んだもので、酒場の名物料理だ。みんなは短縮して『マック』と呼んでいる。
(エルフでもマックを食べるんだ)
不安を吹き飛ばすために、少しでも明るいことを考える。
ここにきた原因に比べれば、こんな不安は何でも無い。
何でも無いとミリィは自分に言い聞かせる。
不安そうな彼女に気がついたのか、ヴァルが音も無く立ち上がった。
「お前を見世物にするつもりはない。すぐに出るぞ」
やや大きな声でそう言うと、ミリィの手首を掴み、周囲を見渡す。
酒場の男達はその恐ろしげな光景に、みな押し黙ってうつむいていた。
どうしても許せないことがあった。
それから逃げるためなら何でもできると思った。
それでも、まさかエルフについて行くことになるなんて。
(もしかしたら自分は大変な間違いを犯したのでは?)
ようやく自分の決断がもたらした結果の深刻さにミリィが気がついた時。
「主。勘定を頼む。それとマック。お持ち帰りで……」
ヴァルは無表情に支払いを済ませていた。
(今食べてるのにまだ食べるんだ……)
こんな状況にも関わらず、ミリィはそんなことが気になった。
少しだけ恐ろしさが和らいだような気がした。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「酷いと思いませんか? 本当に酷いと思いませんか?」
エルフの森への道すがら、ミリィはヴァルに思いの丈をぶちまけていた。
「いいや。俺には……良い話に思える」
「ぜんっぜん! よくなんかないです!!! 借金のカタに結婚なんて酷すぎる!!!」
「そういうものなのか?」
「そういうものです!」
ミリィがあんなにやけっぱちになっていた理由。
彼女の実家の花屋は昨年の秋口に嵐による花への被害で、多額の借金を抱えていた。
それでも長く続いた商売の信頼があり、なんとか上手くやってきたのだという。
ところがある日。
隣町の大店の若旦那が、その借金を全て肩代わりすると言い出したのだ。
その条件とは、ミリィが彼の妻になること。
ミリィの言うとおり、借金のカタに売られていくと考えることもできる。
「だから身売りをするような女だって思われたら、結婚を破談にできるんじゃないかと……」
「そういうものなのか?」
「そういうものです!」
このやりとりは何度目だろう?。
もう100年以上人間と交流があるはずなのに、この男はあまりにも他人に興味が無いように見える。
エルフにしては珍しい無精髭。街で見かける他のエルフは芳香といえるほど良い匂いがするのだが、この男からは普通に人間のような匂いがする。
「着いたぞ。まあ上がっていけ……」
気がつくとそこはエルフの森、街から一時間近く歩いていた。
木の上にある家に入るため、蔦で編まれたハシゴを登る。
そこは木の板と蔓で組み上げられた鳥の巣のような住居。
「しばらくそこで寛いでいてくれ」
「はい。ありがとうございます」
床には何体もの作りかけの女神像が転がっていて、さながら女神像の墓場のような様相を呈してた。
無造作に転がる女神像のできそこない。
そんなものでも、彼女から見れば完璧な造形に思える。
ヴァルは何かが気にくわなかったのだろうか?。
頭から真っ二つに切り込みを入れられ、焚き付けにでもするのか、細かく削り取られていた。
「それほど気になるか?」
「こんなに上手くできてるに可哀相だなって」
ミリィの背後で響く、ゴトリ。という重く鈍い音。
「すごいな。人間は薪にも慈悲の心を持つのか」
「ああ、やっぱり薪に……えっ? 今の音?」
背後から響く音に、顔を上げるとヴァルの右手には大きな鉈が握られていて、これから〆られる豚を見るような目でミリィを見下ろしていた。
「なんなんですかその鉈。おいしくないです。私全然おいしくないですぅ!!!」
殺されるとか、犯されるとかの前に、食べられるという本能的な恐怖を感じたミリィが思わず叫び声を上げる。ミリィの顔と鉈を交互に見つめ、ヴァルは首を傾げる。
「何をいっている? これでも飲んで落ち着いてもらおうと思っただけだ」
指さした先には人の頭ほどもある椰子の実。ヴァルは鉈でココナッツの実に切れ込みを入れるとミリィに差し出す。
「ごめんなさい。ありがとうございます」
どうやら、見た目よりは親切なようだが、人を見るとき、表情は変わらないのに瞳だけ動くのでとても不気味だ。知らない場所に二人きりという状況ではミリィが勘違いするのも無理は無い。
本当に誰もが尻込みする中、なぜミリィに声をかけたのかも理解できない。
「俺は仕事の準備にかかる。何でも好きに使ってくれ」
そういうと、彼女に背を向けたまま、一心不乱に壁に所狭しと並べられた彫刻刀を手に取っては戻す。
(うん……絶対に悪い人じゃあないよね)
草の茎で作られたストローでココナッツミルクを飲みながら、ミリィはヴァルの背中を見つめていた。
まるで祈りを捧げるかのように、真摯に道具と向き合う姿は、さっきまでと、まるで違って見える。
「ねぇ~~。ヴァル~~~帰ってたのぉ?」
「きゃっ!」
ミリィの足下から唐突に若い女性の声が響く。
「嘘! ヴァルが家に私以外の女を連れ込んでる!」
「うるさい! 今は仕事中だ!」
「はだっ……はだっ……裸!!!!」
集中している最中にいきなり声を掛けられたことにも驚いたが、ミリィを驚かせたのは入ってきた女エルフの姿だ。
そのエルフは、その身体に何一つ身につけてはいなかったのだ!!!!。
「なにいってんのぉ。エルフが服着ないのは当たり前でしょ~?」
