馬車のなか
帰りの馬車の中は押し黙った三人で空気がとてつもなく重い。
のは見かけだけで、師匠がチャンネル全開で機嫌よく喋っている。重いのはおっさんだけだね。おっさんの空気が馬車一杯に溢れているだけだ。
「いやあ凄かったですね! あれが本物の契約の場なんですね。いつか私も契約を成立させてみたいものです。それともあの光の洪水は王だからなのか。私ではあのようにはならないのかもしれないですね。でも一度試してみたい。カイロス、どうです、やってみませんか? 教会で式を挙げた後でもいいですよ。永遠の愛を誓いたくなったら、絶対に私のところに来てくださいね」
そんなお願いにもおっさんはジロリと師匠を睨みつけるだけだ。
「しょうがないでしょう。もともとこの二人は結婚していたわけだし。それを壊そうとしていたあなたの方が本来はお邪魔なんですよ。いまさら確定したところで何も変わりません。それよりいいんですか、あの叔父たち。今晩寝るところもありませんよ?」
そうなのだ。
あの光が消えたあと、真っ先に正気に戻ったおっさんは、
「何してくれてんだーー!!」
という咆哮と共に燃え上がり、あっというまに巨大な火だるまになって叔父さん親子に攻撃を始めたのだ。
だったらその前に止めればよかったじゃんとは思ったが、それどころじゃあない。
完全な八つ当たりにしか見えないけど、なにしろ巨大な火が暴れるものだから人々は我先にと逃げ出して、そして叔父さんの豪華絢爛かつキンキラキンの館はあっというまに炎に包まれてしまった。
私は必死で人々に水をぶっかけ、逃げる通路に水を撒き、なんとか死者を出さないで済んで心から安堵したのだ。いやあ本当によかったよ。
最後に、全てを焼き付くしてもなお燃え盛っていたおっさんにも水をぶっかけてみたけど、あっという間に蒸発させられて全然消火できなかったから、よっぽど怒っていたのだろう。
そして今に至る、と。
あれからおっさんは口をきかない。
わたし? 私はご機嫌ですよ。肩の荷がおりました。はーやれやれスッキリしたー。これで誰にも文句は言わせない。
「いやあ、しかし、何度目なんでしょうね。伝説をこの目で見るというのも」
そして師匠は喋り続ける。
「今回のことで『月の王』と呼ばれる理由がわかりましたよ。いやあ、あの銀髪は迫力ありましたねえ。なるほど瞳だけでなく髪も銀なんですね。『アトラの王』とも言っていましたから、かの一族で王を継いでいるのもわかりました。さて、私は誰にお仕えすればいいのでしょうね。なにしろ私は聖魔術師ですから!」
聖魔術師としての血が騒いでいるのか。なるほど。
ところであれは、だんなさまの影がやって来たという事なのかしらん? 浮いてたよね?
「あれは多分、あなたの魔方陣に封じ込まれていた魔術でしょう。あなたが誓ったらそれを感知して即座に契約を完成させるように手順をもう封じ込めていたんだと思います。高度な技です。きっと部屋で誓いを呟いたとしても発動していたでしょうね。たまたま今回はシュターフのお偉方の前という形にはなりましたけど。隙あらば成就させようという熱意はカイロスに負けず劣らずですね。少々呆れます。まあ今回はあちらの作戦勝ちでしょう」
師匠、すごいヒトゴトだねえ。
「いや、まだ諦めねえぞ。龍が三体とかねえだろ」
口を開いたと思ったらそれかよ! そういうところだぞ、おっさん。ほんとに。
その時、隣にふわりとシャドウさん、いやこれ旦那様だな、が出現した。
わあびっくり!
そして私は即座にギューギュー抱き締められていた。わあびっくりー。
「ありがとう。ありがとう! 嬉しいよ! 愛してる! 地龍も君の事を褒めていたよ。私が元気になったらずっと一緒にいようね! もう離れないよ!」
そう言いながら私の顔に麗しいお顔を擦り寄せてきている。もちろん見えない尻尾も全力で振ってるよ!
うん、安定のだんなさまだな。ふふっ。……でもこの熱意、最初だけよね? さすがに一生こんなんじゃあ……ないよね? チラと不安がよぎったが、うん忘れよう。
「てめえ! 何をのこのこオレの馬車に乗り込んでるんだ。遠慮しろよ狭っくるしいな! どっか行け」
「カイロス、仮にも王ですよ! なに不敬を働いているんですか! 初めまして、私は今の聖魔術師を継いでおります、カイル・エル・スロープと申します! 以後お見知りおきを」
師匠、姿勢がブレないね? ここまで来るとさすがだね。
「スロープ、ああ、ジルの子孫だね。はじめまして。でももうこの国はアトラではないから、今の私にはなんの権限もないんだよ。今はこの国には別の王がいるよね? 知っているよ。私はひっそりと彼女と生きるただの人になるんだよ。ねえ?」
うっとりと私を見る旦那様。うん! そうだね! ひっそり生きようね。一緒に。ふふふー。
「んなこと出来るわけねーだろ! イチャイチャ頭お花畑にしてるんじゃねーよ! 自分の魔力を考えろ! その上二人がくっついたら最強じゃねーか。もう誰も逆らえないような魔力と龍を、放っておいてもらえると思うなんてめでてえな? ひっそり生きたいならそこの一人かお前の龍よこせ」
ギロリ。
「うん? もう出来ないな。契約は絶対だからね。龍も私ではどうにも出来ん」
ニヤリ。
なんなのこの戦い。
このあと領主館に着くまでの間、おっさんはひたすら旦那様を睨み付け、そして旦那様はひたすら私にギューギュースリスリすり寄っておっさんを挑発していたのだった。
師匠? 師匠はなにやら紅潮したお顔で旦那様を見つめていましたよ。
こんな軽いノリの人だと知っても幻滅しないあたり、どれだけ尊敬していたんだろう? すごいな、師匠って。
領主館に着いたとき、一緒に馬車を降りた旦那様におっさんが言った。
「お前の部屋なんてねえからな! どっか宿でも探せ!」
「ん? 別に部屋はいらないよ。彼女の部屋に行くからね」
「待った! 部屋は用意する! 反対側にちょうど空いてる部屋があった! そっちに行けよ? オレの館で不埒な真似は許さんからな!」
なんだそれ……この旦那様、影だよ?
なに心配してんのさ。
呆れていたら、旦那様が言った。
「彼、楽しいね。だけど私もあまり長く本体から離れない方がいいんだよね、まだ。つい嬉しくて飛び出して来ちゃったけどね。少し一緒にいられて嬉しかったよ。君は彼らとしなければならない話があるんだろう? じゃあまたね、私の奥さん。何かあったら呼んでね」
そう言ってまたふいっと消えて行った。
うん……それも相変わらずなんだね……。
「はー清々した!」
おいおっさん! 喧嘩売ってるの? ああん?