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記憶

 

 ―― 人が泣いている。


 誰?


 誰かが悲しそうに泣いている。

 しくしくしくしくしく。


 ――どうしてダメなの?

 私は望んでなんかいないのに。


 しくしくしくしく。


 身分なんていらないの。宝石だっていらないのに。宝石なんて、かわいい子もいるけれど、怖い子だってたくさんいるのよ。なんでみんな欲しがるのかしら?

 お金? どんなにたくさんあったって、本当に欲しいものは手に入らないのに。


 みんなどうして私のことを操ろうとするの?

 みんなどうして私の気持ちを聞いてくれないの?

 好きでこんな体に生まれてきたんじゃあないのに。


 しくしくしくしく。



 暗闇で誰かが泣いている。

 抜け出せない堂々巡りで苦しんでいる。


 泣かないで?

 何か手だてを考えよう?


 ――みんな私の魔力だけが欲しいの。

 あげられるならみんなあげてしまいたい。そうしたら、私は普通になれるんでしょう? 

 そうしたら、お父様もお母様も、私のことを捨てなかったかもしれない。そうしたら、私をたくさん愛してくれたかしら?

 この家は居心地が悪い。みんな私を遠巻きにして、いつもビクビクこっちを見ている。みんなが私を魔力の化身だと、いつ爆発するかと怖がっている。それが嫌でも見えてしまうから、形だけの笑顔にも気づいてしまうのよ。

 友達は、セレンだけ。


 婚約者なんていらない。彼にだって、愛する人がいるというのに。彼もかわいそうだけど、でも彼は愛を貫くこともできる。わたしなんてお飾りだから。

 どうして私だけ愛してはいけないの。

 恩返し? そんなこと私がお願いしたわけじゃないわ。


 どうして彼のところに行ってはいけないの。

 セレンは私からは離れない。唯一の友達を手放せなんて、そんなことを言う人に、渡したくはないの。それにセレンが嫌がるのよ。人間が龍に命令なんて、そんなことは出来ないのに。


 絶対に敵にはならないと、何度言っても信じてくれない。

 私に魔力がある、ただそれだけで、危険と言われてしまうのよ。

 好きで魔力があるわけじゃあない。


 いっそ私をあの人が、拐って行ってくれればいいのに。

 でも、駄目。だってあの人にも役割があるから。

 がんじがらめの血と魔力の拘束。私より酷い。

 彼は動けない。たくさんの人の心と命を預かっているから。


 彼も同じ。投げ出したくても投げ出せない。

 彼の代わりが務まる人なんて、この世の何処にもいないから。

 そういう能力で生まれてしまった。

 ただそれだけで。


 私たちは動けない。



 王だの姫だのちやほやされても、その実は体のよい傀儡。役割の傀儡。

 心は凍らせて。役割を演じろ。周りの期待に応え続ける傀儡となれ。


 でも、その氷が溶けてしまったら。その水は行き先を失って腐っていくだけだ――



 ――ああ、これはセシルか。

 私のなかに残っていたセシル。ずっと泣いていたセシル。

 触れなくても全てを察知して、全てを見通してしまうセシル。


 自分の暗い感情を察知されたくなくて、人々は近寄ろうとしなかった。

 どうしてもわき出てしまう恐怖や畏怖、そして羨望。その結果の嫌悪。

 それだけではなかったはずだけど、彼女はそういうものを拾っては傷ついて。

 愛情や親愛、そんなものも感じていたはずだけれど、彼女の欲しかった愛情には足りなかったのだろう。


 だれもが遠巻きにする中で育てられたセシル。

 ずっと寂しかったね。


 やっと遠巻きにしない、たっぷりの愛情をくれる人に出会ったとき、彼女は本当に嬉しかったのだ。一緒にいてくれる人。大好きと、心から言ってくれる人。一緒にいたいと言ってくれる人。

 だけど、その人も迎えには来てくれなかった。

 いやいつかは迎えに来てくれたのかもしれない。待ってさえいられれば。


 だけど間に合わなかった。

 育ててくれたお館さまには逆らえない。逆らってはいけない。そう暗示のように、常に厳しく言い含められながら育ってしまった。それはやがて呪となって、体が、頭が勝手に従う。

