水の記憶
朝起きて、最初に感じたのは怒りだった。
昨夜の衝撃から、一晩寝て起きた朝。
ふつふつと怒りが沸き上がってきた。
なぜ詐欺と言われないといけないの? 伝聞だけで。
いや、そう思う人もいてもいいのよ? それは個人の自由。
だけど、それで実際に逮捕とか言い出すのはやりすぎじゃない?
確たる証拠もなしに、誰も逆らえないような大権力を振りかざして言ってはいけないんじゃないの? なんなの? 魔女狩りなの?
そう。きっとこれは魔女狩りなんだ。
得体が知れないから、という理由で排除する。
危害を加えられるかもしれないという不安から攻撃する。
私はその対象になったのだ。
なんという理不尽!
決めた。私は戦おう。
ビクビク隠れるのではなく、積極的に、逃げるのだ!
権力の網を掻い潜り、完璧に隠れてみせる。
私に出来ることは何でもやって、私の平穏な旅を死守するのだ。
え? 正面から戦え?
嫌だよ。
相手は宗教だよ? 綿々と国単位で戦争しても全然決着がつかないようなもの相手に、個人で戦うなんて自殺行為だ。相手は圧倒的多数で、しかも自分達こそが正義だと信じている。その上その宗教は今、国王が全面的に支持しているのだ。無理だよ。
私はひっそり生きたいの。
面倒なんて御免なの。
ケンカなんてするより食べ歩きする時間の方が大事なの!
もう怒った。本気出す。
と、いうことで。
コップを出す。水を汲む。そして呼ぶ。
セレン。
「はいはい~おはようさんセシル~~。……なんぞ怒ってる?」
コップの上に小さな龍……いや蛇がご機嫌で出現した。
私はきょとんとしているセレンに、かくかくしかじかと説明した。
「なるほどのお~。しみじみ人間とは小さいものよのう……。そんなものいつでもワシが水に沈めてやるよ? やろか?」
いやいや。そこまでは。私はひっそりしたいんだって。
ただね? こうなると、カイロスさんを巻き込むのよ。
でもね? 私、名前を今シエルって名のっているのよ。
かくかくしかじか。
一応、現状の説明はしないとね。あと希望と。
そして。
「おはよう! おっさん。ちょっといい?」
私はカイロスさんを呼びに行った。
カイロスさんが私の部屋の水龍を見て固まる。
部屋の机の上のコップの水の、そのまた上には、半透明の白い蛇。
おっさんには感謝している。一緒に旅をして沢山いろいろ教えてくれて。困ったときには助けてくれた。何だかんだと面倒をみてくれて、今回も一緒にいてくれる。
もう、仲間だよね。旅の仲間。だと私は思っている。たとえ下心があろうとも。
たぶんこの人の性格的に、何かメリットを感じて一緒にいるのかもしれないけれど、それでも付き合ってくれているのだ。
だから、もう私の出来ることを隠すのはやめた。
私はまだ「シエル」でいたい。
旅を楽しむただのシエルでいたい。
伝説のセシルとは全くの別の人間として、ノンビリのほほんと過ごしたい。
だから、この生活を守るために、私は周りを巻き込む。
私の我が儘かもしれないけれど。
なりふり? え? かまっている場合じゃないよね?
「これ……水龍か? お前……若いのか? その姿……。セイレーンのじいさんはどうした?」
『セイレーンじゃよ? 小さい時はこっちの姿なんじゃよ。可愛いじゃろ?』
あ、それがセレンの本名なのか。セイレーンが言えなかったって、どんだけ小さかったんだセシル。まあいいか。
「どうしたんだシエル、これ」
「え? 友達になった」
「友達ってお前……。まあ水属性だとは思ってたけど、そこまでか……やっぱお前オレの嫁にこ」
「お断りします」
『ほっほっほ~』
「おっさん、私戦うことにしたの。全力で逃げる」
「そっちかよ」
おっさんがニヤリとする。
「宗教相手にガチで戦うなんてナンセンスだよ。勝ち目ない。だから、全ての力を使って逃げることにした。水龍の手を借りてでも。で、セレン、どうすればいいと思う?」
「おい、勢いだけかよ……」
あら、おっさんがガックリしている。
だって、何が出来るか知らないんだもーん。ねえ?
『そなたなら、水に触れれば辺りの水が見ている風景が見えるだろうし、聞こえもするよ。水が覚えている限り、過去にも遡れるだろう。今はワシが手伝ってやろう』
おっさんがヒューッと口笛を吹いた、
「いいな。イカロスではなかなか部屋の中まで行けねえんだよ。水だったら部屋の中にあるからな」
なるほど。では早速。
あ、ちょっとその前に。
「おっさん、今から私とおっさんの間にチャンネル作るから」
そう言ってから、おっさんの意識と私の意識の間に橋をかける。橋というよりはパイプか?
「うおっ!?」
「繋がった? 普段は閉じるからね。必要な時だけ開けるから。そっちからも鍵もかけられるようになっているから、安心して? でも私がノックしたときには開けてほしい。あ、今は開けといてね?」
本当はシャドウさんとしていたように、触れていれば都度つながるんだけど、その度におっさんと触れあうとか、ちょっとね? 抵抗がね? やっぱりね?
「お前、随分怒ってんのな……。なるほど。これは便利だな。ありがとよ、オレも使わせてもらう」
では。
セレンの乗っているコップの水に指を浸して意識を溶かした。
「さっきの女、怪しいな……一応報告しておくか。私の話にも心ここにあらずといった様子だったし……」
「では、筆記用具をご用意しましょうか?」
「そうだな、ああ、いや、今はいい。もう少し探りを入れてからにしよう。どこかで会えるといいんだが……まあ、教会に祈りに来ないなら、それはそれで神への信心のない証拠にして報告すればよいか……」
この記憶は花瓶の水なので音声だけだったが、場所はどこだかわかっている。あの神父の部屋だ。今は……、カチャカチャ音がするので、食事中か。
そのあと私は教会の中にある水の記憶を一通り高速でスキャンした後、意識を市長さんの館に移した。
「あなた、今日の監査官の助手といういう方、黒髪でしたわね?」
「うむ。だが、それだけでは疑えないだろう。黒髪は少ないとはいえ珍しいというほどでもない。監査官も、親族の所まで送り届ける途中だと言っていたしなあ。大人しそうな娘だったし、証拠もない。あんまり迂闊なことを言って、無実の人を罪に問うのはいけないからね。お前も気を付けてくれよ?」
「もちろんですとも。だって私はセシルの味方ですからね。この『再来』の方には『月の王』のような素敵な殿方がもういらっしゃるのかしら? いるといいわねえ? 今度こそ真実の愛を貫いてもらって……」
もういいや。とりあえず奥方は味方っと。
「便利だな、これ」
カイロスさんが目を白黒させている。
「お前……怒ると結構怖ええ奴だったんだな……まあ、何となく知っていた気がするけど」
と言って、ニヤリと笑った。