金色の髪。女神像のように均整のとれた身体。身体の表面には無駄な毛など一つも無く。髪をかき上げるだけで芳香が生じている。
「えっと。ヴァルさん。当たり前なんですか?」
「いや。最近は人間と交流が多くなったから減ったな」
「最近は?」
「そうよぉ。もともと私達エルフの身体は水の精霊の薄い膜に覆われているの。だから汚れないし、ちょっとのことでは傷も付かない。衣服を身につける必要は無いの」
「でもヴァルさんは?」
「ヴァルはいつもマックを食べてるでしょ? 精霊は獣の肉の匂いが嫌いなのよぉ」
そうか。それが違和感の正体か。
他のエルフと違い、街で肉食を行う彼は髭も生えるし匂いもするのだ。
「メル。客人の前だ。服を着てくれ」
「はぁい。わかったわよ。せっかく今日こそ夜這いしようとおもってたのにぃ」
「そんな時間はない。それに人間と婚姻しているお前に、俺が手を出すわけ無いだろう」
「え? 結婚?」
「そうだ。そこにいるメ=ルダは、四度人間と結婚し、7人の子供と12人の孫。5人のひ孫がいる」
「えっ、ええーーー」
見た目通りで無いとはいえ、自分と変わらない歳に見えるメルが結婚と言うだけでも驚きなのに、さらにひ孫までいるとは!!!。
「我々エルフに婚姻の風習は無い。氏族の男女なら誰と子をなそうと構わない」
「それで、こんな可愛い子を連れ込んでどうするつもりなのぉ?」
「メル。すまないが今日は帰ってくれ。忙しいんだ」
「も~~、せっかく寂しい思いをしてるんじゃ無いかと思って来てみたのに。ヴァルの馬鹿ーーー!!!」
少女のようにブンブンと腕を振り回し、メルと呼ばれた女エルフはむくれたままヒョイッと飛び降りて駆けていく。ヴァルはその様子をジッと見つめていた。
「あの方は恋人ですか?」
「いいや。家族だが妻でも恋人でも無い。強いて言うなら姉。だろうか?」
死に神のような男エルフと、女神のような女エルフ。
今日だけでどれほど驚き、多くの疑問をいだいたのだろうか?
ミリィは自分がとんでもない場所に来てしまったのでは無いかと重ねて不安を覚える。
相変わらずヴァルは仕事道具を眺めていたが、何本かの彫刻刀を取り出すと机の上に並べ始めた。
「さて。ミリィと言ったか……。改めて俺がお前を買ったわけだが……」
「あ? えっ? そ、そうでしたね」
この偏屈なエルフのペースに巻き込まれ、すっかり忘れていたが、ミリィはこの男に買われたのだ。
人里離れたエルフの里。相手の家に二人きり。
自然に頬は赤く染まり鼓動はトクトクと早まる。今の彼女にできるのは次の言葉を待つことだけ。
「まずは服を脱いでもらおう」
今までと変わらぬ鉄面皮で、彼はそう言った。
「やっぱり。するんですか? そういうこと……」
見た限り、このエルフは女性に興味が無いようだった。
何よりもあんな金髪全裸美女に何度も言い寄られて、それでもまだ手を出していないなんて、よほどの精神力か、それとも女性に興味が無いかどちらかだろうと思ったのだが。
それでもミリィに脱げというのは、つまり彼もそういうつもりだったのだろうかと思う。
「まて。そうではない。震えるのも泣くのもやめてくれないか」
「でも、服を脱げというのはそういうことなんじゃ?」
そういわれてミリィは、初めて自分の身体が小刻みに震えていることに気がつく。
それにヴァルのいうとおり、頬を涙を伝うのを感じる。
「違う。違う。そんなつもりではない。全部脱ぐ必要は無い」
相変わらず表情は読み取れない。それでも微妙にうわずった声から、彼が混乱しているのはわかった。
「ごめんなさい。てっきりそういうことをするものだとばかり」
「さっきメルにもいった通りだ。これからお前には仕事につきあってもらう」
「それなら……私を女神像のモデルに?」
先ほどから彫刻刀を選んでいたようだし、それならわかる気がする。
「…………」
ミリィのその言葉に、ヴァルは目を見開き、驚いたような様子を見せる。
「ミリィ。俺が掘っている物はなんだ?」
「女神像ですね」
「そうだ。モデルになるということは、まさかミリィ。お前は女神なのか?」
「いいえ。違います! そんなわけないです! 私が女神様だなんて」
それは慌てて否定する。言われてみれば女神像のモデルは女神似違いは無いだろう。ミリィは恐る恐る尋ねてみる。
「それじゃあ、なんで脱ぐ必要があるんですか?」
「骨。だな」
「骨?」
「そうだ。骨だ。人間とエルフでは骨格が違う。俺はあまり人間と仲が良いわけではない。だから是非一度、骨の具合を確かめて見たかったんだ」
「そうなんんですね。わかりました。それではよろしくお願いします」
何を考えているかわからないこの男の心が、初めて見えた気がした。
こんな千載一遇かも知れないチャンスに、彼女よりもその骨が気になるとか職人気質にも程があるだろう。
そして、こんな状況にも関わらずミリィへの細かな気遣いは忘れないとか、意外とまめな性格なのかもしれない。
それに下着くらいならわりと普通だ。
この辺りは内陸で夏は湿気も多いので下着で出歩く者も多い。
安心してミリィは上着を脱ぐ。余計な肉はついていないのに、手足は柔らかく弾力がありそうで、みずみずしい肌は窓から差し込む月光を浴びて輝いていた。
はい。書き出し祭り終了から約一ヶ月、皆様大変お待たせしました。
童貞エルフは笑わない。連載開始です。
とにかく変なエルフの生態をミリィと一緒に楽しんでいただければ幸いです。
それではよろしくお願いします。