 結婚しろと言われたら、心で悲鳴をあげながら、でも口でははいと言ってしまうのだ。どす黒いものが心を覆う。


 そして私は壊れたのだった。



 目を覚まして見えた天井は、その昔見ていた天井と似ていた。

 見回すと、やっぱり似ている。

 なるほど、ここはセシルの部屋だったのか。

 どうりでインテリアが好みだったわけだ。


 ふらふらと立ち上がって、着替える。

 そういえば昔は一人でなんて着替えもできなくて、周りの人のなすがままだったねえ。


 まあ時代も違うか。今の服は動きやすいし着やすいね。

 なんだか頭が混乱しているのか、ぼうっとする。

 それでも歩いて向かった先は、一枚の扉。そこを開けると長い長い廊下だ。

 なつかしいような、そうでもないような。


 そこは肖像画の間。代々の当主の絵が並ぶなか、一枚の絵の前で止まった。

 お館さま。セシルを引き取って、養育して、従順な嫁という名の道具になるようにつくりあげた人。そうね、彼もまたこの家と一族の未来のために、努力した結果だったのかもしれない。隣は……彼ではないのね。かわいそうなセシルの婚約者。弟たちより魔力がちょっと足りなくて、いつも気弱な笑顔だった人。それでもセシルを娶るのだからと、後継だった人。セシルを娶れなくて、結局継げなかったということか。あの恋人と無事添い遂げたのだろうか?


 女性の絵はない。あっても小さく夫の横に添えられるだけ。そういう時代だった。あのまま壊れなければ、セシルの絵も小さく小さく飾られたのかしら。


「エヴィ」

 呟いたとたん、ふわりと後ろから抱き締められた。


「思い出したの? セシル」

 ちょっとだけね。たぶん。ちょっとだけ。王様然としたあなたの声は、とても印象的なのよ。お陰でうっかり思い出したみたい。毎日毎日泣いていたことと、あなたとこの人達だけだけど。私が壊れるちょっと前の、ほんのひととき。


「私を嫌いになりそうかい?」

 うーん、そうねえ、どうだろう。あなたは仕方がなかったんでしょ。きっと出来ることは全部してくれていた。

 それよりも聞きたいわね。


 なんで消えさせてくれなかったの?


 その問いに、見えない耳も尻尾もしゅんと下を向いているのがわかるような声で。

「だって、消えてほしくなかったから」


 恋人の希望は聞くべきじゃない?

「君は鬱状態だったんだよ。発作的に死のうとしていた。そういう病気だったんだ。だけど私は君が消えようとしているのを止められなかった。君に逆らってでは、魂を残すのが精一杯だったんだ。だけどどうしても失いたくなかった。私を置いていくなんて。私がどれだけ悲しかったと思う」


 しばらく二人で黙ってたたずむ。


「これからは、ずっと一緒にいよう?」

 そう言って抱き締めてくれる腕が、影なのになぜか温かい。

 そうね、これからは。とうとう私たちの粘り勝ちね。ふふっ。




「なんでそんな所でイチャイチャしてやがる。ここは家族以外立ち入り禁止だぞ。どうやって入ったんだお前ら」


 あら、見つかっちゃった。


「とにかく離れろ! なんで突然最近ちょこちょこ来やがるんだテメエ、浮かれてんじゃねえよ。大人しく寝てろ。そんで来たならまずオレに挨拶してシエルに会わせろってお願いしろよ? まあ会わせねえけどな!」


 まあこの人も、あのお館さまに比べたらずいぶんソフトな子孫だわね。



「じゃあね、戻るよ。愛してる」

 そして私の夫は、見せつけるように私の頬にキスをしてから、消えていった。


「ちっ……お前、この部屋の結界どうやって破ったんだ? あー、まあ、お前だからか。オレの結界じゃ弱いか。くそうコソコソイチャイチャしやがって! イヤミか!」


 はいはいゴメンナサイ、すぐに出まーす。


 ――さよなら。お館さま。


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